第29話 午後のティータイム

 ヴァルサスとアレックスを待つかと悩んだ時、ふとキリヤナギのデバイスへメッセージが届く。

 それはカナトからのものだった。キリヤナギからはよく連絡をするが、カナトから来るのはとても久しぶりで驚いてしまう。

 内容は、ガーデニアの新作お茶菓子が手に入ったと書かれているが、これはおそらくフェイクだ。カナトがこうして呼び出す時、大体が口頭でしか話せない事でもある。

 キリヤナギは、その日の迎えにグランジが来ると聞いていたが敢えてジンを呼び出しアークヴィーチェ邸へと向かった。

 入り口には、使用人が待機しており2人は丁寧に応接室へと通される。カナトの部屋ではないその場所は、あきらかに普段通りでは無い。


「ご機嫌よう。突然呼び出してすまない」

「カナト、久しぶり」


 現れたカナトに変化はない。彼はティーセットを持ち込んだ使用人を追い出し、自分で2人へ給仕してくれる。


「ジンも座ると良い」

「お、おう……」


 要人を迎えるここは、主に外交的な会談にも使われる重要な部屋だ。窓はあるがそこに人は立ち入れない構造になっており声も外には漏れない。

 カナトが座る後ろの壁には、ガーデニアの国章が下され、同方角にガーデニアが存在する。

 逆側には、オウカの桜紋がかけられ、まるで向かい合わせにに国境があるようにも見えた。

 カナトはジンが座ったのを確認し、ワゴンから鍵付きのケースを取り出す。


「誕生祭は見事だった。私も楽しませてもらったぞ」

「夜会で話せなくてごめん。忙しくて」

「謝らなくて良い。その上で成り行きは全て聞いている」


 カナトの真剣な表情に緊張が走った。そしてこの部屋に招かれた理由を、2人は大方理解する。

 誕生祭の裏で起こった襲撃は、公には伏せられているが、ガーデニアはそれを把握したと言うことだろう。


「安心してくれ。我が国は誕生祭にて襲撃された事実を公にするつもりはない。それは我が国とオウカの今後の和平を脅かすものにしないためでもある」

「それは?」

「キリヤナギ殿下への襲撃は、我が国によって行われたものではない」


 なるほどと、キリヤナギはほっと肩を撫で下ろした。オウカ上空を飛来した「飛行機」の開発と運用ができるのは、今現在ガーデニアのみだとも言われていたからだ。それは数十年前に発明され、世界ではその特許を取ったとも話題になっている。すでに戦闘機は存在し、旅客機も間も無く運用が開始されるが、その間際で起こったこの事件にオウカの騎士団は、何も言わずとも関係性を疑わない訳がない。

 外交のアークヴィーチェは先手を打ち、ガーデニアのものではないと言う釈明を介して無関係である事を証明しようとしている。


「僕はそもそも疑ってなかったけど……」

「そうだろうな」

「殿下……」


 キリヤナギは冷静だった。むしろ初めて見て少し感動したほどでカナトに呆れられてしまう。


「キリヤナギはそうだろうが、外交としてこのぐらいは必要だ。今回は、その内容証明をキリヤナギから騎士団へアプローチしてもらいたい」

「いいけど、みんな聞いてくれるかな?」

「そちらも、今更こちらと争いたくはないはずだ。これを持ってゆけばおそらく回避はできるだろう」


 カナトの言葉に主語はないが、これは「戦争回避」だ。騎士団が本格的に動きだす前に、カナトは王子を呼び出し水面下で話を通そうとしている。

 このまま後手に周り、飛来した飛行機からガーデニアのものであると騎士団が断定すれば、裏切りとして戦争は避けられないからだ。


「そんな深刻?」

「当たり前だ。既にこの大使館から王宮へ連絡がつかなくなっている」

「マジ? どこから知ったんだよ」


 カナトは、ジンの疑問に答えてはくれなかった。無言で資料を広げられるとそれは、ガーデニアで開発された飛行機の物で、開発されたありとあらゆる機器が一覧され構造までもが記載されている。


