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第17話 出席日数が足りない

 木曜日の朝だった。キリヤナギは普段通り鈴付きの目覚ましで目覚め、顔を洗い、着替えてリビングへと出てゆく。

 朝食の匂いがするリビングでは、テレビがついていて朝のニュースが流れていた。


「おはよう、2人とも」

「殿下、おはようございます……」


 リビングにはグランジもいて、警護の合間に本を読んでいた。配膳された朝食をとり、その日の時間割を確認する王子をセオは訝しげに眺める。グランジは気にも留めず、黙々と本のページをめくっていた。


「殿下」

「ん、今日何かあったっけ?」

「本日は療養として学校は欠席されてください」

「えっ」


 キリヤナギの鈍い声に、ようやくグランジが反応する。


「や、やだ。元気だし」

「頭をぶつけられたのですよ? 【細胞促進】で治癒したからと言って完治したわけではありません。今日はお休み下さい」

「去年散々休んだし、今年こそちゃんと出席しないと……」

「誕生祭に響いたらどうするのですか! 今日だけなのですから、様子を見てください」


 グランジは何ごともないように本を読んでいる。この2人の不毛な問答は日常だ。無鉄砲なキリヤナギは、緩い言葉では絶対に応じない為、セオは当然のように厳しめの言葉を投げかける。


「授業だけ出席したらすぐ帰るから……」

「そう言って帰ってくるのは、いつもギリギリですよね。時間割をおしえてくださるなら考えます」

「僕にもプライベートをくれたっていいじゃん!」


 論点がずれてきたと、グランジはしばらく観察することにした。時間割を知りたいのはグランジも同意だが、キリヤナギも「自由にしている時間」を知られたくないのは理解できる。


「何でもかんでも管理しようとしないでよ!」

「そんなつもりはありません! 嫌だとおっしゃっるなら、言及も致しません。でも今日だけは、どうか、お休み下さい」

「……!」

「今は平気でも、反動がいつくるか分かりません、昨日医師からも言われている事です。勉強を取り戻す為に最大限のサポートもします、なので、どうか……」


 目を合わせなくなったセオにキリヤナギは、何も言わず自室へ戻ってしまった。

 いつもならキリヤナギが怒って逃げるように登校してゆくのに、今日はセオが勝ったとグランジは思う。彼ははほっとしたのか思わずリビングチェアへ座り込んでしまった。

 セオもまた過保護になっているのは十分に理解している。しかし、国、情勢、政治面などありとあらゆる事で、王子がどうあって欲しいかと考えたとき、その最善はここへと行き着いてしまう。


「グランジ……私は間違っていますか?」


 グランジは首を振っていた。セオの判断はいつも正しいものだ。しかしそれは、1人の人間として幸せを求めることができるとは限らない。


「殿下なりに考えている。セオはサポートをしていればいい」

「……」


 そのサポートはキリヤナギにとってはどうなのだろう。同世代のありとあらゆる娯楽をしらず趣味も殆どない王子は、そのストレスを抑え込むことしか知らない。


「今日は触れないでおく……」


 グランジは頷いていた。

 自室へ戻った王子は、その日登校する気満々で授業の資料もあつめて準備したのに出鼻を挫かれた気分になっていた。しかし原因は、昨日無茶をして怪我をした自分の所為で、セオは責められるべきではないとキリヤナギは反省する。

 キリヤナギからみて、セオは幼馴染であり、バトラーであり、そして家族だ。当たり前に食事を用意し、衣服の準備から悪いことをすれば叱り、良きことなら一緒になって喜んで褒めてくれる。物心がつくまえから行われているそれは、もはや当然の事で煩わしいとも思ってしまうほどだ。

