ジャスミン

 いつもみんなには塩対応なのに、自分にだけ優しい子ってどう思う?それも誰にも分からないようにこっそり。私が知らないだけで、女の子にはみんなそうなのかな?


 よく遊びに行く高校の仲間内で、遊園地に行った時、張り切って買った新しいスニーカーで靴擦れしてるのを言い出せないでいた。

 だってほら、普段お姉さんキャラというか、率先して盛り上げてみんなに気を配るタイプだから、あまり弱気なところが見せられない。仲良しのふみちゃん、芽衣めいちゃん、たまきちゃん達から少しずつ遅れがちになって、とうとう立ち止まってしまった。


「いた……」

「どうしたの?亜美あみちゃん」


 私の小さな呟きを拾ったのは、理系クラスの行森ゆきもり とおる君。一重の三白眼の彼は表情があまり変わらなくて、何考えてるのかよく分からないけど、他の男子、田路たじ君と香月かづき君、磯貝いそがい君とも仲がいい。対応は素っ気ないけど、女子が話しかけても普通に答えてくれる。

 

「大丈夫」

「その顔は大丈夫じゃないやろ。足が痛いの?」

「……うん。ほんとは靴擦れして痛い」

「ここで待ってて」


 行森君は私をベンチに座らせると、どこかへ走って行った。靴と靴下を脱いでみたら、踵の皮が剝けて血が滲んでいた。新しい靴で来るんじゃなかった……。

 

「ばんそーこ、買ってきた」


 すぐに戻って来た行森君は、絆創膏とペットボトルの水を持っていて、そのまま私の前に膝をついて、足を洗ってくれた。


「うう、痛い」

「もう少し我慢して。薬がないから洗うだけね」


 行森君は優しい声で言いながら、洗い終えた私の踵を自分のハンカチで拭いてくれて、買ってきた絆創膏を貼ってくれる。傷口に触れないようにそぉっと靴下まで履かせてくれるの、なんだか恥ずかしい。そう思って普段は見えない彼のつむじを眺めていたら、行森君がボソッと呟いた。


「小さい足……」

「23センチやもん。普通だよ」

「俺に比べたら小さい」

「何センチ?」

「28センチ」


 それは大きい。でも行森君はバスケ部だから、そんなもんじゃない?履かせる前に靴の踵を少し揉んで、紐を緩めに結んでくれる。ティッシュまで挟んでくれるって親切が過ぎる。


「ありがとう。お水と絆創膏、いくらやった?」

「いいよ。俺がしたくてしたの」

「え、悪いよ」

「いいから素直に受け取って」


 いつもはあまり笑わない彼が、微笑んで私を見上げる表情が珍しくて、なんだかドキドキした。

 人の世話ばかり焼いてるから、自分が気遣われるのに慣れてない。嬉しいけど、どうしたらいいんだろう。困って俯いていたら、彼はまた優しく笑って私を立たせてくれた。


「家でちゃんと消毒して薬塗ってね」


 家に帰ってから、靴に入っていたティッシュを取り出すと、ジャスミンの優しい香りがした。もう、本当に、どうしよう。この香りを嗅ぐたびに思い出しちゃうじゃない。




「困ったなあ」


 珍しく環ちゃんが溜息をついている。彼女も猫っぽいというか、わりと自由なのでそんなに悩みがあるようには見えないのだけど、その日のお昼休みは物憂げに眉根を寄せて、教室の窓から外を眺めていた。

 校庭の周りに植えられている銀杏の木々はすっかり色づいて、秋も深まって寒いくらいの日が続いていた。でも今日は少し暖かいから、窓から差し込む日差しの中で目を細めている環ちゃんは、まるで本物の猫みたい。


「何か困っとるん?」

「うん……」

「珍しいね。良かったら聞くよ?」


 環ちゃんは、飲んでいたジャスミンティーのペットボトルを置いて、少し目尻の吊った大きな目を私に向け、こてんと首を傾けた。そしてなんでもないことのようにさらっと衝撃的発言をする。