「【千里眼】の騎士が、飛行機を見ているだろう? この一覧から該当するものがあるか確認をとって欲しい」

「どこかに輸出してる?」

「我が国で運用されているのは、戦闘機のみでまだ外国へ輸出の予定はない。もし機構一致した場合、我が国の技術も盗難にあっている可能性もある、その場合は別の対処を行おう。オウカの誠実な判断を求める」

「ジンは何か聞いてる?」

「その辺は全然ですね……、どっちかって言うと異能回収のが優先されてると言うか……」

「異能回収と、実機の回収は同時進行だろうな。回収しガーデニアへ見せるつもりだ」

「つーかすでに個人的な枠組み超えてね、これ?」

「これはいつもの王子とのティータイムだぞ? 何を話そうが自由だ」


 ジンが引いている。しかし、戦争回避としては、正解な立ち回りだとキリヤナギは冷静だった。オウカとガーデニアはあくまで「対等」で過去の戦争は、独立したオウカをガーデニアが再統合しようとしたものに止まり、占領もされていない。つまり片方が攻撃したともなれば、同等の力があるとも見れる二国は、その決着をつけるために戦うしかないからだ。

 今回は、オウカの国の要のキリヤナギへ襲撃が及び、騎士団は明らかな国への攻撃とみなしたのだろう。ガーデニアが敵に回った可能性を視野にいれ、騎士団が動いている。


「王子が封殺されていなかったのは、釈明の機会を与えられたのだと見る。争う気が無いのは安心したな」


 ジンも聞いていないのは、この会合が想定され程度認識していたからだ。公式の窓は閉じ、言い訳は一応聞くと言うスタンスだろう。


「ガーデニアは強そうなのに意外」

「戦って負ける気はない、が、我が国とオウカが争う事を望む『敵』がいる。それを忘れてはならない」


 なるほどとジンは納得した。オウカの北東、ジギリタズ連邦はガーデニアと同等の国力を持つとされていて、この平和はオウカとの和平によって維持されている。連邦によってガーデニアが攻撃されれば間にあるオウカは、ガーデニアと連携して戦いにゆき、それはオウカも同じだからだ。


「飛行機が、連邦のものだったら戦争?」

「それはシダレ王次第だが、手口を見る限りガーデニアになすりつけたいようにも見える。そんな証拠は残されないと思うぞ」

「連邦も飛行機作れるのかな……?」

「可能性は否定できない。だがもし設計図の盗難があったとすれば、それは我が国の落ち度だ。この場合、オウカへの『戦闘機』の輸出の前倒し視野に入れ、パイロットの育成の補助と浸透するまでの『空』の警護を担うまでは考えている。これは疑いが晴れた上でのことだがな」

「必死じゃん……」

「無駄な血が流れるのを鑑みるなら安いぞ」


 キリヤナギは、カナトの話を聞きつつ飛行機の資料に興味津々だった。戦闘機だけでなく旅客機や偵察器などもあり、コクピットの画像まで見ている。


「飛行機かっこいい……」

「殿下……」

「我が国にもファンは多いデザインだが、この中で見覚えのある機器はないか? ジンも見たのでは?」


 言われれば見ていた。2人で記憶を辿りながら探すと、偵察器の項目に似たデザインが存在した。色は違うがシルエットが三角にも見えプロペラのついた構造をしている。


「これっぽいかな? 黒だけど」

「なるほど、これはグライダー飛行のできるものだな。プロペラから推力を得つつ風にも乗れ、音を抑えることができる。飛行距離は千キロ程度か……やはり、我が国へ押し付ける為、デザインを寄せているのだろう」

