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第56話 平和だったのは……
シルフィを医務室へ運んだキリヤナギは、ぐったりしてしゃべることも辛そうな彼女に何も言葉をかけられずにいた。
連日の激務の過労とストレスだろうと言われ、思わずツバサに言われた言葉が頭によぎり、胸が締め付けられる気分にもなる。そして迎えにきたツバサが、キリヤナギの胸ぐらを掴み鬼の形相で睨みつけてきた。
「だから言ったんだ。お前に、できるわけがないと……!」
「ごめん」
言い訳する価値がないとすら思い、キリヤナギは殴られる覚悟だったが、突然傍から伸びてきた新しい手にツバサの手首をとめられる。
「シズル……」
「ハイドランジア卿。それ以上は」
「くっ、出ていけ!」
乱暴に放され、キリヤナギは何も言わずシズルと医務室を後にする。誰もいないテラスで項垂れるキリヤナギをシズルは見ないように背中を向けてくれていた。
「……ありがとう」
「お邪魔してすみません……」
殴られればもっと話がややこしくなっていた。また自身を犠牲にしようとした自分に反省をして、今は素直にシズルへと感謝する。
シルフィの激務をきいて、できるだけ彼女の負荷を減らそうと生徒会の皆に呼びかけていたのだが、生徒会長の業務と3回生のスケジュールが嵩み、体が耐えられなかったのだろうと思う。
「シズル……」
「はい」
「僕、何ができたのかな……」
思わず聞いてしまうほどに答えが出てこない。気づくのが遅すぎたのだと思うと不甲斐なくてツバサに合わせる顔もないからだ。
「精一杯、やられたと私は思います」
「……」
「今回は現実がついてこなかった。それだけかと」
「……そっか」
シズルの言葉に救われていいのだろうかと思う。叶えられなかった努力に意味が得られないまま、キリヤナギはその日も「タチバナ」の練習に望んだ。
「王子、今日はなんかおかしいぜ?」
ヴァルサスの指摘に何も言い返せない。後悔と僅かな絶望で集中力がもたず動きにキレがなくなっているからだ。昨日までやれていた事が今日には出来ず、酷くイライラしている。
「そうかな……」
「何かあったか?」
「……うん」
「ま、終わったら聞いてやるよ」
ククリールも毎日見学に来てくれている。カッコ悪いところを見られたくないと踏み込むが、ヴァルサスにそれを読まれ、武器を取り上げられた。
キリヤナギが武器を離した事に、その場にいた全員が言葉を失う。
「今日は終わるか……」
訓練は解散し、3人は何も言わず話を聞いてくれた。皆はシルフィが倒れた事にまず驚きながら、シズルと同じことを言う3人にキリヤナギはただ頷く事しかできない。
「気づくのが遅れたとも言えるが、あながち想像通りだったと私は思う」
「え?」
「今季の生徒会は、ツバサ・ハイドランジア卿の実力主義の執政を完全否定する形で運営されるようになったと言えばいい。断れなかった業務を断れる環境にした事で、その全てを会長が背負う事になったのだろう」
「……僕も、何もしてなかったかもしれない」
「話されなかったのでは?」
「……うん」
「なんで分かるんだ?!」
「ハイドランジア嬢は『そう言う女性』だ。故に支持を集めたが、裏目に出たのだろう」
思えば春から、キリヤナギは何も話されては居なかった。ただ執行部として「やることリスト」を渡され、これが必要なのだろうとこなして来たが、それ以外の細かい作業の全てはシルフィがこなして居たのだろう。
夏にリーシュが、「仕事をおしつけがち」と言って居た意味を理解し酷く不甲斐なく思う。
「大丈夫か?」
「……」
堂々と返事を返せない自分がいた。ククリールは何と言うだろうかと、恐る恐る顔を上げると彼女は鞄を肩に下げテラスを出てゆこうとする。
「頑張って下さい。一応は応援しています」
「……! ありがとう」
背中を見送るキリヤナギにククリールは振り返らないまま帰っていった。ヴァルサスとアレックスは、そんな柔軟な言動に驚きながらも表情が変わらないキリヤナギに不安を得ていた。
