第10話 「タチバナ」的には①

 売店で差し入れを購入したジンは、足早にキリヤナギの居室フロアへと戻る。

 衛兵のいる入り口を抜けると、キッチンにセオはおらず、代わりに一人お茶を楽しむ騎士がいた。

 騎士服をクロークのように羽織るのは、大隊長と副隊長クラスのみの様式で、彼は副隊長を示す青の騎士服を纏っている。


「おや、こんにちは」

「セスナ副隊長……」

「……相変わらず読めませんね。流石です」


 唐突な褒め言葉にジンは返答に迷ってしまう。

 青の騎士服のセスナ・ベルガモットは、【読心】の異能を貸し与えられる親衛隊の副隊長だった。


「隊長きてます?」

「えぇ、殿下に謁見中です。僕は気を遣わせるので、ここでお留守番ですね」


 【読心】の異能は、本人の意思で切り替えが可能ではあるものの、人の心をダイレクトに読んでしまうことから、彼はいつもキリヤナギとは一定の距離を保っていた。


「僕が言うのもどうかと思うんですが、疲れないんですか? それ」

「え、俺は昔からだし今更?」

「貴方のその辺りは尊敬しますけど、信頼できる人います?」

「え? えーっと?」


 「タチバナ」において、【読心】の対策は、相手の意識を入り込ませないよう、心を閉ざす事。つまり、無意識下で「相手への無関心」で対峙する事で入り込めなくなり読めなくなる。

 ジンは性格的にも適性があり、苦労はしなかったが、キリヤナギはこれがどうしても出来ず、もう一つの「無心になる」と言う方法に切り替え訓練を行なっていた。

 セスナが、ジンへ「人との信頼関係」について尋ねるのもこの「無関心」さが人々に受け入れられづらいからでもある。


「殿下には、まぁ?」

「……アークヴィーチェ邸管轄の時点である程度は察してますが」


 話が早いと安心もしてしまう。

 集団生活が大前提のこの騎士業で、少なからず「タチバナ」は同僚達と一定の距離をとらなければならず、まず信頼関係の構築が難しい。ジンは気にもしなかったが、周りはやはり畏怖されているようにも見えたからだ。 


「そういえば、ペナルティ緩くなるみたいですよ」

「本当ですか?」


 親衛隊長がセシル・ストレリチアになってからと言うもの抜け出しが露呈した際は、毎度王子が何をしたかと言う調査が入ることになった。

 ただ散歩していたならそれでいいと言うセシルは、大事にはしないこと心がけ、その行動が果たして正しいか見てくれる。そしてそれが正当なものだと判断された場合、彼は王へと掛け合って理不尽なペナルティから恩赦をもとめてくれるようになったらしい。

 彼が先日、セシルに対して「申し訳ない」と話していたのは、おそらくこの調査の話だと察する。


「隊長の見解的に『殿下の判断は正しい』と言わざる得ないと、「王の力」の海外流出は、我々でも深刻に捉えていたので、それに迅速に対処できたのは賞賛に値します。その上で、『タチバナ』の貴方を同行させたのは、たまたまだったとしても的確だった」

「……」

「結果的に流出は抑えられ『王の力』の回収に至り、かつ敵を逃さず捉えることに成功したのは、標的だった殿下がいたからこそなし得た事でもある。よってそれを咎めるのは少し筋が違うと……」

「へぇ……」

「家族の約束事に関しては関与しかねるとしても、国家的に見るのであれば、不法入国を許した騎士の尻拭いをさせたような物であり、我々こそ責任を負うべきである、としました」

「え、それは……」

「責任はもう捕らえてますから今更ですし、結果的に土日を挟んだ月曜日から外出して構わないと、デバイスは土曜日で返却するみたいです」

「よかったです」

「僕は全消しいけるかなって思ってはいたのですが、このご時世で未成年が夜に出かけるのは流石によくないですし、殿下もわかってやっておられるので、そこは反省しましょうって感じですね」


