第31話 見えない人たち
雨が上がったオウカ町の景色は、未だ道端に水溜りが目立ち、空気も湿気っている。しかし、爽やかな朝の日差しもありキリヤナギは晴れやかな気持ちでその日も登校していた。
「旅行?」
「うん。みんなも一緒にどうかなって」
2限を終えた屋内テラスでは、数日ぶりに四人は再会していた。皆がお昼と教科書を広げる中、王子がバックから取り出したのは、西側の領地を紹介する旅行雑誌で3人は興味深く眺めている。
「どこ行くんだよ」
「ローズマリーの海に行きたくて、マグノリアにも寄るつもり」
「ご、豪勢だな」
オウカの中央となるクランリリー領から西へ行くとマグノリア家が管理するマグノリア領がある。ここは隣国ガーデニアとの境となるロータス川の幅が最も狭くなる場所であり、交易が栄え現代ではガーデニアとの定期船が出ている国境の役割を果たしていた。またマグノリア領から川沿いを南下すると川が海へと開け、土地が豊かなローズマリー領へと入る。ここは広大な穀倉地帯や花畑など、オウカの食物が数多生産されていて、南端には海があり海水浴場も存在する。
「我が領地へくるのか? 光栄だな」
「っーか、そんな長旅、学生には無理だよ。主要都市に行くだけでも6時間はかかるじゃん」
首都から他領地への移動は、鉄道で行われるが、オウカの土地は広く直通列車に乗ったとしても都市への移動はそれなりに時間がかかる。とくに首都からローズマリー領までゆこうと思えば半横断と言う形になるため、12時間以上は掛かりほぼ一日がかりの移動となるからだ。
「乗りっぱなしは辛いからマグノリアで一休みだけど……」
「交通費の話してるんだよ……」
調べると確かにマグノリア領までは、大学の教科書費ぐらいは必要で驚いてしまった。ローズマリー領も足せば2倍になり、宿泊費も考えると学生にとっては難しい金額なのだとわかってくる。
キリヤナギが言葉に迷う最中、ふとククリールをみると、彼女はマグノリア領の旅行誌を興味深く眺めていた。
「ククは来てくれる?」
「……いいですけど」
「おや、珍しい」
「……このマグノリアの旧王城が、以前から気になっていたので、こちらに行くのでしたらご一緒したいですね」
雑誌で広げられたのは、マグノリアにある古城だった。それはこの国がオウカとして新たに建国された時、ガーデニアからの侵略を防ぐ為、山が盾となる山岳地帯の奥へと造られた。マグノリア領の北東にあるそこは、防衛には適しても移動に手間がかかる為、ある時期に今の場所へ移されたと言う。
「現在では文化財として、我がマグノリア家が管理を行なっている。城としての機能はもうないが博物館のようになっているな」
「へぇ、面白そう」
「この時代は、未だほとんどがガーデニア式の文化で今の桜花のように様々なもの入り混じる雰囲気とは違い、統一された美しさがあるとも言われています。見る価値はありますね」
そう楽しそうに語ったククリールに3人は驚いていた。気づいた彼女は顔を真っ赤にして雑誌を閉じてしまう。
「ここに行かれるのでしたらご一緒してもよろしくてよ」
「ありがとう」
「姫……」
「ヴァルサスはどうする?」
「一般の俺にそんな金ねぇよ。往復交通費だけでバイト一ヶ月分じゃん……テスト期間もあるのに」
「王子が我が領地へくるのなら領主として歓迎せねばならない。一人くらいどうにかしてやる」
「アレックス、マジか?!」
「貴様の父には世話になった。子が会いにゆきたいと言うのを叶えるのは筋だろう」
「アゼリア卿だよね。実はセシルが、マグノリアに行くなら合流するって話をしてて」
「親父と?」
「うん。先輩とククが来てくれるなら僕の親衛隊とアゼリア卿の隊で人数がちょうど良いみたい」
「なるほど、それならばローズマリーまでの言い訳は通るな」
「いいのかよ」
「断るなら構わないぞ?」
「いくいくいく!」
ヴァルサスの目が輝きローズマリー領の旅行雑誌を手に取ってくれる。アレックスはそんな様子を微笑で眺めていてキリヤナギはあえて何も言わなかった。
アレックスは、公爵家として市民を懐柔する方法をよく分かっている。
