第20話 ヴァルサスの部屋
「整理ついたかい?」
「ヴァル……」
三限の始め、目を逸らしてしまう王子にヴァルサスは困惑していた。来ないと聞いていた彼は結局こず、ヴァルサスはアレックスと2人で昼を済ませたからだ。
「前のマリーちゃん、テラスに様子見に来てたぜ。王子のこと心配してるって」
「そっか、いなくて申し訳なかったかな」
「少し話したけど、めちゃくちゃ王子のファンじゃん。大事にしろよ」
「え、うん……」
1人になりたいと話したキリヤナギは、未だ普段の雰囲気が戻らず、そのまま黙々と授業を受けていた。ヴァルサスは、その日も三限終わりで授業を終えて教室を出て行く。
「こんにちは、お怪我はいかがですか?」
「マリー……」
空いたヴァルサスの席へ座ってくれたのは、マリーだった。彼女は目を合わせないキリヤナギをじっと見て優しく笑ってくれる。
「ヴァルサス様と少しだけお話ししてきました」
「聞いたよ。テラスにいなくてごめんね」
「いえいえ、ここ最近色々ありましたから、殿下のお気持ちも少しだけわかります。私もとても怖かったし……」
「マリーは、そうやって僕に寄り添ってくれるのに僕は何も返せてないなって」
「そんなことありません。殿下は殿下として十分役目を果たされていますから、どうか堂々とされてください」
「ありがとう。マリーもこの授業をとってるの?」
「はい。先週は欠席されていましたよね。ノートありますから、よろしければご利用下さい」
マリーのノートはとても綺麗だった。貸してくれるという彼女の好意も複雑で、受けることはできないままその日の授業を終えた。
人がまばらになり、マリーを含めた生徒達が帰宅してゆく学園で、キリヤナギもまた荷物をまとめる。すると教室の入り口から、こちらをじっと見る影があった。見覚えのある彼らは、キリヤナギを見つけ感激したような表情をみせる。
「王子、いたー! さがしたぜー!」
叫ぶように飛び込んできた3人へ、戸惑ってしまう。見覚えのある彼らは、新聞部の2人とオリバーだった。
「王子、ごめん。おれのせいで……」
「オリバー、だっけ? 僕は大丈夫だから、3人とも怪我なくてよかった」
「本当ありがとうな! あの後、こいつ謝りにきてさ。でも王子が大怪我したってきいてそれどころじゃねぇし、めちゃくちゃ心配してたんだよ」
「生死彷徨うほどの怪我したって……登校して大丈夫なのか?」
「……包帯はしてるけどそこまで深くないから命には別状ないって」
「オリバー……」
「めちゃくちゃ血でてたから、てっきり」
一歩ひいたところから話す彼は、少し恐縮しているようだった。
「オリバーは、あれから何もされなかったかな?」
「何も、ない。ヴィンセントが出て行った後、俺も必死で……」
「俺らも戻った時には、救急車きてて王子は運ばれてくし、騎士もきてるし、部室は血だらけだしてもう肝が冷えたぜ」
「助けに行ったつもりが、情けないなって……」
「オリバーから聞いたけどさ、真っ向から言い返してたんだろ? 身を挺して俺らを守ろうとしてくれたなら英雄だよ。ありがとうな」
「俺達全力で王子応援すっから選挙がんばれよ!」
彼らは、今後は3人で活動してゆく旨を話してくれた。オリバーへ仲間ができたことへキリヤナギは安堵し、新聞部は3人で帰ってゆく。
*
「色んな奴に声かけられてんのに、まだご機嫌もどんねぇの?」
誰もいない屋内テラスだった。ククリールとアレックス、マリーも帰り、ヴァルサスはももう帰ったと思っていたのに、彼は1人テーブルへ座って待っていた。機嫌が悪いつもりはないが、彼から見ればそう見えても仕方ないと思う。
「今日はちょっと頭がいっぱいで……」
「昨日は元気だったじゃん。あの後なんかあったのか?」
「……」
「何があったんだよ!」
「僕も、まだ整理がつかなくて……ごめん。今日は帰る」
立ち去ろうとしたら、ヴァルサスに肩を掴まれてしまう。その真剣な目に思わず動けなくなってしまった。
「ちょっと付き合えよ」
「……」
ヴァルサスはキリヤナギの手を引き、学園から出てゆく。一応グランジには、遅くなるとだけ連絡をいれて、何も言わずに後に続いた。
「どこ行くの?」
