第8話


 教室は、中学時代に比べると静かだったが、読書や音楽鑑賞が趣味の気の合う生徒が多かった。

 部活は、旅行研究部に入部した。部室は、校庭に面した建物の二階の真ん中にあり、狭い部屋に部員全員が集まると酸欠を起こしそうだった。部屋には、下駄箱、長机、ロッカー、ホワイトボードなどが配置され、ノートパソコンが一つだけ机の上に置かれていた。

 ミーティングのときに、少年が発電所の見学コースを提案したところ、顧問の先生に推されて採用された。

 四月の土曜日に大阪府堺市にある「関西電力堺港発電所」のメガ・ソーラー発電を日帰りで見学した。

 少年の記憶では、堺港は室町時代の日明貿易で遣明船が発着し、安土桃山時代の南蛮貿易で朱印船が発着していた。中世から近世にかけての他国との商業交易の中心地といえる場所だった。

 堺港発電所に着くと、観光研究部の部長の松尾真人は「今回の観光コースは、新入部員の蒲原雄大君が立案してくれました。エネルギー問題を考える良い機会になると思うので、よく観察してください」と、挨拶した。

 メガ・ソーラーの設備は、広大な敷地内に太陽光パネルがはめ込まれ、一万キロワットの発電出力を有する。太陽は中心部で熱核融合反応を起こし、水素がヘリウムに変換され、光のエネルギーとして放出される。ソーラー発電とは、地球に届く太陽エネルギーの一部を有効活用する方法だ。

 太陽エネルギーは、全人類の消費エネルギーの一万倍に相当すると試算されている。世界一を誇る日本の太陽熱利用システムでも、まだまだ尽きないエネルギー量であり、普及が期待されている。

 一方でアメリカでは、日本の技術よりもかなり先を進んで、NASAとエネルギー省が共同研究した太陽光発電衛星による――マイクロ波電力伝送――により、地上に五百万キロワットの電力が受信できる計画が立てられている。

 少年は、太陽エネルギーを調べているときに、宇宙が膨大なエネルギーの森ではないかと想像を巡らしていた。

 物理の授業では、力学で万有引力やケプラーの法則を学んだ。図書室で力学を調べているうちに、彼は高校では学習しない宇宙物理学の法則に興味を持った。宇宙はさながら、重力、電磁力、強弱の核力の渦の中で旋回する不可思議で魅力的な現象に思えていた。

 万物の本質がエネルギーだという事実に、少年は強い関心を抱き、大きな感動と興奮を覚えていた。

 なかでも、宇宙全体に存在し、拡張を加速させているダーク・エネルギーの力の大きさに思いを馳せると、椅子から飛び上がるほど、驚嘆していた。宇宙空間の大きさに比べると、人間の存在はいかにも小さく感じられた。個我が実体のない幻のごとく思えると、知的好奇心に駆り立てられた。

 五月の連休には一泊二日で三重県の青山高原にある笠取山を訪ねた。笠取山の頂上近くには、久居榊原風力発電施設があり、国内最大規模の発電量を供給する風車を見学した。

 近鉄「東青山駅」で下車すると、笠取山の頂上を目指して歩いた。風車は合計二十四基あった。最頂部までの高さが七十五メートルあり、一基あたりの発電量は、七百五十キロワットある巨大装置だ。自然の景観の中に、突然のごとく大きな白い塔が出現したように思え、周りとの違和感が生じていた。

 少年には、人工構造物に固有の計算された規則性と、自然との間にできた歪のように感じられた。

「まるで、巨人の国の大男たちが使う、特大の扇風機だな」

 後ろにいた誰かが言葉にすると、同時に歓声が上がった。

 目視で確認すると、想像していたよりも大きく、それぞれの風車が、風に吹かれて三枚の大きな羽根をゆっくりと動かしていた。風車は風の力を得て回転し、発電機に伝える仕組みで、電気を生み出していく。樹木になる果実のように、自然がもたらす恵みだった。