「設計図を盗られた?」

「見た目だけの可能性もある。これは中身を見なければ証明ができないな」


 カナトの不安そうな表情に、キリヤナギは申し訳なくも思ってしまう。本来ならここでガーデニアではないと言い切りたいが、王子にその権限はないからだ。


「僕からも出来る限りガーデニアに矛先が向かないよう努力してみるよ」

「その言葉だけでも多くの人々が救われるだろう。私ができるのはここまでだ、あとは頼む」

「わかった」


 カナトは最後にキリヤナギと握手をしていた。「いつもの」ティータイムを終えた王子は、ジンにケースを持ってもらいその日は足早に王宮へと戻る。

 するとリビングには、すでにセシルとセスナが待機していた。


「おかえりなさいませ、殿下」

「セシル、ただいま」

「アークヴィーチェ邸は如何でしたか?」


 知られていてジンはゾッとした。キリヤナギは動じず当然のように受け取っている。


「いつも通りかな?」

「何よりです。この後、陛下が少しだけ話したいと仰せですが、私もご同行致しますのでご参加願えませんか?」

「母さんもいる?」

「妃殿下には、今回はご遠慮頂いております」

「じゃあ参加するよ」


 ジンは、間も無く定時でセシルがいるのならば問題はないと口を開く。


「分かりました。じゃあ俺は事務所にーー」

「ジンも参加だよ」

「え゛っ」


 セスナが後ろで吹き出していた。キリヤナギは早々に着替え、セシル、セスナ、ジンと共に、シダレ王が待っていると言う会議室へと向かう。

 広い部屋は、向かい合わせに豪華なテーブルが並び、1番奥の席へ父は座っていた。縦に並ぶ机には、アカツキ・タチバナとクラーク・ミレットも座って居て、キリヤナギもまた勧められた席へと座った。


「キリ」

「はい」

「アークヴィーチェはどうだ? 息災だったか?」


 目を合わせない父の言葉にキリヤナギは、息が詰まる思いだった。出来るだけゆっくりの呼吸して落ち着きつつ応える。


「はい。彼らは普段通りで……」

「そうか……」

「『タチバナ』は?」


 向かいに座っているクラーク・ミレットの唐突な名指しは、隣のアカツキへ向けられたものでは無かった。

 彼は、入り口で警護するように立つジンを睨んでいる。クラークのこの言葉は、ただ名を呼んだ訳ではない。王子の護衛として同行したことで「相手の態度はどうだったか?」と聞かれているのだ。


「不審な点は確認はできませんでした。殿下も無事に」

「そうか……」


 ガーデニアに戦争の意思はない。本当に戦う気があるのなら、王子が大使館に向かった時点でそれは大きなリスクになり得る。


「あまり彼らを疑うな。クラーク」

「しかし攻撃が失敗した可能性は十分にあるかと」

「……彼らはそんな回りくどいことはせんさ」

「……」


 シダレの言葉にクラークは返事をしなかった。そう口をつぐむのもシダレにとってのアークヴィーチェは、先王より関係性が続いているからにある。


「覚悟があるなら、既に彼らは帰国しているだろう。アークヴィーチェは『そう言う家』だ」


 ガーデニアの外交の窓口となるアークヴィーチェは、貴族であるにも関わらずその人望に熱いとも有名だからだ。

 国家的な利害はありながらも、約束は必ず守り、卑怯な手を嫌う。根回しを正当な方法でしか使わないそのやり方は、ガーデニアの貴族からは甘すぎるとの批判もあるが、その地道な積み上げにより、争い続けた2国はようやく現代の和平を手に入れた。

