チューベローズ

 俺には3つ年上の姉がいる。

 横暴でワガママで弟のことなんて人間だと思ってない節がある。気まぐれに俺を振り回し、機嫌が悪ければ八つ当たりする。そんな酷い女なのに、何故か言う事を聞いてしまうのは………。



 俺は赤ん坊の頃に父親を亡くした。だから遺影でしか実父の顔を知らない。

 両親は町の小さな調剤薬局を営んでいたが、父を亡くしてから薬剤師の母は1人で俺を育ててくれた。

 再婚したのは俺が3歳の時。大手薬局チェーン「ドラッグストア・トビー」の社長である義理の父、飛原とびはら圭史けいしさんは優しい人で、俺のことをとても可愛がってくれた。


 問題はその連れ子、朝陽あさひ。母親を亡くして男手一つで育てられた、と言っても家政婦さんやベビーシッターがいたらしいけど、とにかく6歳の朝陽は、初顔合わせで俺を見るなり、新しい玩具を見つけたように意地悪く微笑んで、こう言った。


「あんたチビね。チビで眼鏡だからメガネザル」


 子供は残酷だ。3歳の子供がチビなのは当たり前だし、近視は遺伝だから仕方ないと今なら言える。けれど、その時俺は朝陽の顔に見惚れていて、ちゃんと聞いていなかった。


 ……朝陽は可愛かった。性格はともかく、姿形は絵本で見た天使のように愛らしい。

 栗色の巻毛と長い睫毛に縁取られた大きな瞳。白い肌は透き通るようで、小ぶりな鼻も小さな赤い唇も、自分と同じ人間とは思えないほど光り輝いて見えた。

 俺はぼーっと見惚れたまま、母とおじさんに「2人で遊んでらっしゃい」と言われた時は天にも昇る気持ちになった。

 その後朝陽に「身長伸ばしてあげる」と両足掴まれてひきずられるまでは……。



一輝かずき〜、ご飯まだ〜?お腹空いた〜」


 リビングのソファでゴロゴロしながら勝手なことほざく女を振り返る。お陰様で俺の身長も180cmを超えた。

 今日も今日とて朝陽お姉様は、ピンクのキャミソールに短パン、上に羽織った白いパーカーから白い肩を覗かせて、非常にだらしのない格好をしていらっしゃる。


「しょうがねえだろ。最近軽音部が忙しいんだよ」

「そんなのやめちゃえば〜?」

「やだよ。ていうか、朝陽の方が帰り早いんだったら飯作れよ」

「だって一輝の方が料理上手いもーん」


 今、母と義父は二人三脚で経営に携わっているから、ほとんど家にいない。週2で来るハウスキーパーさんが作り置きを置いて行ってくれる以外、ほとんど俺が夕飯作りを引き受けている。

 子供の頃は絶対的存在だった朝陽の為に、調理実習で習った卵焼きを食べさせたら「家政婦さんのより美味しい」とたくさん褒めてくれて、それ以来ずっと俺の趣味は料理だ。


 芋虫のようにソファで丸くなっている朝陽の肩からキャミの肩紐がずり落ちている。子供の頃からモダンダンスをやっている朝陽は、細身だがよく食べる。万年欠食児童。あ、胸見えそう……。

 俺は慌てて目を逸らして、ハンバーグの生地を捏ねた。サラダと付け合わせは作ったし、後は焼くだけ。


「服くらいちゃんと着やがれ。もう少しかかるから風呂でも入ってくれば?」

「さっきシャワー浴びたもーん」

「湯冷めするぞ。身体冷やすな」


 季節は5月とはいえ梅雨に近いから湿気が多くて少し冷える。ダンサーは体が資本なのに。

 俺は手を洗って、乾燥機にかけておいた洗濯物の中から朝陽お気に入りのふわもこのピンクの靴下を取って放り投げた。


「ありがと~、一輝優しい!」

「うるせえ。ハンバーグ焼けるまでテレビでも見てろ」


 体調管理までさせる気か?いやもうしてるか。今さら変えようのないこの上下関係。

 ダンスの練習に伴奏が欲しいとピアノを習わされ、発表会の衣装をアレンジしたいと裁縫を覚えさせられ、あと自主制作の公演のチラシやポスターを作れだとか、女王様に言われるままに従っているうちに、すっかり器用貧乏になってしまった。


