十月(後期開始)
十月一日(金)始業式
二部に分かれた始業式は、私のクラスは後半の方で昼一時からだったので、中途半端だなと思いながら十時に家を出た。お昼は学校で食べるために持って行った。着いてから、教室で食べようと思ったけど足が向かなくて、仕方なくM先生の研究室に行った。先生も、スーツを着て「普通」に変身していた。おにぎりが全く入ってこなかった。
そのあとY先生の研究室に行って、少し話した。避難訓練があったので、「私だけ避難できなかったらどうしましょうね」と書いたら、「本当に災害が起こったときは、あとで訴えられてもいいから抱えてでも連れて行く」って言ってくれて嬉しかった。
教室に行こうとして階段を降りていると、あと一階というところで止まってしまった。集合時間になっても私が教室に来ないので、Y先生が探しに来てくれた。そしてM先生が助けに来てくれた。私とM先生は、火事を予測して先に避難することになった。教室に入れるように、夏休みずっと準備してきたのに、それができない自分が嫌になった。
十月四日(月)後期の授業
朝一番から体育で、体育館に入れずに外で突っ立っていたら、見つかって教官室に入れてもらえた。お昼は教室で、弁当を開けるところまで行ったのに食べられなくて、もう一回閉めて歴史の先生のところで食べた。午後の情報は外から聞いた。(そのあとの授業はどうしたか忘れた)
十月五日(火)Y先生不在
昨日の帰りにクールダウンできなかったから、Y先生と話したかったけどいなかった。はじめの数Ⅰは行けなかった。でも、化学はとりあえず行って、外にいたらクラスの子が見つけてくれて入れてくれた。歴史も、歴史の先生とお弁当を食べてから行けた。Y先生が不在でもなんとかなった。
十月六日(水)やっと
六時間目まで全て受けられた。数Ⅱと地理があったので、ラッキーな日だとY先生は言っていた。
十月七日(木)実験のあと
硫化水素を使う実験をした。腐卵臭で頭が痛くなった。そのあと物理は座ったけど、耳鼻科検診は行けなかった。そのあと数Ⅱも座ったけど、教室を飛び出したくなって席を立ったら、先生が来てくれてY先生を探してくれた。いなかったけど。多分購買に買い物に行ってるだけだと思ったので、少し待ってから研究室に行ったらいた。たくさん話した。キラキラした高専生を夢見ていたのに、またそこから遠のいてしまった。私が学校にいなかったら寂しいらしい。失礼なこともたくさん言ったと思う。
十月八日(金)朝から
Y先生は英語担当で、朝から英語だったので受けられた。午後の化学はまた外で聞いた。そのあと化学の先生と話した。月曜日から、体育は剣道。武道場にすら行ったことがないけど大丈夫なのか。
十月十一日(月)早退
武道場には、クラスの子が一緒に行ってくれて、でも私だけ着替えていないから浮いていた。見学ってだけでも浮くのに。目標だったレポートの提出はできた。そこから、教室に戻れなくてずっと、武道場の前にいたら学年主任で体育担当の先生が来て(実はそれを待っていて)、二時間ぐらい立っていたから疲れていて、泣いてしまった。先生に提案された、学校での過ごし方はどれもできないと思って、「目標も達成できたんだったら、帰ってもいいんじゃない?」と言われたので、お弁当を食べて、本当に帰った。
十月十二日(火)絶望
もう、高専なんかやめていいや。
数Ⅰの先生とは合わないって前から思っていたけど、これはひどいと思う。私が教室に入りづらいことなんて、絶対知ってるはずなのに、助けてくれていた子たちと私に向かって「今チャイムが鳴ったので教室にいない人は遅刻です」だって。もう、自分が何を思っていたのか、全く覚えていない。何も思っていなかったのかもな。Y先生はいない日だった。しかも筆談ノートは、リュックだけみんなで持って行ってくれて、その中にあるしでどこにも行けなかった。M先生の研究室にすら。いや、この苦しさを、恥ずかしさを、悲しさを、自分から言おうと思えなかったから、ただその場にうずくまっていた。それから、隣のクラスで授業していた先生に見つけてもらって、車椅子で保健室に運ばれた。本当に惨めだった。あとは昼まで寝て、歴史だけ出た。数Ⅱの先生に聞きたいことも聞いて、部活にも行った。
十月十三日(水)昨日のこと
しんどくて休んだ。自分からはY先生に何も言えないと思った。(この辺りの記憶は全然ない)
十月十四日(木)教えてくれたこと