 アークヴィーチェの数世代をかけたこの『信頼』は、他ならぬこの家の最大の『功績』でもあり、捨てることはありえないからだ。


「何か言っていたか?」

「飛行機は、ガーデニアのものではないと……」

「そうか……」

「あまり外国へ情報を漏らすのは如何かと……」


 なるほどと、ジンは納得していた。シダレ王とウォーレスハイムは、それなりに親交があるとも聞いていて、彼が直接連絡したのならカナトが知っていた理由も通るからだ。


「父さん。アークヴィーチェ卿から預かってきたものがあります」

「ほぅ?」


 ジンがテーブルにのせ、ロックを外すと膨大な飛行機の資料がでてくる。シダレは呆れながら笑っていた。


「なるほど、相変わらずがめついな」

「がめつい?」

「こちらにその気がないとわかった上でのこれは、この機会に飛行機を買えと言う商談だろう。全く……」

「カナトは、飛来した飛行機がもしガーデニアの物と一致した場合。設計図が盗難にあった可能性があると言っていました。その場合は責任を取ると」

「そうか……、ならばならばならばやはり回収は必要だな……」


 シダレのため息は重く、誰も喋らない静寂の空間へと響く。この会議は、起こった事件からどう対処すべきかと言う王の結論を仰ぐものだ。


「例の飛行機はどこへ?」

「クランリリー家の報告からローズマリーりへ不時着したとの情報です。森林へ隠す様子が見えたと」

「そうか。持ち帰れそうか?」

「分解出来れば可能でしょうが……破棄されるでしょう。陛下の力も盗難の可能性が高い」


 クラークと目が合って、キリヤナギは強張ってしまう。シダレはそんな様子を見て彼を睨みつけた。


「なるほど。だが許さんぞ。クラーク!」


 唐突なシダレの怒鳴り声にキリヤナギは、強烈な恐怖を感じ身体が硬直する。セスナは、【読心】でそれを察したのか隣へ座って肩を撫でてくれた。

 そんな様子にシダレは、はっと我に帰ると咳払いをしながら口を開く。


「何が言いたい?」

「『陛下の力』を取り戻す為、この任務へ王子殿下に御同行いただきたいと考えております」


 クラークの提案に、キリヤナギはさらに衝撃を受けていた。かつて彼が親衛隊を総括していた頃には、考えられない提案で耳を疑って理解が追いつかない。


「騎士の都合にキリを巻き込まんでくれるか!?」

「お言葉ですが、陛下。この王宮へ工作員が多数侵入していたのは紛れもなく事実です。またストレリチアの身元確認から、未だ不明の人間も残っている」

「叩き出せ!!」

「公にやれば取り逃がします。ここは王子殿下の安全を最大限に確保してから動くべきかと」

「……クラーク。貴様はいつもそうやって私を言いくるめようと」

「シダレ陛下。どうか冷静なご判断を」


 会話を聞いていて、キリヤナギの恐怖も少しずつ薄れてゆく。クラークの考えはこの上なく『合理的』だ。敵が逃走する際、王子を手をかけぬようあらかじめ連れ出し、その間に掃討を行いたいと言っている。

 確かに旅行は、常に護衛が周りを囲っていても違和感はなく移動もする為、狙うには入念な準備が必要だからだ。工作員がいる可能性を秘めた王宮では、どのタイミングで手が及ぶか予測ができず逆に危険だと判断したのだろう。

 しかし、シダレの拒否するような態度もキリヤナギは少しだけ察していた。クラーク・ミレットは、栄誉騎士で信頼度の高い騎士とされているが、それはあくまで『形』だけなのだ。

 彼は王子を守り切ったが、結果的に王子へ悪影響を与えたばかりか王から王子へ関係性へ重大な誤解も生み泥沼化した経緯ある。


「キリを安易に利用することは許さん。王子は道具ではない。身を弁えろ!」

「ご無礼を……」

「……父さん」


 思わず口を開いてしまい更に緊張する。二人の視線がこちらを向くなか、キリヤナギは大きく深呼吸して続けた。


「クラークの話は正しい。ちゃんとみんなの事を考えてる。だから、気にしないでほしい」

「……キリ」

「それに、僕も協力したい。久しぶりに他の領地を見たい気持ちもあるから」

「クラークの言葉だぞ?」

「僕を守り切った騎士が、酷い事をする訳ないでしょう?」


 皮肉にも聞こえる王子の言葉は真実だ。感情論を抜きにした合理的な発言に、クラークは唖然としシダレすらも言葉を失っていた。

 キリヤナギは、そんな二人の返答を待ちつつもう一人の騎士へと目線を向けた。挨拶以降何も口にしない彼は、意見が必要はないと自覚をしているからだ。


「アカツキは、どう思う?」

「……殿下が前線へ出ることは、騎士として賛同は出来ません。しかし、『殿下が久しぶりに他の領地へ出かけたい』と仰せならば、我らはその意思に添い誠心誠意護衛すべきであると考えます」


