第2話
僕は二歳になってから、大勢の友人たちと知り合いになった。中でも、樹里杏は「秀作さんって、作家先生のご子息様ですものね。いつ見ても、知性が溢れているわ」と上品な口調で僕を褒めてくれる。そう煽てられると、くすぐったいが悪い気はしない。
僕に言わせると譲治の方が、余程、博覧強記だが……。
パパは国産車のセダンのハンドルを握ると、国道を家から北東方向に向かって走らせた。クリスマスイブの町中はどこも、賑わいを見せていた。樹里杏の家の前には、ポインセチアのプランターが置かれ、玄関にはクリスマスリースが飾り付けられていた。
今日の外出の目的は、予約していたクリスマスケーキを受け取りに行くついでに外食する。デパートのエントランスホールには、特大のツリーが飾られ店内では繰り返しジングルベルがかけられていた。高さ十メートルのクリスマスツリーは、キラキラ光る電飾とお洒落なオーナメントで素敵な装いだが、小さな僕には驚くほど巨大に見える。
パパは食堂でお子様ランチを食べているときに、僕に対して「サンタさんには、どんなプレゼントが欲しい? 知り合いのサンタクロースに、今からスマホで連絡を取っておくから教えてくれないか」と尋ねた。
僕は「難しい質問だね」とだけ答えた。
すると、パパは「せめて、ヒントだけでもくれないか」と、懇願した。
そこで、僕はいかにもママが喜びそうな知育玩具である「木でできた積木がもらえれば嬉しいけど……」と、伝えておいた。
ママは「秀作はとっても良い子ね」と、微笑んでくれた。
元来、子供といっても性格も違えば、知能も、運動能力も、趣味嗜好性も、容姿も異なっている。大人の目には皆、同じに見えたとしても一人一人のポテンシャルにも差がある。それを単に受験戦争の勝者にするために躍起になるのはどうかと思う。知育だけではなく、体育も、徳育も、情操教育も必要なのではないかと僕は考えている。
つまりは、大人のエゴだけで、本来必要な人間性を大事にしない教育をするから、人が自分の欲求を満たすためにだけに自己主張するモンスターと化すのではないか? 僕にはそんな風にしか思えない。でもまあ、クリスマスはパパとママを喜ばせておこう……と思い、知育玩具が欲しいと伝えた。
クリスマスの朝、僕が希望した通り枕元に木製の積木が置かれていた。世界中の子供たちから愛され尊敬されているあの有名なサンタクロースと、僕のパパは何故知り合いなのか? スマホではどんな話をしているのか? そう想像してみるだけでワクワクしてきた。
そういえば、絵本の中のサンタクロースは煙突から入ってきて、枕元の靴下にプレゼントを入れていた。ところが、僕の家には煙突がない。しかも、プレゼントは綺麗な包装紙で包まれていた。サンタクロースが神の化身だとしても、世界中の子供たちにここまで手の込んだサービスを提供できるのか?
そんな偉人が存在するのなら、クリスマス以外の時は何故、姿を隠し続けているのか? これも人間社会の謎の一つのようにも思える。譲治や樹里杏に話してお互いの意見を尋ねれば、白熱の議論になる。
正月になり、パパやママの元には年賀状が届いた。まだ、生まれて二年生の人間見習いに過ぎない僕には、一通も来ない。ただし、パパやママの名前の横に連名で書かれているものが何通かあった。
今年はハガキが減り、年賀メールが増えていた。いわゆる「あけおめ、ことよろメール」だ。お雑煮を食べ、お節料理を食べ、お年玉をもらう。だが、お年玉は、二歳児にとってはクリスマスプレゼントほどの価値はない。三賀日の間に、親類からもらうお年玉は、すべてママに没収される。
その後に、何に使われるかは謎である。それでいて、毎回ありがとうとお礼を伝えている。せめて、僕名義で預かったものなら、使用目的はきちんと告げてもらいたい。
僕がパパの膝の上に乗り、テレビを見ていると玄関のチャイムが鳴った。三賀日は両親の実家に行き、祖父母や叔父叔母、従兄弟たちに会った。今日は、家の中にいて三人でくつろいでいるところへ来客だ。
