第4話
翌朝、教室に入ると明日香が席に来て小声で話しかけた。少年の耳を手で覆うと、申し訳なさそうに彼女は話し始めた。耳に息がかかると、くすぐったく感じた。明日香の話では、彼女の親が、野外授業の件を問い合わせたため、六甲登山の事実が親にも学校側にもばれていた。
家では、厳しく問い詰められ説教された様子で、声に力がなく湿っていた。学校では、中学生三人で無謀な山登りをして、野営したのが大きな問題になった。
少年が浩平や明日香とともに職員室に出向くと、夏目は「君たち三人には、正直に話してもらいたい」と、切り出した。
三人は部屋の真ん中に立たされた。他の教師たちの鋭い視線にさらされると、少年の頭の中は支離滅裂になり、膝が震えていた。
「どんなつもりで、何故あんな行動をとった? 首謀者は誰だ?」
明日香が、最初に口を開き「三人でトム・ソーヤみたいな冒険旅行をしようと相談して決めました。楽しい思い出をつくろうって……」と説明した。
「どうしてだ? 俺は君たちに動機の説明を求めている」
少年たちが目を白黒させていると、夏目は
「二日間の行動を一から説明してくれ」と、話の方向を変えた。
三人がそれぞれ、山登りをして同じテント内に宿泊した経緯を矛盾なく話した。
夏目は普段よりも険しい表情をしていた。話を聞き終わると
「君たちのやったことは、大問題だ。自然は危険がいっぱいだ。特に山は子どもたちだけで、冒険するのに適当な場所ではない」と、強い口調で詰った。さらに、夏目は
「内申書の記述には、各教科に五段階の内申点がある。雄大も、明日香も、内申点は高い優秀な生徒だ。しかし、今回の非行は、内申書の総合所見にのせると、進学に影響しかねない」と、明かした。
「どうすれば、いいのですか?」明日香が尋ねると、夏目は目つきをさらに鋭くして
「これから、校長先生にお伺いを立てるが、見逃してはもらえないだろうな。君たち三人は、親や周りの人間に嘘をついた。嘘が許されるのは、他人を救う時だけだぞ。君たちは、身勝手すぎる」
三人で六甲山に出かけるのをやめてさえいれば――思い付きの愚かしさに気付くと、少年は思考の流れを断ち切った。
夏目が少年と明日香の顔を交互に見ながら話していると、突然のごとく浩平が口を開いた。
「全部、俺が悪いのです。嫌がっていた二人を無理やり山に連れて行ったのは、俺なのです」
「山登りは、僕が提案しました」少年が横から口を出すと、浩平は
「嘘をつくな」と詰った。
山登りは、少年が言いだして、経験のある浩平が賛同し、明日香を誘って実行に移していた。少年は、浩平一人に責任があると思ってはいなかった。
明日香は泣き始め、涙をハンカチで拭った。
校長室を出て教室に戻るとき、少年が浩平に「何で、全部自分のせいだと言った?」と、問うと「俺は、中学を出て働くから、内申書も奨学金も影響しない。お前らを助けようと思った」と答えた。
明日香は、まだしゃくりあげながらも「浩平君って、優しいのね」と、呟いた。
「どうせ俺は、勉強できない方だし……。どうってことはない」
学校側の三人に対する明確な方向が示されないと、少年は針の筵の居心地の悪さを免れない気がした。
翌日、三人の親まで呼び出され、夏目から保護者としての監督責任を強い口調で問われていた。
事態の全容が分かると、職員会議が行われ三人の処分が決められた。夏目は、三人に「校長室まで、ついて来い」と命じると、先に歩き出した。
少年は、内心でハラハラしていた。処分の内容によっては、奨学金の話が振り出しに戻る。そうなると、他の二人以上にダメージが大きかった。
「職員会議の結果、君たちへの処分は不問にする。正確に言えば、訓告処分とする。ただし、今後は同様の行動をしないように、十分に注意してもらいたい」
校長が告げると、夏目は忌々しそうに
「こいつらはとんでもない嘘つきです。今のうちに分からせておいた方が良いのではないでしょうか?」と、三人の顔を見た後で、校長に向き直り尋ねた。
夏目が言い終わるのを待ち、校長は
「嘘がつけるというのは、君たちの創造性が豊かな証拠だよ」と、大きな声で笑った。
全員が、予想外の反応に驚いた有様で校長の次の言葉を待った。
「だがな。周りの人間に迷惑をかける嘘は大間違いだよ」校長は、あくまでも穏便な口調で諭した。「中学生の中には、川遊びをして死ぬ者もいる。大切な命だ。無茶をしてはいかん」
少年は、校長の穏やかな口調に愛情を感じた。
