絵を描くのに生まれ持ったセンスは要らない

 // 書き溜めてたやつを迷ったが公開することにする


 絵の話をカクヨムで書いてどうすんだ感はある。

 興味ある人は、ゼロとは限らないか?

 それと、絵に関しては結果を出してるので文に比べたら、まぁまぁ自信をもって具体的なことを言えるから書くのが楽というか。


 人って、絵は芸術的センスが必要で、数学は勉強すれば誰でもできるみたいなイメージを抱きがちじゃない? そうでもない?

 俺はこれ、全く逆だと思ってるんだよね。


 絵に生まれ持ったセンスはいらないし、育ちが悪かったり、人生経験が薄っぺらでも描ける。心の底から、そう思ってる。


 文はどうしても育ちとか人生経験の差の壁を感じちゃうんだけど、絵はその辺割と誤魔化しがきくし、脳筋プレイで比較的どうにでもなるので優しい世界。

 あ、一浪もしないでトップクラスの美大に行くみたいな場合は、やっぱ親の教育とか経済レベルの影響でかいと思うから、そういうのは置いといて……


 で、なんで絵に先天的なセンスがいらないのかだが。一番は、視覚認知というのが生物にとって非常に古くから実装されている枯れたシステムである、というのがでかいと思ってる。


 そもそも絵って何で描くと思ってる?

 センス?

 技術?


 根本的にはこう。


 ・〈目で見た情報を認知する能力〉

 ・それによって外界を観察して様々な情報を蓄積する

 ・それらに基づいて出力する運動性能

 ・出力したものを〈目で見た情報を認知する能力〉によって自己テストする


 根底にあるのは〈目で見た情報を認知する能力〉だ。次に運動性能だ。

 あなたに一般的な視覚があるのなら、目の前にあるものが大体わかるはずだ。

 あなたの視覚に不自由があって、指で触れて絵を描いているならこの限りではない。その場合は触覚から認識する能力がこれにあたるだろう。


 何色? ふわふわしてる? つるつるしてる? 形は? プラスチックみたい? 鏡みたい? 水みたい?


 あなたが水の屈折率やそれによる光の振る舞いを知らなくても、水が入ったコップを見れば水だとわかる。電子のふるまいを知らなくても、金属を見れば金属っぽいと思う。皮下で光が拡散することを知らなくても、健康的な肌に透明感を感じる。立方体を立方体だと感じ、手前にあるものは手前にあると認知する。例え片目で見たとしても。

 猫が水を見で水だとわかっているのは、水を飲むのを見れば明らかだ。近づく様子を見れば水までの距離も大凡わかっているように見える。(人間が水という言葉に定めたものを理解してるって意味じゃなくてね。喉を潤せる物体だと認識してるって意味で)


 光の振る舞いから得た外界の情報を〈水っぽい〉などとわかったり、位置関係を把握する能力は生物が生きるのに必要で、非常に古くから実装されている枯れたシステムであるというのはあまり疑う余地が無い(実際に論文漁った訳ではないので、違ったらすまんだが)


 それに比べると、言語能力や数学能力は進化の過程においてはつい最近のものだ。だから個人差も大きいのではないか。視覚認知能力は言語能力や数学能力に比べたら安定しているように思う。

 これが、絵に生まれ持ったセンスはいらないと俺が考える一番の理由。


 もちろん、視覚認知にも生まれついての障害例はあるし、人は生後ずっと暗闇に閉じ込められるなどして十分な入力が得られなかった場合、見る力が育たず弱視になる。(これは光学的な問題による視力の低さとは異なるから、光学的な解決ができない。メガネやコンタクトで補正できない)

 そういうケースを除いて、普通に育ったなら認知能力はあるはずだ。その認知能力の育て方も文章力などと違って特別な行動は必要ない。それこそ暗闇に閉じ込めるとかしない限り見る力は育つ。


 文章力や数学で悩む人間は多いが「水をみても水だとわからない」で悩む人はそうそういない。俺の周囲にいないだけかもしれないが……


(先天盲の人が大人になってから手術をした場合、物理的には光は届いていても脳の見る力が育ってないので「見えているものがなんなのかわからない」状態になる。そのあと長い年月をかけて、見る力を育てることになる。この辺の例外に触れてるといくら紙面があっても足りないので程々で。ちなみに俺の処女作ではこの辺の話に少し触れてる)


 あとは動く手があれば絵は描ける。手がダメなら足で、足がダメなら口かもしれないが。

 センスとかはそれに比べたら、割と簡単に後から知識で付け足せる能力でしかない。


 だから、絵というのはスポーツや楽器演奏に近い性質がある。それらのテクニックを知っても、やったことのない人がいきなりその通りには動けないように、絵も全く描かない人はまず運動性能を上げるところからになる。

 運動性能を上げるつーのがどういうことかというと、目的の動きをするときに視覚情報と噛み合わせながら大脳でいちいち組み立ててるのを、小脳で高速に処理できるまでにするってこと。