しばらくすると、ママが「翠明さんが訪ねて来ました」と伝える。神田翠明はパパの高校時代の後輩で、今は立派に出世して宇宙物理学の准教授をしている。翠明は昔馴染みなので、よくパパのいる所へ遊びに来る。来ると、屁理屈とも正論ともとれる、自分の意見を並べ立てて帰る。
パパのような凡庸な人間を相手に、もっともらしい話を並べ立てて、満足して帰っていく神経が分からない。
「お久しぶりですね頓馬さん、最近は多忙を極めているものですから、お目にかかる機会が少なくなりました」と、コートを脱ぎながら、矛盾した状況を話す。
僕の記憶では二週間前に、家に来ていた。そのため、僕には翠明先生のいう多忙である、活躍しているのが自慢のように思えた。
見ると、鼻の横がみっともなく赤くなって腫れている。パパは「鼻の横が赤くなっているが……」と首を傾げると、「年末に風邪をひきましてね。その後遺症で、熱の花が出来ているのですよ」と、翠明は答えた。
「でも。まあ元気そうじゃないか」と、パパは僕の頭を撫でた。
翠明は「あいかわらず利口そうな息子さんですね」と、いつもと同じお世辞を口にして、わざとらしく僕に微笑みかけた。翠明は、出されたお汁粉の餅を何度も噛み切って、汁を飲み干し完食した。
翠明は「頓馬さん、少し表の空気を吸って話しませんか」と、傍にいた僕の方を見てお年玉を手渡した。
ポチ袋の裏側を見ると、五千円と書いてある。僕は「おじさん、ありがとう」と、笑っておいた。これも、どうせママに没収されるので、有難いような有り難くないような微妙な気分になった。二人が出かけたあとで、台所に行きポチ袋をママに渡すと「お利口ね」と、小さく切った竹輪を口に入れてくれた。
僕は炬燵に入り、正月番組を見た。芸能人たちが宴会芸のようなものを披露したり、知恵比べしたりして競い合う。お笑い関係者の出演が多く、二歳児の僕が見ても、声を上げて笑えるパフォーマンスが楽しい。だが、同じような番組をいくつも視聴しているうちに眠くなり、いつの間にかうつぶせ寝をしていた。
翠明と外へ出たパパは、夜遅くなってから帰ってきた。ママの話では、僕の嫌いなアルコールの匂いをプンプンさせていた。翌日の朝食は、午前十時を回っていた。
パパはお雑煮を黙って食べると、すぐに箸を置いた。「二日酔いだ」と、胃薬を飲むと炬燵の僕の横に来てあおむけになり、そのまましばらく寝ていた。目を覚ますと書斎に入り、カントの「純粋理性批判」を開いて読み始めた。
僕が見ていると、パパは「うんうん、なるほどなるほど、こういう意味だったか」と、頷いた。もし、十分理解して読んでいるのなら、凄いと思う。だが、パパは二三度頷いてパタンと本を閉じ、そのまま書棚に並べた。
その後、パパはいつものように日記帳にこんな出来事を書いた。
「翠明と神田古書店街の周辺を散策した。周辺はコンビニと飲食店しか開いていないので、人通りは僅かだが家族連れを見かけた。靖国神社、神田明神、湯島聖堂にお参りする人たちがこのあたりまで流れてくる。翠明は『学生時代は古書街へ通い、デカルト、カント、ショーペンハウエルを読み、宇宙は何によって、組成されているのかと、真剣に考えたものです』と、なつかしがった。私は『デカンショ節は役に立ったのか』と問いかけた。翠明によると、カントの考えでは宇宙の始まりがあるかなしかの真実は、人間の頭では理解できず宇宙そのものの側からでないと理解できない問題だ。そこで、物理学的にそれを反証しようと考えて、大学入学後に宇宙物理学を専攻した。『俺たちも、湯島聖堂まで初詣でに行かないか』と翠明に尋ねたところ、何を勘違いしたのか『ああ、あそこは猿回しが見物できますからね』とうんうんと頷いていた。猿回しは湯島天神で、春の催しだ。私は『湯島天神……、天神様の催しの猿回しのサルは、うちの息子の赤ん坊のころの顔にそっくりだよ』と笑うと、翠明は『ああそうでしたね』とだけ返答した」
パパは僕の顔をまたサルに例えていた。今じゃ、人も羨むイケメンの僕に対してあまりにも失礼だ。
