第9話 危機一髪

「まずい、追いつかれる……」

 

 息が上がってきた。魔物の体力は化け物だ。人間とは比にならないくらい。

 日は完全に暮れてしまい、頼りは月明かりだけだ。視界を奪われるというのはかなりキツかった。

 すると、魔物の一匹が飛びかかってきて、僕の右腕に噛み付いた。


「ううっ」


 僕は呻き声をあげた。激痛が腕に走る。魔物の牙が肉に食い込み、そして骨が砕ける音がした。地面に鮮血が滴り落ちる。

 その拍子に、僕は少女を放り出してしまった。少女は地面に投げ出されるが、直ぐに顔を上げて叫ぶ。


「お兄さん!」

「だ、大丈夫だよ、これくらい」


 少女を安心させるために、無理やり笑顔を作った。

 そして僕は少女から魔物に目を移した。魔物は僕の腕を離そうとはしない。絶対に逃がしはしまいというように、しっかりと牙を立てている。真っ赤な目を光らせ、喉の奥で唸っている。

 魔物は続々と集まってくる。僕はすっかり、四面楚歌になってしまった。


「さて、どうしたものか……」


 武器はあいにく護身用のナイフしか持っていない。こんなもの、きっとあの強靭な牙で一瞬にして砕かれてしまうだろう。


「お兄さん! 何か光るものは持ってない?」


 魔物の向こうから、少女の声が聞こえてくる。


「光るもの?」

「うん! とにかく明るいもの!」


 確かコートのポケットには、ライターが入っていたはず。僕は急いでそれを取り出す。


「あの魔物は暗いところが好きだから、光は苦手なの」


 なるほど。だからこの魔物達は、夜に活発になるのか。

 僕は噛み付いている魔物の目の前にライターを持っていき、点火した。小さな炎でも、暗い森は一瞬にして明るくなる。すると魔物は目を眩まし、力を弱めた。その隙に僕は身をかがめ、火をつけたまま怯んでいる魔物たちの間をぬって抜け出した。

 僕は少女に追いつき、走って逃げる。魔物たちは直ぐに気を取り直し、再び追ってくる。こんなに小さに明かりでは、流石に逃げはしないか。

 走っていると、急に道が無くなった。そこは崖になっており、通ることの出来なくなっていた。


「まさか、行き止まり?」


 僕は焦る。見上げたところ、五メートル程はありそうだ。木の根や蔦が岩に絡みついているため、登れないことはなさそうだ。でも今は、少女がいる。僕一人ならどうにかなりそうだが、今は右手を負傷しているため、少女を抱えて登るのは厳しい。

 なんて考えていると、少女の声がした。


「お兄さん、こっち!」


 いつの間にか少女は僕の元を離れ、少し先の方にいた。少女の目の前にある入り組んだ岩には、人が一人通れるくらいの隙間があった。少女は素早くその中に入り込む。

 僕は間一髪のところでその隙間に身体をねじ込んだ。後ろで魔物の歯が触れ合う音がした。この隙間は、魔物には小さすぎて入ることはできない。

 隙間は僕と少女が入ってもまだ少し余裕があった。僕と少女は奥の方で身を寄せ合い、小さくなる。

 魔物は無理矢理尖った爪を隙間に入れてくる。

 しばらくの間魔物たちは近くをうろついていたようだが、無理だと判断したのか、じきにどこかへ行ってしまった。

 

「助かった……」


 僕はほっと息を吐いた。


「間一髪だったね」


 少女は安心したように言う。


「もう外に出ても大丈夫だよね」


 僕がそう言って抜け出そうとすると、少女は僕の服の裾を引っ張る。


「ダメだよ。まだその辺を魔物がうろついているかもしれないよ。それに、お兄さん怪我してる。次襲われたら今度こそ危ないよ。朝まで待とう」


 少女は冷静に言う。妙に納得が言ったので、僕は少女に従うことにした。まだ幼い少女なのに、やけに肝が据わっている。彼女を助けるどころか、僕が助けられてしまった。


「そういえば、まだ名乗っていなかったね。僕はルディだ。よろしく」

「じゃあ、ルディお兄さんだね。私はヘレナ。よろしくね」


 自己紹介を終えた後、少女は申し訳なさそうに言う。


「ルディお兄さん、腕、大丈夫? 私をかばってくれたから……」

「ああ、これなら気にしなくて良いよ。明日にもなれば、多分治っているから」

「え?」


 顔は暗くて見えないが、ヘレナは相当驚いているだろう。目を丸くしているのが安易に想像できる。実際、砕けた骨は、既に修復し始めている。我ながら圧巻の再生能力だ。痛いのは最初だけだ。でもその痛みは、死んでしまいたくなるほどの苦痛だ。


「だって、血がたくさん出てたよ。あんなの、一日じゃ治らないよ」

「それが治っちゃうんだよね、不思議なことに」


 僕は苦笑する。すぐに治ってくれるのはいいが、僕の着ていた白いコートはグロテスクな紅に染まっていた。これ、結構お気に入りだったのに。魔物に噛まれたせいで、腕のところが破けてしまっている。


「……も、もしかしてお兄さん、人間じゃない?」


 ヘレナは恐る恐る尋ねる。その調子が可笑しくて、僕は思わず笑ってしまった。


「違うよ。僕はちゃんと人間……」


 疑問が僕の頭をよぎる。

 僕は、本当に人間なのだろうか。不死身の身体を持ってして、人間だと言えるのだろうか。驚異的な再生能力。八つ裂きにされても僕は死なない。こんなのまるで、怪物……

 僕は慌てて頭を振った。そんなこと、今はどうだっていい。


「僕は人間だよ。ちょっぴり特殊な人間」

 

 明るいトーンで、自分に言い聞かせるように言った。ヘレナもそれで納得したのか、それ以上言及はしてこなかった。


「そんなことより、君は怪我していないかい?」

「私は平気だよ。傷一つ無いから、心配しなくて大丈夫だよ」


 少女は答える。


「でもお兄さん、どうしてこの森に入ってきたの? 魔物が住んでいること、知らなかったの?」

「知ってたよ。だけど、なんとかなるかなって思って……」


 軽い気持ちでこの森に入ってしまったことが情けない。ヘレナがいなかったら、僕は魔物の餌食になっていた。

 でもそんな僕のことより、彼女のことの方がよっぽど気になる。こんなに幼い少女が魔物の森に一人っきりなんて。どう考えても何か理由があるはずだ。

 

「君の方こそ、どうしてこんな危険な森にいるんだい?」

「私? 私は……」


 ヘレナの声の調子が変わる。


「……探し物を、してるの」

「探し物?」

「うん。ずっと前に、お姉ちゃんと約束したんだ……」


 ヘレナはゆっくりと、この森にいる理由を話し始めた。







 

 

 


 



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