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第30話 板挟み

「はぁー……」


 雨が降るその日、キリヤナギは自動車に乗り込みセシルとグランジによって大学まで送り届けられようとしていた。

 王宮からでてすぐに発されたそのため息に、グランジは僅かに反応をしめしセシルすらも苦笑している。


「妃殿下ですか?」

「セシル聞いてる?」

「今朝ご連絡を受けました。殿下は騎士に任務には関与されないと」

「ちゃんと返事もしてないのにさ」

「そうだろうと思いましたよ」


 バックミラーに写るセシルの表情は笑っていた。元ミレット隊にいたセシルにとって、この手の事案は「よくある事」で、クラーク・ミレットの時は報告すらさなかった事もある。つまりキリヤナギは報告されるだけマシだとも思えていた。

 返事をしないまま対話を打ち切っただけなのに母は「説得した」と誰よりも早く騎士へと伝えその事実を押し切ろうとする。


「妃殿下も殿下のご無事を祈ってこそのものでしょう、私どもは気にされず」

「納得いかない」

「御心配されずとも騎士は別働隊を派遣し、捕らえた敵を殿下の元へ連れて参ります。よって『奪取』のみは許可をいただけるように交渉しようかと」

「ふーん……」

「クラーク・ミレットもまた殿下の久しぶりのご旅行に水を刺すのは違うと改め作戦を練っております」

「僕だって戦えるのに」

「お心遣いは痛み入ります、殿下」


 久しぶりに煮えぎらない感情を抱え、キリヤナギはその日も大学へと登校する。もう数週間でテストが控える授業は、皆が真面目に授業を聞き入り、キリヤナギも撮影されたノートを参考に理解を深めていた。


「お疲れさん」

「ヴァル……」


 今日は雨で少し遅れ、二人は席を並べる事ができなかった。渡り廊下を通る屋内テラスは、雨が降ると服を濡らしてしまうため、ククリールとアレックスは来ないだろうとも考える。


「雨これ当分無理だな」

「うんー、憂鬱」

「そう言う日もあるって」


 ヴァルサスはお弁当を広げ、水筒を片手に手をつける。ぼーっとそれを見ていたら、ふと素朴な疑問が浮かんだ。


「ヴァルって、家族と喧嘩する?」

「喧嘩? 普通にするぜ?」

「どんな風に?」

「え、大体は説教かな? 納得行かなくて反抗したら殴られたこともあるけど……」

「殴られるんだ? 誰に?」

「父さん? でもめったにないぜ。前は中学の時だし」

「へぇー……」

「王子は?」

「殴られた事はあるけど、あんまり覚えてなくて、昨日母さんと喧嘩したからヴァルは普段どうしてるのかなって」

「母さん? そりゃ面倒っーか、逆らえなくね?」

「そうなの?」

「うちの場合だけど、使用人1人だしカエデで回せない家事は、母さんと兄貴でまわしてるからさ、働いてもいるし文句いえねーもん」

「そうなんだ……確かに僕も晩御飯作ってもらってるから……」

「ハイドランジア王妃すげーな」


 ヒイラギは元々料理が好きで、学生時代からお菓子作りが趣味だったとも聞いている。キリヤナギにとって、母の料理は当たり前でもあったが思えば貴族で料理好きは珍しいと認識を改めた。


「なんで喧嘩したんだ?」

「僕のこと心配だから、危ないことするなって……」

「当たり前すぎね??」


 説明を省くとたしかに「当たり前」で、思わず頭を抱えてしまう。


「お前あぶなっかしいんだよ。悪い事いわねぇから、喧嘩したなら謝っとけ」

「僕だってちゃんと考えてるのに」

「そう言うとこだよ……」


 思えば全て話しても、同じ言葉が返ってきそうでキリヤナギは一度考えをリセットした。母のあの言葉が、キリヤナギへの不安から得たものなら取り払えそうだとは思う。


「母さんの心配ってどうやったら拭えるかな?」

「ヒイラギ王妃のことそんなしらねぇけどさ。王子の場合、怪我せず帰ってくるってだけでも安心するんじゃね? 誕生祭の前なんて襲撃されるわ大怪我するわで大変だったじゃん。俺ですらヒヤヒヤしてんのに親とかまじ気が気じゃねーだろ」