「湯島聖堂にお参りし孔子像を崇めた。孔子は宇宙の道理として、吉凶・禍福を決める『天命』があり、これが人や物事を支配していると言っていた。翠明は『孔子のその説はさすがに検証が難しいです』と言いながらも、湯島聖堂では手を合わせていた。その後、近くのレストランで食事をし、スナックで酒を飲んだ」
大人の心理ほど、二歳の僕にとっては理解しがたいものはない。はたして、彼らの思索と熟考が日常の何に役立ち、何をどう変えるのか? それに、聖堂に詣でて潔い気分になったあとで、酒を飲み、翌日は二日酔いに苦しんでいる。
二歳児の僕らは、いかにも自然体で無理と矛盾がない。自分を偽らず、人生を楽しめる。さらに、肩から力を抜いて生活できる。
「酒の飲みすぎは健康に良くない。会社の健康診断では酒を多量に飲むとγ―GTPの数値が上がり、しばらく断酒すると数値が下がる。肝臓の状態を健康に保つには、酒量を適量にする必要があるが、つい飲み過ぎる」
要するに、パパは自分をコントロールできない。酒を飲んでいるようで、酒に飲まれている。大人が書く日記は、記述自体が出口のない迷路のように思える。
パパをよく訪ねてくる友人は、パパに向かって「飲酒癖は身を亡ぼすよ。仏教では不飲酒戒の戒律まである」と、議論をした。友人の説は道理に適っていて、理路整然とした論法に僕は感心した。
対するパパは反駁する言葉が見つからない。どうのこうのと弁解した後で「君の説には偏りがある。キリストは葡萄酒を飲んだだろ? それに、音楽家のフランツ・リストはアル中だ。我らが英雄・坂本龍馬や文豪・太宰治が酒のない世界で存在できたか」とまで言い出す始末だ。
友人は「君がいくら酒を飲んでも、フランツ・リストにも太宰治にもなれない」と冷めた口調で告げたので、パパは憮然としていた。
僕はまだ二歳児だが、自堕落な生活には嫌悪を感じる。工務店の弥次郎のように乱暴者ではなく、樹里杏のようにチャーミングでもないが、僕なりの矜持は持っているつもりだ。したがって、夜通し酒を飲むのも、日常の屁理屈も愚行に思える。ただし、好物の甘いお菓子を食べすぎて、虫歯になったり、太ったりする事態は要警戒だ。
パパの話によると、歴史上の偉人では織田信長は金平糖、ビスマルクはバウムクーヘン、エルビス・プレスリーはドーナツ、マザーテレサはチョコレートが大好物だった。戦国武将の織田信長は、イエズス会の宣教師からフラスコに入れられた金平糖を献上されてから、好物になり、彼らから大量にこの菓子を購入した。そう聞くと、僕と同じイチゴのショートケーキが好物の英傑もどこかにいそうな気がした。
家族が台所から、他の部屋やトイレに行っている隙に、僕はテーブルに置かれた缶入りの飲料を手に取り飲んでみた。甘い匂いがしたので、ジュースだと思った。ここで白状しておくが、こっそり他人の飲み物を横取りしたのは初めてだ。パパやママが戻ってこないうちにと考えて慌てて、グイッと飲んだところ、喉が焼けそうに痛くなった。
しかも、飲んでからしばらくして、身体がフラフラし始めた。後で知ったが、この飲み物はアルコール飲料のレモンサワーだった。一飲みしただけだが、二歳児の体には合わなかった。薄ぼんやりと、恍惚とした意識状態なのに気分が良くない。少し眩暈を感じたときに、パパがトイレから戻ってきた。
パパはテーブルの上のレモンサワーの缶の位置が大きく移動している状況と、僕の口中からアルコールの匂いがする様子にすぐさま気が付いた。
僕はキッチンから出て、リビングダイニングの中をもたつく足取りでウロウロしているところだった。パパは僕に近づくと、いつになく優しい視線で「秀作、こんな物、飲んじゃ、ダメだよ」と諭した。
そこへママが戻ってきて、様子に気づいた。パパから話を聞くと「あなたが目を離すからでしょう」と強い口調で咎めた。
パパは「一口飲んだだけだ。身体に悪影響はない。それより、秀作が大人になって、晩酌を共にするのが楽しみになったよ」といかにも面白そうな様子だ。
こんな失態を樹里杏にだけは知られたくない。公園でママが余計な内幕を明かさなければ良いが……。「女ほど恐ろしい連中はいない」が持論の弥次郎でも「樹里杏だけは別だ」と、話していたのを思い出した。
