第57話 うまくいかない……

 訓練は休み、生徒会の作業のみになった事で少しだけ時間に余裕ができたキリヤナギは、その日のうちに残りの作業はボランティア学生へのユニフォームの手配をしていた。

 土日を挟み。大会は来週へと迫る中調子が戻るだろうかと不安ばかりが込み上げてくる。


「隊長と副隊長から承認もらってきましたよ」

「……ありがとう。ジンのは?」

「あ、忘れてた」

「参加してくれる?」

「はい。これ書けばいいんですっけ?」

「うん。当時受付に来てくれたら鉢巻を渡すから……」

「わかりました」


 ジンの手をぼーっとみるキリヤナギは、やはり疲れている。あまり言及するのは良くないのだろうなと思いながら、個人的に関わっているために恐る恐る尋ねた。


「大学の方どうです?」

「……今は、生徒会だけなんとか……訓練はわかんない」

「そうっすか……」

「ジンは、ヴァルと連絡とってる?」

「前に殿下の調子戻るまで俺も来なくていいって言われたんで……」

「ヴァルが気を遣ってくれたのかな……」

「と言うか、殿下いないと口実もつくれないし?」


 そういえばそうだったと、キリヤナギは反省した。ジンが大学へ来るのはあくまでキリヤナギの迎えであり、用事がなければサボった事になってしまうからだ。


「一応連絡とってますけど、なんとかなってるみたいですよ」

「なら、いいかな……」

「スランプって聞きましたけど……」

「そう言うのかな? 確かにどう動けばいいか、わかんなくなってて……」

「鈍ったとかでなく?」

「……うん。前はうまくやれたのに」


 剣はキリヤナギの唯一無二の特技だった。それでこそ、騎士に引けを取らず素手のジンでもある程度は渡り合えるほど勘が冴えていて上手い。

 さらにジンの父、アカツキによって粘度があがり、ある程度は「王の力」をもつ騎士も十分相手にできるともされている。そんなキリヤナギが、今更スランプに陥ることも珍しいとはおもったが、ジンは少しだけ覚えがあった。


「よかったら遊びます?」

「え」

「気分転換?」

「僕、相手になるか……」

「何もしないよりかはいいと思うんですけど……」


 ジンの言葉にキリヤナギは深く考えるのはやめた。人の少ない中庭へと向かい、素手でジンへと向かってゆく。

 その拳を受けた時、ジンはその調子の悪さを理解した。動作にブレがあり、迷っているのか遅い。まるで問いかけるようなその遅さは、一つ一つをこれでいいか聞かれているようにも感じた。

 ジンよりも何倍も繊細なキリヤナギは、全てを大切にしようとして迷い、板挟みになる事がよくある。


 そんな判断に悩んだ時、心境を救ってきたのは訓練だった。悩む前に体を動かし、一度思考をリセットする。

 一度自分の心へ向き合う事ができれば、あとは冷静に周りを見ればいい。

 キリヤナギに疲れが見え始めた所で、二人は一度休憩する。

 水を飲むと火照っていた身体が冷やされて気持ちが冴えるのを感じた。


「楽しい……」

「よかったです」

「そういえば、痺れ治った?」

「はい。もう気にはならない程度には」

「よかった。ジンっていつ訓練してるの?」

「こっち戻ってからは、セシル隊長とこで一緒にやってますね」

「アカツキとこじゃないんだ?」

「父ちゃんいるのに俺がいても? 『タチバナ』の専門部隊も解体されたし……」

「そ、それ居場所なくない?」

「うん、まぁ、だから外国に飛ばされたんですけど……多分?」


 キリヤナギは返す言葉もなく、同情の目で見てしまう。ジンは気にした様子もなく、隣に座って休憩していた。


「ストレリチア隊、悪くないですよ。隊長優しいし?」

「なら、いいんだけど……」


 何度聞いても皮肉だと思う。そして大切にするべきだと思っていた「タチバナ」がいつのまにか消えかけているのも、何故か辛くなってきていた。

 平和であればこそ不要のその力を、残す努力をキリヤナギがしていないのもそうだからだ。


「ジンは寂しくないの?」

「別に……? 元々そのうち廃れるって聞いてたし、じぃちゃん的には、シダレ陛下と関係深いから一応ちゃんと継いでもらうけど、俺の代でやめるならそれでもいいって」

「えぇ……」

「父ちゃん今、騎士長ですけど『タチバナ』使わなくても特に問題はないし、そうなると、騎士長が『タチバナ』である意味もないしって言う。文化として残すとは言われてますけど、それなら本家の必要もないですしね。でも最近は「王の力」盗まれてるんで、訓練だけ再開はしたみたいです。モチベはそんなないみたいですけど……」

「なんかやだなぁ……」

「……俺は、別に?」

「でも僕『タチバナ』好きだからさ、ジンにも色々してもらってるし」

「それは俺が『タチバナ』だからとか、そう言うのじゃないんですけど」

「それもわかってるけど、なくなってほしくないなって」

「……」


 思わず返事に困ってしまう。ジンは元々必要ない力であると言われ、本気でやるかは自分で決めろと言われて始めたことだった。

 オウカの力を打倒すると言われ、どんな技術なのかと子供ながらに思っていたことだが、学べば学ぶほど「面白い」と思ってしまったのが始まりだった。

 魔法のような「王の力」は、結局人間の能力を拡張しただけにすぎず、人の力で対応できるとされ、その攻略方法は多岐にわたる。自分で考えていいと言われた時、ジン、キリヤナギ、リュウドの3人は面白くて一緒になってそれを考えた。

