カロンとシトラス(マリンノート)

 夕焼けを見ると、どうしてこんなに胸が締め付けられるんだろう。ただの沈む太陽なのに。

 陽が昇る朝と違って沈む夕暮れは人生の終わりを連想させるからだろうか。


 私は宵闇の迫る歩道橋の上で手すりに凭れ、海に沈んでいく夏の終わりの夕陽を眺めていた。仕事帰り、手にはコンビニで買ったカップ酒。

 背中で緩く束ねた髪の後れ毛を撫でる風が心地よい。足元のパンプスは半分脱げたまま、ぶらぶらとつま先で揺れる。


「やってらんないわねぇ」


 28歳、アラサーともなれば周りの女友達はどんどん結婚してSNSに幸せそうな写真上げたりしてんのに、私はと言えばパワハラギリギリの上司に悩まされ、数年前彼氏に浮気されて修羅場を演じてそれっきり浮いた話もなく、婚活パーティーに参加してみれば結婚詐欺まがいの男に金銭要求され……とにかくいい事なんて何もない。


 だからと言って傷心旅行という訳でもない一か月の一人旅。去年は旅先で知り合った男と滞在中一緒に過ごしてみたけど全く気が晴れる気がしなかった。後から自分の馬鹿さ加減が身に染みたというか、虚しくなったというか……。

 あの時もこんな風に綺麗な夕陽が海に沈むのを独りで見てて、声を掛けてきた彼の体温と爽やかなマリン系の香りになんとなく雰囲気で流されてしまったのよね。ああ、やだやめよ。考えると落ち込む。


紗月さつきせんぱーい。こんなとこで何してんすか?」

「………」


 独りで人生の黄昏を楽しんでんのに、やってきた男、新入社員の古賀こが太陽たいようはその名の通り空気を読まぬ太陽の明るさで断りもなく私の隣を陣取る。まあ、公道だから誰が来ようと私の許可なんていらないんだけど。

 無言でちらりと横目に見遣ると、宵闇の迫る薄暗がりの中でも分かるほど、健康的に焼けた頬を染める。


「うわぁ……先輩エロい……」

「セクハラしにきたなら帰って?」


 思ってること言い過ぎなのよ、こいつ。甘めの童顔だからって何でも許されると思うなよ?よく誤解されるけど別に流し目した訳じゃないからね?

 そりゃ私はFカップだしちょっと垂れ眼の右の目元に黒子があるし、唇もぽってり厚めで昔からエロい目で見られるのは慣れてるんだけど、慣れてるからってこうもあからさまに言われると気分が悪い。セクハラはしょっちゅうだし同性には煙たがられる。

 元カレがベッドに連れ込んでた女は清楚系だったなあ、なんて下らないことを思い出してますます気分が落ち込んだ。


「すいません、つい」

「あなたのいいとこは素直なとこだけどね。気をつけなさいよ。他の人にやったら訴えられるわよ?」


 古賀はスーツの肩をシュンと落として頭を下げた。身体は大きいのに、そうしてると茶色っぽい髪と相まって子犬みたい。なんだかこっちが悪い事してる気分になる。

 でも新人教育を任されている身としては、多少厳しい態度を取るのは致し方ない。私の見た目がこうだから、甘くして誑かしてるなんて言われるのも癪に障る。


「他の人になんて言いませんよ」

「……ちっ……」

「あ、今、舌打ちした?俺に説教しといて行儀悪いなあ」

「ちょっと黙って」


 私はカップ酒を啜ってまた夕陽を眺めた。そういう事を言っても私なら許されると思われているのもなんだか腹立たしい。だいたいが都合のいい女扱い。

 古賀は少し微笑んでから大人しく口を噤んで、でも立ち去ろうとはせず、私の隣で夕陽を眺めている。


 綺麗な赤とピンク、紫に染まる空が上に行くにつれて濃い青色に変わっていく。日没後に魔法をかけたような色を見られるその時間帯は、マジックアワーというのだと旅先の彼が教えてくれた。

 海辺に近い旅館の息子だという大学生の彼。夏の帰省中は実家とライフガードのバイトをして時々サーフィンをしに海にやってくると言っていた。

「おねえさん、なんしよーと?」って可愛い方言で声をかけてきた幼さの残る顔と逞しい体。あの日の私に冷静になれと言ってやりたい。日に焼けた肌と、ソルティな香りに混じるシトラスに惑わされた。

 白い砂浜は裸足で歩くとキュッキュッと音が鳴る。それを胸のときめきと勘違いしたのかもしれない。

 何度か会うのを繰り返すうちに「お願いやけん好きになって」なんて迫られてその気になって、思い出すと溜息出るわ。ほんと馬鹿なことした。

 

「はあ……」

「ちょ、エロい溜息つかないでくださいよ」

「うるさいわね。さっさと帰れば?」

「………ほんなこつひどか人やね」

「黙れ」


 それ以上、言うんじゃない。と、押しとどめようと口に当てた手を取られた。カップ酒が手すりから落ちて足元のコンクリートに黒い染みを作る。


「俺はずっと本気やって言うとろうもん」

「あーあーあー聞こえなーーーい」

「ちかっぱ好いとうけんて」

「何言ってるか分かりませーーーん」

「ここまで追いかけてきたのにその仕打ちっすか」

「男なんて信じられるか」


 そう……旅先の可愛い大学生はなんと、新入社員として私の勤める会社に入社してきたの。どうせもう会わないと思っていたから気が緩んで会社名まで言った私が悪かった?だって追いかけてくるなんて思わないじゃない。

 前途ある若者を道に迷わせた責任は重いわ。おねえさん、胸が痛みます。せめてもの良心で突き放しているのに、何故かめげないこの男。

 手に取った私の指に口づけて、じっと上目遣いで見つめる焦茶の瞳が胸をざわつかせる。


「もう観念してくださいよ」

「……そんなこと言ってどうせ裏切るんでしょ」

「今までの男と比べないでくれます?」

「うっさいわね、私の男見る目のなさ舐めないで」

「そんなん先輩が男見る目ないんじゃなくて男の方が先輩見る目なかったんでしょう」

「………」


 なんというこっぱずかしい事を照れもせず。若さって怖い。不覚にもドキドキしてしまったのはさっきまで飲んでいたカップ酒が回ってきたせいだと思いたい。

 夕暮れの風にふわりと乗る海の香り。彼が喋るたびに指先に触れる吐息が熱い。


「紗月せんぱい……ねえ、紗月さん、俺んこと信じてくれんと?」

「……黙って」

「お願いやけん」

「ちょっと黙って」


 ああ、もう、ずるい。くそ可愛い。教育係なのに言葉が悪くなってしまってごめんなさいね。私がその言葉に弱いの分かっててやってるだろう、こいつ、と思いながらも。

 騙されてやってもいいか、なんて、空いた片手で彼のネクタイを掴んで背伸びをし、騒がしい唇を塞いでやった。



◇◇◇◇◇



ちょいエロアンニュイ先輩と犬系方言男子。


夢に出てきた設定そのまんま。(笑)


博多弁久しぶりに使ったけど合っとーと?

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