樹里杏は、大きくて優しい目をしている。肩のあたりは丸く、うなじは細くなっている。腰の周囲も、男児に比べるとくびれて見える。何よりも、樹里杏は女の子らしい気遣いを知っている。そう思うと、何と魅力的なのかと、僕はうっとりする。
パパは「酔い覚ましに、秀作を連れて散歩してくるよ」と、外に出た。家の前の歩道を二人並んで進んでいると、向こうからおばさんと手をつないで樹里杏がやってくるのに気が付いた。
パパとおばさんは立ち止まり、年始の挨拶を始めた。樹里杏は僕のそばに来ると「秀作様、お久しぶりね。それと、おめでとう」と、ウインクした。
「今年もよろしく」
「こちらこそ、よろしく」
この町で、僕を「秀作様」と呼んでくれるのは樹里杏だけだ。樹里杏のおばさん(母親)は、ピアノ教師をしている。樹里杏の話では、もの凄い腕前だ。
「私のママはショパンのノクターンや、ベートーベンのピアノソナタが好きだけどね。私がお願いすると、パッヘルベルのカノンを弾いてくれるわ」
「僕にはそれがどんな曲なのか見当がつかない。胎教でママのお腹の中にいるときに、モーツァルトのピアノ曲を聞かせてくれたけど、思い出せなくてね」
「私もそのころは、あまり覚えていないわ」樹里杏はおばさんに手を引かれて、嬉しそうに「今度、うちに遊びに来てね」と、帰っていった。
僕には、樹里杏が名残惜しそうにしているように見えた。
しばらく、パパと散歩を続けていると、今度は弥次郎が工務店のおじさんに連れられて近づいてきた。最近では、体格の大きい弥次郎に圧倒される展開はなくなっていたが、無神経な性格から出る乱暴な態度が不愉快なので、よそを向いて通り過ぎようかと思った。だが、そうは行かなかった。
パパは、工務店のおじさんに話しかけられて足を止めた。
「あけましておめでとう」
「ご無沙汰していますね。最近、調子はどうですか」
二人が挨拶を交わし近況報告をしている間、弥次郎は僕に罵声を浴びせてきた。
「よう、お前顔色が悪くないか? それに、なんか酒くさいぞ。まさか、お屠蘇を飲んで酔っ払っているのじゃねえか。未成年者の飲酒は法律違反だぞ。お巡りさんに言いつけるからな」と、正月早々いかにも弥次郎らしい言い草だ。
僕の知るところでは、未成年者飲酒禁止法は民法違反なので処罰規定はなく、僕自身は逮捕されない。だが、ここは議論する場合ではない。弥次郎は侮辱されたと思うと、いつものように「ぶん殴るぞ」と、物騒な事を言いかねない。
「もちろんお酒ではなくてね。ママが僕の首筋にコロンをつけてくれた。それと、弥次郎君、おめでとう。今年もよろしく」と、誤魔化しておいた。
「正月が特別な日なのは、大人たちが勝手に決めた。人生に区切りなんてものはないと思うよ。知らないなんて、お前も相当、脳タリンだよな」
弥次郎は、まだ僕の知的水準の高さを正しく理解できていない。
「君に聞きたいけど、脳タリンとはどんな意味だ?」
「お前みたいな単細胞が脳タリンだ」
僕は、まさか単細胞の口から「単細胞」の言葉が飛び出してくるとは思わなかった。嘘つきが正直者を「嘘つき」と罵倒し、自己中心的な者が思いやりのある人物を「自己中心的」と批判するのは不条理もいいところだ。弥次郎は明らかにメタ認知できないタイプだ。だが、ここは辛抱が肝心だ。分からず屋に怪我をさせられるのも困る。
家へ帰ると、いつになく明るい笑い声が響いてきた。パパと一緒に中に入ると、初めて見る客がソファーに腰かけて、ママと歓談していた。
中にいたのは、頑迷固陋という名前の自称哲学者だ。頑迷はパパの会社の後輩で、大学では哲学を学んでいたが「享楽的で無責任な今の時代では、学者や修行僧になるよりも、現実の苦労の方が人格を錬磨できる。僧中に僧なく、俗中にこそ僧ありだ」と、哲学者として象牙の塔にこもるのを拒み、サラリーマンになるのを選んだ傑物だ。
パパの友人で、いつも空想家と周りから揶揄されている夢野のエピソードを話していた。
「夢野さんが、興味深い料亭があるから来ないかと、誘うのでついて行ったのですがね」と頑迷は冷静な口調で話した。