 今ではそれが3人の思い出として鮮明に残っている。


「なら、殿下の代にも残します?」

「……できるかな?」

「殿下次第だと思いますけど、シダレ陛下は『タチバナ』の在り方に対して申し訳なさと言うか、父ちゃんがかなり苦労してるのみてるんで、俺にまで強いるのはよくないって感じで……俺は微塵も気にしてないんですが」

「うーん……」

「親子っすね」

「そうかな……」


 確かに同じことで悩んでいる。継がないことでプレッシャーから救われた人がいるなら、それは間違った選択肢ではないとも思うからだ。


「『タチバナ』ってジンじゃないとダメなの?」

「そんな事ないですよ。俺は本家だから、一応ちゃんとやってるだけで、きっちりやってくれる人が他にいるならそっちでもいいって、じぃちゃんが」

「じゃあ僕でも継げる?」

「マジ?」


 真剣さを持つ目に、思わず聞き返してしまった。王族の末裔のキリヤナギが「タチバナ」を引き継ぐなら、「タチバナ」は裏切りに対するものではなく、王族が自身を守る為の手段として確固たるものになりえるからだ。


「俺がいうのも何ですけど、結構しんどいですよ? 毛嫌いしてる人もいるし」

「うん。でも無くなるのは嫌だし、僕にやれるのはそのぐらいかなって」

「無理に残さなくても」

「残す人で辛い人がいるなら……とも思うけど、僕なら大丈夫かなって」

「殿下の代は俺がいますけど……」

「じゃあジンとやる」


 頑固だと思うが、目から僅かな覚悟すらみえて、ジンは説得を諦めた。現状でキリヤナギは大学で「タチバナ」を率いようとしているなら、この結論に至るのは確に時間の問題だったとも思うからだ。


「『タチバナ』好きなんですね」

「うん。大好き。面白いから」


 筆頭たるジンは、そんな事思ったこともなかった。生まれた時から「そう言うもの」であり、当たり前に学んだことでもあったからだ。

 だが自分の技術を損得抜きで好きだと言われる事は悪い気はせず、むしろ嬉しくなってしまう。


「じゃあまず、『タチバナ軍』に戻らないとですね」

「うん。……頑張る。教えて」

「いいっすよ」


 気は重そうだが、先程の辛そうな表情をみせなくなり、キリヤナギはその日、一日ジンと遊んでいた。

 次の日も気分転換にと午前にジンに訓練を付き合ってもらい、午後からリビングで当日のスケジュールをまとめていた。普段自室でやる作業をリビングでやっているキリヤナギに、買い物から戻ったセオが新鮮な気持ちになる。


「自室ではないのですね」

「うん、ちょっと気分変えたくて環境かえたら捗ることもあるって、グランジが教えてくれたから」

「なるほど、進んでいますか?」

「なんとか?」


 セオが覗き込むと、当日の開催スケジュールや生徒会やボランティアの細かい動きがリスト化されていて感心もする。

 その様式は、以前セオが誕生祭でキリヤナギに確認してもらっていたものに似て居たからだ。


「これは殿下が?」

「うん。わかりやすいかなって……」

「お一人でですか?」

「みんなに聞きながらかな? 去年はこう言うのなくて会長が全部指揮してたけど、今回僕もシルフィも参加するから現場に入れないし作ってる」

「もしよろしければ、誕生祭の使用人のスケジュールもご覧になられます?」

「え、いいの?」

「工程が膨大で、バトラークラスでしか解読不可能とは言われますけど、一応主任がいなくても回る工程表にはなっているので、参考になるかなと」

「みせて!」


 キリヤナギは数分後、この返事をしたことに酷く後悔した。王宮の中央にある事務総括の資料室へ案内されたキリヤナギは、厚さ10センチはあるファイリングケースに詰め込まれた書類、五つ分のそれに絶句する。

 そこには当日のスケジュールだけではなく、協力を求めるメディアへと対応法から、道路を通行止めにするための許可証、衣装発注、訪れた各貴族への配慮や、提供する食事の献立などが、膨大な資料として存在していた。


「これ、全部?」

「はい、今年の物です。スケジュールはこのケースですが……こちらが殿下向けのですね」


 殿下向けと言われてのぞいてみると、好きな色だけでなく飲み物や好み、元気がなくなると視線が下を向くとか、緊張する相手の事まで書かれていて恥ずかしくなる。

 無理させすぎると倒れる可能性があるとも書かれ、異変が見えればすぐに引かせるように指示もされていた。


「こんな気を遣われてたんだ……」

「儀式中に倒れる方が国際問題になります、病み上がりですから……とにかく無理されないようにと」

「ありがとう……」

「殿下もどちらかと言えば『やらされる側』なので、気にされないで下さい。貴方が健やかである事が、この国の未来を安心させる事に繋がりますから」


 優しい言葉だが、これに甘えてはいけないのだとキリヤナギは考えを改めた。1ページずつ丁寧にみるにつれてキリヤナギの顔色が悪くなっているのに気づき、最後までみる前に取り上げられてしまう。


「セオ!?」

「これを見たからといって、気を遣われないでくださいね。私達はあくまで円滑に進める努力をしているだけですので」

「でも申し訳ないし」

「我々からすれば、そうやって気を遣われる方がやりにくいのです。気にされるのでしたら辛い時は辛いと言って下さい、その方が助かります」

「え、うん。わかった……」


 もう少し見たいと思ったのに、資料の全てを片付けられ、キリヤナギはそのまま居室フロアへと戻された。

 誕生祭は久しぶりなことが沢山あり、思い出せば食事もまともに取れず、騎士大会では倒れかけていたのを思い出し、情けなさが際立った。

 目の前の「体育大会」は、あの資料よりも工程が少なく子供の遊びのようにもみえてきて、大変だと思っていたのが甘えにも感じてしまう。やり切れるだろうかと、キリヤナギは意識を改め、作業を再開した。 


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