第5話 星空の下で

 テイラーおばさんに出会ってから、七年の月日が流れた。それは、長いようであっという間だった。

 働いて、美味しいものが食べられて、ふかふかのベッドで寝られて、温かい人々に囲まれて。毎日が幸せだった。

 しかし僕は、心のどこかに罪悪感を覚えながら、日々を過ごしていた。

 テイラーおばさんには何も言えないまま、僕はこの七年間、何一つ不自由な暮らしてきた。でもそれが、次第に苦しくなっていった。

 全てを吐き出してしまえば、僕は楽になれる。でも、テイラーおばさんはどう思うだろうか。僕が犯した罪を知ってしまえば、彼女は僕を拒絶するだろうか。

 

「ルディ、外へ出ておいで。今夜は星が綺麗だよ」


 前よりも明らかに覇気の無くなったテイラーおばさんが、ベランダから呼んでいる。僕は上着を羽織って、ベランダに出た。

 今日の空気は澄み切っていて、星々が鮮明に見える。


「ほんとだ、綺麗だね」


 僕とテイラーおばさんは、しばらく無言で空を眺めていた。静寂が訪れた。虫の声一つしない、静かな夜だった。

 その静寂を破ったのは、テイラーおばさんだった。


「空の上ではさ、おじいさんが私のことを待っているんだ」


 彼女が急にそんなことを言い出したので、僕は驚いた。


「私ももうすぐ、あの空へ行くんだよ」


 テイラーおばさんは穏やかな口調で言う。


「それって……」


 その先の言葉を、僕は言えなかった。

 僕は今まで、死に対して無頓着だった。ただ、もう二度と動かなくなってしまうだけ。そういう認識しかしていなかったし、誰かの死に何か特別な感情を抱いたことは無かった。

 それなのに……

 

「ルディは、私がいなくなったら悲しいかい?」


 テイラーおばさんは尋ねる。

 僕は、テイラーおばさんのいない生活を想像してみた。しかし、できなかった。

 僕の人生は、彼女に救われたのだ。

 今の僕を作ったのは、テイラーおばさんだ。彼女がいなくなってしまうなんて、考えられなかった。


「嫌だ。テイラーおばさんがいなくなるなんて嫌だよ」


 そう答えると、テイラーおばさんは微笑んだ。


「そうかい。それは嬉しいねぇ。私も、ルディと会えなくなるのは寂しいな」

「テイラーおばさん……」


 僕は泣きそうな目で彼女を見つめた。どうしてこんなに、胸が苦しくなるのだろう。

 僕はテイラーおばさんに、生きていて欲しい。死なないで欲しい。そう強く思った。そんな風に誰かのことを思ったのは生まれて初めてだった。


「人はいつかは死ぬんだよ、ルディ。それは避けられない運命なんだ。生まれてきたものには、必ず死が訪れる。ルディだって、そうだろ?」

「違うよ。僕は……」


 僕は死ねない。

 そう言いかけたところで、言葉を止めた。

 僕は千年の間、生き続けなければならない。

 全てを話すことができれば楽になれるのに。でも、どうしても、僕には言えなかった。

 テイラーおばさんだけには、嫌われたくなかったからだ。


「あんたはもう1人でも、十分生きていける」


 テイラーおばさんは、小さい子どもをなだめるように、僕の頭をポンっと叩いた。


「私はルディに出会えて、良かったと思っているよ」


 その一言だけで、僕は生に意味を感じた。生きることが幸せだと思えた。

 どうして彼女は、急にこんな話をするのだろうか。本当にもうお別れみたいじゃないか。

 僕はまだ、テイラーおばさんに貰った分のありがとうを、伝えきれていないのに。


 それなのに、テイラーおばさんは、まるでこうなることが分かっていたかのように、次の日に倒れた。


***


 医者によると、テイラーおばさんはもう長くはないそうだ。良くて二週間の命だと。その日以来、彼女はベッドで寝たきりの生活をしていた。

 僕は何とかしてテイラーおばさんの役に立とうと頑張った。せめて、心残りがない状態で旅立って欲しかったからだ。僕にできることなら、なんでもしようと思った。


「テイラーおばさん、何か僕にして欲しいことはない?」

 

 そう何度も尋ねるが、彼女はいつだって首を横に振るだけだった。


「いつも通りでいいんだよ、ルディ。朝日を浴びて、美味しいものを食べて、暖かい布団で眠る。それでいいんだ」


 テイラーおばさんは穏やかに言う。でも僕は、何かを言って欲しかった。テイラーおばさんのために、何かをしてあげたかった。


 ある時、テイラーおばさんは、ベッドの上でなにやら分厚い本を見ていた。弱々しい手で、ゆっくりとページをめくっていく。


「それは何?」


 僕が尋ねると、彼女はその本を見せてくれた。それは、沢山の写真が貼り付けてあるアルバムだった。


「私の宝物だよ。辛くなった時とかに、よく見ているんだ」


 そこには、テイラーおばさんとおじいさんらしき人の若い頃の写真が沢山貼られていた。おじいさんの若い頃は、思っていたよりも厳つい金髪のお兄さんだった。サングラスと煙草が似合いそうだ。

 ページがめくられるにつれて、今のテイラーおばさんに近づいていく。

 あるページから、小さな赤子が写り始めた。


「この子は?」


 僕は赤子を指さして尋ねた。


「ああ、これは、私の息子だよ」

「息子?」


 テイラーおばさんに息子がいたなんて、今まで聞いたこともなかった。まあでも、いてもおかしくはないが。


「この子はレオンといってね。ずっと前に家を出ていってしまったんだ。おじいさんの反対を押し切って、飛び出して行ったきりだよ。俺は都会に行くんだ。都会へ出て、絵を描くんだって。それ以来、手紙の一つもよこしやしない……」


 テイラーおばさんは、困ったように微笑んだ。


「一体あの子は今、どこで何をしているんだか……」

 

 僕はハッとした。そういえば前に、テイラーおばさんの部屋で金髪の青年の写真を拾ったことがある。後回しにしていたらすっかり忘れていた。僕は急いで自分の部屋から写真を持ってきて、テイラーおばさんに見せた。


「ねえ、これ。もしかして、レオンさん?」

「ああ、そうだよ。それにしても、どうしてルディが持っているんだい?」

「テイラーおばさんの部屋を掃除していた時に、落ちているのを見つけたんだ。ずっと聞こうと思っていたんだけど、すっかり忘れてて。ごめんなさい」


 僕はそう言って、写真を返した。


「私が気づかない間に、アルバムから落ちていたみたい。大事に持っていてくれたんだねぇ」


 テイラーおばさんは写真を受け取ると、アルバムの空いているところに貼り付けた。



 



 

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