「アントニオ・ガウディの装飾同様に、自然に溶け込む美しさがあればいいですね」少年は周りの部員に問いかけた。

「雄大君の発想は、天才的だけど、現実味がないな。コストが高くつくし、余計な時間がかかる。そんな無駄を考える人はいないだろう」真人が答えた。

「私は、絶対にありえないと思う。そんなものが、ローコストで実現できたら、凄すぎるでしょ」クラスメイトの樋口美土里は、二人のやりとりに割り込むと、少年を茶化した。

 真人は、部員の前に立つと「日本三大随筆の一つ『徒然草』の著者の吉田兼好が、観応元年に伊賀の国名張郡国見山で死亡したと言われています。あとで、彼のゆかりの地とされる『兼好塚』と『常楽寺』を訪問するので楽しみにしていてください」と告げた。

 美土里は、少年の方に向き直ると「つれづれなるまゝに、日くらし硯に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書き付くれば、あやしうこそ物狂ほしけれ」と、朗々と『徒然草』の一節を暗唱した。

 美土里は、分厚い眼鏡をかけたガリ勉タイプに見える女子生徒だ。真人は「樋口さんの言っている箇所は――時間に余裕のある時に、兼好法師が硯を前にして、物思いにふけり、文章を書き始めて夢中になり始める――というところで、序段の冒頭に書かれている有名な部分だ。僕は、むしろ――代々をへてをさむる家の風なればしばしぞさわぐわかのうらなみ――の箇所が好きだな。兼好法師は、和歌の風情に思いを馳せて、心を騒がせている」

 少年は、真人の圧倒的な知性に驚嘆した。

 兼好塚は、草蒿寺跡の「兼好法師遺跡公園」内にあった。園内には「兼好法師終焉の地」の石碑が建ち、森の奥には「南朝忠臣兼好法師」と刻まれた顕彰碑があった。

 兼好法師遺跡公園から十五分歩き、常楽寺に着いた。常楽寺の本堂には、重要文化財の仏像が多数安置されていた。

 部員たちは、風力発電施設の風車に驚きの声を上げていたものの、国見山周辺を散策していたときの方が、楽しそうに歓談していた。

 自分が立案した発電所見学コースの第二弾は不評だったのではないか――と、少年は考えていた。

 旅行後のアンケートでは、予想に反して「観光と学習を兼ねたものなので有意義な経験ができた」「電力供給システムについて考察する機会ができた」「次回以降も、同様の取り組みを続けてほしい」「旅行先を歴史的興味だけで選ぶのは惜しい。今回の雄大君の提案は素晴らしかった。日本史を専攻していない生徒にも、興味のあるコースだったと思う」等々と、支持する声が多かった。

 美土里は「人間の生活のための物質文明が、動植物の棲み処を奪い、地球環境を汚染し続けている。今回の見学で、最たるものがエネルギー産業だったのがよく分かった」と主張した。

「樋口さんの言うのは、雄大君の考えとは少し違うと思う。彼は、見学コースとして太陽光、風力などの自然エネルギーを利用した発電所を選んでいる」

 真人が反論すると、美土里は不機嫌そうになり

「私は、従来型の発電所を指摘したのよ。自然エネルギーを利用した発電でも、水力発電所では巨大なダムを建設し、広大な面積の森林を伐採している。ダム建設自体が自然破壊という点で大問題だと思う」

「だけど、雄大君の提案自体は、良いと思う。観光旅行の目的を史跡見学だけにするよりも、学習効果があった。そこは、評価しないと……。雄大君は、どう思う?」

「お二人の意見は、どちらも正しいと思います。僕は、問題点をよく考えて、今後につながる取り組みが、どれだけできるかが、大きな課題になると考えています」少年は二人の議論の板挟みになりたくないので、無難な言葉を選んで返答した。

 夏休みになり、黒部峡谷の各所にあるダムと発電所を巡る旅に出た。旅行研究部の部員たちは、新神戸駅で集合し、新幹線のぞみ号に乗車したあと、途中で何度も乗り換え、黒部峡谷鉄道本線の宇奈月駅に到着したのは、午後八時だった。