 ピアノ教室で知り合った本多ほんだけいとは腐れ縁で今でも同じ高校に通っているが、奴の系統も朝陽に似てる気がする。

 いきなり軽音部を作ると言い出して、顧問の手配や部の体裁を整えるのも全部俺にやらせた。大病院の跡取りだが、自由奔放すぎて病院の行く末が心配になる。

 俺の周りにはそういう奴しかいないのか?新しく入った1年生が大人しくて良い子なのが救いだ。と言っても俺の通う私立・明慶めいけい学院は男女共学とはいえ別棟に分かれているので、新入部員も男。

 右を見ても男。左を見ても男。俺はデザインコースに在籍してるから一見華やかだけど、やっぱり同じコースには男しかいない。


「いい匂いしてきた~」

「あ、こら、危ない」

「私、大きい方ね」


 急に俺の腕と体の間からズボッと顔を出した朝陽が、嬉しそうにフライパンを覗き込んでいる。心臓に悪い。可憐な花の香りが下から漂って、密かに動揺した俺は危うくバランスを崩しそうになる。

 朝陽が好んで使っているチューベローズのボディークリーム。甘くて爽やかで、妙にセクシーな香りがする。これを風呂上りにマッサージと一緒に俺に塗れと命令してくるのでよく知ってる。知ってるけど!!


 ……だからなのか。唯一年の近い異性が同じ屋根の下で暮らしてるからか。今、非常に危うい状況だ。

 こんなワガママ女なのに、俺は朝陽を嫌いになれない。嫌いというか好き寄りだ……いやもうこの際はっきり言うけど、好きだ。

 中学2年の時、初彼氏に浮かれる朝陽の姿にショックを受けて自覚した。思わず義理の姉弟でも結婚できるのか必死で調べてしまった。出来る事は知ったけど、家族として俺を受け入れてくれている義父や朝陽、母の気持ちを考えたら、思いを告げるなんてことは出来ない。


 当の本人は俺を男として見てないのは分かっている。せいぜい都合のいい奴隷。この気持ちは忘れるか墓場まで持って行くしかない。

 辛い……。鉄壁の無表情を装っているが、密着したこの状況が辛い。朝陽のせいでポーカーフェイスまで身についた。今じゃ密着されても表情筋はピクリとも動かない。だがしかし、このままでは非常にまずい。


「あー、俺、寮に入ろうかな……」

「え!なんでよ!家から通える距離でしょ?一輝がいなくなったら誰が私の御飯作るの?」


 学院には寮もある。希望者は入寮できるので、通学距離は関係ない。

 朝陽は顔色を変えて俺の腰に抱きついてくる。胸はあんまりないけど柔軟な筋肉のついた体は柔らかい。そしてくらくらするほどいい匂い。

 

 いやいや、ちょっと離れて?おねえさん。襲うよ?飯炊き奴隷が居なくなるのが困るんだろうけど、こっちは我慢も限界なの!!




「その子の友達紹介して!」

「そうだそうだ!」


 方倉かたくら少年よ、思わず必死になってしまった俺を許して欲しい。


 1年の方倉かたくら綾人あやとが、男子棟に迷い込んだ女の子から何故か苺を貰ってきたのは次の日の事。

 学生証を落とした彼女に直接返しに行って、あわよくば彼女の友達を紹介してもらおうと目論んだのが、2年音楽コースの古川と、幼馴染の蛍と俺。


 彼は最初顔を引き攣らせていたが、俺達の必死の形相に何故か涙ぐんでいた。同情された?

