ストロベリー
梅雨も近づいた5月のある日の放課後。
その日は天気もぐずついていて、私は紺の制服のスカートの裾が翻るのも構わずに、男子棟の校舎の裏庭の道を走っていた。
藪を潜り抜けた時に肩までの髪は解けてくしゃくしゃ、でも構っていられない。多分女子は入っちゃいけないんだろうけど、目的地に最短で着くにはここが一番の近道。早く行かないと自由に使わせて貰えるキッチンのある校舎が閉まっちゃう。
両手には栃木の実家から届いたばかりの苺4パック入りの化粧箱。苺は12月に多く出回るけど、本当の旬は5月ごろ。甘くてジューシーな香りが私を誘う。早くこの苺でお菓子を作りたい!
私が通う私立・
普通科・芸術科コースに分かれ、制服・私服どちらか選べるので、私はデザインが可愛い紺のブレザーと学年ごとの緑のリボンにしてる。今年の1年は緑、2年は赤、3年は黄色。
授業も選択制で必須単位取得とテストの点数が進級条件なので、毎日通わなくていいのが気楽。空いた時間は勉強用のアプリで勉強したりしてる子もいるけど、私はスイーツが作りたい。
子供の頃からお菓子作りが大好きだった私は、今年、新設された製菓コースに通いたいと両親に頭を下げて、この学校の女子寮に入った。
もう、週替わりのパティシエ講師陣が超豪華!最初の内はちょっとホームシックになったけど、友達も少しずつ出来て学ぶことがたくさんあって、毎日が楽しくて夢のよう。
蓮池の近くを小走りで駆け抜けようとした私は、小さな歌声を聞いた気がした。
" Nothing is real, and nothing to get hung about
Strawberry Fields forever "
英語はあんまり得意じゃないけど、どこかで聞いたことのあるその曲。確かビートルズって名前の有名なバンド。
「くそ……」
歌声が途切れて、池のほとりに頭を抱えてうずくまる男の子が見えた。私と同じ紺のブレザーを着て、緑の斜め縞ネクタイを締めてるからきっと1年生。
細い体と白い顔。耳を押さえ、つんと尖った顎を前に突き出すようにして、目を閉じている。少し茶色のまっすぐな髪が乱れて額に散らばって、なんだか苦しそう。
「……あ、あの……だいじ?」
「?」
思わず声を掛けると、彼は弾かれたように顔を上げ、不思議そうに私を見た。大人しそうな茶色の丸い瞳が私を見つめる。
あ、しまった……。頬に血が昇ってくるのを感じる。
「……大事って何が?」
「あ、あの、ごめんね、急に声掛けちゃって。『だいじ』って私の地元では『大丈夫?』って意味なの」
「ああ、そうなんだ」
つい、方言が出ちゃう。来たばかりの頃は訛りを笑われたこともあったけど、最近は少し慣れてきたと思ってたのに。
彼は笑いもせずに私をぼんやりと見上げてくる。顔色は真っ白で、青いと言ってもいい。ほんとに具合悪そう。初対面なのに図々しいかな、と思ったけどなんだか放っておけなかった。
「どこか悪いの?」
「……少し耳鳴りがして……声出すと治ったりするんだけど、天気が悪いとあんまり調子よくない」
「通い?寮?保健室行く?」
「ありがとう。じっとしてれば治るよ」
そう言って微笑んだ彼の笑顔は儚い感じがして、余計心配になる。余計なお世話かな、と思いつつ、口を開く。
「……耳鳴りの時はね、
「詳しいね」
「あの、あの、実家のお祖母ちゃんが昔鍼灸師やってて、色々教わったの。やってみてね」
「うん、ありがとう」
何してんだろ、私。お祖母ちゃんていうか、自分がおばちゃんみたい。お節介かも。
それにこれ以上男子棟にいて、見つかってもまずい気がする。私はどうしようかあれこれ考えて、4つ入った苺の箱から1パック取り出した。ぼーっとしている彼の手に、それを押し付ける。
「あの、これ、今日、実家から届いたの。良かったら食べて!」
「え?」
「元気出してね!じゃ!」
「や、あの、ちょっと待って……」
彼の戸惑った声が聞こえてきたけど、私は猛ダッシュでその場を逃げ出した。何してんの、すごい恥ずかしい!いきなり苺渡されたって困るよね!?あ、材料減っちゃった!