部活もクラスも一緒で、一番LINEで話す男子、Tくんが、今日Y先生から火曜日のことを全体に話されたと教えてもらった。私はY先生に言ってないから、誰かが言ったんだろう。みんなにどう思われているのか怖い。数Ⅰの先生はしかも、あのあと「今日は遅刻にはしませんが、次からは気をつけてください」みたいに言ったそうだ。明日は行こうと思っていたのに、行けない。
十月十五日(金)責めてしまった
昨日聞いたことがあって、やっぱり行けなかった。メールでY先生を責めてしまった。「私がその場にいても、全く同じ話をしましたか?」って。でも、先生は怒らずに返信してくれて、月曜日に来たときに話しましょうということだった。
授業時間のあと、昨日とは別の友達から連絡が来て、「クラスのみんなが数Ⅰの先生に対してちょっと…って思ってたのを、Y先生が誇りに思うみたいな話だったよ」と教えてくれて、ちゃんと聞けてなかった私が悪いなと思った。月曜日は行こう。
十月十八日(月)仲直り
朝、Y先生に会いに行った。父にも話が行っていたようで、「誰から聞いたの?お父さん?」と聞かれたが、正直に「Tです」と答えて、「今先生が怒ってるからTが怒られると思って迷ってたのか」「Tには注意もしないよ」と言われた。Tくんには申し訳ないなと思っていたが、先生が怒ってるなんて気づかなかったから、びっくりした。仲直りのハイタッチもした。そのあとはM先生に「喋る方法考えといて」と言われたりとかして、ゆっくり過ごした。数Ⅰは、Tくんに、帰ってから「謝罪会見なしで普通に授業だった」と教えてもらった。
十月十九〜二十一日(火〜木)記憶がない
(休んだという記憶がなかったけど、noteに休んだと書いてあるからそうなんだろう。筆談ノートも、多分金曜日に飛んでいる。もちろん、どうして休んだかなんて忘れた。)
十月二十二日(金)相談
Y先生に、これからどうするかを相談しに行った。もう、授業に戻れる自信はなかったので、今年で高専とはさよならする覚悟があることと、そうしたら「夜のあさがお計画」を進めたいことが軸になって話が進んだ。ここからは、そのときの先生の言葉を書いておく。
「今年(私)に出会って、緘黙についてたくさん調べても、あまり研究している人が少なかったりで分からないことも多かった。でもこの計画を実現できたら、(私)自身が緘黙の研究者になって、困っている子を救えると思う。そのために、学校から遠ざかるならできる限りの応援はしたい。パチンコで暮らしていきますとか、そういう相談じゃない、本気の相談だから、先生は(私)の未来のことも、面談で話したいし、この計画だけで暮らしていけるのかとか、深く考えたいと思う。」
そういえば大きい虹が出ていた。校門の前で写真も撮った。
十月二十五日(月)相談二
今日はM先生と話した。先生はドラえもんが好きだから、新しいドラえもんの服を見せに行きたかった。元通信制高校の講師だったから、「休学はせずに、さっさとやめて通信制に行った方がいい」と言われた。Y先生は、「休学して高専のサポートを受けながらでもいい」と言っていたけど。どっちがいいんだろう。M先生は、「中卒はあかんで」とも言っていた。学校でどう過ごしてもいいから、毎日来てほしいとY先生に言われた。明日も行こう。
十月二十六日(火)図書館
そろそろ、Y先生とずっといるのもいけないと思って、図書館に行ってきた。初めてで私のことを知らない職員さんばっかりだから、止まってしまってもいけないので時間を決めて、その時間を過ぎたら迎えに来てもらうことにした。無事に行って帰って来れたけど。明日は休むことにした。Y先生に授業がたくさんあるし、あさっては面談で、その前にちゃんと考えたかったから。
十月二十七日(水)休んだ
休んだ。(多分この辺りから、作文を書いて練習し始めた)
十月二十八日(木)面談
親と一緒に、面談の時間から学校に行った。第一部に、Y先生と両親と私で「あと半年どうする」と「来年からどうする」を話してから、第二部は会議室に行って、カウンセラーさんと相談室長が加わって、まず謝罪された。もちろん数Ⅰのことで。あとは中身のない話をした。第一部では、今年いっぱいは高専にいることが決まった。私は休学でもいいと思ったけど、申請とかがあるから休学するかはまだ決まっていない。
高専日記 おきな @okina_
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