月下美人(クイーンオブザナイト)

 一度だけ、キスした。

 月夜の晩の花の強い香気こうき。気紛れに触れた指先に応えたら、甘い香りが僕に絡みついた。

 月下美人は月夜にしか咲かないなんて嘘だ。あれから花は毎日僕の鼻先で咲き誇り、それでも捕まえることなどできない幻のようにすり抜けていくのだ。



「『月は無慈悲な夜の女王』なんてSF小説あったなあ……ほんと無慈悲」

「急にどしたん?圭祐けいすけ


 クーラーもそろそろ要らなくなったとある休日の夜。

 幼馴染の田路たじ優希ゆうきの部屋でゲームしてまったりしてたら、ふとあの時のことが蘇って死にたくなった。


 夏休み、星とSF好きの僕の提案で、いつも遊ぶ仲間達とペルセウス座流星群を見に行った。ちょうど満月と被る時期だったから、月光を目に入れないようにしないと見づらかったけど、どの方角でも星が流れたので皆には好評だった。

 大学生の兄貴に車を出してもらって、岬の灯台付近で満天の星空を眺めた感動は今でも忘れられない。うん、まあ、忘れられないのはそれだけじゃないんだけど。

 隣のクラスの外原とのはらたまき。ちょっとクールで猫っぽくて前から美人やなあと思ってはいたけど、どこを取っても平均的な僕とはそんなに接点はなかったはず。

 苗字は変わる可能性あるけど名前は一生ものだから、なんて僕には理解不能な理由でみんなを名前呼びするから、最初から「圭祐」って呼ばれた時はめっちゃドキドキした。


「別に……どうもせんけど。女子って謎やな」

「そう?あんま考えたこともなかった」

「そらお前はな」


 姉が2人いるせいなのか、優希は呼吸するように自然に女子の謎行動を察知する。彼に言わせると「そうしないと魔窟いえで生き延びられなかった。生まれた時からサバイバル」らしいが。

 なんでや。僕には兄貴しかおらんが、幼馴染の姉ちゃん2人はいい人やと思うぞ?


 それはそうと、あの日。

 僕達はシートと毛布を敷いた上に寝転がって満天の星空を眺めていた。ちょっと興奮してた僕は宇宙や流星群についてドン引きされるくらい一人で喋ってた気がする。

 喋り疲れて口を噤んだ時、訪れた沈黙と波の騒めきの中で何か柔らかいものがそっと手の甲に触れた。

 僕はみんなとは少し離れた場所にいて、隣には外原しかいなかった。ゆらりと花の香りが立ちのぼり、別の意味で心拍数が跳ね上がる。

 横目に見下ろすと、おでこがぶつかりそうな距離にきてた彼女。大きな目、少し目尻が上がってて猫みたい。と、思ったら長い睫毛が恥じらうように伏せられて、赤い唇の口角がちょっとだけ上がる。


 その時の僕は星に酔わされてどうかしていたんだと思う。鼻先を掠める柔らかい髪、花の香りに誘われる。吸い寄せられるように顔を近づけて、自然に唇を重ねていた。「怒られるかな」と一瞬思ったけど、彼女は小さな声で何か呟いて僕の肩に額をすり寄せてきた。あんまりドキドキしすぎて耳が音を拾わなかった。

 彼女が猫だったらきっとゴロゴロ喉を鳴らしていたかも。そのくらい甘い仕草。


 なのに、なのによ?僕が手を伸ばそうとしたら、ふいと体を離してみんなのところへ行ってしまった。それっきり何もなし。

 どうして?と聞くこともできず悶々と残りの夏休みを過ごし、休み明け学校で会っても素っ気なく挨拶されるくらい。あれは一体なんやったんや?夢?からかわれた?