パパは「正月から開けている料亭で、そんなにも面白い店があるものかな」と言いながら、コーヒーカップを頑迷の前に押しやった。
「夢野さんは以前、料亭に美人のパリジェンヌと同行し、白子やイカの塩辛を注文した。それで、パリジェンヌがグロテスクな見た目に青ざめて『あなたはこんな気味の悪いものを食べさせるの』と、怒り出し、せっかく、うまく行っていた関係がダメになったのですよ」
「それは初耳だな」
「あの見た目で随分、モテるそうじゃないですか」
「まあ、夢野ならありえなくもない話だが……、実のところどうだ?」
「それで、料亭で夢野さんと酒食を共にしたのですがね」
「何を食べた?」
「まず、献立表を見ながら給仕長の説明がありました」
「それで?」
「あまりたいした物がないようだなと見下すから、給仕長は生雲丹の逸品を用意しておりますが如何でしょうかと尋ねると、夢野さんは蝦夷の馬糞雲丹のような不気味なものを出すなよと怒り出す始末です。それで、給仕長も呆れた顔をしていましたよ」
「そんな感じだったのか」
「ええ、それから私の方を見て、高級料亭は山海の素晴らしい珍味が味わえるがこの店はやはり今一つだなと不機嫌そうでした。夢野さんはそんなにも食通なのですかね」
「いや、夢野は食通を気取っているだけだと思うよ。パリジェンヌとの一件を引きずっている」とパパは面白そうに笑った。
頑迷君はいかにも生真面目な様子で「そうですか、そんなものなのでしょうか? 夢野さんなら時間も金もあるし、行きたければいつでもどんな店にも行けるのでしょうが……」「夢野大先生は、名前の通りの夢想家だから、ほら話がうまい。話半分に聞いていてもちょうど良い」
「そのようです」と壁に掛けられたシルクスクリーンを眺めた。いかにも、がっかりした様子がうかがえる。
「なるほど、そんな事があったのか」とパパが念を押す。
「いえ、まだそれは序の口で、本題はこれからですよ」
「なるほど、なるほど」とパパは身を乗り出す。
「『魚の卵巣や、烏賊の内臓を食べるのは悪趣味だから海老料理はどうだ。頑迷君?』と相談されたので、『私はそれにしましょう』と言いました」
「へー、それでどんな海老料理が出てきた?」
「伊勢海老料理が出てきて『私が美味しいですね』と称賛すると、夢野さんは、『こんなもの、中華料理の海老ちりのソース煮にも劣る』とむくれるのです」
「ふーん、海老ちりのソース煮とは変だな」
「ええ、それで『どんな料理ですかね』と尋ねると、『君は中華の定番料理も知らんのか? 海老をちりっと焼いて、トマトソースで煮た物だ』と、と戸惑う様子を見せていました」
「それから、どんな様子だった?」とパパは唐突に聞く。
頑迷が頭の中を整理するのに、気遣う様子がない。
「私が『海老のチリソース煮の間違いではないですか』と指摘すると、夢野さんは『真顔で海老ちりのソース煮に間違いない。この店で作らせよう』と、給仕長を席に呼びつけました」「給仕長は困惑しただろうな」
「ええ、しばらく思案していましたが……。『お客様のために今回だけ特別におつくりしましょう』と、奥に行きました」
「それで、どうなった?」
「結局、出てきたのは海老のチリソース煮でした。夢野さんは満足げに、『この海老ちりのソース煮だけは中華料理屋並みに旨かった。さすがだなあ』と奇妙な褒め方をしていましたね。恥ずかしくてね。同じ店には二度と行きたくありませんね」
「それは迷惑だ。大変だったな」とパパは同情の気持ちを示した。僕も、同感だ。
頑迷君は冷めたコーヒーを一気に飲み干すと「今日ここに来たのは、頓馬さんにお願いしたい件がありまして」と改まる。
「どんな用事だ。正月から面倒な話だと対応に困るが」とパパは予防線を張る。
「正月明けの最初の土曜日に、近代詩・現代詩の同人が集まって発表会をやる予定です」
「発表会は、詩の朗読をするイメージだが、何をやる?」
「そうですね。今回の発表会ではまず世界の名詩から朗読して、そのあとで同人の詩を論評する予定です」
「世界の名詩か? シェークスピアのソネット集とか、ゲーテの西東詩集、ランボーの地獄の季節のようなものを読み上げるのか」
「いいえ、違います」
