二歳児の独り言

美池蘭十郎

第1話

 僕は二歳児。名前は頓馬秀作だ。出版社の記者をしているパパは、友人の前では知識をひけらかすのが趣味だ。僕は頓馬家に生まれて、早くも二年になるが、まだ人間の生活がよくは分からない。

 聞くところによると、人間は、地球上の動植物を貪欲なまでに平らげ、環境汚染物質をまき散らす恐るべき怪物だ。つまり、僕にしても地球を荒らしまわる怪物の仲間を今まで二年間もやってきた。

 なかでも、僕のパパの属するサラリーマンは、物事を人のせいにしたがる悪癖をもっている。暮らし向きの悪さは会社のせい、世の中が物騒になると警察のせい、何か騒動が起こるたびに政治家のせいだと口を極めて罵る。

 しかも、僕ら人間たちは自分たちの仲間を戦争の名の下で大量に殺戮したうえで、それを賞賛し、正義の戦いだとまで主張する、獰猛で狡猾な歴史を繰り返している。そんな複雑怪奇な話を聞くたびに、僕はいつも頭が痛くなり、気が重くなる。

 身体に悪いと知りながら、煙草の煙をまき散らし、浴びるほどに酒を飲む、大人たちの生態は謎が深すぎる。そんな暇があるのなら、絵本を読み、飴をしゃぶるが良い……と、僕はいつも思う。

 僕のパパは、僕を「頓馬家の希望の星だ」と言い、親戚や友人たちの前では、あやしたり、ほめたりしてくれるが、仕事が忙しく帰りが遅いため、顔を合わせる日は少ない。たまの休日でも、疲労困憊した表情をしているときは、そばに近づいても構ってはくれない。

 僕はまだ残念ながら、自分の考えを余すところなく伝えきれるほどには言語能力が高くない。僕のつぶやきにしても、大人たちの耳には意味のない雑音に聞こえる。

 僕は生まれてから二年間は、両親以外の大人たちにはあまり関心を持たれてこなかった。たいていの大人たちは、僕を一瞥し、感情のこもらない視線を向けて「可愛いお子さんですね」と一言だけいうと、後は見向きもしない。

 腹を空かせて泣き叫びでもしようものなら、睨みつけるものまでいるほどだ。子供たちこそが、地球の未来の担い手であるのは間違いないのに……である。

 たまの休日に、パパがソファーに座りテレビを見ていると、僕はパパの膝の上に乗ることにしている。少し安定が悪い気もするが、ぬくもりを感じるので心地良い場所となっている。

 僕が他所の子と会える機会は、ママが公園に連れて行ってくれる時だ。子供でも大きい子の中には、無分別で乱暴な者がいる実情に気が付いた。親が目を離している隙を狙って、ガツンと頭を殴られた経験がある。

 それに、外にいると犬の散歩に出くわす事態が怖くて仕方がない。奴らは小さい子に近づくと、唸り声をあげて威嚇する獰悪な連中だ。そのくせ、飼い主からは無類の愛情を注がれている。

 僕はこの世界を観察すればするほど、理不尽や、不正義や、無理解の壁に突き当たり絶句せざるを得ない状況にいくつも気づかされる。

 僕が信頼する三軒隣の家の譲治は「世界は謎と矛盾に満ちているから、日常のどの状況でも、冒険家の準備と心構えで臨まなければならない」と、用心深い。そのため、譲治は二歳児にしていつでも腕時計をはめ、小型の懐中電灯と手帳をポシェットに入れて持ち歩いている。

 僕が譲治の手帳を見せてもらったところ、猫が爪と牙をむきだしている絵と、犬が吠え立てている絵と、大きな子が怒りを露にしている絵が、見事に描かれていた。それらの絵を指さしながら、譲治画伯は「秀作も、こんな連中を見たら飛びつかれないように用心しろ」と警告した。

 譲治は「万一の場合は、これらの悪党に対して鉄拳制裁を加えても良いが……」と、しばらく思案深げに頷きながら「僕ら、小さい子は驚くほど非力だ。大人たちに愛されて守ってもらうしかないのが現状だ」と残念そうな表情で言い切った。

 譲治の向かいの家に住むチャーミングな女の子・樹里杏は、テレビや新聞で報道される幼児虐待に、酷く胸を痛めている様子だ。樹里杏は「ミーアキャットやイルカなどの他の動物も仲間を殺す」と、青ざめながらも「人間ほど残酷で獰悪な生き物はいない」と批判的だ。樹里杏が主張する「人と人は、もっと理解しあうのが大事だ」との意見に、僕らも賛成した。