「ぬおおお、分からん!」

「なんやなんや、どした!?」


 急にコントローラーを放り出して頭を抱えた僕に、優希が目を丸くする。


「や、いや……僕の友達の話なんやけど。友達だと思ってた女の子とキスしたらしくて、その時なんか言われたらしいんやけど」

「ほおん……それで?」

「聞き損ねてその後彼女のリアクションがない。らしい」

「へえ」


 優希は綺麗なアーモンド形の目を細めてニヤニヤと僕を見る。なんかバレてる気がするけど、ここは「友達」の話として押し通そう。


「この場合、からかわれたと思って忘れるべきか、こっちから何か聞いた方がええんか、悩んどる」

「友達が?」

「そう、友達が。どう思う?優希」

「そうやなあ……俺も分からんけど」

「分からんのかい」


 思わずツッコミを入れると、優希はゲーム画面に視線を戻して楽しそうに笑った。


「でも柚葉ゆずは姉ちゃんが言ってたで?気になる男にはちょっかいかけて様子見るって」

「マジか。でら肉食系やな、柚葉ちゃん」

「そんな可愛いもんやない。あいつらは魔物や」


 何を思い出したのか身震いした優希は、手元が狂ったらしく「あ、死んだ」と呟いてゲームを終了させた。それから少しだけ真面目な顔をして僕の方へ向き直った。


「まあ、聞くか聞かんかは自分次第やと思うけどな」

「ほぉか……」

「って、『友達』に言っときな」

「お、おお」


 設定忘れてた。バレてると思うけど、優希はそれ以上そのことについて何も言わず、自分の好きな子のどこが可愛いか延々語り出した。

 それはそれで鬱陶しいが、話を聞いてもらった手前こっちも聞かない訳にもいかず、たっぷり小一時間は付き合う羽目になった。



 それからの毎日は隣のクラスの外原を観察する日々。

 午前中は眠そうにふらふらと廊下を歩いているのをよく見る。背中までの柔らかい髪をおろしっぱなしだったり適当に括っていたり、日によって違う。僕や友達と目が合うとふわんと笑って手を振ったりするのが可愛い。


 時々昼にみんなで集まって昼飯食べる時は、適当に話を聞き流したり気まぐれに口を挟んだりしながら、大半は日向の猫みたいに目を細めてうつらうつらしてて……。いや、ほんとに猫なの?

 僕に対する態度も至って普通で、あの日の事を思い出させるような事は何も言ってこない。もしかしたら夢でも見たのかもしれんなぁ……。

 

 そんな風に思い始めた頃。近づいた冬の間にぽっかりと訪れた暖かい日、小春日和っていうんだっけ。

 その日、優希は先生に呼ばれていなかった。僕は日向ぼっこがてら1人校舎の裏庭のベンチで弁当を食べていた。

 そこへふらりと現れたのは外原。僕を見ると立ち止まって大きな目でじーっと見つめてくる。めっちゃ圧力感じる。え、なに?なんか怒ってる?やっぱ怒ってた?


「ど、どしたん?」

「……なんで?」

「な、何が?」

「なんで何も言ってこんの……?」

「や、あ、えーと」

「あの時、チャンスと思ってすっごい勇気振り絞ったのに……」


 大きな瞳からボロボロと涙が零れ、白い頬を伝う。彼女はその場にしゃがみ込んで泣き出してしまった。僕がオロオロしながら近づくと、小さな嗚咽が聞こえてくる。

 女の子を泣かせてしまったことなどないからどうしていいか分からない。恐る恐る背中に触れると小さな手で腕をペチッと叩かれた。


「あの、ごめんね?」

「しらん、もう……キスしてくれたの嬉しかったのに。なんも言わんし。からかったの?」

「そ、それはこっちの台詞やって!あんなん夢かと思うやろ」

「何言ってんの?」

「だって、外原さん美人やし、僕みたいな星オタ相手にすると思わんやん」

「私、圭祐の話聞くの面白いよ。好き」


 名を呼ばれ、「好き」という言葉にドクリと胸が鳴る。彼女の言葉はいつも飾り気がない。好悪でしか動かない猫のように、行動の理由もシンプルだ。

 怖気づいていた自分が少し、いやかなり情けない。彼女が「好き」と言ったらそれ以上の意味はない。


「ごめんね」

「何が?私の事嫌い?」

「ああああ、いや、そうじゃなくて、ごめん、すぐ言えなくてごめんなさい、あの時なんて言われたのかドキドキしてて聞いてませんでした!」


 一気に言い切ると、外原は涙の残る目をぱちぱちさせて、小さくしゃくりあげた。


「……好きって言ったの」

「ですよね!僕も好きです!好きになりました!」

「なんそれ。やっぱ圭祐面白い」


 うふふ、と笑った顔が可愛くて、なんだかもうたまらなくなった。懐かない猫がすり寄って来てくれた感激というか、ああもうそうじゃなくて!


 僕はあの日捕まえ損ねた幻の花を抱きしめて、その甘い香りを胸いっぱいに吸い込んだ。



◇◇◇◇◇



【後】

鈍感ヘタレ男子と猫ちゃん…もとい猫系少女。

猫パンチ可愛い…。


猫は正義、猫は神。

全人類よ、お猫様を崇めよ。


【引用】

『月は無慈悲な夜の女王』ロバート・A・ハインライン

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