「それなら、萩原朔太郎、中原中也、立原道造あたりだ」
「それも違います」
「それなら、どんな詩を選ぶ?」
「今回は谷川俊太郎や茨木のり子の詩集を朗読し、意見を述べ合うつもりです」
「ああ、谷川と茨木か」
谷川俊太郎や、茨木のり子が何人もいるか? 僕は少なからず、パパの愚問にあきれた。「はい、そうです」と頑迷君は答えながら、パパの次の言葉に備えている。
「それは、頑迷君一人で朗読するのか? それとも何人かで分担するのか」
「男性が谷川俊太郎の詩、女性が茨木のり子の詩をそれぞれ朗読します。可能な限り、詩が書かれた背景を調べ、感情移入すべきところはそうするようにしています。時には身振り手振りも入れてやります。棒読みだとつまらないですからね」
「まるで寸劇だね」
「そうですが、詩の持つムードを損なわないようにしています」
「それで、君の他に誰が参加している?」
「頓馬さんの知っている人物だと、最中餡子さんがいつも参加してくれます」
「ほう、最中餡子嬢が参加するのか」パパが嬉しそうな表情をしたのを僕は見逃さなかった。「実は、今日お訪ねしたのも、頓馬さんにも朗読会に入会していただきたくて……」
「俺にうまく朗読できるか」とパパは最中餡子の件を忘れたのか、弱気になり断りかけた。「いえ、朗読していただかなくても大丈夫ですよ。むしろ、大所高所から意見を言っていただきたくて……。最中さんに相談したら、頓馬さんが適任だという意見でまとまりました。どうか、よろしくお願いします」と、頑迷はスマホを取り出し、朗読会の様子を撮影したYoutubeの動画を見せた。
そこには、最中餡子が甘い声と表情で詩を朗読する姿が映し出されていた。
それを見て、パパは「ぜひ入会しよう」と意気込んだ。
頑迷は喜ぶと同時に皿に載せられたマロングラッセをつまみ、素早く食べた。
頑迷が居なくなってから、パパは年賀状の束の中から夢野から届いたものを見つけ出した。当然のごとく、「新年あけましておめでとうございます」で始まるが、途中で「昨年はあらゆる料理の中で、海老ちりのソース煮が最高のものであるのを再認識した。新年はビールと海老ちりのソース煮で大いに盛り上がろう」と、破調な内容になっている。
最後のところに「最中餡子は潔く諦め、妻子を大事にする。それが、この一年の君の課題だと思うよ」と付け足している。その部分だけは、僕も同じ意見だ。
次いで、パパは頑迷から来た年賀状を手に取った。頑迷は、新年の挨拶の後に「キルケゴールは『人として誕生したのは、開幕後の舞台に立つ役者と同じだ』と言っています。私はこの一年の人生劇場を満足できる芝居にしたいと思います」と宣言している。
パパは「人生は芝居で、人は終生、自分自身を演じ続け、他人から評価されないといけないのか」と、ため息をついた。
さらに、神田翠明のものを見た。「ヘロドトス、司馬遷、舎人親王、頼山陽と歴史家の名前を唱えてみて理解できるのは、正月など単なる暦の上の区切りに過ぎない事実です。宇宙の広大無辺さに思いを馳せると、今此処の一瞬の持つ価値こそが絶大です」これを読んで、パパは「うーん」と、首を傾げた。翠明は随分、難しい内容を記述している。
パパがご執心の最中餡子からのものもあった。餡子は「あけましておめでとうございます」の後に「旧年中はお世話になりました。ありがとうございます。お仕事で色々とご指導いただき感謝しております」と月並みな言葉を羅列していただけだ。それにも、関わらずパパは年賀状をいかにも大切そうにして、他のものより長く見ていた。
それから、数日は平々凡々たる日が過ぎていった。正月気分の番組が放送されなくなり、表通りでは往来のクルマの台数が増えてきた。青磁の花瓶の生け花が枯れ始めたので、少し寂しい気分になった。
ママといつもの公園に出かけたものの、樹里杏の姿はなく代わりに「インフルエンザで寝ている」との情報が耳に入った。
僕は、年末に予防接種を受けていたので大丈夫だと胸を張りながら「お見舞いに行きたいけど……」と何度も懇願してみたが、ママは頑として受け付けてくれなかった。
