第2話 実は留年の危機

 王宮の西側にある突き当たりのフロアには、一つの入り口があり、その先は王子専用のスペースとして広く取られている。衛兵のいる扉から入ると、左に大きめのテレビにソファと書棚。右にはキッチンとリビングテーブルがあり、そこで1人の使用人が食器を磨いていた。


「おかえりなさい。殿下」

「セオ、ただいま」


 声をかけてくれたのは、整えた茶髪に黒のベストを纏うセオ・ツバキ。彼は王子周辺のスケジュールの管理や生活面を支えてくれる言わば専属のバトラーだった。彼は足を止めず、突き当たりの自室へ向かおうとするキリヤナギを止め、テーブル上の封筒を見せてくれる。


「大学からですね。おそらく成績発表かと」

「え、明日取りに行くつもりだったのに……」

「近いので届けてくださったのでしょう」


 確かに近いと、キリヤナギは納得せざるえなかった。王立桜花大学は、王宮から徒歩で三十分以内の場所に建てられている。また王宮に勤める事務員が、大学の施設も行き来しているらしく、気を利かせて持ってきてくれたのだろう。


「住所かいてないし……」

「経費節約ですね」


 封筒には大学の名前と「キリヤナギ王子殿下」としか書かれておらず、少し複雑な気分にもなってしまう。そっと、手持ちのハサミを差し出しだすセオにキリヤナギは言葉に困ってしまった。


「きになる?」

「それは、もちろん……」


 正直な所、キリヤナギは進級すら怪しかった。それは去年の入学式の後、数日しか出席しないまま休学を余儀なくされたからだ。必要単位が足りない場合、本来なら進学はできないが、必要単位の半分以上が習得できていた場合、仮進級として一応は進級ができる。

 つまり秋学期は8割ほど習得できていれば進級できるが、去年は出席が全く足りず、成績発表の段階では「留年」の判定がおりていた。しかし、それでも教員に相談をして資料を提供してもらったり、補講を受け、再テストへ望んだりと、それなりの努力をして現在に至る。そういった経緯から、いざ結果を見るとなるとハサミをいれる手が震えていた。

 郵送を考えていなかったのか、簡単なテープ張りの封筒もどうなのだろうと思いつつキリヤナギは慎重に開封する。

 成績表は厚紙を二つ折りされた状態で出てきた。評価はA+~Dの5段階で評価があり、Dが不合格で単位を落としたこととなる。

 キリヤナギはしばらく成績表を閉じたまま精神統一し、大きく深呼吸をしてゆっくりと開いた。成績表には上からAやA+が並び、BもCある。歴史学のDが見えてショックをうけたが、最後まで見終えた時、「仮進級」と書かれていてしばらく言葉が出なかった。


「僕、進級できる」

「はい?」

「2回生……!」


 セオはしばらく呆然としていた。そしてまるで詰まるような声で話し、抱きつかれてしまう。


「おめでとうございます! 殿下、本当によく努力されて――……」

「セ、セオ?!」


 騒いでいたら、リビングの入り口が開き、1人の騎士が入ってくる。黒髪に左目へ桜紋の眼帯をつける彼は、180センチはある長身から抱き合う2人を冷静な目でみていた。

 彼は、グランジ・シャープブルーム。キリヤナギの護衛。特殊親衛隊として配属されている騎士の1人だ。


「何があったか?」

「僕、進級できそうで……」


 グランジは、目を見開いて驚き笑みを見せてくれる。穏やかな笑みは普段もあまり見せてくれないものだ。


「おめでとう」

「ありがとう!」

「本当に、本当によかったです。おめでとうございます。陛下と妃殿下にお伝え致しますね」


 セオが伝えなくても、これから家族の集まる食卓へ向かう為、自分で伝えればいい。喜びと感動でパニックになりかけているセオを宥め、キリヤナギはほっとした気持ちで食卓へと向かった。

 食事は朝と昼はセオが作り、夜は王妃たる母が作っている。王宮にはシェフがいて当然仕事もしているが、キリヤナギが物心つく頃にはすでにこの体制は出来上がり、祭事の時ぐらいしかシェフの料理は食べたことがなかった。

 子供の頃は、何故だろうと不思議に思っていたが、のちに暗殺を防ぐ為だと知ったのは十六歳ぐらいだろう。今は自然に受け入れ、それでもいいと思えている。

 普段通りだが、少し緊張しつつ食卓の扉へ向かうと、漏れてくる声をキリヤナギは聞いてしまった。立ち止まってしばらく聞いていると、その声はどんどん大きくなって罵声にかわる。父の怒鳴り声と母の叫ぶような声は、聞き慣れたものだった。成績が悪く心配しての喧嘩なら、進級ができることを報告すれば、少しは改善するとおもっていたのに、聞こえてくる内容は、王族としての在り方を重視するシダレ王と、王の厳格さを母が否定する「いつもの構図」だ。

