カストリウム

 半分閉じたブラインドから差し込む朝陽に掃除の行き届いていない部屋の埃がキラキラと踊っている。

 拾ってきた襤褸ぼろい革張りのソファの上で身動みじろげば、昨日、着の身着のままで眠っちまったせいで体の節々が痛む。寝落ちる直前まで持っていたスキットルが手から床に滑り落ちて乾いた音を立てた。


『武藤探偵事務所』は繁華街のど真ん中にある。所長兼調査員兼事務員兼……要するに俺一人でやってる。元々警察官だったが、官僚主義に嫌気がさして辞めてから探偵事務所を構えた。しかしこれが見事に閑古鳥。

 いや、この辺は治安もあまり良くないし閑古鳥ってことはないんだが、やはり探偵と言ったら浮気調査やよろず相談事じゃなくて推理で事件解決してみたいだろうよ。ハードボイルドは男のロマン。俺の変な意地で必要最低限以外の仕事を断ってるだけだ。


 なんだかやけに体が重い。三十路も半分を過ぎればあちこちガタが来ても不思議じゃない。目を開けるのも億劫で、再び微睡みの中に沈みながらごわつく革ジャンの胸元を探ると、掌に柔らかくて温かい物が触れた。ん?柔らかい?


「………おい」


 見なくても分かる。これはあいつだ。いい匂いのさらさらの髪の感触を味わいたい気もするが、問題しかないので早々に体の上の人物を引き剝がすことにする。

 黒髪色白の小柄な制服ブレザー姿の少年が、俺の上で仔猫のように眠っている。俺は体がデカいからさほど苦でもない重さだが、やはり絵面的にも倫理的にも道徳的にも問題しかないと思われる。


「あ、武藤さん。おはようございます」

「おはようございます、じゃねえよ。どけ」


 大きな目をぼんやり開け律儀に挨拶する少年、弘原海わだつみ 有大。ゆうだいかと思ったら「ありえる」だってよ。親が人魚姫のファンだとか。最近のガキの名前はキラキラネームっつーのか、おっさんには理解できねえセンスだ。初見じゃ絶対読めない。

 そういう俺もハーフなので、ゴツイ外見と髭面に似合わないシャファク(オーロラ)なんて美麗なミドルネームがあるが、それは絶対誰にも言わない秘密だ。

 名前負けしてないやけに美々しくて可愛らしい少年は、小さな欠伸をしながら俺の胸に額を押し付けた。


「まだ眠い……」

「学校行け。つーかどうやって入った」

「こんなぼろい事務所鍵かけたってすぐ開けられますよ」

「おい、犯罪だぞ」

「ふわぁ……肉布団…あったかい……いい匂い」


 んな訳あるか。加齢臭ならまだしも、おっさんが良い匂いの訳がねえ。

 このイカレ小僧 有大ありえる、半年前に繁華街で酔っ払いに絡まれていたところを助けてやったら、妙に懐かれてしまった。家出した姉を探してるとかで、制服姿でウロウロしてたから説教して家に帰したが、どっから調べたのか次の日から俺の事務所に押し掛けるようになった。以来、勝手に助手を名乗って勝手に雑用をしている。

 おかしな言動が多いが、着てる制服は有名私立のものだし、立ち居振る舞いにも品があるから、いいとこの坊なんだろう。あまり深入りしたくない。


「いいからどけって。誰か来たら変な誤解されるだろうが」

「誰も来なかったらいいの?……ぼく、いいよ、武藤さんなら」

「~~~~~~!!冗談もたいがいにしろ!!そんな趣味はねえ!!」


 うるりと黒目勝ちの瞳を潤ませてとんでもないことをぬかすガキンチョを強引に押しのけて、ソファから放り出す。

 こいつが言うと冗談に聞こえねえ。俺の好みは胸も尻もデカくて肉感的な女だ。こんなガリガリのチビに食指が動くとも思えないのに、艶々の赤い唇から吐き出された言葉に激しく動揺する。


「あん、もう、乱暴だなぁ。そういうとこもワイルドで素敵」

「変な声出すな。ほら、早く学校行けよ」

「今日、休みだよ?」

「じゃ、なんで制服……」

「学校で用事があるって家に言ってきたから。姉さんが居なくなってからぼくにまで干渉が激しくて~」

「そりゃ親御さんだって心配するだろ。お前もこんなとこ入り浸ってないで家に帰れ」

「やだ、武藤さんおっさんくさい」

「おっさんだよ、俺は」


 ガリガリと寝癖だらけの頭を掻いて床に落ちたスキットルを拾う。実は酒が飲めない体質なので安眠用に漢方薬局のワンのとこで買った薬草茶が入っているだけなんだが、それっぽくていいだろう。安いバーボン (薬草茶)と革ジャン、ゴツめのウエスタンブーツ、イメージ戦略は大事だ。