「人間は自分たちの社会を理想的なものに進歩させるのに失敗し続けている。大人たちは、自分を頭が良いと思っているだけど、ようするに間抜けだ」と、僕は発言した。

 失敗で思い出したが、僕のパパ・頓馬太平はいつも失敗ばかりしている。今の流行を追いかけて、ファッション誌を購読し服を買い込むのは良いが、センスがなく、服装はまるでピエロのように見える。また、ロッククライミングで足を骨折し、取材先に松葉杖を突きながら出かけるのを見届けた。

 家に友人を呼び、カラオケで歌うのは良いとしても誰よりも音痴だ。しかも、長年の趣味である小説の創作も、評判は今一つだ。

 パパは「小説には自分の美学を描き続けている」と、主張した後で「美的享受は客観化された自己享受である」で知られる「抽象と感情移入」の著者で、美術史家のヴィルヘルム・ヴォリンガーの言葉を引用する。

 だが、僕にはパパがヴォリンガーの考えを正しく理解しているとは思えない。イケメンの僕をパパは「お前が生まれた直後は、しわくちゃのサルのようだったので心配したが、だいぶんましになったな」と、顔を覗き込みながら告げた。僕にもプライドがある。美学を誤用して、人の容貌まで間違った判断をしているのなら大問題だ。

 そもそも「美的享受は客観化された自己享受である」の意味は、感情移入衝動を美的基準に置く捉え方だ。これは、抽象衝動を基準とする捉え方に対比されている。つまり、美的享受にあたって個人の存在は否定的に考えられるのである。

 ヴォリンガーはパパの賛美する感情移入による芸術よりも、原始的な思考から引き起こされる抽象衝動によって誕生する芸術をもっとも純粋だと論述していなかったか? 

 だが、自称小説家の僕のパパによると「芸術とはいかに自己を投入し、感情移入するかにかかっている」との見解になる。この考え方だと、自己満足で終始しないのかと思う。これが、間違いなのかどうかは、浅学菲才にして今の僕の頭脳では理解できない。

 パパによる僕の誕生時の容貌への侮辱はとりあえず我慢しよう。「しわくちゃのサル」と指摘されたショックなら僕も辛抱するが、人間の無理解では、数十倍の衝撃的な経験をした。

 僕の家の近くには公園があり、そこへママと一緒によく出掛ける。ママは子育てには、ママ友との情報交換、他の子どもと接触、さらに適度な日光浴と散歩による健康効果の必要性を考えて行動してくれている。

 しかし。ママ友どうしの会話が弾むと、彼女たちは肝心の子どもたちは二の次になる。ママたちがお喋りに夢中で、気が付かない間に僕は、怖い思いをした。僕は、同じ二歳児でも、体つきが大きく乱暴な子供がいるのを初めて知った。

 弥次郎と呼ばれている男児は、僕の姿を見つけるといきなり体当たりしてきた。そのせいで、僕は後ろに倒れた。尻もちをついたものの幸い怪我はしなかった。弥次郎はどんな二歳児よりも巨漢で、態度もかなり大きい。

「この辺りじゃあ、見かけない顔だが、お前はどこのどいつだ?」と、人を小馬鹿にした口をきく。

「僕は頓馬秀作、君と同じ二歳児だ」と、正々堂々と答えた。実のところ、僕は強面の弥次郎の顔を見ながら、内心ではびくびくしていた。

 すると、弥次郎は「二歳児にしては貧弱な奴だなあ。それに、名前がまるで間抜けだ」どう考えても、生意気な奴である。

「僕は頓馬太平の子供だ」

「なるほどなあ。あの小説家気取りの息子なのか。どうりで、冴えない顔をしているぜ」と、ますます強気で放言した。弥次郎の両親は、態度や言葉遣いについて何もしつけていない様子だ。

「そういう君こそ、何者だ」と、僕は仕方なく尋ねた。

「何だ、俺を知らないのか、工務店経営者の息子で弥次郎だよ」と、馬鹿にする。

 弥次郎は、二歳児の中では暴力的で無礼な子供として知られている。そのため、普段は誰も相手にしない。僕は誰なのか本当は知っていた。だが、改めて名前を聞いてみて、無知で無学で乱暴なだけが評判の弥次郎をからかいたくなった。