「つーか、みんな準備ってどうすんだ? どうせなら一緒に行かね?」
「準備?」
「買い出し? 水着とかいるだろ?」
首を傾げている3人にヴァルサスはようやく気づいた。彼らは貴族だった。
「ぁあああ! 俺が庶民だったよ! 悪かったな!」
「えっえっ、どうしたの!?」
「水着を選びたいならうちに来て選ぶか?」
「アゼリアさんは、よくわからない事でキレられるのですね」
ヴァルサスの提案にキリヤナギはとても新鮮な気持ちを得ていた。旅行の前の買い物は、キリヤナギも初めてではないが「学生の友人」と行ったことはないからだ。
「ねぇヴァル、買い物行こうよ。僕、雑貨屋さんはよく行くし」
「雑貨じゃねーよ! スポーツショップだろここは!」
「え"」
「そう言う所なんだろうな……」
ククリールは呆れていた。
結局、テストが迫る最中では遊びに行けず、買い物は長期休講へ入ってから行く事となる。
そしてその日は、テスト期間前の最後の生徒会会議の日だった。月に一度開かれる会議は、前の月に決まった議題の進捗を確認したり新しいことを話し合う物だが、今月は催事もなく生徒達に寄せられた不満を読み上げる平和な会議が続く。
「先月、広報部の方へお願いした体育祭に向けてのチラシの手配は進んでいますか?」
「まだデザインばかりか、担当顧問も決まっていないのでどうとも……」
「そうでしたか。それなら去年担当した教授へ私が打診しておきましょう。明日の一限で会いますから」
「お願いします。会長」
「風紀委員の方はいかがですか?」
「大学の校舎裏の問題になっていた生徒の溜まり場ですが、先日確認へ向かった所、片付けられていました」
「あら、よかったです」
「他にもゴミの投機も減っていて、改善はされているかと」
「そうでしたか。何よりですね」
シルフィの笑顔に、横へ座るキリヤナギは安心するが、キリヤナギへ渡された「やる事リスト」に含まれていた内容に近く首を傾げてしまう。
「執行部の方は如何ですか?」
「えーっと?」
「活動報告で大丈夫ですよ」
「食堂に卵料理がなかったので、出せるように動きました。今は普通に並んでいます」
「あら、もう数年どうにもならなかったことだったので、みなさん喜ばれるでしょう。ありがとうございます」
「他は、学園で猫を飼えないか? って言う提案ですが、飼育場所もないし里親をウェブでさがしたところ、先日連絡があって引取り手もみつかりました」
「素晴らしいですね」
シルフィはとても嬉しそうに返してくれるが、他の生徒はまるで淡々と聞き流しているように見えた。
続けてゆくシルフィの声と書記の生徒のタイプ音のみが響く教室で、キリヤナギは音を頼りに書記の生徒を探すが、何故か見つけることができない。
「では、本日の生徒会会議は以上です。これからテスト期間へと入りますから、皆さん頑張って下さいね」
生徒達は徐々に解散してゆき、キリヤナギはもう一度書記を探すがやはり見つからない。しかし『席』はあり、置かれているデバイスには議事録がつくられていた。
「王子は帰られないのですか?」
「帰るけど、ここの席の人居ないのかなって」
「あら、ちゃんと【居ます】よ。でもお仕事の邪魔をしては行けません。今日はお先に失礼しましょう。彼女はとても恥ずかしがり屋なのです」
そうなのだろうかと、キリヤナギはうまく理解が出来なかった。
ジンに迎えに来てもらったその日は、何故か学校を出るまでに視線を感じたが、いつの間にかそれも消えて普段通りの帰路だった。
「ジン、透明人間になれる異能ってあったっけ?」
「【認識阻害】? でもあれは、光の屈折を利用した迷彩に近いんですけど」
「そうだよね」
【認識阻害】は見えなくなるが、透明になっているわけではない。目のいい者ならば影を見なくてもわかるが、対面戦闘だと凝視することもできない為、影が効率がいいとされている。
生徒会室の席は影もなく本当に誰も座って居なかった。
「おばけ……?」
「またすか……?」
シルフィは確かに【居る】と言っていた。しかしキリヤナギには見えずまるで謎かけのように思えてくる。