夏目は――厳罰に処すべし――という自説を覆さず、校長をじっと睨むと
「公正な判断をお願いします」と低い声で告げた。嫌味な響きが混じっていた。
「中学生は、大人に比べると、未熟な点があるのは当然だ。一介の教師に、生徒の運命を変える権利はない。三人の話を聞いた結果、内申点に響く悪事はなく、雄大君の奨学金も、予定通り受給させてやりたい。無論、意見は具申したものの、私、一人の判断ではない。教頭をはじめ、他の先生方も了承しているよ」
校長は、浩平に対して優しげな視線を投げると
「浩平君は、友だちを助けるために、必死になって庇ったそうじゃないか? 嘘はいけないが、君の友だちを想う気持ちは、それ以上に尊いと、私は思う」と告げ、ポンポンと肩を叩いた。
※
クラスメイトたちは、たびたび職員室に呼び出され、肩を落として教室に戻る三人を訝しそうに見ていた。しかし、時間が経つと、初めのうちは理由が判然とせず、質問に答えない三人に業を煮やしていた連中が、どこからか情報を入手すると、彼らを迫害し始めた。
雨の日の校舎は灰白色の靄に包まれて、少年の目の奥には、もの悲しく映じていた。
教室に入ると、ざわついていた。黒板に――蒲原雄大、室生浩平、菊池明日香の三人は三馬鹿トリオだ――とか、――馬鹿が三人集まっても、ロクなことはできない。三人の将来は真っ暗だね――などと、書かれていた。三人の似顔絵は、漫画的に滑稽に描かれていた。
蒲原雄大、菊池明日香の相合傘まで、ユーモラスに描かれていて、横に――不純異性交遊――と、揶揄されていた。
少年を囃し立てる声には、気分の悪い害意が含まれているのが伝わって来た。
「誰だ? 書いたのは……」と、少年は騒々しい教室の全生徒に届く、大きな声で怒鳴りつけた。一瞬、教室内が静まり返った。
一番後ろに座る生徒が、鋭い視線で少年を睨みつけていた。
険悪なムードが流れる中で、担任教師が教室に入って来た。
明日香は自分の机の上で、肩をすくめて座っていた。ハンカチで涙を拭くところが 少年の目に映った。隣席の有麻は立ち上がり、明日香の肩に手を当てて慰めていた。
「誰だ。こんな落書きをしたのは……。正直に名乗り出ろ」
夏目はありきたりな言葉で告げると、生徒全員を見回した。名乗り出ろと命じて、誰か――自分がやりました――と応答するものかと、少年はバカバカしい感じがしていた。すると、夏目は
「先生は、お前たちの筆跡ぐらいは分かる」と、ポケットからスマートフォンを取り出し、黒板の文字を撮影した。
特徴的な筆跡だが、少年には字体を崩しているものに見えていた。
一番後ろの席の生徒が「どうせ、夏目先生のはったりだろ。わかりっこないよ」と、大きな声を出した。
「お前か? これを書いたのは? 白状しろ」
「おお、怖い、怖い。先生にかかったら、無実の人間も、犯人にされてしまう」
問い詰められた生徒の大袈裟な反応に、他の生徒の笑い声と歓声が起こった。夏目は授業の間中、不機嫌そうな表情を崩さなかった。
結局のところ、クラスの誰が犯人なのか、判明しないままに時間が過ぎて行った。
高校受験の十日前になった。少年は、校内の不良グループに呼び出され、放課後の教室に浩平と二人で行くと、リーダー格の男に「お前らは、女とイチャイチャするために、山に登るのか」と詰め寄られ、近くにいた浩平が、いきなり顔を殴られた。
先生が来ないか、見張り役の宏樹が目を光らせていた。校庭の裏は人通りがなく、土の地面は整地されて雑草も僅かしか見当たらなかった。急に誰かが助けに来る展開は望めない気がした。筋肉質でガタイの大きい不良グループに比べて、二人は貧弱に思えた。
少年は浩平の前に出ると「君たちは誤解している。僕らは、山登りを楽しむために出かけただけだ。君に人を殴る権利はない。浩平に、今すぐ謝れ」と、大きな声で抗議した。
リーダー格の男は、手下に命令して少年を羽交い絞めにすると、何度も殴りつけた。抵抗すると、男は両腕をねじり上げた。
明日香には「君が来ると、危険だから俺たちで話をつけてくる」と、告げて、先に帰していた。明日香を巻き込まなくて良かった――と、少年は安堵しつつも、自分が惨めに思えていた。
不良グループが散開すると、浩平が心配そうに屈みこみ「大丈夫か?」と尋ねた。
「大丈夫なわけがないだろ? 右腕が痛くて力が入らないし、顔面が腫れているのも分かる。腹が立つし、僕を殴った連中を全員、見返してやりたい」
浩平の顔には、大きな青あざができていて痛々しかった。少年の傷は顔にできたものよりも、ダランとした右腕の方が酷かった。