「世界で一番、偉大な人は誰だと思う?」

「それは、俺の親父と同じで、会社を経営する社長だ」

「それなら、中小企業の社長と総理大臣を比較してもそう思うのか」

「当たり前だ。政治家は、誰にしても評判が良くないだろ」

「たとえば、リンカーン大統領とSOHOワーカーの一人法人の自称社長を比べても同じ意見が言えるのか」

「リンカーンは、どんな奴だ?」

「アメリカ人がもっとも尊敬する政治家だよ。君はリンカーン大統領のゲティスバーグ演説も知らないのか」

「ああ、俺はそんなものは知らないね」

 僕は呆れて声が出なくなった。

 すると、弥次郎は「ところで、お前の父親は何をしている? 小説家気取りの記者さんだそうじゃないか」と、機嫌悪そうに尋ねた。

「僕のパパは、取材で大会社の社長や、偉い政治家に会っている。物凄い人脈がある」

「ふふん、文章を書くだけが取り柄の男なんて信用できないね」

 どんなふうに言おうと、弥次郎は強気で言い返してきた。それから、僕はたびたび公園で弥次郎に会い、雑談をするようになった。

 そんなある日だ。僕と弥次郎は公園の砂場で遊びながら、色々な世間話をしていた。弥次郎はいつもの調子で、人を見下し始めた。

「秀作、お前は相撲を取って、今まで何回勝った?」

 僕は弥次郎に比べると、貧弱な体つきだし他人と力比べをして恥をかきたくなかった。だが、弥次郎は見事に僕の正体を見抜き、弱点を暴いたうえで苦しめようとしている。けれども、事実を偽ったところで勝負を挑まれて、怪我をさせられてはかなわない。

 そこで僕は「相撲は好きだけど、行司の立場で他人の勝負のジャッジに専念している」と答えた。

 すると、弥次郎はお腹を抱えて笑い始めた。

 ここで、怒らせてはまずい。弥次郎の呼吸を読み取り、自慢話を肯定的に支持し機嫌をとるしか、救われない。今こそが外交手腕の見せ所だ。

 そこで僕は「君は僕に比べて、立派な体格をしているし強そうだ。君なら相撲をとろうと、空手で渡り合おうと無敵なのか」と、その気にさせてみた。

 弥次郎はますます得意げになり「俺は今まで、二歳児だけではなく、三歳児と対決しても負け知らず」と答えた。

「だがな……」と弥次郎は続けた。

「大人の女にだけは勝てないな。あいつらだけは馬鹿みたいに強い」

「へえーっ、そうなの」僕が戸惑う様子を見て、弥次郎は神妙な表情で告げた。

「先週だけどな。俺がお袋と一緒に買い物に行った時だ。スーパーマーケットのエレベーターを降りるときにバランスを崩した。それで、倒れるときに目の前の女の尻を手で押した。それで、俺はどうなったと思う?」

「そのまま、倒れたのか」

「いやな、倒れはしなかったよ。でも、後が最悪だ。女は『キャーッ』と大きな悲鳴を上げて、振り返りざま俺の顔にビンタした」

「それは、災難だよな」

「無論、災難だよ。俺はその時、女の獣性に怖れを感じざるを得なかったね」僕は弥次郎の偏った意見には賛成しかねたが、その場では感心したふりをした。

 女と言えば、パパの十一月十五日の日記帳を見るとこんな記述があった。

「同僚の中でも最中餡子嬢は、とても魅力的な女性だ。気遣いが出来るために周囲からの評判が良く、人から好かれるのもよく分かる。目は潤いに満ちていて優しい。いつも柔らかな視線で、私の顔を見ている気がする。小さくて上品だが肉感的な唇、弾力性がありそうな豊かで形の良い胸、しなやかな腰つき。そのすべてが何よりも美しい。最中餡子のような若くて美しい女性は、優れた芸術作品をしのぐ価値がある」

 パパの女性論は、僕にはまだ理解できないし、どこかいやらしい視線の先に同僚の女性を見出している気もする。だから、全面的に肯定できるものではない。それに、この日の日記がママの目に触れたら、嫉妬による対立で女どうしの壮絶バトルに発展しないか? 

