第9話
世界を救うエネルギー問題の解決手法は、多くの分野で研究されていた。従来型エネルギーが環境汚染につながると指摘される中で、次世代エネルギーとして、様々な手段が注目されている。
従来型の石油や石炭、天然ガスによる火力発電は、地球温暖化への影響が問題視され、原子力発電は事故による放射能汚染が懸念されている。特に、日本では二〇一一年三月の東日本大震災で、福島第一原子力発電所事故の発生により、国民感情として危険視する人が増えている。少年が調べたところ、世界の趨勢は、脱化石燃料、脱原発に向かっていた。
エネルギーと環境汚染問題を調べているうちに、少年は「再生可能エネルギー」に惹きつけられた。自然を活用した再生可能エネルギーは、現在バイオ燃料、水力、風力、地熱、太陽光などがあった。
時代を担うエネルギーとされながらも、本格的な実用には弊害もあり、化石燃料や原発の代用手段としては不十分な状況にあった。
日本は火山が多く、地熱資源では世界三位だった。そのため、十分な発電量を確保できるので、将来に期待が持てるのが理解できた。一方で、現状では立地問題や、政策支援の少なさが要因で、地熱発電量は僅かなものでしかなかった。
地熱発電所を見学したいと言うと、母親はすぐに賛成してくれた。「旅費は出せないし、餞別は僅かしか渡せない」と話しつつも、出発前手に五千円札を握らせた。
一人旅に憧れていたものの、観光ではなく、あくまでもエネルギー問題の研究を目的としていた。
旅行研究部は退部していたものの、少年は地熱発電所を見たくて仕方がなくなっていた。母親の許可を貰うと、大分県の九重町にある八丁原発電所まで一人旅に出た。
酷暑は厳しい日光の矢を少年に叩きつけた。全身が鉄板で炒られたごとく熱を帯びると、毛穴という毛穴から汗が噴き出した。胸の内には、苦しいながらも、向かい風に耐え抜く構えが苦行による悟りにつながりそうな――矛盾した感情が芽生えていた。涼しい場所でスイーツを頬張る連中に、汗を流す苦労の値打ちは分からない――と思っていた。
※
発電所の所在する九重町は、大分県中西部に位置し、阿蘇くじゅう国立公園の九重連山、耶馬日田英彦山国定公園の山々に囲まれている。
日本国内には全国各地に温泉地があるものの、地熱を利用した発電所は東北や九州に集中しており、関西エリアには、まったくなかった。
八丁原発電所では、日本最大の十一万キロワットの出力を誇る地熱発電を行っていた。発電所に近づくと、濛々とした湯けむりがあちらこちらから立ち上っていた。発電所の屋外設備は、複雑な配管がなされていて、ところどころにタンクを配置したジャングル・ジムのごとく見えた。
施設に入ると、頑丈な箱型の蒸気タービンが耳をつんざく大きな音を立てていた。見学者向けの展示館では、パネルや映像で発電の仕組みを解説していた。
地熱発電は――地熱――という再生可能エネルギーを活用する発電方法だ。八丁原発電所でも、火山活動などの地熱によって生成された水蒸気を利用して、発電機に連結している蒸気タービンを回し、電力を発生させていた。
周囲は、自然豊かな場所で、国立公園、国定公園や温泉地がある明媚な景観が楽しめた。
夜は、筋湯温泉の近くの旅館に投宿した。温泉地の周辺には、九酔渓をはじめ、龍門の滝、瀬の本高原や 牧の戸峠などの観光地が点在していたが、そこまで足を運ぶだけの心の余裕がなかった。温泉地は家族で訪ねる方が良い――と、少年は実感しつつも、豊富な湯量の温泉に身体を沈めていると、ひとときの幸せな気分に浸れた。大浴槽に身を浸しながら、少年は――温泉の放熱量は泉温と湧出量の積で求められた――と、思い出していた。
少年は、温泉地の周辺を散策すると、売店で母親から貰った餞別を使って、家族の土産にブルーベリーのジャムを購入した。
※
二学期に入り、高校で学年一番と二番の生徒が、クラスメイトだと判明した。少年は自分との学力差に失望した。
学力ナンバー・ワンは、正岡征矢で一見するとスポーツマン・タイプで、明朗な人好きのする男子生徒だった。ナンバー・ツーは、旅行研究部で一緒だった美土里だった。美土里は、征矢とは逆に、分厚い眼鏡をかけたガリ勉タイプに見える女子生徒だ。
征矢は、物理以外の科目では、少年よりも高得点をとっていた。美土里は、理科は生物、社会は日本史を履修していた。
征矢は「世の中で成功する人間は、自分を客観的に見る目を養っている。現時点で、どんな能力が欠けているか。どうすれば、それを補えるか。それを実現するのにどれほどの時間が必要か……、そういう筋道が見えている間は、自分は勉強でも、何でも、成功できると思う。だげど、自分を見失ってはそうはいかなくなる。雄大との違いは、そこだと思う」と、鋭く指摘した。
「私もそう思う。成績優秀者は、勉強への取り組みに甘さがないし、言い訳を作らない。そんな時間があったら、何か工夫している」美土里も同調した。
「だけど……」と、少年は力なく反論した。「僕には時間がない。君たちの真似はできない」
「時間なら、いくらでも捻出できる。時間は、与えられるものではないから、作り出せ」
少年には征矢の主張は、妥当だと思えたものの、自信満々の口調が酷く、不愉快に感じられた。
クイズ研究会の小林修二は、一年生ながら博識で全国規模のクイズ選手権の出場メンバーに選ばれている。ただし、修二は誰彼構わず、論戦を仕掛け、知識をひけらかすので周囲から敬遠されていた。