 少年は薬草茶をごくごく飲む俺をキラキラした目で見ている。飲みづれえ。


「……前から思ってたんですけど、武藤さんの目ってグレーというか、紫っぽいブルーというか、見る角度によって違う不思議な色してますよね」

「ああん?そうか?」

「綺麗な色。キラキラの空の色みたいな……」


 危うく茶を吹き出しそうになった。こいつ、何を言ってやがる。何も知らないはずなのに、近い所を抉ってくる妙な鋭さにヒヤヒヤする。キラキラネームを揶揄ったことを根に持って戸籍でも調べたんじゃねえかと邪推したくなる。 

 ロマンチストの母親が、生まれた時の俺の目を見て「オーロラの色ね」と名前付けたとか、死んでもこいつにはバレたくない。


「お、おお、風俗のねえちゃんにはモテるな」

「む。そんなとこ行かずともぼくがお相手しますが?」

「アホか。調査だよ」

「ぼくは真剣ですよ!うちにお婿に来て欲しいくらいです!でも探偵のお仕事してるカッコイイ姿も近くで見てたいから、助手になるってずっと言ってるじゃないですか!」

「ぐぉっ!」


 ドガン!と腹に突撃されて、今飲んだもんが逆流しそうになる。少年はぐりぐりと頭を俺の腹に押し付けながら手足を絡めてのしかかってきた。


「はうぅ、この厚い胸板、濃いお髭、ワイルドな香り!ぼくを颯爽と助けてくれたあの時の雄姿、何もかも理想的ですぅ~!好き!!結婚してくださ~~~い!」

「おいおい、男同士は結婚できねえよ。あとお前未成年だろが」

「は?何言ってるんですか?」


 少年が俺の腹の上に跨ってキョトンと首を傾げた時だった。バーン!と事務所のドアが開いて誰かがものすごい勢いで入ってきた。


「お嬢様!またこちらにいらしたのですか!」

「佐竹!?」


 佐竹と呼ばれた白髪混じりの黒服の男は、俺と有大の現状を見て、銀縁眼鏡の奥の細い瞳を限界まで見開いた。あ、終わった。社会的に。


「お嬢様!家にお戻りください!」

「いやだよ!」

「こんなどこの馬の骨とも知れない中年男に由緒ある弘原海家のお嬢様が誑かされるなど、あるまじきことでございます!」

「違うもん!武藤さん誑かしてるのはぼくの方だもん!」

「誰が誑かされるか!!……ん?まて、お嬢様?……女?」

「そうだよ?」


 少年、もといお嬢様は俺の上でコテンと首を傾げた。仔猫のように可愛いらしい仕草だが、今はその発言が問題だ。


「だって、お前、制服ズボンじゃねえか」

「武藤さん、制服選択制知らないの?今はスカートでもズボンでも選べるんだよ?遅れてるぅ~」

「なんじゃぁそりゃああ!!」


 俺はどこかの俳優の殉職シーンみたいな台詞を吐いて悶絶した。なんつー紛らわしい真似を。いつの間にか時代はジェンダーレス。そんなことは分かっていたが、身近じゃない話題をいちいち覚えている訳がない。

 ということはアレか。こいつは美少年じゃなくて美少女ってことか。所謂ぼくっ娘か!つるペタ体型過ぎて全然分からなかった。


「そうですよぉ。だから結婚にも何も問題ありません」

「問題しかねえよ!!!」


 俺の好みや気持ちはどうなる、とか、法的にも倫理的にアウトだとか、色んな思いが交錯する。

 その場は弘原海家の家令だという佐竹と共に必死で説得して彼女を追い返した。


―――数年後。


「シャファク様ぁーー!!結婚してくださーーい!!」


 すっかり俺好みのナイスバディになったお嬢様のとんでもない猛襲を受け、すったもんだの末に陥落させられることになるとは、知る由もなかった。


 名前バレてんじゃねえかよ!!


◇◇◇◇◇



ハードボイルド風コメディ?

オスマン帝国の香り漂う筋肉おじさんと仔猫な美少女。


すみません。発作が出ました(筋肉&ひげ成分)

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