 脳の仕組み上、どうしてもここで時間がかかるし繰り返しの運動による学習が必要だから、最初は線が汚いのは当たり前なんよ。


 運動面に関してはわかりやすいと思うのでこのくらいにして、一旦最初に戻る。


 ・〈目で見た情報を認知する能力〉

 ・それによって外界を観察して様々な情報を蓄積する

 ・それらに基づいて出力する運動性能→これはもう説明いらんよね

 ・出力したものを〈目で見た情報を認知する能力〉によって自己テストする


〈目で見た情報を認知する能力〉は脳に問題があったり弱視とかでない限り、「俺は目が見えて、それで普通に生活してるぞ」という人間にならある。


 じゃあ絵描きとの差は何か。

 普通の人は〈目で見た情報を認知する能力〉があまりにも当たり前すぎて「なんでボールは円でなくて球にみえるんだろ」とか「なんで水は水にみえるんだろ」とか「なんでツルツルしたものはツルツルに」とか「なんであれは遠くにあるように」とか「どうして光がそこにあるように」とか考えない。そこの差。


 まぁ、なので突き詰めると、物理と知覚心理学。これを絵描き向けにわかりやすくした名著として『カラー&ライト ~リアリズムのための色彩と光の描き方~』をおすすめしておく。


「リアル絵は描かないから関係ない」でもないんよ。女の子の目のキラキラした透明感がどういう理屈で表現されてるのか。何故、瞳の下側に光を入れると角膜と虹彩の間の空間を感じるのか。何故ハイライトを入れると艶を感じるのか。

 目の構造と光の振る舞いを知っていた方が、表面的に人の絵を真似るよりいい結果が出やすい。応用もきく。何故そういう描き方をするのかがわかるようになるから、絵から得られる情報も増えて技術を盗むのも捗る。

 ついでに資料を見た時に得られる情報も増える。良いことづくめだ。


 絵から受ける情報でそう感じるのは、誰もが持ってる〈目で見た情報を認知する能力〉がそうしてる。水を見て水とわかるように。

 一見リアルとはかけ離れた見た目の絵からも、人間は〈目で見た情報を認知する能力〉でもって処理するわけだ。「この女の子の目はキラキラしていて、おっぱいは前に飛び出してて柔らかそうで、太ももは水に濡れているな」と。

 言い換えれば、絵描きは脳の認知の癖を利用して、絵という二次元の上に好きにデフォルメして再現できる。効果的に脳をフックすれば、絵という限られた平面とダイナミックレンジの中で、現実に匹敵するあるいは超えるほどの体験を見る人の脳内に再現できる。


 ・〈目で見た情報を認知する能力〉→これももう説明はいいかな

 ・それによって外界を観察して様々な情報を蓄積する→普段からモノをよく観察しろ

 ・それらに基づいて出力する運動性能→これはもう説明いらんよね

 ・出力したものを〈目で見た情報を認知する能力〉によって自己テストする


 最後の、出力したものを〈目で見た情報を認知する能力〉によって自己テストする。これにいこう。


 描いた絵を見て〈目で見た情報を認知する能力〉でもって感じたものが描きたいものと相違ないかテストする。異なっているなら、そうでなくなるまで絵を修正する。

 原理的には、これを脳筋的に繰り返していけば時間がある限り、いつか絵は描きたいものに近づいていく。

 単純だろ?


 近づいていかない場合に疑うべきこと。


 まず、描きたいもののイメージや知識が足りてない可能性。

 基本的に、全く知らないものは想像でも描けない。とにかく資料を見てこれを積み重ねないと画力は上がらん。いいから資料を見ろ!! 人体がうまく描けないのは、人体を知らないからに尽きる。


 見ないで描けるのは、散々積み重ねた者だけができる詠唱破棄みたいなもんだ。それも変な覚え方してたら火力は低いままだから、やっぱり時々資料は見て、手癖をアップデートしていった方がいい。


 描きたいもののイメージがはっきりしてるほど、絵を見て感じたものが描きたいものと相違ないかテストしたときに「ん? ここなんか変だな」とわかるようになるし、どう直せばいいか当てずっぽうではなく短時間で答えに辿り着きやすくなる。


 次に、脳の認知の癖の罠。

 昔 Twitter で流行った青いドレスか白いドレスか写真みたいに、人間の脳はホワイトバランスや明暗の相対的なあれこれや、立体の把握に都合のいい処理をしてる。

 この処理は普段生きていく上では便利この上ないし、見る人の脳の癖を利用すれば表現として効果的になる。

 一方で絵を見て感じたものが描きたいものと相違ないかテストし、修正する時には邪魔になる。

「スポイトしてみたら思ったよりずっと暗い色だった」とか「立方体の上の面を変な向きで描いてた」とかがそれだ。


 これはやってるうちに回避する感覚に慣れるというか……見た時の感覚でやってるから説明が難しいんだが。色はスポイトとかで気づくけど立体把握はマジで体感そのもの。脳に素直になれやと祈りながら自分の絵をテストする感じつーか。肝心なところで感覚派の説明になってクソかな?


 あとだんだん脳は慣れてきちゃうから、時間を置いたり左右反転するのが効果的。左右反転も効かなくなっなら、上下反転。文章も左右反転できればいいのに。縦読みでみてみたりするけど。


 あとはそうなるまでそう描けばそうなるので、絵は描けるよ!


 ところで、これ、創作論なんだろうか。絵も創作だから創作論でよくない?

 そもそもカクヨムで書く意味は……


 にゃーん。

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