 妥当な結論でジンは感心せざる得なかった。その行動の全てを否定とするのではなく、部分的に正当性をみとめ、不当な事だけにペナルティがかかるのは、未だ未成年のキリヤナギにのっても納得がしやすい結論だからだ。


「殿下、もう来月には成人ですよね」

「ですね。でもまだ19歳ですから区切りを迎えるまでは、ルールは守りましょうと言う結論です」


 なるほどと、ジンはとても安心してしまった。

 セスナは深くは読めないがジンの穏やかな心の動きを感じとる。しかし、これほどまでにキリヤナギを心配するジンが、アークヴィーチェへ送られていることへセスナはずっと疑問におもっていた。


「……ジンさんって、アークヴィーチェ邸管轄といいながら8人目の親衛隊なんですよね……?」

「まぁ、一応……?」

「なんでです? 希望とかですか?」

「わかんないです」


 セスナは首を傾げていた。

 セシル、セスナ、ヒナギクに加えた他のメンバーとは違い。ジンは普段から王宮には居らず、そのメンバーの一員だと知っているのは王宮でもわずかしかいない。

 キリヤナギの親衛隊、別名、宮廷特殊親衛隊は名前の並ぶ7名は、全員「王の力」を所持している。

 ジンは「タチバナ」であり、「王の力」は渡されておらず、その存在は他の騎士からみればかなり影が薄いらしい。


「隊長いるけど、謁見して大丈夫です?」

「貴方のそう言う物怖じしないところは、ちょっとどうかと思いますけど……」


 怒られてしまった。

 仕方なく待っていると奥の扉が開く音が聞こえ、中へ一礼する赤髪の男性と銀髪の女性が、セオと共に出てくる。

 赤髪のドレッドヘアーを揺らすセシル・ストレリチアは、凛とした表情をみせ、大隊長の証となる赤の騎士服を堂々と纏っていた。

 宮廷騎士団における大隊長は、延べ千人ごとに区切られる、騎士団の最高位の役職にもあたり、セシルはその中でも王子の護衛任務を担う親衛隊の隊長でもある。

 親衛隊における副隊長は一人はセスナ・ベルガモットのみだが、大隊における副隊長は二人おり、一人は同じセスナ・ベルガモット。もう一人はこの銀髪の女性、ヒナギク・スノーフレークだ。


「ご機嫌よう。お久しぶりですね。『タチバナ』さん」

「ヒナギクさん……よかったら、ジンで」

「今更では」

「またせたね。セスナ」

「お気になさらず」

「ジンも久しぶりだ。呼び戻して悪いね」

「いえ、平気です」

「そうか、あえて今回は助かったと言っておく」

「あんまりいい事したとは思ってないんですけど……」

「なら何故協力したんだい?」

「殿下が1人で行くリスクのが危険だと……」

「……なるほど、それは何もいえないな」

「無鉄砲さんですからね」

「一応一通り伝えましたよ」

「そうか。なら私から話す事もないかな……」

「殿下はなんて?」

「私からは『反省』と『遠慮』ぐらいしか読み取れなかったよ。セスナがいたらまた違うのだろうけど、それは卑怯だからね」

「そんな常時読まないですよ……」


 そんなセスナは、対面でジンの心を読もうとしていたが、ジンはあえて突っ込まず黙っていた。

 セシルの隣に立つヒナギク・スノーフレークは、まるでモデルのような長い足と長く美しい銀髪を揺らし、ジンをまるで敵のように睨んでいる。

 ジンは気にしないようにしながら、目の前のセシルへと向き合った。


「……隊長、今回もありがとうございます」

「私は評価しているよ。君は『タチバナ』としての役目を十分果たしている。今回は我々の方が後手だったと言わざる得ない。その上で、殿下からの信頼は、我々騎士が自分で勝ち取らねばならない事だと思っている」

