第2話 老婦人の家

 とにかく、何とかして僕はこの森の中から抜け出したかった。よりによって、どうしてユーリはこんな広い森に僕を一人残していくのだろう。どうせなら、森を出るまで着いてきてくれたら良かったのに。

 冬では無いといえ、夜の森は冷え込んだ。僕は今、擦り切れたシャツとヨレヨレのズボンを身につけている。靴は履いていなかったため、もう既に傷だらけだ。でも、その傷は直ぐに回復してしまう。しかし、また次の傷が出来てしまうため、あまり意味がない。


 僕は三日間森の中を歩いた。森は思っていたよりもずっと大きかった。時々狼の遠吠えが聞こえてきて、身震いをした。

 いくら死なないからって、腹は減るし眠くもなる。森の中といっても、どれが食べられるものなのか分からない。手当たり次第にその辺に生えているキノコや山菜を食べてみた。美味しくはなかったし、腹も完全に満たされるわけではなかった。

 いくつか食べたキノコのうちのどれかが、毒キノコだったらしく、僕はものすごい腹痛と目眩に襲われた。しかもこれが、かなり危険なものだったらしく、しばらくは治らなかった。多分、普通の人間が食べていたら即死だっただろう。

 

 三日間森の中を歩いて、僕は自分の身体について理解した。僕はあくまでも死なないだけだ。お腹は減るし、喉も乾く。睡眠も必要だ。体力も消費されるし、毒は普通に苦しい。僕はただ、再生能力が非常に高いだけであって、その他は普通の人間とほとんど変わらないのだ。

 食べるものがなければ、僕はずっと飢えに苦しまなければならない。

 僕は森の中の湖の水とキノコと山菜で、何とか食いつないだ。

 僕は貧乏な孤児院出身で、食べ物はろくに貰えなかったし、生きるための知識も十分に得られなかった。盗みのコツと足の速さだけは無駄に身についていたが。

 

 森を抜けた頃には、もうヘトヘトだった。そこは小さな村で、僕が元いた街とは全く違った。建物の形も、住んでいる人々たちも。どうやらずっと遠くまで来てしまったらしい。ユーリは一体、どこの森まで僕を運んだのだろう。

 でも、そちらの方が都合がいい。ここには僕の顔を知っている人はいないだろうから。

 とりあえず、僕は適当な家にでも入って、食べ物や金や服を頂こうとした。日が暮れるまで、僕は村人の様子を伺っていた。

 僕は一つの家に目をつけた。なかなか立派な家だったが、そこには老婦人一人しか住んでいないようだった。

 夜中になり、皆が寝静まった後、僕は庭へと足を踏み入れた。裏口の横の窓が開けっ放しなのは、昼間に確認済みだ。僕はそこから素早く中へ侵入した。明かりがついていなかったため、老婦人はもう寝ているはずだ。

 僕は初めにキッチンへと行った。念の為、引き出しをあさってナイフを探し、懐に隠した。

 そして、冷蔵庫を開けた。近くにあった適当な袋を取り、その中にひたすら食べ物を詰めていく。美味しそうなものが沢山あった。つい、ヨダレが垂れてしまった。食べたい欲に眩んで、無我夢中で詰めていった。 

 ふと戸棚を見ると、そこには皿やコップが沢山並んでいた。暗くてよく見えないが、きっとそこそこの値段で売れるはずだ。そう思って、手をかけた時だった。


「おや、そこに誰かいるのかい?」


 心臓が止まるかと思った。いつの間にか、キッチンの入口に、老婦人がランプを持って立っていた。僕としたことが。

 僕は咄嗟に袋を投げ捨て、老婦人背後に素早く回った。そして、持っていたナイフをしわがれた喉元に突きつけた。


「ありったけの金を寄越してくれたら、命だけは助けてやる」


 そう脅した。変な動きをしようものなら、本当に殺してやるつもりだった。

 一瞬、ユーリの顔が浮かんだ。罪を償うんだという彼の言葉が聞こえる。ここでまた人を殺したら、罪を重ねるだけだ。だけど、生きていくには、こうするしかない。

 そんな時だった。この緊迫とした空気の中で、僕の腹の虫がないた。


「お腹すいているのかい?」


 老婦人は、怯えることなくそう尋ねた。


「え?」


 唐突な問いかけに僕はつい力を弱めてしまった。


「それになんだい、その格好は。服もボロボロで、体も汚れて」

 

 老婦人はその隙に振り返って、僕の全身をまじまじと見る。


「ちょっと待っていなさい。お風呂を湧かしてくるから」


 そう言うと、老婦人は何も無かったかのようにキッチンを出ていった。しばらく呆気にとられていたが、慌てて僕は後を追う。

 バスルームに着くと、本当にバスタブにお湯を貯めていた。鼻歌を歌いながら。

 どうして泥棒に入られ、殺されそうになったというのに、こんなに呑気にしていられるのだろう。その上、その泥棒を今からもてなそうとしているのだ。頭がおかしいのだろうか。


「あんたはこの辺じゃ見ない顔だね。家はどこだい?」


 老婦人は尋ねる。


「僕に家なんてない」

「おや、それは可哀想に。こんなにボロボロになるまで、よく頑張ったねぇ」


 老婦人はそう言うと、僕の伸び放題の金髪をクシャクシャと撫でた。僕は思わずその手を振り払ってしまった。


「な、馴れ馴れしく触るな」


 彼女は何かを企んでいるのかもしれない。僕はそう思えてしょうがなかった。


「凶暴な子だね。さあ、これタオルだよ。風呂が湧いたらさっさと入って、さっぱりしてらっしゃい。着替えは後で置いとくから」


 老婦人は僕にタオルを渡した後、スタスタとバスルームを出ていった。僕はその場に取り残される。

 老婦人はどうして、僕のことを追い出さないんだ? 何故そんなに優しくしようとしてくれるんだ?

 僕の頭の中な、疑問だらけだった。

 僕はとりあえず自分の臭いを嗅いだ。もうしばらく風呂には入っていない。嗅覚が麻痺しているのか、特に臭くは感じなかった。

 僕は脱衣所で、ボロボロになった服を脱いだ。腰にタオルを巻き、バスルームへと入りシャワーを浴びた。シャンプーで念入りに髪を洗い、いい匂いのする石鹸で身体の汚れを落とした。

 ふと、シャワーを止めて、僕は鏡に映った自分の姿を見た。所々うっすらと骨が浮き出て見える。いかにも不健康そうな身体だ。

 僕は首元を触った。切られたはずの首は、傷一つなく綺麗にくっついている。

 本当に僕は、死ぬことが出来なくなってしまったんだ。

 僕は乾いた声で笑った。何故だかどうしようもなく、虚しくなった。

 

 

 


 

 


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る