「俺ん家、今日は母さんが残業で兄貴しかいねぇんだ」
「……!」
返す言葉が見当たらないままキリヤナギは、オウカ町の王宮周辺にある高級住宅街へと連れてこられた。一般的な一軒家より若干広めの家が並ぶそこは、爵位を持たない貴族達が住む場所でもある。
連れてこられたヴァルサスの自宅はとても立派で、迎えてくれた使用人の女性は、キリヤナギをみて驚いていた。
「ようこそ、王子殿下。アゼリア家に仕えるカエデ・モモキです。お見知り置きを」
「キリヤナギ・オウカです」
「知ってるって」
カエデは小さく笑っていた。
ヴァルサス部屋はとても生活感があり、漫画やゲーム、グラビアポスターなどが貼られている。
「お茶いれてくるから、適当に寛いでいいぜ。……あ、ちゃんと護衛に連絡しとけよ」
ヴァルサスはそう言って、部屋を出て行ってしまった。キリヤナギはグランジへ居場所だけ連絡し、セオには話さないよう釘を刺しておく。
初めてきた「友人の部屋」は、興味深いものばかりだった。マジマジと見ると、衣服のクローゼットからは服がはみ出していたり、本棚には直しきれなかった漫画本が積まれている。机の上にはノートタイプのデバイスが置かれ傍には、教科書が雑に積まれているだけだった。
「そんな興味あるか……」
いつの間にか戻ってきていたヴァルサスに焦ってしまう。特に目を引いたのはベッドの上の抱き枕で、女の子のイラストが書かれていた。
「絵……?」
「いいだろそれ。好きなカバーに変えれるんだよ。いくつか持ってるし貸すか?」
「カバー?」
クローゼットの引き出しから、持ってこられたカバーは、女の子の服がはだけでいて思わず目を逸らしてしまう。
「王子ってもしかしてこう言うの耐性ねぇの?」
「は、恥ずかしいじゃん!」
「別に男なら普通だろ? 王子もやってんじゃねえの?」
「い、言わない!!」
「初心なんだな」
押し付けようとしてくるヴァルサスを、キリヤナギは見ないようにしていた。それでも、彼の部屋はとても新鮮で興味深い。
「そいや、去年はなんで休学したんだ?」
「去年? うーん、僕もとりあえず休むって報告しかされてないから、よくはわかってないんだよね」
「なんだそれ」
「体重くて起き上がれなかったから、しょうがないかなって思ったんだけど……」
ヴァルサスが首を傾げている。理解を得づらいことはわかっていてあまり話した事はなかった。
「アレックスは病気って言ってたけど」
「そうなんだ? 確かにドクターは週一で来てて、薬も飲んでたからそうなのかも」
「なんで事実確認になってんだよ……」
本音を言うなら当時は、全てがどうでも良かった。動くことも話すことも、食べる事もしたくない、完全なる無関心だろう。生きることすらどうでもよくて、ずっと寝ていたら、ある日意識がはっきりして点滴をされていた。その時に見たセオの必死な表情と父と母の絶望感に満ちた顔は今でも焼き付いている。しかしそれも、あの時は何も感じなかった。
「どうやって復帰したんだ?」
「わかんない。いつの間にかドクターも来なくなって薬もなくなったし……、でも秋に復帰したばっかりの頃は、朝起きれなくて全然授業に参加できないし、日によっては動けないしで、大変だった」
「よく進級できたな……」
「補講頑張った」
自慢げなキリヤナギは、少しだけ元気になっている。彼なりに気分転換ができているのだと分かると、ヴァルサスは連れてきた甲斐があると思っていた。
「今日元気なかったことと関係ある?」
「ううん。今日は別件……」
「なんで話さねぇの?」
「僕でも、どうしようもなくて、でも結局、僕自身が覚悟ができてないだけだと思う」
「覚悟?」
「うん。王宮にいると、本当に色んな人が出入りするんだ。良い人も居れば、悪い人もいて、言いくるめたり騙そうとしたりする人もいる」
「……」
「そんな『敵』になる人達を、切る覚悟がまだ僕にはなくて情け無いなって」
「敵は敵だろ、なんで躊躇うんだよ」
「そうだよね……。多分心のどこかで、受け入れたくないんだと思う。近くにいる人が『敵』だと、思いたくなくて……」
「自分と相性悪い時点で、付き合う必要もねぇじゃん」
