第15話 久しぶりに殴られた

「はぁー……」


 水曜日の朝。キリヤナギは、横へいるグランジを思わず睨んでしまう。昨日の襲撃事件から、キリヤナギを狙う敵がいるとされたことで、朝と放課後の2回。騎士と共に登下校しなければならなくなったからだ。

 幸い期限付きで誕生祭までと言う約束だが、時々でよかったものが毎日に確約されてしまい、少しだけ窮屈にも感じてしまう。


「ジンがよかったか?」

「別にー」


 グランジは少し困っていた。キリヤナギは、何故か撫でられて恥ずかしくなり手を払っておく。昨日の事件も報道はされず、学園は普段通りの空気が立ち込めていた。

 キリヤナギは、何ごともなくシルフィと合流し皆の投票を促す呼びかけを行ってから教室へと向かう。


「あんな事あったのに、なんでそんなケロッとしてんの……」

「え……」


 突然のヴァルサスの言葉に思わず首を傾げてしまう。深く考えていなかった王子は、彼の少し引いた表情に自分が少しずれていることを理解した。拉致未遂事件のように、あのような襲撃は初めてではなく、「時々あるもの」であると自然と理解していたからだ。


「始めてじゃ、なくて……」

「はぁ!? ありえねぇよ。護衛つけろよ護衛」

「一応、ジンが居たし」

「そうだけど、1人じゃ全然足りなくね??」


 平均目線でみると確かにその通りだ。本来、人間相手に戦う場合、1人に対して2人以上で相手をするのが普通で、1人で4人以上の敵と遭遇した場合、撤退すべきであると言われている。つまり昨日同時に十人近い敵を同時に相手にしたジンは、まさに対人における天才だとも言える。


「今日から、送り迎えされるようになったから……」

「そうだよな、つーかよく無事だったよ」

「でも、今回襲われたのは僕じゃなくて、マリーだったし」

「メイドって言ってたけど、お姫様か何かなのか、あの子」

「マリーは、普通のメイドさんだと思うけど……」


 キリヤナギのせいで巻き込まれたのだろうと、少しだけ罪悪感があった。昔からだが、キリヤナギに長く関わると少なくとも一回は必ず事件に巻き込まれ、被害にあってしまう。騎士達はそれをみて、より警護を強化をしてくれたが、キリヤナギはそれをうまく受け入れることができなかった。


「今度からちゃんと逃げろよ。死んだらおわりなんだからな?」

「うん。ヴァル、ありがとう」


 話を終えると授業が始まり、そして終わってゆく。キリヤナギはヴァルサスへ、アレックスとククリールへ心配はかけたく無いと今回の襲撃は内密にしてもらえるよう約束した。

 昼休みに合流したアレックスとククリールの二人は、普段通り過ごしていて何故かほっとしてしまう。


「王子、選挙運動は進んでいるか?」

「そこまで、かな?」

「やれとは言わないが、何かしら行動を示さなければ誰も票を入れないぞ?」

「今朝も一応活動はしたけど、確かに説得力は薄いかも、何すればいいんだろ」

「会長なら、昨年度の実績をアピールするものだが王子は始めてだからな……」

「姫を黙らせた事でもアピールするか?」


 ククリールがじっとヴァルサスを睨みつけてくる。


「一般の支持を得るにはアリだが、ククリール嬢を槍玉にあげることは、影響力のある貴族が敵に回る可能性がある。これは一般の票を集める事はできても、後々影響力の低下は避けられない戦略だな」

「それはどう言う意味?」

「私とククリール嬢は公爵家だが、この学園に通う貴族は、侯爵や伯爵など階級にはかなりばらつきがある。それぞれの貴族達は自分達で派閥を作り一般の生徒共に活動しているが、いざ生徒会が始動し、この一般グループの貴族が敵に回れば、本来なら得られる協力も得られないと言う意味だ」

「へぇー」

「め、めんどくせぇ……」

「それを踏まえるなら、両方の味方であるとアピールできれば最善ではあるが」


 キリヤナギは少しだけ考えた。両方の味方でありたいのはそうだが、それがうまくいかないからこそ生徒会としての政治力が必要なのだろうと思うからだ。


「ツバサ兄さんのやり方で上手く行ってたなら、僕があえて違うやり方を主張するのも違う気はするんだよね」

「それこそどう言う意味だ?」

「別に困ってないなら何かする必要もないと思うけど、困ってるなら助けたいかな」

「なるほど、ならそれで良いと思う」

「いいのか?」

「少なくとも前回の生徒会への不満は、風紀委員である私のやり方への批判ぐらいだった。今その体制がなくなったことで、大方の不満は解消されたとみていい。起こった問題を、その都度解決してゆけばおとずと形はできてゆくだろう」