シルフィが倒れた事で、生徒会長の業務を任される事となったキリヤナギは、会長の代理となった事でその膨大な業務量に驚く。
そしてその業務を分担する事へ懸念を示す3回生の彼らにも衝撃を受けてしまった。彼らはキリヤナギが2回生である事へつけ込み、経験をした方がいいとか、執行部なら必要な事だと話し、簡単な雑用か連絡の伝達ぐらいしか引き受けようとはしなかったからだ。
「会長が倒れてもまだそんな事をいってるんですか!?」
「やると言ったのは、ハイドランジア嬢でしょう? 今更言われたってどうにもできないわよ!」
「もういっそ中止でいいのでは? 無理でしょう?」
リーシュは、同回生の言葉にぐっと唇を噛んでいた。シルフィが倒れた現実を前にして尚、そのような態度の彼らにキリヤナギはしばらく黙ってから言葉を発する。
「僕が全てやるべきですか?」
「あら、王子殿下はこの大会に意味があるとお思いなの? 残念ですが、私達は興味がーー」
「なら、僕が倒れないように手伝ってください」
はっきりと述べられた言葉に、3回生の皆は驚いて居た。顔を見合わせ怪訝な表情をみせている。
「僕がシルフィの後を追えば、先輩方になんの功績のないままこの生徒会は終わるでしょう。それどころか伝統を蔑ろにした生徒会として名が残る」
「……王子」
「やる事は全て僕が整理します。手伝ってください」
彼らは返す言葉を失っていた。「それなら」と渋々返事を返した彼らにキリヤナギは希望を得て作業へと取り掛かる。
その日から日々の授業をこなし、空き時間の全てを生徒会へと注ぐ日常は想像以上にハードだった。昼休憩に当日の生徒ボランティアの募集。【千里眼】をもった審判、【細胞促進】をもった救護班探しを各部署へ連絡をとりながら進め、放課後には進捗の確認を行ってゆく。
伝統行事であることから、卒業生の招待や、来賓の迎え方なども決まりごとがあり、その一つ一つの手順作成に頭がパンクしそうになっていた。
しかし一度手順を作成すると、皆が手伝ってくれているようになり、生徒会がようやくまとまり始める。それでも騎士の手配などは、王宮に住むキリヤナギが最も頼みやすく救護班の手配まで全て1人でこなすことになった。
そんな本番が迫るなかで「タチバナ軍」もまた士気を高めてゆくが、大会が迫れば迫るほど、表情に過労が見えてくるキリヤナギにヴァルサスは心配を隠せなかった。
またシルフィが倒れてからスランプがひどく、調子も戻って居ない。
「王子。お前一回休め」
「平気」
「平気じゃねえだろ」
「大丈夫だって」
「んなわけあるか!」
また武器をとられ、ストレスを抑えるのに必死だった。頭の中の殆どが体育大会の準備に占領され体が思うように動かない。
思わずぶちまけてしまいたい気持ちを抑え、座りこんでしまった。
「今の王子はいらねぇ、必要になったら呼んでやる。今日はジンさんと帰れ」
「おい!」
キリヤナギは何も言い返せなかった。ここ数日、戦い方も分からなくなって自身が酷く弱くなった事もわかっていたからだ。
何も言わず、荷物をもって帰ろうとするキリヤナギを、見学していたククリールが、肩を持って止める。
少しだけ辛そうな表情に驚いていたら、頬にそれがきた。
甲高い音が体育館に響いて、騒がしかった体育館が一気に静まり帰る。
「ハイドラジア嬢は残念だったと思うわ。でも、貴方の好きな人は誰?」
ククリールはそれだけ言って、1人で帰ってゆく。頬に残った痛みにしばらく呆然としていたら、遅れると聞いていたジンが現れ、その日はヴァルサスに言われた通り、そのまま帰宅した。
殴られた頬は腫れて、帰り道に買った冷えたボトル飲料で冷やし、帰宅してからも保冷剤を当てていた。
ジンは王宮に戻ってから、ヴァルサスに一応連絡をいれると、酷いスランプへ陥っていると聞いて驚く。どんな時も剣を振ることを楽しんできたキリヤナギが、ここにきて調子を崩すのも信じられなかったからだ。
@