 弥次郎の力説する通り、女が恐ろしい強者なら穏やかに済みそうもない。といっても、女性がパパを本当はどう思っているのかまでは分からない。

 それにも関わらず、十一月二十日の日記には驚くべき内容を書いている。

「昨夜、私は餡子嬢と個室で二人きりになり、親しく話しているところを夢の中で体験した。餡子は甘い声で『あなたが大好きなのよ』と告白すると、私の目を見つめ寄りかかってきた。良い匂いがした。私は心から嬉しくなった。餡子の肩を抱き寄せようとしたときに目が覚めた。いつものように会社に行き、餡子嬢に会ったものの普段と何も様子は違わなかった」

 パパは夢の中まで、職場の綺麗な同僚の女性に思いを寄せている。ママを思うと、応援するわけにはいかない。それでいて、僕はこの女性に会ってみたくなった。

 パパが美人と二人きりでいる夢を見た翌日、最中餡子を知っている同僚・夢野が久しぶりに訪ねてきた。夢野はソファーに腰かけると「小説の方はどうだ?」と質問した。

 パパは「お前に批判された通り、若い女の魅力が足りないのに気づいたので思案しているところだ。『美的享受は客観化された自己享受である』という言葉があるが、女の魅力を知るのにも自分の豊富な経験が必要だ」と、相変わらず僕のパパは、ヴォリンガーの本に書かれている内容を曲解して論じている。

 夢野は笑いながら「それは、君の願望だよね。美学をそんなふうにこじつけるものではないと思うよ」と指摘した。

 だが、パパは「あくまでも、美学的に正しい観点を言っただけだよ」と譲らない。

「ところで……」とパパは、夢野にとんでもない思惑を話し出した。

「餡子嬢の魅力的な表情や、抜群のスタイルをどう思う? 餡子こそこの世の最高傑作だ。それに比べれば、うちの家内は短手短足で魅力も何もないよ。最中餡子の褥になりたい」こんな話をママが耳にしたら、どうなる。 

 夢野は、それを聞いて「最中餡子は魅力的だ。しかし、君の美学をそんな欲望のために使ってはいけない」と、白けたように戒めた。

 さらに、夢野は「歴史上の人物の中には、女に苦しめられた偉人は多い。哲学者のソクラテス、政治家のリンカーン、文学者のトルストイ、音楽家のモーツァルトなどだ。外貌の魅力に惑わされていてはダメだな」彼らは、悪妻に悩まされていた。

 すると、パパは「むしろ、愛すべき偉人たちでさえ、恋に対しては盲目だった。それを考えると、俺にも偉人の資質があるのかも」と、にんまり笑った。

 夢野は「愛人となると、話は別だ。近松の心中物のような悲恋物語をはじめ、小説家の太宰治も有島武郎も不倫の顛末で心中している。つまり、作家気取りの頓馬先生でも、不倫の愛はそう簡単なものじゃない。それに最中餡子は、社の内外で人気がある。名前は餡子だけど、甘くみていると大変だ」

「まさか君に説教されるとは思わなかったよ」パパは返す言葉が思い浮かばなくなったので黙ってしまった。

 工務店の息子・弥次郎はその後、見違えるように痩せていた。上背のある弥次郎だが、横幅は狭くなり、以前より小さく見えた。僕の見たところ、顔色が悪くなり元気がない。以前よりも、迫力もなくなっていた。

「最近、見かけなかったけど、病気でもしたのか」と聞くと「女の横暴には耐えられない。奴らの顔など、見たくもないね」と漏らした。

 公園では、イロハモミジとコナラの紅葉が目に染みるほど美しい色合いを見せていた。が、それにも増して。弥次郎の話の方が目に涙を誘った。

 弥次郎は「あそこに、お前のママゴンと並んで、俺の母親がいるだろ? あんな風に笑いながら楽しそうにしているけどな。俺を太りすぎでみっともないとか言って、ダイエットを強要されているところだ。そのせいで、力が出ない。三時のおやつの時間も、当分はない」

 正直なところ、弥次郎にとって食事制限は必要だ。だけど、おやつの時間を無くすのは、やり過ぎだ。僕のママなら、絶対にそんな愚行はしない。

 パパは毎日、会社に出勤する。夜遅く帰宅すると、すぐに食事をする。その後で、書斎に入り、本を読み、日記をつける。風呂に入るのは深夜で、寝るのは午前零時を過ぎている。

 もっとも、午後九時にベッドに入る僕は、帰宅後の様子を知らない。パパの行動は、ママが近所の人と話しているときに、情報収集している。

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