第6話 届けられなかった手紙
「ルディがこの家にやって来た時、私はレオンが帰ってきたんだと思った」
僕は七年前のことを思い出す。あの時僕は、お腹を空かせた孤独な泥棒だった。ユーリに呪いをかけられてもなお、僕は自らの手を汚そうとしていた。それをテイラーおばさんが、救ってくれたのだ。
しかし、なぜ彼女は、そんな見ず知らずの犯罪者に、咎めることも無く手を差しのべてくれたのだろう。でも今、それが何となく分かった気がする。
「テイラーおばさんは、僕がレオンさんに似ていたから、助けてくれたの? 僕はレオンさんの代わりだったの?」
気づけばそんなことを聞いていた。意地の悪い質問だとは分かっている。だけど、やっぱり僕にはまだ、その理由が理解できなかった。
「確かに最初は、レオンに似ていると思ったよ。レオンだったらどれだけ良かったか」
僕は胸の奥が少しだけ痛んだ。
テイラーおばさんはずっと、何十年も自分の息子に会えていないのだ。そう願うのは当たり前だ。
「でもね」
とテイラーおばさんは続ける。
「あんたはレオンじゃない。レオンの代わりなんて、この世にはいないよ。ルディはルディなんだ。私は絶対、あんたがレオンに似ていなくても、風呂を沸かして、温かいシチューを食べさせていたと思うよ」
声は弱々しかったけれど、その言葉には芯があった。
人助けに理由はいらない。きっとそれが本心で、テイラーおばさんの信念なのだと思う。
「別にあんたにレオンのことを隠しているわけではなかったんだが……言っていなくて悪かったねぇ。嫌な思いをさせてしまったようで」
「テイラーおばさんは何にも悪くないよ。悪いのは全部、僕なんだから」
僕は力無く微笑んだ。
これだけ優しくされたのに、言わないなんて卑怯者だ。僕は拒まれる覚悟で、言わなければならなかったんだ。それだけのことを、僕はやってしまったのだから。
嫌われたくない。そんな甘ったれた考えでは、僕は何千年経ったって罪を償うことなんてできない。
「ルディ」
テイラーおばさんは、僕の名前を呼んだ。
「あんたも何か、私に隠していることがあるだろう?」
そう言うと、テイラーおばさんは悪戯っぽく少しだけ口角を上げた。どうやら彼女には、お見通しだったようだ。
「別に、無理に聞こうだなんて思ってはいないよ。ただ、あんたも色々抱えているんだろうなぁと思って」
言うチャンスは今しかない。残された時間はもう僅かだ。
「テイラーおばさん、僕、実はね……」
僕はテイラーおばさんに、全てを打ち明けた。僕が犯した罪のことも、悪魔にかけられた呪いのことも。それだけじゃない。僕が生まれ育った環境のことも、なぜテロを起こしたのかも全てを話した。
まるで丸裸で真冬の海に飛び込んだ気分だった。冷たくて痛くて苦しかった。だけど彼女は僕に手を差し伸べて、ふかふかのタオルを巻いてくれた。それだけで良かったんだ。
「私はルディの過去がどんなものでも、拒絶なんてしないよ。大丈夫。過去の過ちは、時間をかけて少しずつ償っていけばい。今のルディなら、それができるだろう?」
僕は泣きながら何度も頷いた。僕は随分と、泣き虫になってしまったようだ。凍りついていた心は、彼女の温もりによって溶かされていった。
テイラーおばさんの寛大な心と優しさに、僕のすべては救われたのだ。
***
テイラーおばさんは日に日に弱っていく。残された時間はもう本当に少ない。
僕はテイラーおばさんのアルバムを見ていた。レオンさんの幼少期。仲良さそうな三人家族だった。羨ましかった。僕には、こんな時代は存在しなかった。そしてもう、取り戻すこともできない。
ページをめくっていると、何やら封筒が落ちた。それを拾い、宛名を見る。
”親愛なるレオンへ”
裏にはテイラーおばさんの名前が書いてあった。
僕は急いで立ち上がり、ベッドで寝ているテイラーおばさんのもとへ行く。
「テイラーおばさん。この手紙って……」
「ああ、それは、私がレオンに宛てて書いた手紙だよ。書いたはいいけど、レオンがどこにいるのか分からないから、結局届けられなかったけどねぇ」
今にも消えてしまいそうなか細い声で、テイラーおばさんは言った。
「そう……なんだ……」
僕は手紙を見つめた。このまま、この手紙はずっとこの家で、レオンさんに読まれることなく眠ったままでいるのだろうか。そんなの、悲しい。
レオンさんは、おじいさんが亡くなったことも、テイラーおばさんがもう長くないことも知っているのだろうか。知らないのだとしたら、このことは必ず伝えるべきだと思った。
「ねえ、テイラーおばさん。その手紙、僕がレオンさんに届けてもいい」
そう提案すると、テイラーおばさんの眉毛がピクリと動いた。
「届けるって言ったって、私はレオンがどこにいるかは知らないよ?」
「うん、分かってる」
そんなこと、重々承知だ。僕には有り余るほどの時間が残されている。この世界の中からレオンさんを見つけ出して、手紙を渡す。それだけの覚悟はあった。
「本当に、本当にいいのかい?」
テイラーおばさんの声に、ほんの少しだけ元気が戻った。
「うん、まかせて。絶対に届けるから。約束」
僕は小指を差し出した。するとテイラーおばさんは、震える手で小指を絡ませる。
「ありがとう、ルディ」
テイラーおばさんは優しく微笑んで言った。幸せそうな顔だった。
***
テイラーおばさんは、それから十日後に空へと旅立った。医者に言われていたよりも随分と長く生きた。テイラーおばさんらしいと思った。
葬式には村の皆が参列した。テイラーおばさんの死に、村の皆は涙を流した。誰にでも優しくて、強いおばあさん。愛されていたことがよく分かった。
葬式に参列したのは初めてだった。人が死ぬ時は、普通ならこんな感じなのかと分かった。僕の生きていた世界では、その辺に死体は沢山転がっていたし、こんなに盛大ではなくただ土に埋められるだけだった。
嘲笑われながら死ぬ人生よりも、こんな風に惜しまれ泣いてもらえるような人生の方がいいに決まっている。まあ、僕はどう足掻いても孤独に死んでいく運命なのだが。
「ルディに出会えて、私は良かったよ」
テイラーおばさんは、最後にそう言った。僕は泣きながら何度もお礼を言った。
僕にご飯を食べさせてくれて、ありがとう。
僕に料理を教えてくれて、ありがとう。
僕と暮らしてくれて、ありがとう。
僕を受け入れてくれて、ありがとう。
僕を見捨てないでくれて、ありがとう。
僕を救ってくれて、ありがとう。
あなたは僕に手を差し伸べてくれた、初めての人だ。僕に優しさを教えてくれた、かけがえのない存在だ。
伝えても伝え足りない。日頃からもっと言っておけばよかった。後悔したってもう遅い。人は失った時に初めて、大切なものに気づくのだから。
だからもう、前に進むしかないのだ。
それでもやっぱり、受け入れるのには時間がかかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます