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第25話 後片付け
そこには12名の騎士達が集っていた。
奥の壁へ国章の桜紋と橘紋が並べられた広い部屋は、宮廷騎士団の幹部達が集い、話し合いが行われる会議室でもある。
国章を背中に座る数名と、また向かい合わせに座る騎士達は、全員がおよそ1000名を超える騎士を従える大隊長の位をもち、その日は久しぶりに全員が揃っていた。
そんな重い空間で、セシル・ストレリチアは、真剣な表情で言葉を待つ。
「未だ年度の初まって数ヶ月だというのに、王子への襲撃を3度も許した事へ、何か言う事はあるか? ストレリチア卿」
初めに口を開いたのは、初老の騎士だった。茶髪にがっしりとした体格のか彼は、その容姿を象徴するような貫禄を持ち、セシルへと言い放つ。
宮廷騎士団、第二部隊、別名ミレット隊を率いるクラーク・ミレットは、わずかに笑みすら浮かべ、かつての部下へ問いかけた。
「言い訳はあるか?」
「前回も今回も殿下への接近を許した我々の落ち度です。何も」
「潔いが、経緯ぐらいは説明できるだろう。それぐらいは話せ」
セシルは、自分が想定していた事を全て、その場にいる騎士達へと話した。令嬢の拉致未遂から、王宮でのボヤ騒ぎ、自動車の水没、王子への襲撃と、【身体強化】をもっていたチンピラ、全ての事件に関連している可能性があると言うセシルだが、未だそれを断定する根拠がなく、幹部達は苦い表情をみせる。
「そこまで把握できていたにも関わらず、まんまと囮に気を取られ、殿下の側へ潜んだ敵を見逃したのは、親衛隊としてどう責任を取る?」
「ミレット卿。かの襲撃犯を取り逃がしたのは、その対策へ当たった我々タチバナ隊の落ち度でもある。ここは自前に敵の策略を把握できたことも評価すべきだとは思うが」
「『王の力』を宿した5名を3人で掃討したのは評価しよう。だが、最も厳重にすべきだった夜会において殿下を見失ったことは、近衛兵としてあってはならないことでは?」
「20歳となられた殿下は、この夜会で精神的なショックを受けられたとも聞いている。繊細なお方であるが故、騎士が気を使い、その場を離れたことは人間的な判断としては妥当とも言えないか?」
「なるほど、つまり騎士長・タチバナ。貴殿はこの不祥事においても、ストレリチア卿の甘々の警護を続行せよと言いたいか?」
「現状況下では、それ以上の対策はないと考えている。もし代わりたい者がいるならば、頼みたいが……?」
会議室が鎮まり帰り、誰も手を上げないことにセシルは思わずため息が出そうになった。騎士団と王子の問題は、今に始まった事ではなく、ここ数年単位での重要な課題とされていることだ。
騎士達に裏切られ続けた王子は、いつの間にか自身を囲う騎士へ信頼を失った。また幼馴染であるはずのセオやグランジですらも、既に相談対象から除外され、王子は王宮の外にいるジンへと頼りにゆく。
「かつて私もその任についたが、王命により降ろされ、後任のミレット卿の代で王子は抜け出しを覚えた」
「……」
「ミレット卿。貴殿の頃は確かに殿下への守りは強固だったが、結果的に19歳の誕生祭の中止を招き、かつ信頼も失った。今はそれを取り戻す為にも、あえて交代させないで置く方が賢明だと思うが……」
アカツキ・タチバナの言葉に、騎士隊長達は誰も口を挟まなかった。かつて彼が親衛隊長の役へ就いていた時、王子は彼を信頼し、日常のありとあらゆる事を親衛隊の彼らに任せていた。
王宮での困り事から外出まで、見習いのセオやグランジと共によく出かけて居たのに、他の領地へ家族で出かけ、行方不明になった事がきっかけにアカツキは責任を問われ下ろされてしまったのだ。その際に王子は自分を責め、後任についたミレットの元で守られていたが、外出から日々の行動までを制限する彼の方針に強く反発し、騎士の目を盗んで出かけ、アカツキと同じ「タチバナ」たるジンへ頼るようになった。
抜け出しが王に知れる度に軟禁は繰り返され、警備は厳重になり王子は疲弊して19歳の悲劇を招いた。見かねた王妃は、守り切ったミレットを称賛しながらも下ろし、王子を心身的に心配していたストレリチアをその地位へと据えた。
「ストレリチア卿、守れそうか?」
「失態を犯した身で、それを述べることは傲慢かと、しかし引き続き殿下との信頼関係の再構築へ努力し、周辺警護の強化を……」
「聞き飽きている。もっと別の対策案をだせ」
「殿下との信頼関係について、ストレリチア卿は十分な努力をしている。先日の拉致未遂事件にて、殿下は我がタチバナの人間が関わっている事を正直に話してくれた。アークヴィーチェからの報告内容にも誤認があり、殿下の言葉がなければ真実を得られなかった。これはストレリチア卿の努力の証明になる。対策案は今すぐ出なくても構わない。来週までに頼む」
「は、二度とこのような事がないよう最善を尽くします」
「次はないぞ」
皆が退出してゆく中、騎士長のアカツキ・タチバナは、セシルの肩を軽く叩いて出ていった。騎士達は皆、誰もこの国の未来を担う王子の警護はしたがらない。
王子が騎士を信頼しないのは、物心がつき信頼を学ぼうとした彼の心を踏みにじり、かつ不安定な時期に過度の抑制を行った自分達の所為でもある。セシルはかつてミレットの下に着き、そんな疲弊してゆく王子をずっと見ていた。
毎年行っていたハイドランジア領への帰省ができなくなった事に始まり、外出も制限がかけられ、些細な散歩ですらも安易に出来なくなった王子は、抜け出しを覚えその度にペナルティを受けるようになった。
王宮の周辺の警備がどんどん厳重になり、次第に部屋に閉じこもるようになった彼へ、ミレットはやっと落ち着いたと言ったが、周りの使用人達は王子が笑わなくなってしまったと酷く心配していた。
そして、19歳の春にそれは起こった。
大学へ入学する記念にと、王子は皆が使っているそれずっと楽しみにしていたのに、王はそれを許さなかった。あの時の彼の表情を、セシルは忘れられずにいる。生きていながらも希望を失い、自由はないと絶望した王子は、一度生きる意味を見失った。
唯一出ていた剣の訓練も参加しなくなり、授業にも出席出来ないほど体調を崩した王子は、誰にも会いたくないと全てを拒絶した。グランジとセオですらも受け入れず、ただの従順な人形ようになった彼に王妃は悲しみながらもミレットを下ろし、大隊長へ上り詰めたばかりのストレリチアへそれを頼んだ。
セシルは、まず王子へ自分は味方であると伝えた。敵ではないと、ただ守りたいだけであると、だから守らせてほしいと、王子は首を振って「どこにも行かない」としか答えてくれなかった。
セシルは過度な干渉を止め、抜け出しには気づいても大事にはせず、王子の希望には全て沿うようグランジとセオへ指示を出した。
責任は全て負うと、王子が隠せと言ったならそれでも良いとした。だが守りきれないことがあれば許してくれと話すと2人は何かを堪えるように「ありがとう」と言ってくれた。
そこから現在まできて、今に至る。約束は守り、王の干渉がある時のみ間へと入っていると、王子は自然と全てを話してくれるようになっていた。しかし、まだ甘すぎるとセシルは思う。気遣われている限り、王子と騎士の間にできた溝は埋まらず時間が必要であると自分の立場を憂いた。
アカツキは後任はいないとしているが、もし希望者が現れたなら、おそらくすぐにでもセシルは交代させられるだろう。そうなれば、王子との関係はまた振り出しにもどる。難しいと、ため息しか落とすことができなかった。
@
誕生祭が終わり、数週間が経っていた。
王子は学園に復帰し勉強へ力を入れる日常で、副会長となった生徒会も春学期とともに走り出してゆく。
生徒会会議は月に一度あり、第一回目は皆の自己紹介から始まった。
シルフィが会長として当選したことで、自ずと彼女の派閥にいた彼らがコアメンバーとなり活動をしてゆくが、役割はまだ決まっておらず、その日は役職の取り決めからはじまってゆく。書記や会計、広報などが経験のある3回生から優先的に割り当てられてゆき、気がつくと一つの役職しか残っていなかった。
「執行部?」
「うん、僕の役職!」
放課後に行われた第一回目の生徒会会議から一夜明け、次の日に屋内テラスへと集まった3人は、キリヤナギが嬉しそうに見せてきた生徒会腕章へ困惑していた。
生徒会選挙は、当選した会長と副会長が意欲的な生徒を集め役職を決めてゆくが、本来副会長は、会議や集会などで議題を円滑に進める役目を持つものなのに「執行部」という「決まったこと実行する役割」を任せられていることに困惑しかなかった。この「執行部」活動内容は、生徒会へ寄せられた困り事の解決や部活動の交流を円滑にするもので、副会長の役割とはかけ離れているからだ。
「思いっきり下っ端じゃねーか……」
「えっ、でもシルフィは、いろんな人と関われてやりがいあるって……」
「言いくるめられてるじゃない……」
「むしろなるべくしてなったようにも見えるな……」
うまく理解ができず困ってしまう。
手元には執行部の仕事がまとめられた「やる事リスト」があり、キリヤナギがどれからやるべきか迷っていると、向かいに座っていたヴァルサスが取り上げてくる。
「手伝って欲しいならそう言えよ」
「私は嫌ですよ」
「もっと他になかったのか? 二回生なら確かに順当だが、副会長の役職ではないぞ?」
「そうなの? 3回生のみんなはとりあえず慣れといた方がいいって」
「一年固定なのに、慣れも何もないだろ……」
何故かキリヤナギはハッとしていた。しかし、本音は皆がやりたがらない事へ逆に興味が湧いたのだ。
執行部は、シルフィが最初に立候補を募ったのに唯一誰も手をあげず、飛ばしてからスムーズに決まっていったからにある。
「へぇー意外とちゃんとした事やってんじゃん」
「そうかな?」
「この時期なら、おそらく前年度にやりきれなかった事だろうが……」
やる事リストは箇条書きにされていて、主に生徒達の要望や、困りごとの一覧だった。些細なものは、某所のゴミ箱は常にいっぱいで使いにくいとか、研究棟の階段裏の迷子猫を救いたいなど、うまくやれば解決できそうなものが並ぶ。
「あ、そうそうこれ、俺も気になってたんだよ」
「これ?」
ヴァルサスが指差した要望は、食堂のメニューに卵料理を増やして欲しいと言うものだった。キリヤナギは食堂を利用したことがなく、首を傾げてしまう。
「確かに、この学校の食堂には卵料理がない。この要望は私の時代からあったが緊急性はなく後回しにしていた」
「卵料理がないって、すごい制限されてそう」
「そうだな。実際メジャーな丼モノはなく、カレーや揚げ物定食ぐらいか」
「ハンバーグあるのは、評価できんだけど、同じものばっかりだし飽きたやつからみんな売店にいってるよな。俺も一回の時しか行ってなかったし」
「なんでだろ? 食堂の人に聞いてみたらわかるかな?」
「営業しているのは委託メーカーでメニューへ生徒会が関与できるか怪しいが……」
「ちょっと放課後にでも行ってみようと思う。気になるし」
「初仕事としては悪くない。生徒会として、『要望した』と言う建前だけでも、生徒にとってはありがたいからな」
「しょうがねぇな、付き合ってやるよ」
「ありがとう」
気がつくとククリールは、じっとこちらを見ていた。訝しげに、少し不機嫌そうな目にキリヤナギは焦ってしまう。
「ククもくる?」
「興味ありません」
「姫はそうだよな……」
そしてその日の放課後、3人は四限終わりに集まり、キリヤナギは初めて食堂へと足を運んだ。大々的に掲げられるメニューには、確かに卵料理はなく、うどんや蕎麦など卵を使わないものばかり並んでいる。
キリヤナギは早速、掃除している職員らしき女性に声をかけにいった。
「こんにちは」
「あら、王子殿下! ご機嫌よう!」
「初めまして、この食堂はなんで卵のメニューがないんですか?」
「良く聞かれるんですけどね、毎日の仕入れられる材料の中に卵がないんです。それも卵がある日突然こなくなって、それ以降要望しても入荷できなくてね」
「卵が入荷されない??」
「えぇ、3年前までは確かにきていて、その時は何かのミスだとは思ったんですが、どうやらそうでもないみたいで……」
「なんでだろう……? ここの委託メーカーは?」
「フラワーフーズです。生徒さんから直接本社へ要望を送って下さるなら、私も助かります」
「分かりました。ありがとうございます」
掃除へ戻ってゆく女性を見送り、キリヤナギも早速社名を調べてみると、学校や会社などの食堂を運営を受諾する会社で、全国規模の大企業だった。
「ヤマブキグループの企業だな。本社が首都にあり御曹司がここへ通っていた筈だ」
「へぇー」
「アレックスは知り合い?」
「知り合いだな。政治的な権限のない『財力貴族』と言える。入学時に挨拶をされ、私の支持者だったが、ここ最近はどう思われているかも分からない」
「直接話してみようかな?」
「御曹司にその手の権限があるとは思えないので、まずはメーカーだな」
食堂の席を借り、キリヤナギが早速問い合わせをしてみるとコールセンターらしき場所へ繋がり、女性が通信をうけてくれる。
女性は、丁寧に応じてくれたが学園に卵がおろされないのはグループ本社の取り決めらしく、メーカーは関与はできないと言われてしまった。
「めちゃくちゃ根深くね?」
「想像以上だな」
「なんでだろ……」
そこからヤマブキグループへ問い合わせると、すぐに判断はできないと言われ、進展があれば連絡すると、アドレスだけ聞かれて終わってしまった。
「これは、誰もどうしようもない訳だわ……」
「なんで……?」
「本社レベルなのか? とんでもないな……」
「ヤマブキさんが卵アレルギーなのかな?」
「御曹司のためにそこまでするか??」
「他の大学のメニューも調べたが、卵は普通に卸されているようだ。この大学だけと言うのも不信が募る」
わからない。しかし何かの圧力があるのは間違いないのだろうと、キリヤナギは疑わざる得なかった。
「明日、ヤマブキ先輩に聞いてみる」
「望みは薄そうだが、それしかないな」
「王子ってそう言うとこ尊敬するわ……」
ヴァルサスの言葉に、キリヤナギは少し照れてしまう。
そんな放課後の時間を満喫していたら、いつの間にか帰宅時間となり、ジンが大学の玄関へついたと連絡をよこしてくれた。
付き合ってくれた2人へお礼を言い、キリヤナギはその日はジンと帰宅してゆく。
「何かいい事ありました?」
セオの穏やかな表情に、キリヤナギは言葉に迷ってしまう。今日のちょっとした生徒会の活動が楽しくてつい顔に出てしまったようだった。
「今日は、生徒会の活動を初めてやってみたけど、意外と楽しくて」
「そうでしたか。宜しければ聞かせてください」
「学校の食堂に、卵料理ないんだよね。要望出そうとしたけど、何かうまくいかなくて」
「それはそれは……」
セオも不思議そうな顔をしていた。元々利用はしていなかったが、ないとわかると寂しくも思えてくる。
「王宮もメーカーに外注してるのかな?」
「いえ、王宮と騎士棟の食堂は、直接シェフを雇用していますから外注はしておりません。警備の問題もありますから」
「大学は外注なんだよね。桜花大学院だけ卵が下ろされてないって」
「それは確かに不思議ですね……」
「うーん……」
考えたくはないが、キリヤナギは圧力を疑わざる得なかった。一般の範囲で取り合ってもらえない問題は、大体が幹部同士の取り決めで、主に「知らない方がいい」とされている事があるからだ。
それは主に政治的な問題であることが多いが、卵が卸されない事はその枠に収まるにはいささか些細すぎる。
「殿下、今日は夕食後にセシル隊長が謁見したいと仰られていますが、如何されますか?」
「セシル? もう定時じゃないっけ?」
「いえ、隊長はここ数日は業務でこちらに居られます。その上で今週中に一度お話したい事があると……」