「逆に言えば、抑えられていたものが出てくるってことでしょう?」

 唐突なククリールの言動にヴァルサスが顔を上げる。キリヤナギはある程度理解していたことだ。

「去年の生徒会は、貴方へ不満を集中させる事で成り立っていたとも言える。その矛先がなくなれば、自ずと弱い人達へ向くでしょうね」

「は……」

「もういい、終わった事だ。ククリール嬢の擁護はありがたいが、以前の立場へ執着するほど、私は落ちぶれては居ない」

「アレックス、お前……」

「先輩としてアドバイスするのなら、生徒会として活動をする上で貴族達の支持は重要だ。新しいルールを作るためにも賛同が必要であり、それを円滑にするため、私は貴族が有利になるように動いていた。しかしそれは、どこの派閥にも属さないヴァルサスなどの一般生徒にはメリットもなく、デメリットにすらなり得る。よって凶弾されたと思っている」

「僕は何も考えてなかったから、そうとも言えないけど……」

「それが『今』であっただけの話だ、王子ではなくとも、いつか同じことが起こっていただろう」

「……」


 黙ってしまったヴァルサスに、キリヤナギも言葉に悩んでしまう。しかしアレックスの派閥を解体したのは、キリヤナギだ。彼が維持しようとしていた学園の平和をキリヤナギが更地にしたなら、それを立て直す責任はあるだろう。


「先輩の派閥を解体した責任はとるよ。とりあえず、今日の放課後から困ってたら声をかけて欲しいって呼びかけてみる」

「それが良い。続ける事で王子と言う抑止力の存在が知れれば、生徒の非行も減るだろうしな」


 昼を終えたククリールは、授業時間が迫ると手早く荷物を片付けテラスを出ていってしまった。せっかく居てくれているのに話せる事が思い浮かばず、申し訳ない気持ちにもなっている。


「ククリール嬢は、もう少しそっとしておいた方がいい」

「先輩はククのことをよく知ってる?」

「知っていると言えば傲慢になるので言わないが、彼女ほど自由を好む女性もなかなかいない」


 少しでも縛ろうとすると、まるですり抜けるようにどこかへ行ってしまう。アレックスは、ククリールへそんな印象を持っていた。

 その日の四限を終えて、キリヤナギは再びシルフィと共に選挙運動へと参加する。彼女の隣へ立ち、選挙前であっても困っている事があれば相談して欲しいと呼びかけを行っていた。