「居るのに居ないと言うか……居るみたいなんだけど……」
「それは確かに怖いっすね……」
怖いわけではないが、夏も近く思わず震え上がってしまう。前に見たものは悪いものではなかったが今回はまた得体が知れないものだからだ。
王宮に帰ってもノートをまとめ、出来るだけ勉強時間をとる彼を、周りは密かに応援しテストへと備えてゆく。ゆっくりとそして早々に過ぎてゆく日常の最中、雨予報その日は、夜からは嵐がくるとも予報されキリヤナギも早めに帰宅するように声がかかっていた。
曇っているが、所々に日がさす天気にヴァルサスは気にした様子もなく三限へと向かう。
「今日降るのかなぁ?」
「どーせ外れるよ。当たったことあったか? 天気予報」
「昨日当たってたよ?」
「たまたま!」
確かにオウカの天気予報は的中率が低い。それこそ逆の方が当たるとも言われるぐらいには当たらず、その日は傘を持つ生徒の数もまばらだった。
「じゃ、俺、兄貴に買い出し頼まれてるから今日は先に帰るな」
「うん。気をつけてね」
「四限がんばれよ!」
金曜日の四限は、一回生の必修授業だ。先日は気づいて居なかったが、ミルトニアがいると知り、酷く緊張して授業を受けてしまう。
「王子……」
授業が終わり去ってゆく生徒がいる中、数名の生徒が弱々しい声で話しかけて居た。初めてみる彼らはおそらく初対面だろう。
「こんにちは、君たちは?」
「あのさ、選挙の時にやってた、困ってたら手を貸してくれるってヤツまだやってる?」
「え、やってないけど、必要なら手を貸すよ。どうしたの……」
「ありがとう、急いでるんだ来て欲しい!」
手を引かれ、キリヤナギは生徒と共にクラブ棟へと連れて来られた。そして野外の置かれている巨大なそれに衝撃を受ける。
木造のそれは、組み立て途中の「飛行機」だった。
「今日嵐が来るっていうから、これこんなとこおいとけなくて、一時的に体育館借りれることになったんだけど、俺ら3人じゃ運べなくてさ」
「これ、作ったの?」
「うん。ガーデニアの宣伝映像みて、見様見真似だけど……」
「すごいね。わかった、一緒に運ぼう」
「ありがとう王子!」
手作りの飛行機は重く、たしかに3人で運べる重さではなかった。またクラブ棟から体育館までは距離があり強い風が吹けば飛ばされそうになる。
壊さないようゆっくりと慎重に歩いていると、運動場で片付けをしていた運動部が気付き、手を貸してくれることとなった。より大勢で早く進み体育館に着く頃には、体力を使い切って座り込んでしまう。
「ありがとう王子!」
「よかった。野球部の人たちもありがとう!」
「うっす」
「王子も気をつけて!」
皆が急いで戻ってゆく最中、キリヤナギも雨が降る前に学園の本館へと戻る。が、本館へ着いた直後に雨が降り出し、それはバケツをひっくり返したような大雨に変わった。
飛行機の格納が間に合ってよかったと言う安堵と傘を持って居ない絶望感が同時に来て、キリヤナギは仕方なく一人で屋内テラスへと向かう。
『だからあれほど早めにご帰宅下さいと言ったではないですか!』
「ご、ごめん、セオ……」
『全く……既にセシル隊長とジンが向かいましたが、この雨で交通網が麻痺してしばらく時間がかかるでしょう。どうか安全な場所で待機されていてください』
「わかった。大人しくしてる」
屋内テラスの窓の向こうは、夕方なのにまるで夜のように暗い。キリヤナギは仕方なく自販機で飲み物を買い、勉強をしながら迎えを待つ事にした。
巡回する騎士が数十分毎に姿を見せ、監視されているのがわかり複雑な気分にもなる。目を合わせないよう気をつけ、入り口が見える場所で一人勉強をしていると、一瞬、強烈な視線を感じて顔を上げた。
入り口には誰もいない。気のせいかと思えば、後ろからも感じて振り返るがやはり居ない。【認識阻害】の影もない。
キリヤナギは冷静になり、考察をすることにした。シルフィは確かに【居る】と言ったのだ。よってまずは【存在する】と仮定する。居るものが居ないのは、概念的には【人の目で見えない】からだ。その上で「それは透明ではない」と言う前提の元「なぜ見えないのか」と考察する。