部屋着に着替え、キリヤナギは迷った。セシルは信頼しているが、過去にミレットの下についていたとも聞いていて、時々不安になる時もあるからだ。騎士が顔を見せたいと言う度に、何か悪い事をしたのかと思ってしまう。
「今回はなんだろ?」
「多分、相談だと思います」
「相談?」
セオの表情が曇り、キリヤナギは少しだけ察した。誕生祭で毒を飲んでしまったからだ。
「僕が悪いのに……」
「守りきれず、ごめんなさい」
結局責任を取らされている。別れの挨拶だろうかと、キリヤナギは辛くなってしまい、その日の夕食は殆どは喉を通らなかった。
今まで、キリヤナギに何か大きな問題が起こると親衛隊の顔ぶれは入れ替わり、一年も持ったのはとても久しぶりだった。目覚めてから一番初めに見えた父の顔へ、セシルから変えないで欲しいと懇願してしまったのをキリヤナギは覚えている。
何故そこまでこだわってしまったのか、自分でも良くはわからないが、グランジとセオ、ジンをそばに置いてくれた彼は、間違いなくキリヤナギの味方だと思ったからだ。
時間ちょうどに現れたセシルは、普段通りベッドへ座るキリヤナギへ跪き、優しく笑ってくれる。
「ご機嫌麗しゅう、殿下。夜遅くに失礼します」
「セシル、ごめん……僕のせいなのに」
「貴方は何一つ悪くはない。全ては我々の責任です。どうか気遣われず」
「……セシルも交代?」
「いいえ、タチバナ卿に庇って頂き、このままこの任へ」
「本当! よかった……」
「そのお言葉は恐縮です。しかし今後の対策案を求められおり、そのご相談にと」
「対策……?」
「はい、御身を狙うものが居るとわかった以上、殿下の周辺警護の強化をしたいと」
「えぇ……」
予想通りの反応に、セシルは言葉に迷う。キリヤナギはそもそも身の回りに騎士が居る事が好きではないからだ。
「外出の際、通学などに我が隊の騎士を2名ほどご同行させて頂けませんか?」
首を振るキリヤナギにセシルは、困った表情をみせる。何も言わなくなってしまい、心境を読みながら続けた。
「護衛がお嫌いですか?」
「……窮屈だから」
「出来るだけ希望に添うつもりではいるのですが」
「……今がいい」
わがままな反応にも見えるそれにセオはとても安心していた。キリヤナギは、セシルへ自分の希望を言えるようになったからだ。
ミレットの時、彼はキリヤナギの希望の全てを度外視しただ守るだけの護衛をした事で王子は、いつのまにかそれに従順になり、逆らう事をしなくなった。
セシルと出会った頃もそうで、しばらくは何も言わず言われるがままだったのに、今はセシルが自分の希望を聞いてくれると信頼し、希望を述べている。
目を合わせなくなった王子へ、セシルはしばらく考えると、内ポケットからスプーンを取り出してキリヤナギへと渡した。
「では代わりに、それを常時携帯して頂けますか?」
「スプーン?」
「銀食器です。食べ物に毒があれば、限られた成分に反応して変色します。タチバナ卿から対策案が無ければ続投は難しいとされているので、どうかそれだけでも」
「使ってくれって意味?」
「使って頂けるなら大変有り難く思いますが、確認は出来ません。殿下の私への信頼へお任せ致します」
「……ありがとう」
「食事の殆どはセオが作っていますから、心配ありませんからね」
「構わないのですか? 隊長」
「タチバナ卿に通るかは分からないが、きいてみはするよ。もっとも煩いのはミレット卿だ……」
「嫌い……」
「殿下、彼も貴方の御身を心配してのこと、どうか責められず……」
複雑な表情に返す言葉に迷ってしまう。キリヤナギにとってミレットはトラウマにも近く、彼が居るだけで行きたくないと言われることは多々あったからだ。
「通らなかったら、どうなるの?」
「また別の対策が必要となるでしょう。殿下の希望に添えないかもしれません。その時はどうかお許しください」