 その後部室に入って来た普通科2年の金田に一喝されて話は有耶無耶になってしまったが、切実に彼女が欲しい……。せめて他の子を好きになれれば、朝陽にムラムラするなんてこともなくなるかもしれない。


 そんな俺の願いが天に届いたのか、放課後、女子から呼び出された。確か去年の学祭で、合同でオブジェを制作した同じ芸術科の女の子だ。学祭や体育祭などの時は男女合同で行事が行われるから、その時が出会いのチャンスと言ってもいい。


「ずっと気になってたの」と言われ、返事は後でいいからと手紙を渡された俺は、ぼーっとしたまま家に帰り着いた。よくモテる蛍や金田の陰でかすむ俺が女の子に告白されるなんて初めてのこと。


 玄関のドアを開けたら靴があったから、朝陽は先に戻っているはずだ。妙に家の中が暗いのにも気づかず、2階の自分の部屋にカバンを置いて下に降りていく。


「朝陽?」

「あ~一輝ちゃ~ん、おかえりぃ~」


 薄暗いリビングは酒の匂いが充満している。嫌な予感。これは絡み酒か、八つ当たり必至。

 プロを目指している朝陽は時々ダンスのオーディションなども受けていて、落ちるとたいてい俺に当たってくる。なんとか穏便に済ます方法はないものか。

 電気をつけて窓を開けると、とろんとした目をした朝陽が、いつものようにソファでゴロゴロしていた。


「酒臭い」

「も~、聞いて?今日のオーディション、上手くいったと思ったのに、担当の舞台監督がセクハラ野郎でさ~。演出に口添えしてやるからホテル行こうなんて言うのよ」

「………なんかされたの?」

「その前にぶっ飛ばしたらオーディション落ちた!!もう、悔しい!」

「そんな奴の舞台出なくて正解だったんじゃない?」

「そうだけどぉ」


 実力以外の所で落とされるのは納得いかないのだろう。何もなくて良かった。何かされてたらただでは済まさない。

 俺にダンスの良し悪しは分からないが、舞台の上で踊る朝陽は、普段の言動からは考えられないくらい綺麗だ。

 一度女神みたいな白い衣装を着て踊った時は、群舞だったけど、俺にはそこだけ輝いて見えた。官能的なダンスは、まるで夜に香る白いチューベローズの花の精。


「……俺は朝陽のダンス、好きだよ」

「身内に言われてもなあ」

「プロになったら俺のデザインした衣装着るんだろ?」

「うん。一輝の作った服、動きやすくて好きよ~」


 俺本体は?と、また馬鹿なことを口走りそうになって口を噤む。身長体重スリーサイズまで完璧に知ってて体調管理までしてるのに、指一本触れられない女に何年も片思いしてるなんて不毛すぎる。

 衣装うんぬんは俺達が子供の頃に話した夢物語。これを言うと朝陽の機嫌は少しだけ良くなる。別に機嫌取る訳じゃないけど、俺達だけのお約束みたいなもんだ。


 横暴でワガママで、俺の事を弟だとしか思ってない気まぐれな女は、ふにゃふにゃと嬉しそうに微笑みながら、ソファの上で寝入ってしまった。


「風邪引くよ」


 薄手のブランケットを掛けてやりながら、目を閉じるとあどけなくも見える寝顔に見入る。長い睫毛が規則正しい呼吸に合わせて揺れる。

 いつかこの気持ちが消すことができるかどうかは分からない。でも今は一番近くにいられる幸せを享受する。


 馬鹿だな、と自分でも思うけど、貰った手紙のことはすっかり頭から抜け落ちていた。

 甘い香りに誘われて、「このくらいなら許されるかも」と自分に言い訳しながら、柔らかくうねる栗色の巻き毛を一房取って、そっと口づけた。



◇◇◇◇◇



【後記】

香水とは違いますが、チューベローズの花言葉は「危険な楽しみ」「冒険」


そして一輝、「セージとラベンダー」のおじさん和希と名前被ってた!(字違う、セーフ)


一輝の登場する物語は「混む混む♪ドット虚無♪」

いつも裏方的な彼の秘密。

https://kakuyomu.jp/works/16817330650371911310

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る