帰宅しても、右腕は手首のあたりが腫れ上がったままで、酷い痛みを感じた。病院の診察時間を過ぎていた。
母親は「こんな時に、お父さんがいてくれたら良いのにねえ」と嘆息しながら、電話でタクシーを呼び、救急病院まで走らせた。病院でレントゲン撮影し、結果が出るまで待合室で、母親と少年は並んで腰かけた。
再び診察室に呼ばれると、右腕が骨折しており、全治三か月と診断された。
少年は寒気を覚えた。横にいる母親も青ざめて見えた。受験まで僅かな日数しかなく、捨て鉢な気分になった。
たった一日の僅かな出来事が、自分の人生を大きく左右するかも知れないと思うと、いたたまれなくなった。
母親に対して、余計な心配と金銭的な負担をかけたのを申し訳なく思った。「後先を考えずに、酷い乱暴をする子がいるのね」
利き腕の右手は骨折していたため、ギプスをはめられた。左ひじにも痛みと痺れが残っていたので、不安が残った。石膏で固めたギプスは、重く感じられた。目の上の裂傷には、ガーゼがあてがわれていたものの、じくじくと痛んだ。
不良グループの三人は、教師に促されたのか、それぞれの親と一緒に家に謝罪に訪ねてきた。彼らの両親は、様子を見て驚くと、傍らにいる自分の息子たちを叱っていた。体つきが大きく、厳つく見えていた三人が、随分幼く思えた。
「どうもすみませんでした。二度と雄大君に、ご迷惑をおかけしません」リーダー格の男が棒読みでぎこちなく言うと、三人は深く頭を下げた。言葉に魂が宿っていない気がした。
母親に菓子折りを手渡すと、三人の親たちも「申し訳ございませんでした」と頭を下げた。
――彼らはいったい誰に敗北したのか?――と、少年は漠然と考えていた。
加害者たちは、事件後も学校に来ていた。
「義務教育期間の公立校では、どんな非行があったとしても、教師が生徒に対して自宅謹慎を命じる措置はできない」と、夏目は説明した。さらに、加害者の少年たちを一人一人見ると「利己的で直線的なたった一つの行動が、他人の人生を無茶苦茶なものにする。軽挙妄動は慎まないといけない」と諭した。
リーダー格の男は、傍を通るたびに「チェッ」と舌打ちし、鋭い目で睨みつけた。不良たちは、人間でも、中学生でもなく、野獣か狂人のように思え、恐怖心よりも、不気味さを感じさせた。
少年は――自分の内側にも同様の獣性が存在する――と想像し、例えようのない戦慄を覚えていた。
同時に、不良たちの心をつかんで、うまくあしらえない自分を責めたい心境になっていた。受験日まで、僅かな日数しかなかったので、誰にも勉強の邪魔をされたくなかった。
昼休みに少年が校庭を歩いていると、浩平が近づいてきた。
「腕の調子はどうだ?」
「まだ、ギプスを外せない。受験までに間に合いそうもない」
浩平はため息を一つすると
「冒険気分の自分たちよりも、あいつらの方が大人だよ。今になってそう思う」
「あいつらより、絶対に僕たちの方が正しい」
「雄大はそう言うけど、あいつらに言わせれば、都会は蜜とミルクの流れる甘い世界ではなくて、大人の男が求める酒と魅力的な女で溢れる世界だ。奪い取れるのは――力――だと言っていた。どう思う?」
「酒と女を?」
「金と女と言っていたかもしれない」
「単純だな、浩平は……。世界は、複雑系でできている。体系を解読して努力しないと、高い場所へはたどりつけない」
「俺は早く、一人前の大人になりたいよ」
二人が教室に戻ると、明日香が浩平にちょこんと首を振り会釈した後で、少年の席に来た。
明日香は様子を見て、すぐに涙を流し「ごめんなさい」と口にした。明日香や浩平との三人の友情は崩れない――と、少年は思いつつも、ケガをしたタイミングの悪さに苛立ちを覚えていた。明日香が校庭の裏に来ていたら、どうなっていたのかと考えると恐ろしくなった。
受験に自信があったのでカレンダーを見るのを楽しみにしていた少年が、一転して日付を確認するたびに呪わしい気分になった。受験日までに右腕は完治しそうもなく、利き手ではない左手の運筆力では早く答案を仕上げられそうにもなかった。
少年は受験の前日まで、勉強机の電気スタンドを点灯し、参考書や問題集に向かい、記憶に漏れや間違いがないかをチェックした。毎日、深夜まで悪戦苦闘している自分の姿を神様は必ず見ていてくださる――と、少年は信じ続けていた。
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