第18話  殿下とお散歩

「どうしたんだい、アグニエスカ?」

「どうしたも、こうしたもなくてですね」


 今日も、髪の毛の先から爪先まで真っ黒状態のイエジー殿下の治療の為に王宮を訪れる事となった私は、思わず、大きなため息を吐き出した。


 王都カドウィの中心に王宮があるわけだけど、この王宮を中心に政が行われている為、政治機関も王宮の中にあり、各部門の事務所も星の数ほど設けられている。


 だけど、魔法省や軍司令部というのは王宮の中ではなくて、別の建物の中にあるし、今、王宮で一番忙しいのが軍部と魔法省という事になっているみたい。


 私はイエジー殿下が暮らす離宮に直行直帰なので、翡翠の宮というこの豪華な建物にしか来た事がないのだけれど、他の建物も歴史ある素晴らしい建造物だという事は知っている。


「殿下、痛みは取れているんですよね?」

「うん、君のお陰で体の節々の痛みが取れたよ」

「だったら私、毎日ここに来る意味って無いと思うんですけど?」

「うん?君は王族の指名を受けるのが気に食わなかったかな?」

「いや、そういうわけじゃ無いんですけど」


 本当は、指名を受けるのがめちゃくちゃ嫌だし、めちゃくちゃ気に食わない。王宮なんて所には来たくも無いんだけど、拒否して王家の反感を喰らうとか、不敬罪適用で捕まりたくは無いわけで。


「何?歯に何かが挟まったような物言いだね?」


 イエジー殿下は頭の先から爪先まで真っ黒で、白いのは白目しかないというような状況となっているけれど、安静の為にベッドに寝るという事はやめたらしい。


 サロンで呑気に本を読んでいた殿下は立ち上がると、

「アグニエスカが若者なのに運動もせず、だらだらしてばかりは駄目だって言うから、散歩にでも行こうかな」

 と言い出した。


「行ってらっしゃいませ、そうしたら私は帰りますね」

「何を言っているの?君も僕と一緒に散歩に行くんだよ?」

「何故?」

「何故だって?」

 殿下ははっははと笑うと、

「君は僕の治療係だろ?」

 と、言い出した。


 私に出来る事は痛みを取るだけで、決して治療が出来るわけではないのです。だと言うのに、殿下は専属治癒師だったヤルゼルスキさんを外して、私を専属治癒師として採用する事を決めたみたい。


 呪いによって真っ黒状態の殿下はどんな治癒も効かないし、呪いを解かない限り色白状態に戻れない。魔力回路の支障がどうので、まともな結界を施す事が出来なくなっているそうなんだけど、完全に何も出来ないという状態ではないみたい。


「はあ、面倒」


 頭の先から爪先まで真っ黒な状態の殿下は物凄く目立つので、教会の信徒が着ていそうなフード付きの外套を、すっぽりと全身を隠すようにして着ている。


 そうして、サロンから外に出た殿下は人差し指を空に向け、指揮棒を振るみたいにクルクルと動かすと、上空を覆う結界が星屑のようにキラキラと輝きながら広がっていく。


 殿下は一日一回、王国を覆う結界の補強を行っているけれど、魔力回路の障害から完璧な物が作り出せなくなった為、大きな穴が所々に出来てしまう。そのため、結界に長けた魔法師がその不足分を補うために王国内を走り回っているのだそうだ。


「この結界、スコリモフスキ家の人間でどうにか出来ないかな?」


「86歳のひいおじいちゃんを引っ張り出すのはやめてくださいよ?高齢なんですから無理をさせられないし、もしもひいおじいちゃんが魔法の使いすぎで死んじゃったらどうするんですか?」


「結局、ブラス州の結界が完璧って事で満足するしかないんだね」

殿下は大きなため息を吐き出した。


 現在、東の森のスタンピードが収まり、東部地区の安全は確保された状態となってきているんだけど、北のカルパティア山脈に移動した古竜の動きから目が離せないし、宣戦布告してきた隣国ルテニアとの戦闘は始まっているし、南のコロア王国の動きが不穏に満ちているという。


 王宮の敷地内にある治療院にはスタンピードの対応で怪我をした兵士と、国境線で怪我をした兵士が王都へ戻されていて、連日満床、大混雑といった状況になっているらしい。


 治療院はまさに病院といった感じの3階建ての建物で、イエジー殿下が住む離宮から徒歩圏内にある。


 護衛の兵士3名に囲まれながら治療院の裏口から建物に入った殿下は、院長のハサヴィさんに迎え入れられた。ハサヴィさんは、殿下にはニコニコ顔、私には側溝に溜まったヘドロでも見るような視線を向けてきた。


「麗しきヴォルイーニの太陽の子、イエジー殿下にはわざわざこのような場にお越し頂きまして」

「堅苦しい挨拶はいらないよ」


 真っ黒殿下はフードを被ると影になって白目がぎょろぎょろしているようにしか見えない。


「先触れを出したときに説明したけど、この子はパヴェウ・スコリモフスキのひ孫であるアグニエスカ。痛みを取る魔法が出来るから、ここでその力がどの位の範囲で使えるのか検証してみたいと思っている」


 あの、これはただの散歩じゃなかったんですかね?


「痛みを取る魔法・・ですよね・・・」

 ハサヴィさんの眼差しがヘドロ以下を見るものへとランクダウンした。


 この世界に痛みだけ取る魔法なんてものはないしね。しかも私、ヤルゼルスキ治癒師を殿下の専属から外した元凶になっているからね。周りからの視線が突き刺さって、ハリセンボン状態ですわ。


「それじゃあ、怪我人が居る病室に案内してもらおうか」

「わかりました。では、まずは重傷者の部屋からご案内いたしましょう」


 普通、腕試しといえば軽症者からじゃないんですかね?まあ、重傷者でも私はいいけども。


「では、アグニエスカ」


 殿下はエスコートするように私の方へ手を差し出す。本当、この動作、マジでいらないって。


「はい、殿下」


 笑顔が確実にひくついていたと思うけど、そんな私の事など全く気にしない様子で、殿下は私をエスコートしながら病室へと移動したのだった。

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