 だが、これは贅沢なのだ。本来ならそんな人物には恵まれず、出会えたとしても数年で入れ替わることが殆どで、彼のように十年以上共にいる関係はとても珍しい。

 特にキリヤナギは、臣下達の間でもかなり問題児として評価され、護衛騎士は頻繁に入れ替わり、今の親衛隊も結成されてまだ一年たつぐらいなのに、セオは変わらずずっとそばに居る。当然それは「仕事」ではあるのだが、本当に「仕事」だけなら、こんなに長くは続かず、騎士達のようにとっくに見捨てられて居るはずだからだ。

 しばらく考えたキリヤナギは、仕方なく欠席することを4人のグループ通信へと送信する。怪我をした事を伝えると、真っ先にヴァルサスから返事が来て、個人通話も飛んできた。


「ヴァル?」

『怪我したのか?』

「うん、そこまでひどくないんだけど……今日一日、様子見ろって」

『どこか打ったとか?』

「頭ぶつけちゃって……血が出てたから皆に心配されてさ」

『頭かよ。それは休めっていわれるわ……』

「元気なのに……」

『そう言うとこじゃねえの?』


 思わず口ごもってしまう。ヴァルサスの通信からは騒がしい雑音が聞こえてきていて、登校中なのだろうとわかった。


『王宮って、見舞いとかいけたりするのか?』

「え、ダメってわけじゃなさそうだけど……」

『俺今日三限までなんだよ。差し入れもってくし大人しくしてたら?』


 思わぬ申し出に、キリヤナギは戸惑ってしまう。王宮への来客は珍しい事ではなく。今なら身分証明さえできれば、きっと問題はない。


「入り口で身分証明とか本人確認いると思うけど、大丈夫かな?」

『よゆーよゆー、何があったか詳しく話せよ』

「わかった。守衛に話つけておくね」


 初めての同級生の来客で、キリヤナギは心躍る思いだった。しかし、先程セオと少し言い合いをして気まずく許してもらえるか不安になる。

 そっと自室の入り口を少しだけ開けてリビングをみると、そこへセオは居らず、グランジの気配もない。テーブルには1人分のティーセットがラップをかけられたお菓子と一緒に残されて居て2人とも事務所だろうかと考えた。だが事務所を見に行っても2人は居らず珍しいとも思う。


「ツバキさんは、先程会議へむかわれました。シャープブルーム卿も、本日は騎士棟でミーティングがあるそうです」


 衛兵の彼らの言葉にキリヤナギは悩むが、せっかくきてくれるなら準備をしたいと、キリヤナギは衛兵に話をつけ宮殿内へ出かけた。

 一旦は気分転換にと中庭をでて動物達の宿舎へ向かう。ここは国内だけにとどまらず外国から王宮へ贈呈された動物達が住む場所で

、今日も専門の使用人達が、ミールフードを与えたりブラッシングなどをして世話をしてくれている。

 広い敷地にある開けた建物は、多くの柵に囲われ、そこには犬や猫、鳥だけにとどまらず、馬や小型のブタなどが飼われている。無垢な動物達を見にゆくと、先に柵の中へ入り楽しそうに戯れるメイドの彼女がいた。

 スカートが汚れることを厭わず芝生に座って犬を撫でる彼女は、じゃれてくる大型犬にも嫌な顔せず抱きついている。


「マリー!」


 名を呼ぶと彼女は泥を払うように立ち上がり、走ってこちらへと来てくれる。心配そうなその顔に、キリヤナギは意表をつかれてしまった。


「殿下。大丈夫でしたか!?」


 その必死な表情に思わずみじろいでしまう。思えば捕まったところを目撃されていて、情け無くなった。


「大丈夫、そこまで深くなくてーー」


 話していると、柵を飛び越えた大型犬が現れ、キリヤナギは一気に押し倒されてしまった。マリーは悲鳴をあげてどかしてくれたが、犬は静止をものともせずキリヤナギへ戯れにくる。服は一瞬泥だらけになり、落ち着く頃には目も当てられないほどぼろぼろになっていた。