 帰宅してゆく生徒が途切れ、シルフィとその日も解散となった後、キリヤナギは1人また屋内テラスへと戻って休憩する事にした。

 春の暖かい気候と心地よい夕方の日差しに自然と眠くなって意識が落ちてゆく。眠りかけた時、突然目の前が翳るのがわかって目を開けた。


「……マリー」

「ひゃ、すみません。起こしてしまいました」

「ううん。あの後大丈夫だった?」

「は、はい。騎士さん、みんな優しい人ばかりで......! 安心もできました」

「また狙われるかもしれないし、しばらくは誰かと一緒に帰った方が良いと思う」

「お気遣いありがとうございます。一応今日は母がきてくれるみたいで……」

「よかった」


 嬉しそうに笑う彼女に、思わずキリヤナギも気が抜けてしまう。こうして何気なく過ごす時間こそが、しあわせなのだと噛み締める想いだった。


「マリーは、バイト期間長いの?」

「はい。今年で2年になります。不定期で長期の休みにだけ参加していたのですが、学校との両立は、今の時期が初めてですね」

「そんな長い間いてくれたのに、気づかなくてごめんね」

「いえそんな、気にされないでください。下っ端ですけど、殿下にこうしてお目通りが叶ったのは嬉しいです」

「……ありがとう。僕も話しかけてもらえて嬉しかった。学校では選挙活動頑張ってるから、困ったことがあったら相談してね」

「ありがとうございます、とても光栄です」


 2人で軽い雑談をしていると、廊下側に足音がきこえてくる。こちらに向かってくる2人は、王子をみて救われたような表情をみせていた。


「王子、だよな。マグノリアをなんとかしたって言う」

「こんにちは……。何とかしたっていうのかな? マグノリア先輩は友達になったけど……」


 2人は顔を見合わせて、改めてこちらを見た。その顔は期待が込められているようにも見える。


「俺たちも、助けてほしくて……」


 少しだけ返事に困ったキリヤナギだが、話だけでも聞くためにキリヤナギは向かいのテーブルへと座ってもらった。


「俺ら、この学校の新聞部でさ。よくわかんねぇ連中に部室占拠されて困ってんだよ」

「占拠? どうして?」

「分からない。今日からここが俺らの部屋だって言ってさ。突然きてもう3日入れてなくて……。王子を上げた記事書くからどうにかしてくんね?」

 キリヤナギは言葉を失っていた。生徒間の問題にしては悪質で、見過ごせない問題だとも思ってしまう。


「占領してきた人は貴族?」

「貴族っぽくなかったな。あんな奴学校にいたのか? って感じでさ」

「何人?」

「2人かな、1人は普通に学生みたいだったけど」


 状況がいまいち読みにくいが、ついさっきアレックスと話したばかりで何ができるだろうかと考える。キリヤナギの言葉で聞いてくれるかはわからないが、助けを求めてくれたならそれに応えたいと思った。


「僕でよかったら話だけでもきいてみるよ」

「本当か? 恩にきるぜ!」

「マリーはどうする?」

「あの、大丈夫です。ご一緒します」

「ありがとう」

「やべー奴だから、何かあったら逃げるんだぜ?」


 新聞部の忠告にマリーは怯まず、二人は思わず感心していた。

 その日の授業が全て終わり人がまばらになってゆく大学で、四人は新聞部の部室があると言うクラブ棟へと向かう。

 巨大な学園の隅にあるマンションのような建物は、キリヤナギも初めて立ち寄った場所でその巨大さに驚いた。


「それにしてもマグノリアの派閥を解体してくれたおかげで、俺たちも大分やりやすくなったよな」

「そうなんだ? でも僕も悪いことしたと思ってて……」

「なんで王子が謝るんだよ。こっちはすげー助かったんだぜ?」

「アイツ、俺らの新聞の内容を変える為に圧力をかけたりとかしてきてさぁ」

「表現なんて自由じゃん? そこに口出されてもう最悪」

「マグノリア先輩は、先輩なりに頑張ってたみたいだけど、学校でやる事じゃないなって僕は思ったから……」

「そうだなー。せめて自分が会長になってからやれよ。本当迷惑だった」

「なー」


 後悔はしていないが、キリヤナギの心は複雑だった。解体されて良かったと2人は、おそらくそれが考えられたものであることを意識をしておらず、与えられていた束の間の平和であったことを知らない。もしこの部室の事案が、派閥が解体された事により起こった事ならば、それはきっとキリヤナギの責任だろう。

 話を聞いていたマリーは、視線を落とすキリヤナギをみて優しく笑ってくれる。


「大丈夫です。殿下の所為ではありません」

「え?」

「あ、いえ、すみません。深い意味はなくて……ご自身を攻められていたので、つい……」


 思わぬ言葉に、まるで全てを見透かされたような感覚を得てしまう。その言葉に深い意味はなくともそう言ってくれる彼女の優しさを噛み締めた。


「ありがとう、マリー」

「優しいー、羨ましいぜ。王子」

「うまくいったらめっちゃアゲアゲの記事書くし、生徒会長間違いなしだ!」

「あ、ありがとう。でも強要はしないから、記事にするなら公平で……」

「王子様って謙虚なんだなー」


 本音はメディアが苦手なだけだった。全国メディアは王宮によく来るがいつもひどく緊張し、あらかじめコメントを考え暗記して臨んでいる。数年前までは堂々といれたのに、去年から緊張で体調を崩すようになってしまい情け無いとすら思っていた。

 部室の前に変わりはなく、入り口の新聞部の表札が上から読めない字で塗りつぶされている。新聞部の2人は、後ろへ下がってノックをするマリーとキリヤナギを遠目で観察していた。すると間を置いて平凡な1人の生徒がでてくる。