慌てて走っていた私は、学生証を落としたことにも気づかなかった。オマケに校舎は閉まっちゃってて、帰りはとぼとぼ歩いて帰る羽目になる。
やけ食いした大ぶりの真っ赤な苺は練乳なしでも十分甘くて美味しかったけど、なんだかあの子のことが気になって、いつもみたいに味を楽しめなかった。
「おーい!!イチゴちゃーん!あーおーいーちゃーーーん!!」
急に大声がして振り向くと、何故か女子棟の入り口に、真っ赤なスタジャンを着た、柄の悪そうな、多分先輩が立って、こちらに手を振っていた。みんな振り向いてる。私の名前は
「あ、いた。ほら、
「ちょ、先輩、恥ずかしいからやめてくださいよ」
よく見れば、昨日の彼が、大きな先輩の陰からこっちを見ている。白かった顔は少し赤らんでいて、前よりは健康そう。
私が門に近づいていくと、彼は先輩に押し出されるように前に出てきた。
「……
「はい、どうして名前……あっ学生証!」
「あの時落として行ったから、返そうと思って。学生課に届けるより早いでしょ」
「ありがとう!見つからなかったら再発行してもらおうと思ってたの」
「そっか、良かった」
彼はほっとしたように微笑んで、私に学生証を返してくれた。そして、小さく頭を下げて、門の方へ歩き出そうとした。私はその細い背中を思わず呼び止めていた。
「あ、待って」
「?」
「甘い物嫌いじゃなかったら食べて。今日の実習で作ったの」
差し出したのは苺フレーバーのハートメレンゲクッキー。粉砂糖と卵白、フリーズドライの苺パウダーを混ぜて焼いただけのものだけど、今日のメレンゲは自信作。サクサクして美味しいはず。
「あ、ありがとう……なんか貰ってばっかりだね」
「いいの、わざわざ届けてくれたお礼!」
なんだか食べ物ばっかりあげてる気がする。恥ずかしくなってしまって俯いたら、彼が小さい声で言った。
「ありがと……じゃあね」
「うん」
「おいおい、綾人~。そこは連絡先くらい聞いとけよ。ねえ、イチゴちゃん?」
「は、あの、えと……」
「こいつ、
急に割り込んできてべらべら話し出した大きな先輩、本多さんに呆気にとられる。綾人と呼ばれた彼は、真っ赤になる。
「ちょちょちょ、
「ふふん。俺とお前の仲だろ。お前の事ならなんでも知ってるぜ」
え、そうなの?もしかして一部界隈で有名なBがLするやつ?女子棟に来る彼が心配でついてきちゃった感じ?ほんとに存在したのね!
思わずじーっと見てしまった私に、彼はますます真っ赤になって慌てて手を振った。
「違うから!多分思ってることと違うから!この人すぐこういう紛らわしい言い方すんの!」
「そうなの……?」
「そう!そうだよ!」
なんとなく残念に思ってしまったのはなぜだろう。細身で儚い感じの彼と、一見コワモテだけど意外に美形な先輩は、お似合いな気がしたのに。
結局、先輩に言われるまま連絡先を交換した私達は、放課後や授業の空き時間に、あの蓮池の近くで会って話したり、上手く作れたお菓子をあげるくらいの友達になった。あまり噂には詳しくないけど、本多先輩は変人で有名らしいと後で知った。納得。
「Nothing is real, and nothing to get hung about Strawberry Fields forever」
「その曲最初に会った時も歌ってたね。あ、耳大丈夫?」
今日も彼は池のほとりで歌っていた。体調は大丈夫なんだろうか。彼は歌うのをやめて振り向くと、小さく笑った。
「うん、だいじ」
「もう、恥ずかしいから忘れて」
「なんで?可愛いと思うよ。いいね、だいじ。僕もいいものになったみたい」
「そ、そうかな……」
「ごめん。変なこと言った。そんなに赤くなられるとこっちも恥ずかしい」
何故か2人して赤くなって下を向いてしまった。池の上を少し湿った風が吹く。梅雨の晴れ間に見えた青空と、耳まで赤い彼の色。そして何かを誤魔化すように早口で彼が言う。
「さっきの曲、ビートルズのストロベリーフィールズフォーエバーって言うんだけど」
「英語よくわかんない」
「 リアルなものなんて何もない、それなら心配することも何もないよね、ストロベリー・フィールズは永遠なんだ」
「うーん、現実逃避?」
「そうだね……大事な思い出の場所のことを歌った歌だよ。少し乱暴な解釈かもしれないけど、『心の中は自由に』『リラックスして』ってことだと最近は思う」
なんだか謎が多い彼だけど、いつもより晴れ晴れとした顔をしているから、私は黙って頷いた。
「ここもそういう大事な場所になったかも」
その後「Lotus Pond Forever♪」なんて、彼が変な替え歌を歌うのを聞きながら、次に会う時は何か蓮を使ったお菓子を持ってこようかな、と思った。
Foreverなんていう程、時間は経ってない。私にとっても、ここはそういう場所になったよ、とはまだ言えない気がして、歌い続ける彼の横顔をずっと見ていた。
◇◇◇◇◇
【後記】
初恋は苺味?もじもじする2人と引っ掻き回す先輩。
謎の歌唄いは『ドット虚無』の彼。
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