第6話 話し相手

「社長、今日はありがとうございました。」

アトリエから会社に戻る途中、菫は明石に礼を言った。

「さっきも言ったけど、これくらいは当たり前だから。それより川井さんはトラブルの報告をきちんとすること。」

「はい、すみませんでした…。」

菫はしゅん…と肩を落とした。

「まあでも、一澤 蓮司がどんな人かわかったし、とりあえず大丈夫そうだね。川井さんは毎週大変だけど。」

明石が言った。

「頑張ります。ところで香魚あゆさんはお元気ですか?」

「うん、元気だよ。最近はベビー系のイラストばっかり描いてる。」

明石あかし 香魚子あゆこは明石の妻であり、ミモザカンパニーと外部委託契約をしているフリーランスのデザイナーでもある。現在妊娠中だ。

「うちでは今のところベビー用品やる気はないけど、毎日のように良いデザイン見せられると商品化したくなって困るよね。」

明石が笑って言った。

「………」

「まあしばらくは一澤 蓮司に集中しよう。相間さんとも一度は会ってもらった方が良いと思うよ。」

「はい。」



翌週 火曜 午後

菫は約束通り、蓮司のアトリエを訪問した。

入口のドアは菫の強い希望で今日も開いている。

「じゃーん!」

(じゃーん…!?)

蓮司が満面の笑みでテーブルの上に出したのは、布がかけられた四角いものだった。形からするとキャンバスのようだ。

「スミレちゃんが布外して。」

菫は言われた通り—恐る恐る—布を外した。

「え、これ…スミレ…!?もしかして新作ですか…!?きれい…!」

蓮司は笑ってうなずいた。

「スミレちゃんが最初に来た日に描き始めた。本当はこの前の明石さんと来た時にはできてたんだけど、スミレちゃんにだけ一番に見せたくて。」

「この前はスランプって…」

「うん。なんかあの日から描けるようになった。だからスミレちゃんと仕事したくなったんだ。」

「え、そうなんですか…!それは良かったですね。これすごく素敵です!」

蓮司は菫の反応に若干の歯痒はがゆさを感じるような表情かおをした。

「…でもあの、この作品はとっても素敵なんですが…今回のうちの商品は既存の作品で作らせていただくので…」

菫が申し訳なさそうに言った。

「うん、わかってるよ。既存の作品で人気のやつはもうデータ準備してある。自分のサイトで販売してるポストカードで人気のやつ選んどいた。他の作品も欲しかったら言ってくれたらデータ準備する。」

(…この人、めちゃくちゃ仕事できるのでは…。)

菫は最初の印象を引きずっているせいで、いちいち驚いてしまう。

「あの…」

「え?」

「私はここに来て、何をすれば良いんですか?やることが無いような気が…」

菫が所在なさげに言った。

「俺の話し相手。」

「え?」

「商品化のデータ関連のことは全部自分でやるから、その分新作描くのに協力してよ。」

「意味がわからないです。」

「この前スミレちゃんが来て話聞いてもらってから、描きたいってひさびさに思えたんだよね。だから、話し相手になってよ。」

蓮司は菫を見て言った。

「…それって別に私じゃなくても良いような…?」

菫の顔には“腑に落ちない”と書いてある。

「スミレちゃんてマジで…」

蓮司が何かを言いかけた。

「まあいいや、とにかくそういうことだから。別にここにいる間も他の仕事してていいし。」

「はぁ」


菫は蓮司に言われた通り、作業台を兼ねた長机でノートパソコンを開いて他の仕事を始めた。机の対角線側では蓮司がさらなキャンバスを広げている。

「話って例えばどんな話をするんですか?」

「別になんでも。スミレちゃんから質問とかあれば答えるけど。」

「うーん…」

菫はしばらく考え込んだ。

「…じゃあ、サクラのことを聞いてもいいですか?」

蓮司の動きが一瞬止まった。

「辛かったら聞かないですが…私と話して絵が描けるようになったというより、サクラのことを他人ひとに話せたから気持ちが軽くなったんじゃないかなぁと思うんですよね。」

「……いいよ。」

「サクラはどんな色の猫だったんですか?」

「…銀色の長毛ちょうもうの猫。」

(銀色で長毛…?)

「一澤さんと同じ…?」

「うん、そう。お揃い。」

菫は思い出すように「ふふ…」と笑った。

「だから自画像が猫だったんですね。」

「うん…」

蓮司の声に涙が混じっているのがわかる。

「やめますか?」

蓮司は首を横に振った。

「もっと話したい」

「…えっと、じゃあ…」

それから1時間30分、菫は蓮司と話しながらアトリエで過ごした。

「じゃあ、今日はこのへんで…。」

「うん。本当はもう少しいて欲しいけど。」

蓮司の言葉を菫は気に留めず、仕事の会話を続ける。

「ご用意いただいたデータのアドレスはうちのデザイナーに共有しました。次回はデザイナーも連れて来ます。」

「了解。」

契約を交わした蓮司は拍子抜けするほど協力的だ。


(私、本当にアトリエにいた意味あったのかな?)

帰り道、菫は考えていた。

(でもサクラの話をしてるときの一澤さんはちょっとかわいいから、まぁいいか。)

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