 新幹線に乗車するのは初めての経験だった。新幹線を走らせるエネルギーは、沿線に設置された変電所で変換された単相交流二万五千ボルトを集電する方式で得られていた。

 調べれば調べるほど、至る所に電気エネルギーが存在し、世界を動かしている事実を……、少年は興味深く観察していた。さらに、環境破壊が話題になる中で、物質文明に批判を向けるのが、果たして正しいのか否か、すぐには結論づけられそうにもなかった。発電所を見学するうちに、エネルギー産業に、ますます魅力を感じていた。

 高所にあるダムから導水管を使って、落差を利用した高速・高圧の水流によって水車を回す方法が水力発電だ。少年が調べたところ、クリーンなエネルギーで、発電や維持管理のコストも他の発電方法よりも安価だった。

 ただし、水力発電には、ダム建設時の自然破壊や、長い年月が経過すると土砂が堆積する点や、大雨や地震による決壊のリスクが指摘されていた。

 水力発電に批判的な美土里だが、旅行に参加し、終始上機嫌だった。緑の樹木に光が宿る秀麗な自然の中を散策すると、少年は口笛を吹き、鼻歌を歌いたい気持ちになった。

 宇奈月駅からトロッコ電車に乗ると、窓から宇奈月ダム、新柳河原発電所、出し平ダム、黒部川第二発電所、小屋平ダム、黒部川第三発電所の順に観覧した。観覧後に、バスに乗り換えて黒部ダムを見学した。

 黒部ダムは、北アルプス立山連峰と後立山連峰に挟まれた黒部川に建設されていた。国内最大のアーチ式ドーム越流型ダムで、昭和三十一年に関西電力が建設を始め、七年の歳月と大勢の人手によって完成している。ダムの一角には「尊きみはしらに捧ぐ」と記された慰霊碑があり、百七十一名の殉職者の氏名が刻まれていた。

 慰霊碑を見て――、少年は重い気分にさせられた。

「胸を打たれるな。俺はこういう話に弱い」

「私は、再び繰り返してはいけない黒歴史だと思う。美談にしてはダメなのよ」

「僕は……」少年は躊躇った後「死んだ人たちには、畏敬の念を持っていたい」と、慰霊碑に手を合わせた。

「雄大君の考え方は、甘い、甘い」と批判しながらも、美土里が両手を合わせて黙とうすると、横目に見ていた真人も合掌した。

「歴史は、大勢の人間の屍の上に打ち立てられている」真人は言葉にすると、少年を見下すような目で見た。

       ※

 部活やアルバイトに加え、少年は時間を見つけては、読書のために時間を費やした。家では、働きに出ている母親に代わり、掃除洗濯などを積極的にこなした。

「雄大は――一寸光陰――という言葉を知っているか?」一年生の担任の横光は、少年に尋ねた。

「知りません。どんな意味の言葉でしょうか?」

「お前でも、知らない言葉があるのか」

 横光は意外そうな表情をすると

「一日一日を大切にして、生きないと時間を空費するという意味だよ」

「それなら、聞いたことがあるかもしれません。一日一生と、同じような意味の言葉ですね」

「雄大は、部活も、アルバイトも、家事も、読書も、勉強もと……、すべてを抱え込みすぎていないか? 一日のうちに、人間ができる経験は限られている。お前には、今は勉強を最優先するのが、目標に近づく道だとは思わないか?」

「どうすれば、良いのでしょう?」

「勉強は最重要事項だ。家計を支えるには、アルバイトも継続が必要だな。あとは、普段やっている優先事項ではないものから、時間を削ればいい。先生から顧問に伝えるので、部活をやめて、読書する時間や家事の手間を減らせないか? そうやって、捻出した時間を勉強に回せばいい」

 周りが恵まれているのに、どうして自分だけが――、という思いに少年は圧し潰されそうな心情になった。

「試練という言葉があるが、試練を克服したときに、人間は何倍も大きく成長している。お前に与えられた試練だと考えて、乗り切ろう。発明家のトーマス・エジソンは、九十九回失敗しても貴重な経験を重ねたから、次の成功につながると確信して臨んだ。まだ、お前はそんなにも失敗していない。大丈夫だ」

 横光の一言、一言が、胸に響いていた。

     

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