 民の期待に応え、税金で生活するだけの働きはすべきであると説く王に、王妃ヒイラギは、王族であっても人である事には変わりなく、人らしく生きる事は権利だと言う。そして話題がキリヤナギへ移りかけた時、王子が扉をあけ食卓へと入った。二人の口論は突然止まり、騒がしかった場所は静まり返る。普段の場所へ王子が座り、誰も喋らない夕食が始まっていった。

 これが、王宮での「日常」。食卓での会話は、王が王妃のどちらかがキリヤナギへ話しかけなければ成り立たない。キリヤナギは、二人へ話かけることはなく何も話すことはない。張り詰めた空気は最後まで変わらず、終わる頃にはぐったりと疲れ、王子はため息をつきながらリビングへと戻った。


「進級の報告はできましたか?」


 セオの問いに答えることができない。あんな空気で報告などできないとも思ったからだ。何も応えない王子へセオは察したように、目を逸らしてしまう。


「妃殿下へ成績表をお見せしても構いませんか?」

「え、うん……」

「心配しておられましたから、安心されるでしょう」


 母が気にかけてくれているのは分かっていた。大学へ行くことを提案してくれたのも母であり、好きに生きればいいと言ってくれたのも母だが、それを聞くたびに王子としてそれでいいのだろうかと考えてしまう。


「明日はどうされますか?」

「大学に行くつもりだったけど……」


 成績表が届いてしまい、行く意味がなくなってしまった。春休みはもう少し続くため出かけたいと思うが、一番よく行くアークヴィーチェ邸は今日行ってしまい迷ってしまう。


「では明日は、来月の誕生祭のお召し物を選んで頂きますね」

「え、わかった……」

「……」


 暇だとわかるといつもこうなる。

 セオは、大きめのデバイスを利用してスケジュールを整理しているようだった。ここまで、後ろにいるグランジは一言も喋らず、ずっとキリヤナギとセオの対話を眺めている。彼は眼帯をつけ、さらに長身であることからクールな印象を持たれはするが、セオやジンよりも優しく温厚で、まるでキリヤナギを弟のようにみてくれる。


「どうした?」


 見上げるように眺めるとこうして声をかけてくれる。ジン、セオ、グランジの3人は、キリヤナギの子供の頃からの幼馴染だった。かつては王宮を走り回り臣下達を困らせもしたが、グランジとセオはここにいるのに、何故ジンだけがいない。本当の理由はセオもグランジも知らされてはいないが、それは王宮で冷遇される『タチバナ』であるからなのだろうとキリヤナギは、悔しくも思っていた。


 そんな王宮での一日が終わってゆく中、同じく首都のアークヴィーチェ邸も穏やかな夜を迎えていた。外交大使の嫡男たるカナトは、皆の業務の終了を見届け、邸内の使用人の部屋で寛ぐ。


「はは、なるほど。だから左遷されたのか」

「左遷じゃねえ!! 配属! 俺はここになったの!」


 夜の憩いの時間。十八時の定時から騎士の業務を終えたジンは、自身の部屋へ突然現れたカナトに、ちょっとした昔話をさせられていた。

 このガーデニア大使館は、敷地内だとガーデニアの法律が適応されるため、アークヴィーチェ家は、自身が管理する騎士をガーデニアより同行させ警備を行なっているが、その中でジンは、一人だけオウカの国から派遣されたいわば嘱託騎士にも近い。

 突然配属が決まった為に、当然敷地内の寮には空きがなく屋敷の使用人向けの部屋で生活している。


「たしかに、これほどまでやる気のない貴様を騎士長へ据えることはできないだろう」

「うるせぇよ」


 このカナトは、ジンが配属されて当初から、本来優遇されるはずの彼がここへ来たことへの興味が尽きなかったようだった。ジンの『タチバナ』という姓は、過去にオウカ国の南東の領地を納めた実績をもち、数百年前には本家を首都へ移動させ、宮廷騎士貴族として長く王宮へと支える名門だからだ。他家とは比にならない王族との信頼関係により、代々で騎士長を世襲してきたが、ジンはいくら期待されてもそのような役職に微塵も興味がなかった。