「申し訳ございません。お怪我はないですか?!」

「大丈夫だよ。久しぶりだから嬉しかったんだね。ありがとう」


 大型犬のミルキーは、名前通りミルク色のふかふか毛皮を持ちそれを自慢するように押し付けてくる。キリヤナギはそれに応えるように、抱きついたり優しく撫でていた。

 マリーもまた柵を飛び越えてきた中型犬のエリィを抱き上げ、心配していた表情が緩み安心する。

 現れた王子に他の使用人達は次々におもちゃを出してくれて、二人はしばらくそれを使って遊んでいた。


「マリー、今日学校は?」

「えっと、私今日は履修していた授業が休講だったのと、変わってほしいという方がおられて急遽はいることになったのです」

「そうだったんだ。ありがとう」

「とんでもないです。ここでもお会いできて、嬉しいです」


 マリーは少しだけ照れた動作をみせ、キリヤナギも何故かつられてしまう。大学でみる彼女とは違うメイド服のマリーはまた違う魅力があったからだ。


「殿下、あの時逃げてしまってごめんなさい……使用人なのに、助けることができなくて」

「ううん。むしろマリーが無事でよかった。僕も安心したよ」

「そんな、私こそお守りしなければならなかったのに……」

「その気持ちだけで僕は嬉しい。ありがとう」


 泣きそうになっているマリーに、キリヤナギは反応に困ってしまう。しかし涙をぐっと堪えた彼女は、優しい目で犬のエリィを撫でていた。


「殿下、今日はお散歩ですか?」

「少しだけ気分転換かな。今朝ちょっとイライラしてしまって……」

「何か無礼なことでも……?」

「それはなくて、セオと喧嘩しただけかな。時々あるんだよね……大体僕が悪いんだけど……」

 目を逸らすキリヤナギに、マリーは何かを察したようだった。彼女は少し考え、キリヤナギの顔を覗き込んでくる。

「そうでしたか。それならこのマリーが、代わりにお手伝いさせて頂きたく思いますが……」

「え、お仕事は平気?」

「はい、殿下でしたらお許しいただけると思います。少しお待ちください」


 マリーは、一度その場を離れ、事務所のチーフへ確認をとっていた。戻ってくる彼女は嬉しそうにしていて、笑顔で礼をしてくれる。


「お許し頂けました。なんなりとお申し付けください」

「ありがとう。実は、ヴァルがお見舞いに来てくれるからどう迎えようか悩んでて」

「ヴァルサス様ですか? なるほど、殿下のリビングは、一般の方は入れませんから応接室でしょうか?」


 キリヤナギの居室は、何年も前から家族と限られた騎士と使用人しか出入りが許されて居ない。例外は殆どなく、覚えがあるのはドクターぐらいでセオに掛け合っても許されるとは思えなかった。


「そうかも。でもその前に守衛にも通して貰えるよう話さないとかなって」

「確かに、私はヴァルサス様のラストネームを知らないのですが、ご存知ですか?」

「じ、実は知らないんだよね。だからちゃんと話さないと……」


 マリーは言葉に困ってしまっていた。少し悩んだが彼女は開き直るように顔を上げる。


「頑張って説得しましょう」

「あ、ありがとう……」


 自信のないキリヤナギの手を、マリーは引いてくれた。これまで王宮周りの規則やルールを破る事は許されず、セオまでもが消極的で誰にも相談ができずにいた。今でこそセシルがキリヤナギの意図を汲み取ってくれるようにもなったが、それも最近のことで許されないであろうと思う事に無意識なストッパーが働いてしまう。


「大丈夫です。だめだったら外庭も使えますから」

「そうだね……!」


 二人は一旦は別れ、お互いに着替えてから宮殿の正面玄関へと向かう。受付と守衛の待機所があるその場所は、出勤する使用人達や事務手続きを行いに来た市民もいて、とても賑やかだった。キリヤナギは普段着のまま目立たないよう壁沿いを歩き西側の守衛室へと声をかけにゆく。

