フェンネル

 ワシには弟子がおる。と言っても勝手に押しかけて来た図々しい奴じゃ。

 とある北インド民族音楽のミニ公演でタブラを演奏していたワシに、食いつく勢いで弟子入りを志願してきたのじゃ。

 タブラは北インドの伝統打楽器で、手の平と指を使って喋るように、歌うように音を出す。

 もちろんワシは断った。まだワシも駆け出しだったし、彼もたった12歳の小僧でな。マッシュルームみたいな変な髪形をして、やけに人懐こい子じゃったが、こんなマイナーな楽器の演者に弟子入りして道を誤らせたくはなかったのじゃ。


 しかし小僧、古川ふるかわ健太けんたは諦めなかった。どれだけ意地悪しても素っ気なくしても、時には門前払いを喰らわせても、しつこくワシの前に現れた。

 丁度インド料理で口直しに食べる「ソーンフ」みたいに地味な立ち位置じゃが、いつの間にかじわじわと癖になる感覚で距離を詰めてくるのじゃ。

 中学を出たら弟子入りしたいと言ってきたが、高校は出ておけと断った。しかし最近では根負けして高校を出たら弟子入りしてもいいという言質まで取られてしまった。


 仕方がないのう……。


「ししょぉ~、重たいですぅ~、腕がちぎれます~」


 17歳になった現在も、暇を見つけてはワシの公演に荷物持ちとしてついてくる。

 当たり前じゃ。一つずつ手作りの木製タブラは、可愛らしい外見とは裏腹に金属も使ってあるからみっしりと重い。いくつか並べて使うそれを全部持っているのだから重いに決まっておる。


「それも修行じゃ、健太けんた

「えええええ」

「嫌なら帰っていいぞ。そして戻るな」

「嫌です!帰りません!」


 少年は血相を変えて姿勢を正した。どうも彼はタブラの超絶技巧をマスターすれば女子おなごにモテると思っている節があって、動機が不純じゃ。

 口伝でのみ伝えられるタブラの奏法は、覚えるまでに苦労する。最初は難儀していたようじゃが、柔軟な少年は砂地に水が浸み込むようにどんどん技術を覚えて行った。密かに舌を巻いたが、それを言えばきっとつけあがるので言わないでおこう。