一人で見舞いに行ったママは、樹里杏は「食欲があまりないらしく、何度も咳をしていた」と、心配していた、それでも、熱は下がっているので、医師の見立てでは「安静にしていれば、一週間もすれば回復する」と、説明されていた。
長い時間外に出ない僕ら二歳児でも、家族から病気をうつされて病床で苦しむ。僕は純情可憐にして穢れのない樹里杏を心配し、気の毒に思った。
その後の休日だが、パパが自室でパソコンを開くとキーボードを叩きワードを使って何かの文章を打ち込んでいた。また、駄作を創作しようとしているのではないか? と、僕は気になり始めた。ところが、パパは天才詩人になりすまし「我ながら、上出来だ」と言いながら満足げに自作の文章を読み返している。
そこへ「新年は多忙になりそうなので正月は会えない」と、宣言していた夢野が突然やってきた。夢野はいつものように、愛車を勝手にうちのガレージに停めると家に上がり、僕とパパがいる部屋に姿を現した。
「また、何か創作にでも取り組んでいるのか? 自己満足ほど駄作家になる道筋はない。良ければ見てやろう」と、上から目線に促す。
「自分でも、うまい文章だと思う。これなら、誰も文句はない」と、パパは見栄を張る。
「まさか、君の文章を自画自賛しているのか」
「うん、我ながら上出来だ」とパパは自信ありげに答える。
「無名の珍人にそんな秀作が書けるのかね」
「僕は君みたいに夢想家ではない。現実を見ているよ」
「落語の『寿限無』でも二十分内外で噺は終わる。君の退屈な小説でも二十分なら眠気を催さずに読める自信があるよ」言い終わると、夢野はパパの手から原稿用紙を受け取り声に出して読み始めた。
「パラレルワールドの暇人たち」
「……」
「何だ? このパラレルワールドとは? 暇人と何の関係がある?」
「『パラレルワールドの暇人たち』は、小説のタイトルだよ」
「奇妙なタイトルだけど、どんな意味がある? 僕には想像すらできないよ」
「物理学の理論を応用し、崇高にして優雅な暇人たちの現実生活を描いた。アメリカ人が主人公でね。世界的なスケールの大作と言っていい」
「まあ、論評は後にして続きを読んでみるよ」
「シェリーは暇を持て余していた。ルドルフも同様に暇人だ。暇人と暇人が出会って話をしても無駄で無価値な時間がいたずらに過ぎていく。そこで、彼らは多忙な世界の人間たちの生活を想像して、真似をした。だが、裕福な家に生まれ、不労所得で何不自由のない暮らしをしてきた二人には、多忙の生活が分からない。苦労の本質が理解できない。二人は大学で理論物理学を専攻していたので、数あるパラレルワールドの中には多忙を極めた時空が存在すると考えた。自分たちの住む世界は、人と人との対立がなく平和で満ち足りていたものの、暇な時間が多すぎる。そこで、人々が多忙になるとどうなるのか仮説を立ててみた」
「まだ、僅かしか書いていないがね」
「僕には、何が何だか分からない。これがそもそも小説なのかな」
「凡庸な君には理解できない。無理もない。これはだね、人類の哲学的命題を扱った 新感覚小説だよ」
「新感覚小説ねえ」
「何も君を圧倒し、屈服させようとは思わないよ。自分の主義信条と芸術的感性を融合させるだけだ」
「僕にはとてもじゃないがついていけない。だが、そこまで言える君には感心したね」
「そこまで絶賛してもらえると、さすがにやる気が出てくる。作家冥利に尽きる」とパパには嫌味やからかいの類が通用しない。
そんなところへ神田翠明が「近くに来たものですから」と、入ってきた。
夢野は「ちょうど今、文豪・頓馬先生の天下の名文を拝聴して忘我状態になっていたところだよ」と意味不明の言葉を吐く。
「なるほど、そうだったのですね」とこちらも気の抜けた返事だ。
パパは淡々とした調子で「先日は、頑迷固陋君が訪ねてきたよ」と話した。
ちなみに、翠明君と固陋君は友人どうしだ。
「頑迷君は名前ほど頑固な人物ではないですが、酒に酔うと『自己中な奴が自己中な奴に“自己中だ”と批難する何て、どこまで自己中な奴だ』などと奇妙な屁理屈を言い出す悪癖があります」