 アカツキの言葉は、想像通りだった。クラークの言葉は、極限的な合理主義だが、アカツキの言葉は、感情的な面がある。つまりこの場でアカツキは、シダレ王の王子を守りたい言う気持ちを汲み取り、何も意見はしなかったが、意見を求められた事で、それが王子の意思なら少なくとも実行されるべきと説いた。


「父さん。僕は父さんの力を取り返しに行く。今まで騎士の皆へ迷惑をかけた分を返したい」

「それは違う。当たり前の事なのだキリ。その当たり前を遂行できなかった騎士は、それを全ての責任をキリへ押し付けただけにすぎない」

「……?」


 クラークは、深く頭を下げていた。当時何が起こっていたのか、キリヤナギは記憶が曖昧ではっきりとは分からないからだ。僅かに覚えているのは、父に殴られた事でその時に悪い事をしていたと自覚でき反省した事にある。


「騎士の任務へ付き合う必要はない。が、出かけたいのなら、アカツキの言う通りだろう」

「!」

「必ず戻ると約束できるか?」

「……はい。僕が選んだ騎士は、必ず役目を果たしてくれるでしょう」

「……ストレリチア」

「は、」

「飛行機も、『王の力』も捨てても構わん。やるなとも言わんが、私にこれ以上失わせないと誓えるか?」

「その際は、この身で責任を取る覚悟です。必ずや殿下を往復させて見せましょう」

「わかった。……クラーク」

「は、」

「疑って悪かった。貴殿への信頼はかわらん、これからも頼む」

「光栄です。このクラーク・ミレット。誠心誠意、陛下へとお仕えします」

「アカツキ」

「……陛下」

「クラークばかりにしゃべらせるな。何の為にいるのかわからないぞ」

「私は、陛下のお言葉に賛同していただけですが……」

「相変わらずだな……」


 シダレのため息は、何故か既視感があってキリヤナギはジンを思い出していた。『意思を大切にしている』といえば聞こえはいいが、その本質は『自分の意見が特にない』と言うことにもなるからだ。

 

 会議を終えたキリヤナギは、上機嫌で鼻歌を歌いながらリビングへと戻ってくる。ジンは今まで王と王子のやり取りを数ヶ月か年単位でしか見たことがなく。そちらの方が新鮮さを感じていた。


「陛下と話せるようになったんですね」

「え、うん……。普通に話すけど……」

「はは。確かに、ジンが見るのは久しぶりかもしれないね」

「きっかけがあったとか?」

「きっかけって程でもないけど、謝られてさ。僕も反省したと言うか」

「謝られた? 陛下に?」


 キリヤナギが言葉に迷っている。シダレからと言うのは間違いないらしくジンは、どう言う事なのかさっぱり理解ができない。


「色々あったんですよ。話せば長いんです」

「セスナさん……」

「どこから話すのがいいんだろ……、セオのがよく知ってそうだし、僕は言われてから、確かにそう言うこともあったなって……」


 ジンが居ない二年の間に起こった事なのだろう。ジンも親衛隊で全てを知らない訳ではないが、何が原因だったのか聞かされてはいないからだ。


 キリヤナギをリビングへ送り届けたセシルとセスナは、その日の役目を終えて騎士棟へと帰ってゆく。キリヤナギもグランジと食卓へむかいジンは、セオのいる事務所へと戻った。

 軽く掃除をしていた彼は、真新しい机に座るジンへお茶を出してくれる。


「あのさ、セオ。俺がいない2年で何があったの?」

「それジンが聞く??」


 ぎょっとしてしまう。困惑したような表情は、驚きも混じっていてジンは返事に迷っていた。


「殿下、シダレ陛下に謝られたって……」

「あーうん。でもそっか。ジンも聞いてないんだ……」

「な、何を?」

「王宮でのことかな? 愚痴とか聞いてると思ってたから……」


 机に体重をかけ、セオもお茶を啜っていた。ジンは、キリヤナギから王宮の事は話されては居なかった。騎士学校時代は、ある程度きいていたが、アークヴィーチェに行ってからぱったりとなくなり、ただ助けを求めてくる彼の手助けをするだけだったからだ。


