第7話 旅立ち

 僕は数日間、自分の部屋の片隅にうずくまって、泣き続けた。悲しくて悲しくて、仕方がなかった。これまで、他人の死に対して、何の感情も湧かなかったのに。

 すると突然、目の前に黒い煙が立ち上った。僕はハッとした。煙の中からは、あの時と変わらない満月のような眼をした真っ黒な悪魔が姿を現した。


「久しぶりだな、ルディ」


 ユーリは飄々とした様子で挨拶をした。


「……なんで今ここにお前が現れるんだよ」


 僕は泣き顔を見られたくなくて、そっぽを向く。あの日以来、ユーリは一度も僕の前に現れたことはなかった。


「あれ? 言わなかったっけ? お前がどうしても寂しくて泣きそうな時は、会いに来てやるって」


 寂しくなんかない。お前なんて必要ない。

 そう言えるほど、今の僕は強くなんてなかった。


「……僕は知らなかった。テイラーおばさんの死が、こんなにも辛いものだったなんて」

「やっと分かったか? 誰もが誰かの大切な人。そんな人々の命を、お前は簡単に奪ったんだよ」


 僕は膝を抱えて小さくなった。何も反論できない。ユーリの言う通りだ。

 テイラーおばさんの死は、村の皆が悲しんだ。僕が殺した人々も、誰かがそんな風に悲しんだのかもしれない。

 僕はただ、涙を流すことしかできなかった。

 ユーリはため息をつき、僕の横に腰を下ろした。


「何だよ……」

「落ち着くまで横にいてやるからよ。思う存分泣け」


 やっぱりユーリは、悪魔にしては甘すぎる。僕のことなんて放っておけばいいのに、彼はわざわざ僕の前に現れて、不器用ながらも優しい言葉をかけてくれる。


「……悪魔ってもっと、邪悪でひねくれた性悪なやつじゃないの?」


 僕は鼻水を垂らしながら尋ねる。それを聞きながらユーリは眉をピクピク動かす。


「言ってくれるな。悪魔にも色んな悪魔がいるんだよ」

 

 ユーリは苛立ちながら言う。


「ほら、見て分かるとおり、俺は悪魔界でも超有名な優しい優しい悪魔なんだよ」


 自分で優しいと言うユーリが癪に触り、僕は泣きながら文句を言う。


「……優しい悪魔なら、今すぐにでも僕の呪いを解いて、殺してくれればいいじゃないか。そもそも優しい悪魔なら、なんで呪いをかけるんだよ」


 するとユーリは再びため息をついた。


「それじゃダメなんだ。お前に呪いをかけたのは、お前自身のためだ。頼まれたんだよ。に、ちゃんとルディに罪を償わさせてくれって」

「ある人?」


 見当はつかなかった。僕に罪を償わせようと言う人なんて一体どこの誰だろうか。なんで悪魔にそんなことを頼んだのだろう。


「まあ、直にわかるさ。ていうか!」


 ユーリは話題をガラリと変える。


「お前、なんか俺の時だけ口悪くない? 性格丸くなったんじゃねーのかよ」

「何? 僕の幸せな生活を覗き見でもしてたの?」

「まあ、一応、お前の監視係でもあるからな」


 それは初耳だった。ユーリはずっと、知らないところで僕を見ていたのだ。だから今、図ったように弱っている僕の目の前に現れたんだ。


「ほら、俺も暇じゃねーって言っただろ? お前を四六時中監視しなきゃいけなくて、忙しいったらありゃしない」

「気持ち悪っ」

「あ、ほらまた口が悪いぞ!」

「別に今更、悪魔に気を使う必要なんてないでしょ。それに、ずっと監視しているなら、どうして今まで姿を表さなかったの?」


 気付けば涙は止まっていた。

 申し訳ないが、どうやら彼の前だけでは、昔の自分が出てきてしまうらしい。


「俺がすぐ近くにいたら、お前は俺を頼りたくなるだろう?」


 否定はできなかった。確かに、ユーリは僕のことを全部知っている。ユーリが近くにいれば、僕は縋っていたかもしれない。


「お前は一人で生きていかなければならないんだよ。だから俺は、遠くで見守ってるんだ」


 ユーリはふと、悪魔に似つかわしくない穏やかな表情を見せた。


「それに俺はルディに……いいや、なんでもない」

「何だよ」


 その言葉の先は、きっと重要なことのように感じた。しかし、今は聞くことができなかった。


「とにかく、お前にはやらないといけないことがあるだろ? 冗談でも今殺してくれなんて言っちゃダメだぜ。約束、したんだろ?」


 ユーリは僕を前へと促す。そうだよ。僕はテイラーおばさんと約束したんだ。必ず手紙を届けるって。

 こんなところで泣いている暇は無い。僕は十分、彼女の死を悼んだ。だから、ちゃんと前に進まなければ。テイラーおばさんの思いを届けるために。


「ありがとう、ユーリ。ちょっとだけ元気が湧いてきたよ。僕が今やるべきことは、手紙をレオンさんに届けることだ」


 僕は立ち上がり、ユーリに向き合う。


「お前は優しすぎる悪魔だよ」

「だろ?」


 ユーリは悪戯っぽく笑った。


「またお前が寂しくなったら来てやるよ。そしたら今度は頭を撫でて、体が壊れるくらい強く抱きしめてやる」

「はは。そんな日は一生来ないから安心して」


 なんて、僕はまたしても強がってみた。ユーリが遠くからでも見ていてくれるのならば、それはとても心強かった。まあ、本人には口が裂けても言えないが。


「それじゃあな、ルディ。死ぬんじゃねぇぞ」

「死ねないよ、ばーか」


 ユーリは黒い煙に包まれ、そしてあっという間に姿を消した。

 

***


 アルバムの中からレオンさんの写真を数枚抜き取り、手紙と一緒に丁寧に鞄にしまう。その他にも、お金や少しの食料をつめ、肩にかけた。

 護身用のナイフを腰のベルトに挟み、白いコートを羽織って皮のブーツを履く。

 耳には翡翠色の耳飾り。金色の髪をなびかせ外に出る。

 慣れ親しんだテイラーおばさんの家とは、もうお別れだ。長い旅になることは分かっている。

 でも、ここでテイラーおばさんと過ごした日々は、千年経ったって絶対に忘れない。絶対に。


 そう誓いを立て、僕は旅に出たのであった。


 


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