「頑迷固陋にして、自己中心的だ」と、パパは笑った。
夢野はタバコの煙を「ふーっ」と、吐き出すと、僕の方を見て「すまないね。タバコは控えるようにするよ」と、灰皿に押しつけ火を消した。
ところで……と、パパは翠明の様子を見て「頑迷君の新年の朗読会に行って、自作の小説を披露するつもりだ。その後で、夢野先生のすすめるレストランで『海老ちりのソース煮』でも食べる」と皮肉っぽく告げた。
翠明は「へー、『海老ちりのソース煮』ですか? 僕の記憶だと『海老のチリソース煮』が正しいのですが……」と、夢野を見た。
夢野は「まるで、頑迷と同じ間違いを主張する」と嘆息した。さも当然のように「君はそもそも、料理の知識に疎い。ふぐ料理の『てっちり』を知っているか」と聞く。
「てっちりなら知っています」
「それと同じだよ」
「僕は『てっちり』はちり鍋だと思っていました」
「夢野のでたらめよりも、翠明の意見に賛成だな」
「いや、違うね。そもそも『えびちり』も『てっちり』も調理するときに食材が縮んでしわしわのちりちりになる状況の表現じゃないのかね」
「『海老チリ』のチリは、中南米の料理に利用されるチリペッパーを使ったソースで煮ているからでしょう?」
僕は夢野の往生際の悪さに、二歳児ながらも呆れていた。
夢野は尚も「君たちの意見は意見として聞いておこう」と、背中を向ける始末だ。
パパは「とにかく、頑迷は君と違って人の本質を見抜き、敬う姿勢を知っている。例の朗読会にしても『頓馬さんに参加いただき、美学的観点から評価していただきませんか』と依頼された」と、夢野の強情に負けない気構えを見せた。
大体、大人たちは無駄な時間をなくし、明朗快活に有意義な時間を過ごす生活姿勢にかけては、僕たち二歳児に劣る。
僕はおとなしく三人の話を聞いていたものの、心から感心できるものはなかった。
大人とは、取り立てて用もないのに集まっては駄弁のために時間を費やす。僕はパパが気まぐれで偏屈なのは以前から知っていたが、まさかこれほどとは思わなかった。
自説に固執せず、相手を正しく理解し、互いに損や軋轢が生じない配慮の出来る人物こそが理屈抜きに立派な大人なのではないか?
それは、テクノロジーにより進歩した現代でも不変の価値があるように思える。負けず嫌いは、悪徳とは言えないものの、度が過ぎないかと危惧している。
そう考えているうちに、パパたち三人と一緒にいるのが息苦しくなってきた。僕は台所にいるママの横をすり抜け、勝手口を一人で出ると樹里杏の家に向かった。チャイムを押し、樹里杏の母親に行儀よく「あけましておめでとうございます」と年始の挨拶をした。
一月も半ばなので間の抜けた感じがした。家の中に迎え入れられると、樹里杏が出てきた。「あら、秀作様は一人でいらっしゃったの」
「君の調子はどう?」
「花木先生に診てもらったので、みるみる元気になったわ」
花木先生は内科・小児科の医師で、不養生を厳しくたしなめるので、パパのような大人には敬遠されているが、なかなかの名医だ。僕たち子供には、いつも笑顔で臨む優しい先生だ。
樹里杏のおばさんは「本当は一人で来ちゃだめよ。あなたのお母さんには電話しておいたわ」と言いながら、テーブルの上におやつとジュースを並べておいてくれた。
おばさんは、ママに「しばらく二人を遊ばせておくから、夕方には迎えに来てね」と、話してくれた。僕はクッキーを一つ皿から取ると口に運んだ。
樹里杏は「最初はただの風邪だと思っていたけど」と、僕の目を見つめた。病み上がりだが目には力があった。樹里杏は「せっかくのお正月が台無しになった」と残念がった。パパと散歩中にすれ違ったのは二日だ。
「いつ、インフルエンザだと気づいたの」
「年始早々の四日なのよ」
「それなら三賀日は家族団らんが楽しめただろ」
「そうかもね」樹里杏の表情が少し明るくなった。僕ら二歳児は幼稚園にも通っていないので、大人たちと比較すると正月気分は長く続く。風邪でもひくと、時間の損失のように思える。
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