「太古からの風習を変えることは難しい。貴様がここへきたのは『タチバナ』という名の威力を削ぐためなのかもしれないな」


 政治的な公爵家とは違い、騎士は怪我や病気などで入れ替わりが激しく、長く続いた家であっても事故などで働けなくなる事も珍しくはない。つまり何世代に渡り王族へ支え続けた「タチバナ」は、まさに唯一無二の信頼を得ていると言っても過言ではないが、その権威はジンの父の世代で終わろうとしている。


「私は面白いと思うぞ? 『タチバナ』と言う反逆者の末裔が、年月をかけて信頼を取り戻し、今や騎士長を何代にも世襲するにもなったことは、まさに名家というのに相応しい」


 「反逆」といわれても、ジンはピンと来なかった。しかし自身が学んできたものは確かに王家の力とは真逆の力で間違ってはいないのだろうと思う。


「だが近年は、この世襲を続けることへ果たして意味があるのかと問われているのだろうな」

「別に俺は、殿下が元気ならなんでもいいかな」

「はは、『らしい』が、左遷といってもこの配属は確かに的を射ている。貴様は我がガーデニアの方が向いてそうだ」

「どういう意味?」

「王子に飽きたら、我がガーデニア騎士団へ来るといい。歓迎するぞ?」

「いかねー!」


 外国などに興味はない。ジンはキリヤナギのいるこのオウカが好きだったからだ。

 そんなオウカの国の1日が終わってゆき、平和な大国は朝を迎える。首都は通勤する人々で賑わい、街を循環するバスや列車が動き出す中でククリールは一人、街を歩いていた。首都にあるカレンデュラ家の別宅から出発した彼女は、今日は大学の書類が届くまでのんびりしようと思っていたのに、大学側の不備でカレンデュラの実家へと送付されてしまい、やむを得ず登校を余儀なくされたのだ。

 しかしククリールは、この時間が嫌いではなかった。

 ククリールは、公爵令嬢でありながらも一人の方が好みで、羽を伸ばせる一人の時間はククリールにとっては憩いでもあるからだ。

 大学の事務所にて、書類を受け取ったククリールは中身を確認しつつ帰路へとつく。このまま図書館にでも寄ろうと、再び首都を歩いていると、ふと後ろからいくつかの視線を感じた。

 気のせいかもしれないと思い、気にせず図書館へと向かうが、それは途切れることはなく、振り返ってもこちらを見る影は見当たらない。

 ストーカーは珍しいことではなかった。

 公爵令嬢であることから、男性生徒には入学当初から目をつけられ、話しかけられては、ある日突然婚約を申し込まれたりもしたが、全て断って現在まできている。2度と寄ってこないよう辛辣な言葉をかけても、むしろ喜ばれた事もあって恐怖を感じたが、以来音沙汰がなくなって考えないようにしていた。そんな経験を踏まえると、学校から追ってきているのだろうと憶測し、どうしようかと悩む。一応は図書館へ入り普段通り読書を楽しむが変わらず視線を感じて不思議にも思った。

 散々時間を潰し、図書館をでても追ってきて呆れてしまう。そこまで追うことのできる執念に完敗だとも思い、別宅を知られる方がまずいと考えたククリールは、黄昏時の公園へと向かった。いざとなればクランリリー騎士団へ助けを求められるよう。付近の管轄署を確認し、公園へと入る。するとようやく追ってきたらしい数名が目の前に現れた。

 見た目は普通の一般市民だ。しかし顔は見たことがなく、誰だろうと思った。


「こんばんは、はじめましてカレンデュラ嬢」

「ご機嫌よう。何がご用かしら?」


 相手の言葉のイントネーションが僅かに違い、ククリールは嫌な予感がした。この国で扱われる言語は、おおよそ2種類あり、一つは常用のオウカ語。これはかつてガーデニアで使われていた言語から派生したもので、街に当たり前に存在する言語だ。

 二つ目はガーデニア語。これは文字通りガーデニアで使われている言語で、駅などの公共施設で見かける言語でもある。

この大前提から、目の前の人間のイントネーションを聞くと、どちらの言語でもないことがわかり、ククリールは直感で恐怖を得た。彼らは、オウカ人でもガーデニア人でもないと察したククリールは、振り返って一気に走り出した。騎士団の管轄所まで逃げ切れればと思ったが、進行方向にも人がいてククリールは、抱えられるように捕まってしまう。

「いやっ――」

 口を塞がれたかと思うと一気に意識が落ち始め、ククリールは後悔した。昨日、一緒に喫茶店へ行こうと言ってくれた彼が脳裏に浮かび、後悔をしながら眠りへとおちてゆく。

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