 突然現れた王子に待機していた騎士達は驚くが、一人の騎士が「あぁーあの子かぁ」と感心した声をあげた。


「ヴァルサス君ね、知ってますよ」

「え、ほんとに?」

「えぇ、あの子が生まれた時、お祝いしたんです。覚えてるかなぁ、……とりあえず了解しました。来られたら特殊親衛隊の事務所にご連絡しますね」

「わかった。ありがとう!」


 キリヤナギは、深くは聞かずマリーと共に守衛室を後にする。まさかのヴァルサスが宮廷騎士の知り合いであった事実に驚き、彼が一般平民だと言った自己紹介を疑ってしまう。


「ヴァルサス様、貴族なのでしょうか?」

「わかんないけど……」


 何者なのだろうと今になってとても不思議だった。しかしこれは本人が来てから直接聞けば良い。


「次は応接室かな?」

「空いてるといいのですが」


 宮殿は日常的に来客があり、幾つもある応接室は常に清掃されて回されている。分刻みにスケジュールがとられていて、キリヤナギはマリーと共に応接室の使用帳簿を見に総括事務所へと向かった。

 制服を着た職員が黙々と端末に向かう広い事務所で、キリヤナギは受付机の上にある様々な使用記録帳簿を確認する。ヴァルサスの来訪時間を兼ねた応接室をさがしていると、一つだけ応接室が空いていてほっとした。

「他は埋まっているのに、何故でしょうか?」

 職員に質問すると誕生祭の準備も相まって使用人の清掃が追いつかず、清掃を間引かれた部屋だった。他の部屋よりも使用回数が減らされ一日一度しか利用されていないらしい。


「掃除したら使えるのかな?」

「はい。ツバキさんにご連絡しましょうか?」

「しなくていいよ。マリーがいるし、僕もやる」

「え、はい」

「殿下……」


 清掃をしてくれるという意味だろうが、今は頼りたいとは思えなかった。職員に応接室の使用を申請したキリヤナギは、マリーと共に必要なものを考える。来客ならお茶菓子で迎えるのが基本だが、リビングに常備してあるものは、キリヤナギのもの以外は余ったもので形が悪く出すものとしては向かない。

 回してもらえるものは無いかとキッチンへ赴くと数名のシェフが緊張した面持ちでミーティングをしていて、とても割り込める雰囲気ではなかった。


「んー、どうしよう」

「いっそ、外のお店で買ってくる事もできるとは思いますが」


 療養中の外出は、流石に叱られそうで踏みとどまってしまう。使用人向けの小規模なキッチンにて、2人は一旦足を止めてどうするか話し合っていた。色々考えつつデバイスで検索していると急な来客に向けたお菓子のレシピが出てきて感心してしまう。


「こういうの手作りってアリなのかな?」

「これは確かにありですね。ゼリーやプリンは、確かに拘らなければそこまで時間はかかりません」


 ここの冷蔵庫には、大量に仕入れる食材の中で使えなかったり使いきれなかったものが集められている。牛乳だけでなく卵に野菜、果物まであって、関係者ならば自由に持って行って良いとも書かれていた。


「ヴァルサス様が来られるのが午後なら、少し時間がかかるものでも大丈夫かもしれません」


 時計を見るとまだ午前だ。三限終わりのヴァルサスは、移動時間を踏まえても着くのは夕方で、4時間以上ある。


「このシフォンケーキなどはどうでしょう? 焼き時間を踏まえると2時間はかかりますが、とても美味しいですよ」

「結構難しそうだけど……」

「そこはこのマリーにお任せください!」


 頼もしいとキリヤナギは思わず拍手をしてしまった。デバイスでレシピを見ながら材料を揃え、キリヤナギは、マリーが出してくれる料理道具を使用しながら作業を始める。必要最低限の料理の知識はあるキリヤナギだが、凝ったお菓子を作るのはほぼ初めてで、その作業量の多さに驚いてしまった。