 しかし耳は良いみたいじゃが、頭は良くないみたいじゃな。インド音楽を好んで聴きに来るような奇特な女性は、いたとしても相当変わっておるじゃろうに。

 ワシは褒めて伸ばすタイプの人間じゃが、少年を見ていると何故か苛めたくなる。


 本当に困ったもんじゃ。


 ほれ、今も目の前を通ったサリー姿の舞踊団の娘にうっとりしておる。綺麗な娘じゃがあれはいかんぞ。こないだシタール奏者の男と腕を組んで歩いておる所を見たばかりじゃ。


「健太、よそ見をしておると転ぶぞ」

「はい!」


 うむ、返事は良い。返事は良いが聞いておらんのじゃろう。楽屋の出入り口の段差に躓いて、ワシの方へ倒れ込んできた。


「おわああああ」

「ば、ばかもん!だから転ぶぞと………!!」


 なんとかタブラを死守したのは褒めてもいい。しかし健太はワシの胸元に顔を埋めて、窒息しそうになっておる。


「し、ししょー……」

「な、なんじゃ」

「めっちゃ胸やらかいですね。あといい匂い」


 ぐりぐりと谷間に鼻を埋めてくる少年を思わず平手打ちしてしまったのは致し方ない事じゃ。

 何せワシはまだ25歳の乙女……う、煩い、乙女と言ったら乙女なんじゃ。とにかくワシは平手打ちついでに健太を蹴り飛ばして楽屋から追い出した。

 どのみち衣装サリーに着替えなければならんので、これも致し方ない事じゃ。




「ししょー。まだ怒ってるんですか~?」


 頬にクッキリと手形を付けた健太が、後ろからとぼとぼついてくる。演奏会の間は大人しく舞台袖から見学していたが、終わった途端に煩い。


「当たり前じゃ。ワシはこれでも女性なのじゃからな」

「知ってますよ~。ししょーは美人です!演奏も世界一だし、スタイルもさいこーです!俺、さっき起ちました!!」

「こ、このばかもん!!」


 こういう所が馬鹿なのじゃ。最近の若者はみんなこんななのか?8つ違いとはいえこうも明け透けな奴は他におらんと思うのじゃが。


 キノコ頭に拳骨をくれていると、後ろからクスクスという笑い声が聞こえた。嫌な感じの笑い声に振り向くと、そこにはいつも公演会で一緒になることが多いシタール奏者の男が立っていた。

 長めの黒髪を1つに括って白シャツばかり着ておる優男じゃ。あちこちの女に粉を掛けて、自分がモテるのを楽しんでおる女の敵じゃ。


「まだそんなキノコ連れまわしてんの?」

「やかましい。お前より100倍はマシじゃ」

「普通に喋れば美人で通るのに、その変な話し方止めた方がいいよ」


 余計なお世話じゃ。何様じゃ。普通ってなんじゃ。そんなものが存在するなら今すぐ目の前に出して見せろ。

 むかむかして言い返そうとすると、後ろにいた健太が前に進み出て、ワシを背後に庇うように立った。意外と逞しい背中から、仄かにフェンネルの香りが漂う。


「おっさんもその髪型止めた方がいいと思うぜ。引っ張りすぎて前髪薄くなってない?」

「なっ……」


 白シャツ野郎は前髪を押さえて慌てて男性用トイレに駆け込んで行った。禿げろ、馬鹿め。

 ふん、と鼻息を吐いた健太がワシを振り返る。そのつぶらな瞳の中に、ワシを気遣う色が見える。


「大丈夫ですか?ししょー」

「……よくやった、健太」

「わーい、ししょーに褒められた!」


 ニカリと破顔したその顔の可愛らしいこと。く……。ここで褒めたらきっとまた調子に乗る。でも少しなら褒めてやらんでもない。


「お前は愛嬌があるから、技をマスターしたらきっとモテるじゃろうよ。それこそあの白シャツ男なんか目じゃないくらいに」

「そうですか~?がんばろ~」


 健太はタブラを抱え直してにこにこと機嫌よく笑った。最近では筋力もついて背もぐんぐん伸びておる。我が子の成長を見守るような気持ちでおったが、近頃はなんだか頼り甲斐も出てきて困る。


 本当に困ったもんじゃ……。


「♪ターンケルタクタクテリケルタクダハニタケデンダカデンデレデレデレデケダーデレテレダクダーテリケルダーダーッテラー♪」


 最近教えたばかりのくちタブラを上機嫌で歌いながら健太がスキップしておる。相変わらずのアホっぷりじゃ。アホの子ほど可愛いと言うが、それも何か違う気がする。


 このフェンネル小僧も、カラフルな砂糖でコーティングしたあの「ソーンフ」のように化けるかもしれない。その時が楽しみなような怖いような。


 この子が本格的に弟子入りしたら、もっと困ることになるのではないかと密かなおそれを抱くワシであった……。



◇◇◇◇◇



【後記】


ししょーはサリーとビンディの似合う妖艶な黒髪の美女。


【註】

タブラ・・・北インドの伝統打楽器

シタール・・・北インドの伝統弦楽器

ソーンフ・・・インド料理店でレジ横などに置かれている口直し用のフェンネル


フェンネル(ウイキョウ)の花言葉・・・「賞賛に値する」「背伸びした恋」「強い意思」

これを見てふと思い浮かんだのは古川健太

拙作「混む混む♪ドット虚無♪」ドラム担当


https://kakuyomu.jp/works/16817330650371911310

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