「……」

「お互い殿下の御身を大切に思う立場だ。必要であれば協力させてくれ」

「……わかりました」

「君はそう言って、連絡をくれた事がないな」

「……俺も今回は反省しました。だから改めようとは思っています」

「そうか。なら信頼しているよ」


 セシルはそう言って、2人をつれて廊下へ出ていった。セオは扉の外まで見送り、ジンは一人でキリヤナギの自室へと向かう。

 ノックから返事を聞いて中へ入ったそこは、とても広い豪華な部屋だった。

 分厚い絨毯に大きな勉強机と天井付きのベッド、クローゼットや鏡台まであるのに、そこにはテレビなどの娯楽はなく、本も殆どが教本で漫画や小説は数冊に留まっている。

 開けられた窓からは光が差し込み、春の穏やかな風が吹き込んでいた。

 入って右奥には大きなベランダがあり、そこから抜け出しているのだろうとジンはセオからきいている。

 王子は、ぐったりしていたのか入れ違いでジンが現れたのを見て体をおこした。


「ジン、おかえり」


 セオにも言われた言葉に戸惑ってしまう。ジンは、セオとグランジのように王宮へ長く勤めた覚えはない。

 12歳までは幼馴染として出入りしていたが、そこから8年は騎士学校へゆき卒業後の2年はアークヴィーチェにいたからだ。

 しかしそれでもジンは、何故か「ここが正しい」と言う確固たる認識があった。

 それは「場所」に関係はなく、そこにキリヤナギがいるからこそだとわかっている。


「戻りました。今日から三日ほどですが、よろしくお願いします」

「短い……」

「グランジさんの変わりっぽくて」

「……」


 キリヤナギは一瞬、セシルからの足枷かとも思ったが、彼の誠実な態度を見て考えないようにした。

 キリヤナギの外出先の殆どは、ジンのいるアークヴィーチェ邸であるためにジンを呼び寄せることは、そもそも外出する意味がなくなるからだ。


「ずっと寝てたって、ほんとです?」

「え、うん。なんか身体が鉛みたいにうごかなくて……」

「鉛……?」

「今朝は起き上がれたから、運動したら吹っ切れるかなって思っだけど、まだちょっと怠い」

「大丈夫なんです?」

「わかんない」


 王子はそのまま再びベッドへ倒れてしまった。


「ペナルティ緩くなるって、セスナさんが言ってましたけど」

「うん。でも夜の話は知ってるし、普通なら補導されてる事だからしょうがないかなって、付き合わせてごめんね」

「俺はむしろ当然と言うか、光栄なんで」


 キリヤナギはまだ眠そうにしている。

 元気にみえても、改善しきっていないのだとジンは認識を改めた。


「隊長、何が言ってました?」

「特には……? でも自分を頼って欲しかったとは言ってたかな」

「まぁ、そうですよね……」


 護衛騎士としての当然の言葉だとすら思う。セシルは、徐々にキリヤナギからの信頼を取り戻しつつあるが、取り戻したことでその関係に『遠慮』をもちつつあるからだ。

 ジンからすれば、王子「らしい」とも思うが、セシルからすればこれ以上複雑な気持ちはないだろう。


「でも今回は一応認められたんで良かったんじゃないです?」

「グランジが謹慎なの納得いかない」

「そこなんすね……」


 キリヤナギよりも、ある意味グランジの方が重い。それは護衛騎士としての危機管理能力を問われる事からこそだが、これが原因でキリヤナギは騎士を頼らなくなり現在へ至る。


「来週には出られるみたいだし」

「本当は僕が入んないとなのに……」


 それはそれで大問題だと、ジンは心の中で突っ込んでいた。しかしそれでも、2人の一週間と言う謹慎期間を半分にしてくれたのはありがたいと思う。


「セシル隊長、優しいっすね」

「うん……。申し訳ないから今回は大人しくする」


 ジンはほっとしていた。

 キリヤナギの残り謹慎期間は三日で、ジンは早速、グランジの向かいの部屋を貰って準備を整えることにする。

 キリヤナギが生活するリビングフロアの傍には、ロック付きの騎士の居室があり、常勤の親衛隊は希望次第でここで生活することができる。

 ジンは初めてここへ来たが、バスとトイレキッチンも揃っていて、その広さに驚いてしまった。アークヴィーチェ邸は、外国仕様で使いにくかったが、こちらはオウカ人向けの仕様でどれも最新の設備となっており感動してしまう。思わず絶句しているジンに、セオは思わず吹き出していた。