同じクラスでは、理科も社会も履修科目が同じ、楠本庸蔵と親しくなった。庸蔵はクラスでは下位の成績だが、意に介さず「俺は、背伸びせずに自分の身の丈にあった大学に進学し、中堅企業の会社員になるのが夢だ」と、主張した。
「夢のない話だな。高校生の言動とは思えない。明治時代にウィリアム・スミス・クラークは、札幌農学校の生徒たちに向けて『少年よ大志を抱け』という言葉を残している。君には、高校生に必要とされる大志がないのか」
庸蔵は修二に手厳しく非難されても、気に掛ける様子もなかった。
「成績優秀な子どもは、小学生の頃に夢を聞かれると――お医者さんになりたい――と答えて親を喜ばせる。しかし、医者になるのはごく僅かだ。会社員を志す者が大企業経営者になって、世界を大きく変えてしまうケースだってある」
少年が首を傾げると、庸蔵は「放蕩無頼を気取った小説家がいただろう? 俺は生来の無頼派だ。夏休みは、複数の女の子とデートして、名作小説と漫画コミックを合わせて三〇〇冊読破した。お前らと違って青春の一日、一日を大事に暮らしている」と言い終わると、声を出して笑った。
対照的な二人を見ていると、少年は何故か微笑ましく思った。修二が仕掛けてくる論戦に巻き込まれずに済んだのは、庸蔵の存在が大きかった。
休日、庸蔵と誘い合わせて中央図書館に行った。館内では二人は別行動をしていた。図書館の書架の間を歩いて本を物色していると、庸蔵が近づいてきた。
「そこにかけてくれ」庸蔵は無遠慮に指図した。「やっと、お前を見つけた。あちこち、探していた」
「どういう意味だ?」
「お前と話がしたかった」
「エネルギー問題の研究は進んでいるか?」
「最近は、忙しくてあまり本が読めていない」
「発電所の見学には、行っているか?」
「八丁原の地熱発電所を見学して以来、どこにも行っていない」
「どうして?」
「頻繁に行けるものでもないよ」
庸蔵は身体を前のめりにすると、顔を覗き込んだ。
「俺の気持ちを話そうか?」
「うん、何だろう」
「俺も、お前の話に興味がある。発電所の件だ」
少年は記憶をたどり、庸蔵に何度も発電所見学の話をしていたのを思い出した。
「それで、発電所の何を知りたい?」
「読みたい。俺も、発電所の関連本を……」庸蔵は間を置くと、周囲を見回した。「実際、雄大。お前の話を聞いてから、むしょうに電力関連の情報を集めて読みたくなった。おかしな話だろ?」
少年は次の言葉を待った。
「何か、役立つ本があれば教えてくれないか?」
「良いのがある。この図書館にある電力関連本なら、ほとんど目を通した」
二人で図書館内を行き来すると、少年は適当な本を五冊選んで庸蔵に持たせた。
「そこで借りてくればいい。読んだら感想を聞かせほしい」
庸蔵は「中堅クラスの大学を卒業後は、電力会社に勤めたい」と告げた。少年は、庸蔵の――中堅クラス――という、言葉のこだわりが、今の本人の成績から割り出したものと知りつつも、滑稽に思えて笑い出した。
「大学もトップ・クラスを目指した方が、君の夢も叶いそうな気がするよ」
「いい奴だな」
「誰が?」
「お前だよ」
「ああ、僕はいい奴だ。庸蔵はどうだ?」
「俺か? 俺は、自分では分からないな」
二人は互いに顔を見合わせた。
庸蔵は、はにかみながら「また良い本があったら教えてくれよな」と声にした。
少年は頷きながら――はたして、自分が良い人間だろうか――と考えていた。いい奴とは、庸蔵にとって都合のいい奴の意味ではないかと思えると、何故か笑いが込み上げてきた。他人の良し悪しを利用価値の有無で割り切ると、恋愛や友情は幻想に過ぎなくなるものの、一面の事実を庸蔵の不器用さで言い当てているかに思えた。
図書館を出て二人で表通りを歩いていると、大きなトラックが横を通り過ぎた。荷台を見ると庸蔵は
「今のトラック移動電源車だよな」と少年に確認した。
「滅多に見かけないのに、今のタイミングで見るのは偶然とは思えない」
「俺たちの想念の波動にシンクロしている」
「庸蔵の思いが伝わったのか?」
「しかし、何故こんなところを通行していた? 移動電源車は、災害時の緊急発電に使われるだろ? 何かあったのかな?」
「電力会社が配電線工事をするのに使うのかも……」
「詳しいな」
少年は庸蔵に褒められると、一端の研究者になったような気がした。
道沿いにあるカレー・ショップから、食欲を刺激する良い匂いが漂っていた。
「頭を使うと腹が減るな」
「店に入るか?」
二人でカレー・ショップに入った。狭い店内にはテーブル席が三つあり、一つのテーブルに四つずつ椅子が配置されていた。カウンター席は厨房の前に八席設けられていた。
店内には会社員風の男女の客が座っていて満席だった。十五分待たされた後、二人はカウンター席に腰かけた。空腹のせいか、すごく旨かったのであっという間に平らげた。
「カレー・ライスは七〇〇キロ・カロリーだ」
「それを俺らは、これから熱エネルギーに活用して家まで帰るのか? まるでコンパクトな発電所だな」
「人体には、効率の良い内燃機関が備わっている。だから生きていける」
「カレーの神様に祈りを捧げたい」
「それなら、ヒンズー教のクリシュナ神に祈ればいい」
「へえへえ、雄大先生、いい勉強になりました」
家に帰り、母親に外で食事をしたのを告げると
「予め連絡してね。せっかくカレー・ライスを三人分作ったのに……」
少年は、思いがけない奇遇に驚いた。
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