「殿下。シダレ陛下に殴られたんだよ」

「え??」

「だからそのことをこの前、謝罪しておられたかな」


 言葉の意味が理解できず、ジンは混乱していた。シダレ王は歴代の王の中でも思慮深いとも言われ、決して暴力を振るうような王ではないと思っていたからだ。

 言葉に気をつけ子育てに至っては、諭す努力をしていたともアカツキからも話されている。


「どちらかといえば妃殿下のイメージなのに……」

「そうだよね。僕も本当に意味がわからなくて修羅場だった」


 王妃ヒイラギは、臣下達の中でも厳格だと言われキリヤナギを『王子』として育てたのも彼女だと言われている。その品格を損なわない為、身の振る舞いや思想などを叩き込まれ、今の王子があると言ってもいい。

 しかしそれでも、キリヤナギが出来るだけ周りの気持ちを大切にしようとしているのは、常に公爵を含めた貴族達に気を使う、シダレの背中をみていたからこそだ。

 王妃の貴族としての意志を貫き続ける姿勢と、王の周りとの調和を大切にする姿勢は、当然のようにぶつかって終わらない喧嘩を産んでいる。


「なんで殴られたの……?」

「うんまぁ、当時はシダレ陛下もミレット卿にかなり思い入れあってさ。妃殿下と陛下の両方の意見をうまく汲んでやってくれるから、みんな助かってたんだよ、僕らもだけど……」

「……」

「でも殿下は、よくお一人で出かけられてさ。その度に護衛騎士と一緒にペナルティ受けたりとか、それを懸念しての定期的な確認作業とか色々あってね。騎士から不満も出てきたって感じかな……」

「……そっか」

「ジンは覚悟済みでしょ?」


 ジンはうなづいていた。数年前にキリヤナギへ手を貸していた皺寄せが、他の隊に向いているのは予想はできたからだ。


「陛下は筋さえ通せばいいってスタンスだったけど、寄せられる不満の中には、偏った意見の書類が増えていって次第に殿下への対応も厳しくなっていったんだよね」

「……」

「そんな騎士のストレスも殿下は、全部繊細に感じ取ってて、抜け出しもようやく落ち着いてきたタイミングだったんだよ、あの時は」


 今の特殊親衛隊が組まれる前、ジンはキリヤナギが顔を見せなくなった事に少しだけ不安を得ていた。

 それでもカナトには会いに来ていたが、本当にそれだけだった覚えがある。何があったのかと聞いても、話される事はなかった。


「妃殿下も悪気はなかったんだ。王子としての在り方を正そうとする殿下を、応援する気持ちもあったんだろうと思う」

「デバイスの件?」

「……うん。大学も受かったからね」


 その時キリヤナギは、初めて王に殴られたのだ。唯一の心の支えだった父から王子の資格はないと罵声を浴びせられ、心の全てを支えていた柱が粉々に砕け散った。

 自分の価値を見失い、誰も信頼できないと全てを諦めたキリヤナギは、以来誰も受け入れなくなってしまった。


「まぁ、起こった事は仕方ないし、今の殿下はもう前を向いてるから気にしてもしょうがないよ。ジンもジンなりに殿下の助けになってたから、誰も悪くないって僕は思ってるかな」