 思えばその通りで、ヴァルサスの言動から自身の日常の異常性がわかってくる。キリヤナギにとっては敵の襲撃など「時々あるもの」で、それは冷静に対処すべき事だと考えていたが、それは本来「あってはならない」事なのだ。

 経験上、いつのまにかその対応は「自分でやるもの」と言う認識が勝ち、責任が発生しないジンを頼ってどうにかしてきたが、母は何も言わずともそんなキリヤナギに不安を募らせていたのだろう。騎士の仕事に関わるなと言うのも、身の安全を第一に考えろと言う意味なら、確かに理には叶っている。


「王子の場合、心配しなくていいぐらい信頼を積み上げねぇと無理じゃね? 大変だけどさ……」

「……そうかも」

「わかったら謝っとけ」


 ヴァルサスに言われると自分の行動に客観視ができて、反省もする。キリヤナギが当たり前に認識していたことは、ヴァルサスにとってはあり得ない事で、母は子供がそんな環境にいるのが耐えられないのだ。


 雨は結局止まず、その日の授業を終えたキリヤナギは、路線バスに乗って帰ると言うヴァルサスを見送り、セシルの自動車で帰宅する。

 隣のグランジは、ぼーっと外を眺めるキリヤナギに目線を向けるが、結局何も喋らないまま宮殿へとたどり着いた。


「ちょっと母さんにあってくる」

「……!」


 珍しいとグランジは少し驚きながら、同行していた。



 オウカ国の南西にあるローズマリー領。豊かな土地が広がるそこは、殆どが農地へと利用され、放し飼いにされる家畜達が穏やかに日々を過ごしている。

 また土地の東側には山岳地帯があり、山を麓には深い森も茂っていて昼間でも暗く人々の足を阻んでいた。

 そんな日が暮れてくる森の深層へ、迷彩シートを被せられた巨大な機器が存在する。森に紛れ込めるよう深い緑の塗装がされたその機器は、プロペラとエンジンを搭載した、飛行機器、「飛行機」だった。

 その羽根の下で簡易なバーナーで湯を沸かしコーヒーを飲む数名の人間がいた。

 一人は赤髪の女性。もう二人は黒髪と金髪の男性でもある。


「温まったかな? マリア」

「ありがとう……クードさん」

「さぁ、どうしますかね……」


 あぐらを描き頬杖をつく黒髪の男は、アロイス・フュリー。彼は以前、【身体強化】を盗み首都で自動車水没事件を起こして逃げ延びた異能盗難犯でもあった。隣に座る金髪の男は、クード・ライゼン。オウカ人の彼は、ウィスタリア領で運営していた会社が倒産し、身の庇護を約束して彼らへ異能【未来視】を売った共犯者だった。

 そして、最後はマリア・ロセット。彼女はアロイス・フュリーと共に、外国より王子を狙い現れメイドのマリー・ゴールドとして身を潜めていた工作員でもある。

 マリアは誕生祭のあの日。アロイスの飛行機でローズマリー領へ不時着し、待ち合わせていたクードと合流した。クードは、役目を終えた二人が国を出ることから、それに便乗するために同行しているが、彼はすでに貸与した5名の工作員を王子に奪取され【無能力】となっている。


「どうやって国を出る? この飛行機は使わないのか?」

「悪いが二人乗りなんだ」

「は?」

「【無能力】なら、捕まらないのではないですか?」

「い、異能は、貸与されたらその情報の全て公爵の元で記録される! 【無能力】になっていたとしても定期的な検査でバレるのも時間の問題だ」

「意外と厳しいのですね」

「そもそもお前達はどうやって盗んだ??」

「プロですから……」

「死んだら検査できないと思いません?」


 アロイスの言動にクードは震え上がっていた。マリアもまたよく見ればその目は冷ややかで、クードは口を噤んでしまう。


「でも、身の安全を保障すると言ったのは我々なのでご安心を、ちょっと遠回りですが必ず我が国へとお招きしますよ」

「あぁ、助かる……。ルートは、聞いても良いのか?」

「えぇ、この山を超えた向こう、ライゼンさんの故郷ですね。ここを通って国民に紛れて東の国へと向かいます。入国しそこから北上すればゴールです。我が国へ入れば追っては来れないでしょう」