居るものが見えないのはどう言う状況かと考えるとそれは「視界にいないから」だ。二つある人間の目の死角へ動いているなら、たしかにそれは【見えない】。そして、それを実現できる異能を考える。
シルフィの言葉が【見えていた】からこその返答なら、それはキリヤナギの見えない位置にいたと言う事にもなるからだ。
見えない位置。人の目線がそちらを向く前にわかる異能にキリヤナギはピンと来た。そして、しばらく勉強するフリをした後、キリヤナギは振り返る『振り』をして振り返らなかった。
そして新たに見えた腕を掴み捉える。
突然腕を掴まれた彼女は、絶句して驚いていた。短い金髪を揺らし顔を真っ赤にしてしどもろどろしている。
「みつけた。こんにちは」
「で、ででで、殿下、ごごごきげんよう!」
「【未来視】?」
「え、は、はい。よく分かりで……」
人の視線の動きに合わせ、死角へと移動する彼女は、【未来視】によってそれを完璧にこなしていた。間違いなく【プロ】で、キリヤナギも前提知識がなければ見つけられなかっただろう。
「すごいね。騎士?」
「ちちち、違います。学生です」
「学生??」
「はい、はじめまして、リーシュです、リーシュ・ツルバキア……以後お見知り置きを!」
「ツルバキア……?」
「え、あ、違います! 確かに、リーリエ・ツルバキアの妹ですがーー」
「ふーん」
半パニックに近い言動に、キリヤナギは半信半疑だった。ツルバキア家は、宮廷騎士団の一部隊、ツルバキア隊を率いていて、同じ名前を持つ彼女は騎士貴族だと判断ができるからだ。学生なのに【未来視】を持つ彼女に膨大な疑問が浮かぶがそれ以上にほっとしたことがある。
「居てよかった……」
「はい??」
幽霊だったらどうしようと、不安に思っていた王子もいた。
リーシュはあまり話したくはないのか、緊張して固まっていてキリヤナギはそっと手を離す。
「僕に用事かな?」
「と、とくには、その、みんな帰って寂しかったんですが、殿下がいたので……」
「僕は帰り損ねちゃって、リーシュも?」
「は、はい! 恥ずかしくて【未来視】使ってしまい、まひた」
噛んでいる。恥ずかしがり屋なのは聞いていたが、話すことも苦手なのだろうと理解する。
「生徒会だよね?」
「え、は、い。書記……です」
「いつも丁寧に議事録を取ってくれてるから助かってる。ありがとう」
「ひぇ、と、当然です! で、殿下も、ちゃんとお仕事されているし、リーシュはびっくりと言うか……」
「びっくり?」
「こ、この、この学校の生徒会……って、貴族さんが、一般平民の学生さんに、仕事押し付けがちと言うか……」
なるほどとキリヤナギは少しだけ納得がいった。会議の違和感は、別の役員の仕事をキリヤナギへ回されていたのだろう。シルフィなら確かにあり得そうだと過去を思い出す。
「シルフィと仲良しなら3回生?」
「かか、会長とは2回生の時にお世話になって……わ、わたし23歳なので」
「えーー」
「りゅ、留年とかではないんです! 20歳まで専門みたいなとこだったと言うか……」
キリヤナギは、しばらくリーシュを見つめて察した。
「シルフィって優しいから、確かにイメージしやすいや」
「はい。こんな性格で、全く馴染めなかった私も拾い上げてくれて……、できる事はやりたいなって」
「わかる。僕も何ができるかなって立候補したし」
「本当ですか?! やっぱり会長はすごいです」
リーシュが意気揚々と語るのが楽しそうで、思わず笑ってしまった。彼女は再び顔を真っ赤にして固まってしまう。
「僕、テスト勉強してたんだけどリーシュも一緒にどうかな?」
「いいんですか? でも学年が違うような……」
「学科も違う?」
「政治専攻科です」
「一緒だ。僕、歴史苦手だから良かったら教えてほしくて……」
「私でよろしければっ!」
まだ雨は、止みそうにはなかった。
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