「うん……だからあとは僕の気持ちだけだよ。聞いてくれてありがとう」
ヴァルサスは不満そうではあったが、キリヤナギにそれ以上話せることはなかった。しばらくヴァルサスの自宅のゲームで遊んでいると、グランジが足を伸ばし迎えにきてくれる。
門限も近く、間も無くヴァルサスの兄も帰ってくることから、キリヤナギは素直に帰路へとついた。
「誕生祭……」
帰り道、呟かれたグランジの言葉にキリヤナギは身を震わせた。
「や、やるの?」
うんうんと頷くグランジに、キリヤナギはグッと何かを堪える。先日セシルから、ここ最近の事件の連続性を兼ねた誕生祭の中止の可能性を聞いていて気楽に構えていたのに、祭は結局開催されると言う。
「明日から練習らしい」
「ど、土曜日なのに」
「関係ない」
むしろ土曜日だからこそなのだろう。デバイスには、セオから明日のスケジュールがきていて本能的に理解を拒否してしまう。しかしキリヤナギは、自分の生まれに後悔をした事はなかった。
「できそうか?」
やりきることはできるだろうかと不安もある。だが王子は、政治と無関係ではいられない。その在り方は、国があってこそ成立しこの身はこのオウカ国の人々の為にある。
「やる。もう迷わない」
ハッキリとした王子の言葉にグランジも前を向いた。
その覚悟の言葉を得て二人が王宮へと戻ると、リビングへセオがまるで待ち構えていたように立っている。
「明日からの練習のため、簡単な挨拶のテンプレートを用意したのでここからご自身のお言葉に言い換えた文章を作って下さい」
「う、うん……」
「カンペ無しですよ、暗記で」
「え、手にもダメ……?」
「ダメです」
去年はなかったが、確かに毎年やっていた。渡された当日スケジュールは、朝6時起きからの分刻みで吐き気がしてくる。午後からは騎士大会の個人戦があり、カッコに括られ3時間の休憩時間と書かれていた。ここまで緻密だとその3時間で「寝たい」とも思ってしまうが、皆が実力を見せるために出場して居るのだろうと思うと寝れず、休憩と言う休憩ではない休憩だとすら思う。
騎士大会が終われば、また着替えて夜会があり、前半の2時間は全公爵家からのお祝いの言葉を立って聞きつつ、その後も着替えて0時以降まで夜会が続く。2年ぶりだが、久しぶりの地獄のようなスケジュールが思い出され、キリヤナギはしばらく項垂れていた。
「僕の休憩どこ?」
「あるでしょう?」
何度見ても見つからない。今年はたまたま誕生祭が日曜日で、月曜日が振替の休日となっていた。つまりキリヤナギも休むことができる。誕生祭は毎年祝日に行われるが、国民は休日でも主役は休日ではない為、もし平日だったら素直に学校を休もうと思っていたが、これが唯一の救いだった。
「来週月曜日の朝六時から、毎日二時間の乗馬教習と、各儀式の予行練習を十六時から二十時まで日替わりで行いますので十五時半には王宮へ帰宅して下さい」
「えっ、ぼ、僕の授業は……?」
「既に大学にも連絡済みです、お気になさらず」
「えっえっ」
「夕食は二十時以降に自室にお持ちします。木曜日からは、大学は欠席して終日練習を、前々日には体調に問題ないか簡単な健康診断がありますから、それ以降は王宮外での食事は禁止です」
キリヤナギのげっそりした顔をみつつ、セオは無表情で言い切った。来週1週間は全て朝五時起きで過ごし、公務を行うと言われている。
「や、休みは……?」
「前日の土曜日に好きなだけ寝てください。しかし、儀式の完成度次第では延長戦ですので金曜日には完成をお願いします」
「儀式って何種類だっけ……」
「大きなものは5種ですが、夜会やパレードを含めるなら7種ですね」
「多くない? 前はそんな……」
「以前まで単純な祝いのものだけでしたが、成人されるので王子冠のお披露目会。初代王への謁見も追加されました、頑張ってください」
胃が痛くなってきて思わず座り込んでしまった。まだスケジュールを受け入れられてはいないが、やる以外の選択肢がない。王子としての使命を全うせねばならないと、キリヤナギはその日、出来るだけ早く眠りにつくのだった。
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