あらゆる表現は受け取り手の中で完成する――と俺は信じる

 文、絵、映像、立体物、音楽、踊り、その他色々。


 あらゆる表現は、受け取り手の中で認知され認識されて完成する。と俺は思っている。

 その根拠を問われると明確には答えられないので、信仰と呼んでも良いが。


『絵に生まれ持った才能は要らない』の回を読まれた方なら理解が捗るかもしれない。絵なら、紙の上に載せた物質やお絵描きツールで描いた画像は、物理現象の元でしかない。

 それが表現として完結するには、物理現象でしかない遠刺激が対象の目によって捉えられ近刺激となり脳の神経活動となり、認知及び解釈となる必要があると考える。


 認知は人の内的なものであるから、人の数だけ捉え方――表現の可能性がある。

 一方で、言語や絵の表現技法や音楽理論が成り立つのは、我々の暮らす世界の物理に法則性があり、個々の持つ認知システムがある程度は共通しているからだ。もしこれが全くのバラバラであれば、言語や音楽の成立は難しいだろう。


 文でも絵でも音楽でも、それが〈他者に認知され解釈されたとき、自分が表現しようとしている感触に近いものになるのかどうか〉は、特殊な事情がない限り、第一の受け取り手である作者自身でチェックされることになる。

 この繰り返しは絵や文を描く作業そのものであると言ってもいい。


 無数にいる人間のたった一人でしかない自分自身のチェックに、どれだけの意味があるのか。これは、個々の持つ認知システムがある程度は共通しているという前提でもって担保されている。「女性に見えるように描けたから、多くの人にも女性に見えるだろう」というように。


 初心者のうちは自己チェックのための見る力や読む力も貧弱なので、容易にデッサン狂ってる絵を描いたり、音痴に歌ったり、意味の通らない悪文を書いたりする。「俺には女に見えるけど、デッサン狂ってるかもしれないし、他人が見たら女に見えないどころかキモいかもしれないし」と不安を抱く。


 そのような状態でひたすらに一人で表現を作り続けるのは、目隠しして絵を描くようなものだ。教本などで理論武装して手探りの精度を上げるのも有効だが、どこかで他者の目を借りたくなる。ならない? まぁ、ならない奴もいるかもな。


 俺は元々、ゲーセンのノートで絵を始めたから、見られながら描くのも見られるのも慣れてたし、見られることで得られる効率を初心者のうちから知ってしまったんだよな。絵に関しては。

 目隠しで一人で悩んでても上達は効率的にできないから人に見てもらった方が早い。

 今はどうだか知らないが、俺がネットに絵を上げ始めた頃は「デッサン狂ってる?」を気軽に聞けるような場所がいくつかあった。


 この段階で強くなるのは「表現として成立してるのか他者の反応を確かめたい」って気持ちじゃないかな。「表現として成立してるのか他者の反応を確かめたい」「例え否定的でも反応が欲しい、そうであればなんらかの表現にはなっているはず」「とにかく確かめさせてくれ」という気持ちが勝る。

 良くも悪くも、俺の場合、絵の方は確かめてくれる仲間に恵まれて成長したので、小説を書き始めてみると「俺が書いているりんごは他者にもりんごに見えるのか」という不安に耐える根性が足りなかった。


 もちろん「確かめたい」気持ちだけではなく承認要求もあるだろう。けどその強さは人それぞれだ。

 承認要求は原始的でどんな人間にもあるものだが、作品を公開する理由が 100% 承認要求にあるという理解は、時に面倒な誤解に繋がる。「承認要求がないってなら、一人でチラシに裏にかいとけや」や「自己満足を公開するな」がまかり通ってしまう。

 この暴論を信じて皆が皆一人でチラシの裏に描いていると、「絵や文や音楽を上手くなりたい」だから「表現として成立してるのか他者の反応を確かめたい」という行為ひいては文化が阻害されてしまう。

 気軽に「デッサン狂ってない?」「おかしいところない?」「見てどう思った?」と聞ける雰囲気が無くなってしまう。


 直接聞くのはとても勇気がいる。だからそっと公開しているという人はすげー沢山いると思ってる。

 カクヨムでもなろうでも pixiv でも。それを全部全部「ワナビーの承認要求モンスター」とか「傷の舐め合い」とするのは、ピラミッドの底辺を貧弱にする。あらゆる文化のピラミッドは底辺が広ければ広いほど安定して将来性もあるってのは経験的にあまり疑いようがないからね。


「だれか指摘してくれるかも」と期待したり。それが難しくとも「読んでくれた人がいるってことは、少なくとも何らかの表現としては成立してるんだ」と手応えを得る。それが、暗闇の中で手探りでやってる人間にどれだけの力になるか。誰にもこれをやめさせる権利はない。