 時間をかけて作った生地を型へと流し込み、2人はそれを一旦オーブンへと入れる。焼き上がるまでの間に使ったものは全て洗浄し、しばらく休憩することにした。


「とても手際がよくて驚きました。お料理を嗜まれるのですね」

「料理は普段からセオのをみてて、元々興味はあったんだ。母さんからもある程度教わってて……でも最近は全然なんだけど」

「そうでしたか。私も作業をご一緒させて頂いてとても楽しかったです」

「ありがとう、マリー」

「はい。仰せのままに」


 シフォンケーキが焼けるまで、まだ暫く時間がある。2人はその間、応接室の掃除をしようと一旦キッチンを離れることにした。マリーと共に軽い掃除用具を手に部屋を覗くと、そこには見覚えのある先客がいて、キリヤナギは思わずみじろいでしまう。


「お部屋におられないと思ったら、また……」

「せ、セオ……」

「どういえば療養の意味をご理解頂けるんですか!」

「で、でも、ヴァルがお見舞いに来てくれるって言うから……」

「自分で準備する怪我人がいますか!?」


 怒っている。マリーも困惑していてキリヤナギは何も言い返せない。


「先程は、少し言い過ぎました……」

「……!」

「我々バトラーは、貴方に仕える使用人です。確かに私達の仕事は、殿下にもやる事はできますが、この王宮へ住む上で一般的な家事とは明らかにその物量は違う」

「……」

「殿下の日常を助けるために、また貴方の価値を維持するために私達は雇われている。どうかそれを持て余さないでください」


 伝え方を間違えたと、セオは反省していた。キリヤナギは、自分の周りで「仕事」をされることにトラウマがあるのだ。周りで行われる「仕事」へ溢される悪態を耳にし、王子は騎士のみならず使用人すらも頼る事を躊躇するようになった。仕事をしたくないと言う周りに応えるように、ありとあらゆる事を自身で解決しようとする姿勢は、側から見れば評価されるべきではあるが、王子であるが故にそれは逆に自身の価値を下げてしまう。

 今回は、セオが時間割を問いただした事で、王子へ「仕事を楽にしたい」と言う意図が伝わったのだろう。見舞いへ来る友達を迎えるため、こちらへ仕事をさせない為に動いた。


「本来、一般のご友人をリビングへ招くことはできませんが、本日は私の権限で陛下へ了承を得てきました」

「ほんとに?」

「ご自身の目でその方が信頼できると判断されたなら、それ以上は騎士と使用人の役目です。どうか我々を存分にご利用下さい」

 王子はしばらく呆然としていた。横のマリーも嬉しそうに笑っていて安心もする。


「じゃあリビングにする」

「はい。準備致しますね」


 掃除用具をセオへ渡して廊下へとでると、そこにはグランジもいてキリヤナギは一度マリーと共にリビングへと戻った。初めてくる広い居室に彼女は感動もしていて、ヴァルサスが来るまでの間、彼女は話し相手になってくれていた。



「まさか。モッコクおじさんが守衛だとは思わなかった……」

「ヴァルの知り合い?」

「叔父さんだよ。父さんの弟。忘れるわけねぇよ、確かに最近会ってなかったけどさ……」


 まるで悪態のように述べるヴァルサスに、キリヤナギは感心して居た。大学の帰りに現れた彼は、待機していたセオの案内の元、リビングへと招かれる。案内された広い自室に、ヴァルサスはしばらく呆然としていたが、頭に包帯を巻く王子を心配もしてくれていた。