「……サンキュ」


 セオは、冷蔵庫のおやつをジンに分けてくれていた。


 一方で食卓を終えたキリヤナギは、部屋に戻る前に使用人へと呼び止められグランジと共に王妃の寝室へと向かう。

 キリヤナギの自室から逆側の廊下へあるそこは、王の居室とは階層を変えて設けられていて、キリヤナギはグランジと共にエレベーターを介して母の元へと向かった。

 紫陽花のペイントが施されたそのフロアは、ヒイラギの趣味部屋も存在し一見するとどこが寝室しかわからないように作られている。

 キリヤナギは奥から東側にある一室へ向かい、グランジを置いて使用人と共に中へと入った。

 食後のお茶が用意された母の寝室は、紫陽花で彩られる青の空間で、王子は一礼をしながらテーブルの向かいへと案内される。


「クラークから聞きました」

「はい」

「貴方の考える王子とは何か、言ってみなさい」

「国を象徴する、人々の未来のリーダーとなるべき位であり、それは特権によって成立する一つの冠であると」

「そこまで分かりながらなぜです? 貴方には学ぶべき事がまだまだあります。騎士の仕事に付き合う必要はありません」

「母さん。僕はクラークに迷惑をかけた分を返したいだけです」

「関係ありません。クラークはもう貴方の騎士ではない。王子ならば騎士を従え、自身の価値を示す態度を取りなさい。その毅然とした態度こそ人々は貴方をリーダーとして認めるでしょう」


 ヒイラギの言葉は、いつも正しい言葉ばかりだ。その本心は、子供を危険に晒したくないと言う母の愛とも言える。しかしキリヤナギは、いい加減にしてほしいとも思っていた。


「この一件は、他ならぬ僕の意思です。母さん。アカツキはそれを尊重するとも言ってくれた」

「……!」

「僕は、『父さんの力』を自分で取り返しに行く。そこになんの問題があるのですか?」

「王子の身分でやることではないと言っているのです」

「僕は王子であり、騎士でもある。騎士は民を守り国を守るもの、その僕がここで動かないのは理にかなってはいない」

「撤回しなさい。それは王子の位を卑下にしたことと同じですよ」

「……っ!」


 間が訪れ、使用人は戦々恐々と場を見ている。いつの間にか立ち上がっていたことに気づき、キリヤナギはもう一度向かいへと座った。


「セシル・ストレリチア。彼はとても信頼できる騎士ですね」

「……!」

「でもキーリ、貴方はそこまで思い入れていないようにも見えます」

「何故? セシルは、僕が親衛隊として自分で選んだ騎士です」

「本当に信頼しているなら、彼らにこそ全てを任せるべきだからです。同行する時点でその実力に不安があるのでしょう?」

「僕が同行するのは、『父さんの力』を持つ敵の護送にリスクがあるからでーー」

「護送できないほど、セシルは無能なのですね」

「そんな事はない!!」

「殿下」


 使用人の言葉に、思わず我に帰る。ヒイラギの目は真剣だ。そして、これが『母』

でもある。


「今日はこのぐらいにしておきましょう。私は他の領地へ旅行へ行くことには、特に反対はしていません」

「……!」

「捉えた敵の『王の力』を奪取せずに連れ帰ると約束できるのなら、その旅行を許しましょう」

「僕一人のために、どれだけの負担を騎士へ背負わせるのですか!?」

「貴方が関与しなければ住む事です。仕事は騎士に任せ、旅行を楽しんで来なさい」

「僕に、黙ってみていろと仰せですか?」

「『見なくてもいい』事を、見る必要はありません」


 ヒイラギは立ち上がり、目を合わせなくなったキリヤナギの前で膝をついた。手を握った彼女は身を硬くするキリヤナギを優しく、そして暖かく抱きしめてくる。


「母からのお願いです。キーリ、どうかこれ以上、危険な事はしないで……貴方は唯一の私の子。他は居ないのです」

「……」

「無断外出も、平民の友人宅へゆくことも全て許します。だから、これ以上その身を危険には晒さないでください」


 目を合わせる事ができない。母はとても暖かくその表情はまるで懇願するようだった。納得の行かないストレスと怒りが入り交じり、諭されようとしても「わかった」とはとてもいえない。


「ごめん、母さん……」


 キリヤナギはヒイラギの手を振り払い。逃げるように寝室を後にした。

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