残念そうに話すセシルに、キリヤナギは言葉に迷っているようだった。知らない騎士は嫌いだが、セシルが消えるのはもっと嫌だと思うと戸惑いながらも口を開く。
「……わかった。セシルなら、いい」
セオは絶句した。今まで頑なに騎士を拒絶していたキリヤナギが、セシルの言葉に初めて折れたのだ。
「ありがとう、ございます。隊長……」
「殿下のお側に居れるなら、これ以上光栄な事はないさ」
「これ大事にするね」
「えぇ、お守りとしてお持ちください」
セシルはそう言って、丁寧にキリヤナギの自室を出てゆく。彼はキリヤナギの居室フロアをでて、脇にある大きめの扉の元へと向かった。
王子のフロアと隣接しているそこは、キリヤナギ親衛隊に所属する彼らの事務所だ。
「うぉぁぁぁ、おわんねぇ……」
「え、珍しくジンさんの心が読める……!」
「ちょっと待って下さい、なんで電子化までやらないといけないんですか?? 私達騎士ですよ?」
「ヒナギクちゃん、ついでだから」
「くっそ、何件あるんだよ、これぇ!」
「……」
グランジは黙々と電子端末に向かって作業をしている。
誕生祭の当日、使用人の中へ工作員がかなりいた事で、王子を護衛する親衛隊達は、王宮に務める約1300名の使用人達の身元の確認作業をやらなければならなくなったのだ。
無事であったのはそうだが、今後同じことが起こらない為にも、出身地や第三者への身分の再確認を行わなければならない。
ここ数年でガーデニアからの技術輸入により、書類の数割は電子化されていてその分は早いが、それ以降が紙でしか残っておらず、事務総括がついでに電子化してくれと声をかけてきた。
他の騎士の部署は2、30人で数千規模の騎士や使用人を支えているのに、この部署は王子1人に対し8人であるため、一人頭の作業にどう見ても手が足りない。親衛隊の彼らは、連日ほぼ徹夜で作業に追われる日々だった。
「ジンさん、管轄違うのにごめんなさい、わざわざ」
「ラグさん。気にしないで……」
「ジンさん、うちのラグが好みなんですねー」
「セスナさん、ここぞとばかりに読まないでください!」
「皆、元気だなぁ……」
「隊長ぉ〜! 殿下はどうされてました?」
「元気そうにしておられたよ」
「やっぱり納得いかないので、総括に文句行ってきます」
「ヒナギクちゃん、一応、アカツキさんとミレットさんが手伝ってくれてるから……」
「今日は帰る!! 帰っていいですよね!?」
「ノルマ終わったらね」
グランジはコーヒーを飲んで休憩をしていた。責任に追われる日々でもあるが、こうしてほぼ全員が揃うのも珍しく、新鮮な気持ちにもなる。
「セオが今日のお世話終わったって言ってたけど、誰か護衛交代できる?」
全員が黙って手を上げて、セシルは優しく笑った。難しい部署だと言われるが、実際に勤める彼らは個性豊かで、重い責任すらも何故は解けるように軽くなる。
キリヤナギは恐らくこれがわかっているのだ。セシルは、セオとグランジからキリヤナギの性格をこう例えられた事がある。
『鏡』だと、周りを囲う人々の感情を、誰よりも敏感に繊細に感じ取る王子は、自分を煩わしく思う騎士には絶対に心を開かないと、向き合うのならこちらから受け入れなければならないと話された。
ミレットも当初は尽力するといいはしたが、当時の国家情勢がそれを許さず、彼も苦渋の決断であったのだとセシルは認識している。
「じゃあ、グランジ、お願いしていいかな?」
「はい」
「えーー! 隊長、僕も休憩したいですー!」
「セスナはむしろ気を遣わせるからね」
「隊長、次俺!」
「リュウドは帰りたいんじゃないのかい?」
「帰っていいんですか!」
「では、ちょっと席を外しますね」
「ヒナギクちゃん……」
「ねみぃ……」
セスナは何故か朗らかな顔でジンにコーヒーを入れていた。王子へ長く付き添う為にも、今負わなければならない責任は取らなければと、セシルもまた席に着く。
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