 まーなので、俺個人は「チラシの裏に書いとけ」言われても、淡々と公開してりゃいいと思ってる。


 承認要求の〈承認〉に「表現として成立しているのか」も含むなら、確かめたい派も承認要求 100% になるので、言葉の定義ですれ違ってる可能性はある。

 まぁ、言葉の定義は本題ではないし、言葉の問題であるなら尚のことどうでもいいわけよ。


 承認要求はあって当然なものだけど「それだけじゃないんだけど」と感じる人がいてもおかしくない。そんな全然本質的ではないところで「承認要求じゃないなんて言ってるやつは中身はクソのカッコつけ」とか逆に「承認要求モンスターキモw」とか「才能ないやつは努力しても努力したブスにしかならねーんだよ」とかそういうノイズに惑わされるのが馬鹿馬鹿しいって話よ。

 どんな理由や動機でやってようが、法に触れたり他者に迷惑かけたりしてないなら、表現活動を不当に貶める理由にはならん。

 読み手としてそんなこと気にしたことないしな。作者の動機とか。


 で、まぁ、上達して自己チェックの精度も上がってくれば自分自身でデッサン狂ってる所に気づくようになる。人に見せる前から「この絵が完成したら、殴り倒せそうなくらいの攻撃力は出るな。よし」という手応えを得られるようになる。その勝ちのイメージは大作を完成させるモチベーションとなる。

 俺は小説に関してはその域に達していないが、意味の伝わらなさそうなところや誤解されそうなところがわかったり、ここで感動をフックできそうだなってのも意図的にコントロールできるようになるのかも。


 そうなったら、もう他者の力を借りなくてもいいから「チラシの裏に書いとけ」になるかというと、そうはならない。


 第一に「この絵が完成したら、殴り倒せそうなくらいの攻撃力は出るな。よし」と思えるからこそ、実際に殴り倒してみたくなる。野蛮ではあるがこの衝動と得られる気持ちよさは捨てられねぇよなぁ?


 次に、今回のテーマである、表現は受け取られてなんぼって話だ。


 あらゆる表現は、受け取り手の中で認知され認識されて完成する。認知は人の内的なものであるから、人の数だけ捉え方――表現の可能性がある。と俺は信じているからだ。

 脳の個人差だってあるし、表現が解釈されるときに使われる知識や経験だって人生の数だけ様々だ。作者はそれを誘導はできても、縛ることはできない。

 その多様性こそが、表現の面白さでもあると思ってる。


 それは同時に、受け取り手が表現から自由に受け取って良いことを意味するし、俺は自由に小説を読んで絵を見て音楽を聴きたいし。

「この作品の解釈はこうこうこうが正しいです」ってやつ、いまいち受け入れ難いし。好きに味あわせ※1やってなる。


 作者というたった一人の受け取り手だけではなく、他の人間の中にも表現を投影して様々な完成形を作りたいと思うのは、真っ当な動機じゃないか。そう思う。


 作者の作った刺激が、受け取り手の中に何を生み出し何を及ぼす表現となったのかは、受け取り手からの反応がなければ確かめるのは難しい。

 だから感想も、一般論で作品の良い所を上げるだけでなく「俺はこう思った」「俺はこう感じた」を作者に伝えるのも意味のあることだと思ってる。

 これはなんとなく、表現の読み取り方に正解を求めがちな学校教育の敗北も感じるんだけどね。


 すごく口の悪いこと言うけどさ。全然絵を描かない奴に「すごい上手いですね」と漠然と言われてもそこまでは響かない。「今回はビルを頑張って描いたぞ」って時に「ビルすげー描けてるな!」言われたら嬉しいけどね。

 それより「〜が好き」とか「〜な気持ちになった」とか言われた方が嬉しいというか、そこから得られる栄養素があるというか。


 dA とか海外コミュの方がわりとこの手の感想がつきやすい傾向あるんだけど「この絵を見たとき、私はドアを開け放して外に駆け出たい衝動に襲われた」とかコメントもらったことあって。そういうコメントから得られる栄養素、すごいんで。それこそが表現の攻撃力がもたらすものだからさ。

 なので、恥ずかしさと戦いながら、俺はそういうコメントをしていきたいと思う。


 ちょっと最後は話が逸れてしまったけど、ここまで。


// ※1

〈味わらせろ〉が正しい送り仮名ではあるが、かなり不自然に聞こえる。〈味あわせろ〉の方が自然に思えたため、あえて崩してある。〈味あう〉という音便は、江戸時代から見られるものらしい。

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