「なんだよ……って、げ、何しにきた……」

「こんにちは」


 王子の顔を見た彼は、扉を閉めて中へ逃げてしまった。話し声が聞こえ、しばらく待っていると再び扉が開く。今度は、サングラスのガタイのいい男がでてきた。彼は威圧的に二人を睨みつけ、まるで威嚇しているように立ち塞がる。


「何しにきた?」

「ここ、新聞部ってきいてて部員じゃないなら占拠するのはやめてくれないかな?」

「あ? そんな事言うためにきたのか」

「うん、困ってるから返してあげて」


 しばらく向かい合っていたら、突然胸ぐらを掴まれ、キリヤナギは中へ引き摺り込まれた。そのまま壁に叩きつけられ、体が動かなくなる。


「殿下!!」

「ヴィンセント! それ王子だ!」

「知るか。俺はこう言う正義気取りは大っ嫌いなんだ」

「っ……」


 言葉が出てこないが、襟を掴まれて息が苦しい。ついてきた新聞部のニ人は真っ青になって悲鳴をあげて逃げ出した。

 マリーも何も出来ず固まっていて、キリヤナギは彼女を睨み声を絞り出す。


「逃げて……!」


 走ってゆく彼女を見送り、キリヤナギはもう一度相手を見た。胸ぐらを締めてくる相手の力が強く息苦しいが、その態度は明らかに学生ではない。


「正義正義とかいいながら保身に走り、手を出せないやつを盾に持ってくる奴らなんぞ、守る価値なんてねぇだろう? なぁ! 王子!!」

 言葉の後に、ようやく手が緩んで空気が入ってくる。キリヤナギは一旦呼吸をして、目の前の相手を冷静にみた。


「……言いたいのは、それだけ?」

「は?」

「君がこの学校で、何をしようと自由だ。だけど、それはあくまでルールに則ってこその自由でもある」

「……」

「ここは新聞部の部屋だ。それともここを占領する正当な理由があるの?」


 最初に出てきた生徒は、息絶え絶えに話す王子に慌てていた。言い返すキリヤナギをまるで信じられないように見つめ、悪意すら無いように見える。


「は、あると思うか? あればとっくに違う場所にいってるだろ」

「ならどうしてーー」

「俺はこいつに『護衛してほしい』っいわれてついてきたんだ。休憩できる部屋が欲しいつったら、ここに連れて来られただけだぜ」

「ヴィンセント、もうやめろ! どうなるかわかってんのか!?」

「うるせぇなぁ、寄ってくる貴族潰せって言ったのはてめぇだろ」

「ひ……」

 苦しくて意識が朦朧としてくる。このままではいけないと、キリヤナギは覚悟を決めた。

「僕は、彼に何かをする気はない……」

「は?」

「僕が貴族で、彼の敵になるなら、君は彼の護衛として僕を殴る権利はある……!」

「んな……」

「でもその権利を行使するのなら、すぐ彼の護衛を降りて、この学園の生徒には手を出さないと誓って。約束してくれるなら、君の僕に対する無礼は全て不問にする」

「は、流石の王子様だな!」


 もしこの男が学生なら、たとえ殴り合いになったとしても「学生間」として大事になることはない。が、キリヤナギはその身なりに違和感を得ずにはいられなかった。

 Tシャツに派手な柄のジャケットの男は、どう観ても授業を受ける「学生」の身なりではない。もし「部外者」なら、「学生間」は成立せず騎士団が動くことは避けられない。その大前提のもと王子のこの言葉は、王族と言う立場から発されたことで一つの取引になる。

 ここでキリヤナギを殴れば、この男はおそらく騎士団の敵になる事は避けられない。しかし、キリヤナギは全生徒の安全を天秤にかけることで殴られてもそうはならない事を保証したのだ。

 殴る代わりに生徒には手を出すなと言う王子に1人残った生徒は絶句して驚いている。


「君にデメリットはない。僕は自分の立場をもって彼を守る! 出て行って!」

「うるせぇ、クソ王子がぁ!!」


 また息ができなくなり、持ち上げられた王子は床へ勢いよく投げ出された。そのまま机の角で後頭部を強打し意識が落ちてゆく。

 男が唾を吐き捨て部室を出てゆくのを、キリヤナギは落ちる意識の中でそれを見届けた。残されたもう1人の生徒は悲鳴をあげて、こちらへと呼びかけにきてくれた所で意識が途切てゆく。

 守れてよかったと、安堵を込めキリヤナギはその日一度意識を落とした。


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