「夏休み、キスしたの」

「へ!?」

「しー」

「あ、うん、ごめん。誰と?」

「……圭祐」


 田路君の幼馴染で親友の香月君。星が好きで、彼の提案で行ったペルセウス座流星群の観測会は楽しかった。2人ともいつも通りだったし、そんなロマンチックなことがあったなんて全然知らなかった。こそこそと話しながら、俄然興味が湧く。そういうことが気になるお年頃だもん。


「それで?」

「別に……それから何もない」

「香月君はなんて言っとるの?」

「何も……」

「それはひどい。環ちゃんはどうなん?」


 環ちゃんは美人さんだし、そういうことに慣れてそうだけど、本当は結構一途で純情なの知ってる。


「嬉しかった。その後、好きって言ったの圭祐は迷惑やったのかな」

「……そんなことないと思うけど……本人に聞いてみた?」

「怖くて聞けない」


 環ちゃんは目を潤ませて、下を向いてしまった。自由に振舞っているように見える彼女にも、怖いことがあるんだ。私は環ちゃんの頭をそっと撫でた。


「ちゃんと聞いてみなよ」

「……うん」

「また話聞くからさ」

「うん……今聞いてくる」

「はや」


 ほんと、思ったらすぐなのね。今までなんで聞かなかったんだろ。彼女が立ち去った後に残ったジャスミンティーの香りに、私も勇気を出して彼に聞いてみようかな、と思った。



 と、言っても、男子ばかりの理系クラスに一人で行くのは少し気が引ける。いきなり行って「なんで優しくしてくれるの?」って聞くのも自意識過剰な気がする。

 放課後、バスケ部が部活をしてる体育館の近くでうろうろしていたら、ちょうど出入り口の所で見学をしていた女子2人がきゃーきゃー言っているのに出くわした。


「前島君、かっこいいー!」

「行森君もかっこいいよ!」


 このタイミングで彼の名前が出て、少しドキッとする。そうかー。モテるんだなー。なんだか胸の奥がチクチクする。


「あ、行森君こっち来たよ、差し入れ渡そ」

「うん」


 首に掛けたタオルで顔を拭いながら、近づいてくる長身の彼を見ていた。女の子達は期待に満ちた眼差しで、彼に声を掛ける。


「行森君、これ、調理実習で作ったマフィンなの!」

「………」

「よかったら食べて?」

「……いや、いいよ」

「いらんかったら他の部員の人にあげてもいいから」

「じゃあ、誰か他の人に言って」


 え。すごい無表情。あそこまで塩対応なんだ。びっくりしていたら、視線に気づいた彼が私の方を見た。


「あ」


 一声発して、すごい勢いでこっちに向かってくる。なんか怖い。思わず逃げ出してしまった。


「待って、亜美ちゃん!」

「え、うそ」


 追いかけてくる。私は必死で走ったけど、リーチの差ですぐに追いつかれてしまう。体育館の裏手で捕まって腕を取られた。


「なんで逃げるん?」

「だ、だって追いかけるから」

「何もせんて」

「でもさっきの子達に怖い顔してた」


 言いながら何故か泣きそうになる。見たこともない顔も怖かったけど、私もあんな風に冷たくあしらわれたらと思うと悲しくなる。

 

「あれは……別に、どうでもいいし……」

「も、モテる人の余裕?」

「そうやなくて……」


 彼は困ったようにタオルで口元を隠して言い淀んだ。胸の痛みがどんどん大きくなる。なんでこんな責めるようなこと言っちゃうんだろう。そんな資格もないのに。ちょっと優しくされて勘違いしちゃったかなあ。


「……俺は好きな子にしか優しくしたくない」


 涙が零れる寸前に、彼が小さな声で、そう呟いた。濡れた目元を掠めた柔らかいタオルから、またジャスミンの優しい香りがした。


 ……これは……勘違いしちゃっても、いいのかな。



◇◇◇◇◇



【後記】


普段しっかりしてる子は甘やかしたくなるね。


ジャスミンには鎮痙・鎮痛・リラックス効果あり。

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