「親衛隊ってこんな待遇いいの?」

「うん。多分王宮内だと一番じゃないかな? ただ殿下と距離が近い半年以上いてくれた人はグランジぐらい?」

「なんで?」

「当時は抜け出し見逃すと責任取らされたりしてたからね。僕は使用人だからそんな事はなかったけど、とても休めないって言われてたよ。セシル隊長になってからはそれもなくなって、気楽にはなったかな」


 ジンは何故か罪悪感で胸がいっぱいになってまった。たしかにその当時自分がここで働いていたら、とても気が休まるどころではない。


「一応ベランダもあるけど、巡回騎士から丸見えだからプライベートには気をつけてね」

「お、おう」


 部屋は広く、洗濯機から電子レンジ、小型の冷蔵庫まで専用スペースに収まっている。アークヴィーチェ邸では、使用人用の部屋を使い、洗濯機も共用のものが数台置かれているだけで、定期的にコインランドリーにも通うほどだった為、感動すらしてしまう。


「宮廷騎士でその待遇はヤバイし、アカツキさんに相談して」

「え、そうなの?」


 ジンは一応、騎士貴族なのだ。

 一般平民より位が上であり、加えて王族に長く仕える名門で、雇うならその位に見合った環境を用意しなければならない。

 

「俺、どんな環境が適性?」

「この部屋が一番妥当だけど、まぁ無理があるから最低バストイレ別で、半分ぐらいの広さかなぁ。それぐらい宮廷騎士は価値があるし、ジンは名門だから、いるだけでその雇用主の位の高さを証明できるんだよ。だから、その本人を雑に扱うのは本末転倒って言う」

「へぇー」

「ジン、アカツキさんから何を学んだの??」

「俺ん家、もう看板畳んでるし……、名門っていってももう形式だけだって父ちゃんは……」


 セオはため息をついてしまった。たしかに名門タチバナは、もうその意味すら求められる事がなくなり、優遇姿勢もなくなりつつあるからだ。

 思えばリュウドの父もあえて「タチバナ」の名を捨てて独立の道を選んだなら、もうそれは「必要がない」と言う判断なのだろうと思う。


「時代なのかなぁ」

「あんまり考えたことなかったし、知れたのはちょっとは嬉しいかな?」


 セオからすれば、自分の家のことなのに微塵も興味がないジンへ呆れてしまう程だ。名門騎士は本来、その名に誇りを持って使命を全うする筈なのにジンにそんなものは一切感じられず埃がかぶっているとすら思う。

 セオから部屋の構造のレクチャーを受けていると、いつの間にかフロアから出てきたキリヤナギが入り口を覗いていて驚いた。


「ジンはここに住んでくれるんだ?」

「短期間ですけど、空いてたんで……」

「よかったら王宮案内しようか?」

「別に知ってますけど……」

「ジン、何年振り? きてもこことの往復ぐらいじゃないの?」


 セオに言われ冷静になると、たしかに王宮をちゃんと歩いたのは12歳ぐらいが最後だ。それ以降は騎士学校へゆき、寮と往復ばかりしていて、中へ立ち寄ったのは、去年数回様子見に来たのが最後だろう。


「まぁ、なんとなく分かるし……」

「ジンってなんでそんななの……」

「そう言う所、昔から本当変わらないよね」


 王宮の構造にそこまで興味はない。先程、総括事務所で王宮の地図も渡されたし、歩いていればそのうち覚えるとも思うからだ。


「殿下、お昼どうされますか?」

「まだ欲しくなくて……」

「簡単なものをお作りしますから、お待ちください」

「要らないのに……」


 キリヤナギは、セオに引きずられるようにリビングへと戻ってゆく。調子の悪さを見抜くセオも過保護だと思うが、彼が無理しがちなのはジンもよく知っていた。

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