「なるほど、ウィスタリアと東国は確かにビザスルーだが……国境の審査は厳しいぞ」

「ご安心を、我々はジギリタス人ではありますが、東国人としての証明を持っています。オウカ人の証書は電子サーバーからの通信が必要で難しいですが、東の国はまだまだチープなので……」

「プロだな。でも私にはそんなものはないが……」

「マリア」


 アロイスの言葉に合わせ、マリアは荷物から一枚の証書を取り出す、それは「婚姻届」だった。


「ここに偽名を書き、東の国で結婚すると通せば、詳しい審査は本国でやると一応は通されます。そのまま期限前に出れれば勝ちですね」

「と、とんでもないな……」

「どちらと結婚します?」

「ま、マリアしか選択肢がなくないか??」

「私でもいいんですよ?」

「遠慮する」

「忘れないうちに書いておいてください」


 照れもしないマリアの言葉は、冷え切っているが、先程「ありがとう」と言われたことがクードはとても引っかかっている。その言葉は、相手を思えなければ出てこない言葉だからだ。

 日が暮れて静かになる森へ、小さな電子音が響く。マリアは迷わずポケットからデバイスを取り出していた。


「大丈夫なのか?」

「さっき街にいた市民から擦ってきました。アロイス、騎士団がそろそろ動くみたい。残った人逃げると」

「そうか、無事に再会できることを祈ろう」

「あと今月末、王子がここへくる」

「ほぅ?」

「記念旅行みたい。護衛の数は不明」

「手ぶらでかえるよりかはいいか?」

「お、おいまて、亡命はどうなった??」

「すいませんね。私達はこちらこのまま帰ってもお仕置きがまってるんで」

「追手も来るみたい。どうする?」

「……」


 アロイスはクードを睨みつけ彼は震え上がっていた。



「殿下が、妃殿下に謝った??」

「うん。僕も信じられないんだけど」


 リビングでセオとグランジと共に夕食を取るジンは、セオから発された言葉を思わず聞き返してしまった。それは今朝の登校時に愚痴を漏らしていた事でもあったからだ。


「要約すると、妃殿下の気持ちを蔑ろにしてきた事に反省して、今回は関わらないようにするって、でも騎士に負担を掛けさせたくないから、安全を確保した上で奪取だけはさせて欲しいってさ」

「どうだったの?」

「妃殿下からしたら、わかってもらえた事が本当に嬉しかったみたいで、必ず帰ってくるならそれでいいって」


 ふーん、とジンはピンと来なかった。しかし、キリヤナギの約束を大切にする姿勢は信頼もあるため親子ならこれでいいのだろうと納得する。


「なんつーか、本当真っ二つ……」

「本当にね、殿下も苦労されてるよ」


 父に「取り返して来い」と言われたキリヤナギは、王妃に「それはやるべきではない」と諌められている。

 今回はキリヤナギが、王妃の心境を汲み取ってでの決断だったのだろうが、きっとこのような事案は今回だけではないのだ。どちらが正解かもわからずどちらをとっても片方の気持ちを捨ててしまう環境はまさに板挟みとも言える。


「二人で話せばいいのに……」

「陛下と妃殿下が会議にいたら、今回の場合修羅場だよ」


 思い出せば昨日、キリヤナギは会議に王妃がいるかどうかを聞いていた。つまり、居ればどうなるかわかっていたのだ。王は冷静に会議を進める為に王妃を締め出したが、結論を聞いた王妃はそれを諌めやめさせようとした。

 臣下のジンですらも頭を抱えたくなる状況に言葉が出ない。


「シダレ陛下なんて?」

「殿下に何があって欲しくないのは妃殿下と同じだから今回はノーコメントだったよ。奪取はゆるされたからね」


 会議の雰囲気は、確かにシダレ王も王子の参加に反対していた。よく言えば妥協案に落ち着いたとも言え、悪く言えば結論をキリヤナギへ押し付けたとも言える。

 病むなぁとジンは呆れを通り越してため息をついた。


「そう言えば、妃殿下が作戦に参加しないなら提案されてさ」

「提案?」

「友達といってはどうかだってさ」


 ジンもグランジも、顔を上げて驚いていた。

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