チェリー

「この前はありがとうございました。柚葉ゆずは先輩のお陰で上手く行きました」


 幸せそうに笑う大学の後輩を見送って、張り付けた笑顔が引き攣る。これで何組目だろう。女子目線から見ても恋する彼女はキラキラしていて、とても可愛い。

 そうは言っても、我ながら見た目は悪くないと思うんだけどなぁ。服装にもお化粧にも香りにも気を遣って、髪の先から爪先までつやつやだもん。でも綺麗とか可愛いとか言われる割にモテないのは、なんでだろう。


 頼られるまま後輩や友達のアドバイスに乗ってあげていたら、いつの間にか『恋愛の神様』の立ち位置になっていたけど、実際の私はただの耳年増だ。周りの大人やネットで仕入れた知識を伝授してるだけなので、現実との乖離がひどい。

 もうすぐクリスマスだから、相談者は後を絶たないけれど……自分はと言えば彼氏の一人もいたことなどなく、クリスマスは家族とケーキ食べてパーティーするだけだ。くすん……虚しい。



「柚葉ねえちゃん、女の子クリスマスに誘う時ってどうしたらええと思う?」


 ぐったりして帰宅すれば、高校生の弟が頬を染めてそんな質問をする。優希ゆうきよ、お前もか。弟のくせに姉を差し置いてクリスマスデートなんて生意気。


「知らん」

「そんな……女の子が喜びそうなプレゼントとか、スマートな誘い文句とか、なんかないの?今日はどうしたん?」

「うっさい。人の恋路なんてどうでもええわ」

「うわぁ……荒んでんな」


 優希は私によく似たアーモンド形の目に怯えた色を浮かべて後退った。その手にコートを放り投げて、リビングに向かう。

 炬燵に潜り込んでうだうだ携帯をいじっていたら、優希が紅茶を淹れて持って来てくれた。


「ほら、お茶でも飲んで元気出しなよ。外寒かったやろ?」

「……あんた、それ普通にやってれば彼女も文句言わんやろ……」

「違う!特別感が欲しいの!こういうのは他の子にだって出来るし」

「すな。他の子と同じ扱いはあかん」

「もう駄目なんやって。身に沁みついた習性が抜けん」


 優希は絶望的な表情で私を見下ろした。まあ、少しは責任を感じなくもない。子供の頃から妹の羽音はのんと2人で弟をいじり倒したから、女の子の機微に敏い子に育ったとはいえ、やりすぎたかもしれない。


「じゃあ……真面目に言うけど。変に小細工せずにストレートに誘いなさい。女の子が喜びそうなものじゃなくて、その子が喜ぶものを考えなさい。あと、当分その子以外に優しくすんのもやめなさい」

「う、うん……出来るかな」


 自信なさげに宙を見つめる弟の鼻先に、ビシリと指を突き付ける。


「優希、その子が他の男にも愛想振りまいてたらどう思う?」

「……いやだ」

「じゃあ頑張りな」

「はい。ありがとうございます。お姉さま」


 よし、今日も弟は素直だ。優希は安心したように息をついて、炬燵に足を入れ早速何やら検索し始めた。彼女へのプレゼントでも探しているのだろう。

 私は優希の淹れてくれたフレーバーティーを一口飲んだ。甘いチェリーの香りと、紅茶の爽やかな苦み。私の好みをドンピシャに押さえたチョイスに、これなら弟の恋路も安泰なのではないかと内心思う。


 ピコン、と携帯が鳴って、画面を見れば、高校の時のクラスのグループに「クリスマス前にみんなで集まろうよ」というメッセージが入っていた。仲の良いクラスだったから、今でも時々こうして連絡がある。

 どうせ暇だし行ってみようかな。冬休みだし、あの子も来るのかな……私は参加表明のスタンプを送って、そのままウトウトと夢の中に入り込んでいった。



田路たじさん、これどう思う?』


 クラスでも大人しい部類に入る添嶋そえじま君とは、入学式の時に落とし物を拾って話しかけて以来、仲良くしていた。

 その時は珈琲と紅茶どっちが好きかとかそんな話をしていたのだと思う。「コピ・ルアク」や「ジャクバードコーヒー」などの名前はその時初めて知った。ジャコウネコやジャクという鳥の糞から出た未消化のコーヒーチェリーを洗浄加工してローストした豆らしい。


『わあああ、すごいね!こんな珈琲あるんだ!素晴らしい!』


 検索画面を見て、珍しくて思わずハイテンションで拍手してしまった私だけど、自分は紅茶党なのですぐに我に返って真顔になった。


『ま、珈琲飲めんけど』

『え……情緒やばない?今のテンション何?』


 添嶋君は一瞬呆気に取られて、すぐに笑顔になった。もっさりと重めの前髪の間から覗く黒い瞳が優しい。落ち着いた雰囲気の彼と話していると、妙に肩の力が抜けて、素の自分が出てしまう。

 