「……青春だねぇ」
キリヤナギに届けて欲しいと頼まれた書類は、ストレリチア隊のセシルとセスナに、「体育大会」への監視員への参加を要請するものだった。
ジン、グランジ、セオならともかく、セシルとセスナの2人は、常勤の騎士の業務も兼任しているため、そもそも承認を得られるかわからなかったからだ。しかしキリヤナギの現状を聞いたセシルは、渡された書類を見て、楽しそうに笑ってサインをしてくれる。
「いいんすか?」
「我らの殿下の頼みなら、断る理由はないよ。セスナも今日は非番だから訓練所にいるはずだ」
「ありがとうございます。……あの殿下、ほっといて大丈夫ですか?」
「ジンが私に聞くのかい?」
笑われてしまった。たしかに、ジンはセシルよりもキリヤナギと付き合いが長いからだ。
「あえて言うなら、殿下の学校の問題に、騎士は関わるべきではないと考えている。助けを求められたら別だけどね」
「そっか……」
「ジンは何かしたいの?」
「できるなら? 辛そうだし」
「それなら『友達』としてがいいだろうね。でも本当の『友達』のヴァルサス君に拒絶されたなら、今はそれが答えだとは思うけど」
ジンは少しだけ情け無くなった。キリヤナギは2人で帰ったあの時、ヴァルサスに休めとしばらく訓練にくるなと言われたと話したからだ。
確かにその時のキリヤナギは、顔からも疲れがわかり、とても普段通りとも言いがたい雰囲気もあった。ジンがもしキリヤナギと同僚だったならば、多分同じことをすると思うと結論は既にでている。
「ありがとうございます」
「約束を守ってくれて嬉しいよ。私にできることならまた聞かせてね」
この隊長は、ジンが思っていた以上に話ができると安心もしていた。
セシルと顔を合わせたあと、ジンはセスナを探して騎士隊の訓練場へと足を運ぶ。掛け声が響くホールには、模造刀と盾を携え、汗を流すセスナがいた。彼は現れたジンにすぐ気づいてくれて水を飲みながら対応してくれる。
「へぇー、いいですよ」
「助かります」
筆記用具を準備するジンへ、セスナはしばらく見ていないキリヤナギの現状を訪ねてきて、ジンは話すべきか迷った。しかし、セシルと違う内容を伝えるのも違う気がして渋々口を開く。
「懐かしいですね。僕も学生時代結構スランプあったし、こんな性格なんでよく女の子にもいじめられてたのでわかります」
それは今でもあるなぁと思っていたら、彼も軽くサインをしてくれた。そのあまりにも簡単な態度に驚いてしまう。
「隊長もでるんですね。楽しみにしてます」
「セスナさんはスランプの時どうしてました?」
「僕ですか? 僕はセシル隊長を勝たせたいって思ったら自然と直りましたね。ジンさんはどうだったんです?」
「俺? んー、俺はなんか割り切ってたから実はそこまでなんですよね、よくわからないと言うか」
「たしかにジンさん、人間関係の悩みとかには無縁なイメージがあります」
「俺自身、そんな必要とされる機会なかったんで、弱くても関係なかったというか? まぁ負けたら『タチバナ』の癖にとは、結構言われましたけど、それは俺の問題だし別にいいかなって」
「『らしい』ですねー。でもジンさん、結局強くなってるし、やっぱり見返したい気持ちあったんじゃ無いです?」
「ま、まぁ。弱いのは伸び代あるって事だし? それがモチベだったのはありますけど……」
「いいなー青春だなー。殿下が今、僕らのその時期真っ盛りだと思うと、やっぱり手助けしたいなって思っちゃいますけど、セシル隊長の言う通り、見守るのがいいんでしょうねー」
セスナもセシルも悪い事のように捉えないのは不思議な気分にもなる。ジンは話しか知らないが、確かに何も話さず何も求めようのしなかったキリヤナギが、大学の人間関係や義務に揉まれ試行錯誤するのは、いい経験にもなるだろうと思うからだ。
ジンはキリヤナギの部屋に戻り、素直に体を休める彼の元へと戻る。
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