「これ、王子がつくったの?」

「うん、マリーと作ったけどどうかな?」

「なかなか美味いじゃん。俺もう少し甘い方が好みだけど全然食えるぜ」

「よかった」

「そのマリーちゃんはどこいったんだ?」

「それが、午後になって忙しくなったから持ち場に戻っちゃって」

「ふーん、両立大変だな。大学も休んでさ」

「授業とってなくて、休講だった聞いてたけど?」

「そうなのか? 俺のとってない授業とってんのかな、わかんねぇ」


 バイトのため、時間割を調整しているのだろうか。少し不安にもなったが、キリヤナギはそれよりも彼に聞きたい事があった。


「ヴァルって、もしかして王宮の関係者?」

「俺は違うよ」

「じゃあ貴族?」

「騎士貴族」


 にっと笑うヴァルサスに、キリヤナギは納得した。騎士貴族は、貴族とされながら世襲ができない栄誉称号であり、大きな括りで言うなら一般に分類される。貴族だが、貴族ではない。国に仕える傭兵騎士の事だ。


「お父さん、やっぱりすごいんだ」

「おう、自慢の親父だぜ。今マグノリア領にいるからアレックスが俺にこだわってたのはそれだな。俺はあいつの立ち回り気に入らなくて避けてたけど……」

「へぇー」

「今更だけど、俺のフルネームはヴァルサス・アゼリア。アゼリア卿って言えば、王宮じゃそれなりに信頼度高いだろ」


 キリヤナギは言葉が出なかった。王宮では毎年、雇っている宮廷騎士達を他の領地へ派遣している。派遣先での仕事は様々だが、遠征する彼らはある程度の実績が約束された優秀な騎士達でもあり、特にアゼリア卿は、政治の話にも精通する騎士だと聞いていた。


「で? 今回はなんで休んだんだ? その怪我と関係ある?」

「これは、昨日学校で色々あって……」

「学校で?」


 一部始終をヴァルサスへ話すと、彼は呆れを通り越した表情をしている。彼が知るだけでも、数々の面倒ごとを引き受け、襲撃すらうけているからだ。


「あのさ、もっと自分を大事にできねぇの? そんなんだから怒られるんだろ?」

「よく言われる……」

「それとも自分でやりたい理由あるのか?」

「こうだから、って言うのは無いんだけど。頼られたらちょっと嬉しくて、何かできないかなって」

「悪いことじゃねぇけどさ……」

「ヴァルならどうする?」

「……俺はアレックスから逃げてたぐらいだから、そんな勇気ねぇんだよ。学校で何かあったら、父さんにも影響あるかわかんねぇし、心配もかけたく無いからさ。でも、もしそんなのがなかったら王子と同じだとも思うんだよな。だから責めることはできねぇ」