『俺はね、こっちのジャクバードが好きなんだ。アニスっぽくてナッツに似た風味もあるんだよ。口当たりはいいよ。一回飲ませてもらってはまった。高いけど、自分でも時々買ってローストもするんだ』

『糞かぁ……ちょっと抵抗あるなあ』

『ふふ、ちゃんと洗浄してあるよ。田路さんは何が好きなの?』

『……特にこだわりはないけど…フレーバーティーはよく飲むよ。ベリー系が好き』

『苺とかラズベリー?』


 その時私はなんて答えただろうか。夢の中の記憶は曖昧に霞んでよく思い出せない。添嶋君の容姿も声もぼんやりしてくる。もしクラス会に来たら、あの時のことを話してみようかな……。




「ひさしぶり」


 皆が集まった居酒屋。目の前に立つ背の高い男性が添嶋君だと気付くのに少し時間がかかった。重めの前髪はすっきりと横に流され、優しい瞳も声も変わらないけど、高校生の時より垢抜けて頬も顎も精悍さが増している。


「う、うん!!久しぶり。すごい、添嶋君かっこよくなったねえ!!」


 ついついまたハイテンションで拍手してしまったが、東京の大学に行っていたらこのくらいの変化は当然かもしれない。スン、と真顔になった私に、添嶋君が可笑しそうに笑った。


「田路さんのそういうとこ、相変わらずで安心した」

「どうせ私は変わり映えしないわよ」

「……あの頃も可愛かったけど、今は綺麗になった」

「お、おお。添嶋君もそんな社交辞令言えるようになったんやね」

「社交辞令じゃないよ」


 一瞬真面目な顔をした添嶋君にドキリとする。なんて返事をしたらいいのか分からなくて突っ立っていたら、同級生だった女子が横から抱きついて来た。


「柚葉~!久しぶり~!ねえ、聞いて聞いて~!」


 結局、着いて早々、その子の打ち明け話や他の子の相談事に乗ってあげている間に、添嶋君とは席が離れてしまった。紅茶の話の続きを聞きたかったのに。

 みんな程良くお酒が入ってグダグダになった頃、二次会に行くかどうかの相談をされていた幹事の男の子が、困ったように私に助けを求めてきた。


「田路、どっかいい店知らん?」

「うーん」


 正直帰ろうと思っていたので、二次会のことまで考えてなかった。このままワイワイやってても添嶋君とは話せそうもないし。


「田路も行くやろ?な?」


 名前もうろ覚えだった男子に馴れ馴れしく肩を抱かれ、鳥肌が立つ。酔っ払いめ。


「田路さんはこの後予定があるから」


 後ろから腕を引かれて振り向いたら、添嶋君が立っていた。にこやかに微笑んでいるけど、有無を言わせぬ迫力がある。え、予定なんてあったっけ?

 首を傾げていたら、コートとバッグを渡されて、そのまま店の外まで連れ出されてしまう。中の喧騒からは解放されたけど、外は煌びやかなイルミネーションが光り、忘年会帰りの酔っ払いでごった返している。


「ごめんね。勝手に連れ出して」

「ううん、帰りたかったから丁度良かった」


 ぶつかりそうになった酔っ払いから守るように肩を引き寄せられて、胸の奥がきゅっと狭くなる。さっきの男子に触られた時と全然違う、優しい仕草。


「俺、就職でこっちに戻ってくるんだ」

「ふーん……」


 酔ったかなぁ……頭がぼんやりしてしまって曖昧な返事をする私の顔を覗き込んで、添嶋君はためらいがちに囁くように言った。


「……冬休み実家で過ごすから、良かったらクリスマスとお正月は一緒に過ごさない?」

「え……と」


 ド直球の誘い文句に混乱する。こんな時、蓄えた知識は何の役にも立たない。抱かれた肩から伝わる鼓動が私にも感染したみたい。


「もしかして彼氏とかおったりする?」

「……おらんよ」

「そっか、良かった」


 良かったって何が?ドキドキしながら見上げれば、微笑んだ彼がお土産だと言って紅茶専門店の包みを渡してくれた。


「前に好きだって言っとったやろ?」

「……うん」


 開けてみた袋の中からはフレーバーティーの甘いチェリーの香り。私は変なテンションを持ち出すこともなく、彼のお誘いに素直に頷いた。



 クリスマスは奮発して、彼が好きだと言っていた『ジャクバードコーヒー』をプレゼントしたら、喜んだ彼が「一緒に飲もうね」と言ってくれた。

 その時一緒に買いに行った色違いのマグカップは、今でも大事に使っている。


 贈り物は一緒に選ぶのもありね。今度優希に聞かれたら教えてあげよう。



◇◇◇◇◇


【後記】


田路三姉妹弟の長女&珈琲男子。

【カモミール】優希

【ムスク】羽音


恋バナが巷に溢れるクリスマスシーズンですね。

鳥は頂き物のチーズでも食べながら酒飲みますわ。

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