 同じと言われて驚いてしまう。この言葉の意味は、ヴァルサスも同じ考えを持っていると言うことだからだ。


「俺もできるなら誰かを助ける奴になりたい。だからさ、もう1人で何かやるのやめね? 手伝うしさ」


 初めて言われた言葉に、うまく飲み込めずキリヤナギはしばらく呆然としていた。否定されて当たり前だと思っていたのに、彼は賛同すると言ってくれているからだ


「ありがとう、ヴァル。じゃあ今度から相談するね」

「おう、頼むぜ。生徒会長」

「まだ候補だよ。投票はいつからだっけ?」

「来週半ばだけど……」

「僕、誕生祭の練習も来週からあって投票できるかな……」

「オンライン投票あるから大丈夫だろ。期間1週間ぐらいあるし」

「便利……!」


 キリヤナギは感激していた。投票アプリを見るといつの間にかスケジュールも更新されていて、楽しみにも思えてくる。


「関係ねぇけど、姫いつまで居るんだろうな。俺怖いんだけど……」

「クク?」

「いつ暴言もどるかわかんねぇし、王子いたら大丈夫か……?」

「そんな悪い人じゃないと思うんだけど……」

「なんで庇うんだよ。いつも思うけどさ」

「す、好きだし……」

「へ?」


 照れ気味の王子に、ヴァルサスは言葉を失っていた。そして「ぁー」と納得したように項垂れてしまう。


「そう言う」

「う、うん……。でもククは、僕のこと好きでもなんでも無いみたい」

「微塵も気が無さそうだよな……。でも王族ならそんなん関係ないんじゃね?」

「そうだけど、それに甘えてもダメだと思って」

「律儀だな」


 王族なら、政略的に妻を求めることはできる。国家の相続の為、そこへ感情を考慮されることはないからだ。


「告白すんの?」

「伝えたいけど、断れないだろうし悩んでる……僕の事が嫌いなら一緒にいても苦痛なだけだろうし……」

「ここに住むってそんなに苦痛なのか?」

「え、わかんない……」


 キリヤナギの場合、父と母はいつも喧嘩していてとても居心地が良さそうには見えないからだ。母はいつのまにか父と部屋を分け、食卓の時以外は顔を合わせない生活を送っている。


「か、家庭内別居っやつ?」

「僕が小さい頃は、部屋も一緒だった気もするけど……いつからだろ。でもククとそう言う生活は申し訳ないなって」

「まぁ、片思いならそうなるよな……」


 キリヤナギの両親は、王子が生まれる前、とても相思相愛であったとも聞いているのに、今やもうそんなものを見る影もない。キリヤナギの所為ではないとも言われているが、仲が悪くなった致命的な出来事を誰も知らないため、憶測ばかり重ねてしまう。


「王子、大変だな……」

「僕はもう慣れちゃったけど、できたら仲良くなりたい願望あって……」

「そりゃそうなるわ」


 「仲の良い夫婦」と言う形のないものへ憧れを抱いてしまう。子供と言う当事者は、どちらも嫌いになれないからだ。

 外が徐々に暗くなった段階でヴァルサスが、帰宅してゆきキリヤナギも療養の日を終えてゆく。

 王子が自室にもどり1人の時間を満喫する中、セオはリビングで警護をするグランジの前でほっと息をついた。


「誕生祭は結局どうなりそうだ?」


 グランジの質問にセオは眉を顰める。それもここ最近の事件の連続から、誕生祭開催の安全性に懸念が出たことで、中止すべきかと言う議論もおこなわれていたからだ。


「開催だってさ。出来るだけ警備固めてどうにかするって」

「自信があるんだな……」

「……政治的にやらない理由がないからね。無事終われば良いんだけど」


 セオは不安を隠せないようだった。この数日間でも王子が狙われていた可能性は数知れず、つい昨日は暴力事件にも巻き込まれている。使用人達は気が気ではないが、やると決まった以上、それはやらなければならない。


「土曜日には届いた礼服の試着に、スケジュールの確認と、儀式の予行練習もあるし、挨拶で何を言うかも相談しなくては……」

「乗馬は……」


 誕生祭のオープニングは、初代王がガーデニアとの大戦に初勝利して帰還した凱旋パレードを模して行われる。これまで王子は、王の後に続く形で大通りを歩いていたが、ガーデニアと長く続く友好関係から今回より自動車で行うかどうかを長く話し合われていた。オウカ側は、伝統も未だ色濃く残っており、例年通り「乗馬」で考えていたが、ここ最近の事件の連続から、屋内となる自動車が安全なのではと言う議題がもう一度上がり、このタイミングで地獄のような会議戦争が続いている。

 明日には結論がでるはずだが、去年一度体調を崩してから、王子は殆ど乗馬の練習もできておらず、乗れるかもわからない為、セオはもう「自動車」が無難なのではと言う結論に至っていた。


「明日決まると思います。乗馬になったら練習ですね……」

「……」


 まもなくこの国は、新しい時代を迎える。祭が行われ、王子が成人し、特別何かが変わるわけではないが、臣下にとってそれはずっと見守ってきた子供が巣立つようなものにも思えていた。


「ま、僕は精一杯がんばるよ。来週からジンもくるしね」

「そうだな」


 二人にとってジンは信頼があった。名門騎士タチバナは、その存在こそが王族の盾となる強さを持つからだ。

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