ジンジャー

「お願いしますよ部長ぉ~!日和ひより先輩~!」


 大学の映画サークルの後輩、大島おおしま萌絵もえが私と部長の前で瞳をうるうるさせて両手を組んでいる。名は体を表すと言うか、まさに萌え袖の似合う華奢でお目目ぱっちりふわふわ髪のゆるふわ系女子。性格も素直で明るい。

 この「お願いします」が曲者だ。よく言えば姉御肌、悪く言えばお人好しの私は頼られるとつい引き受けてしまう。

 昔からよく「怒ってる?」と聞かれるので、敬遠されないようにフレンドリーに振舞った結果、最近は何でも屋みたいになってしまっている。

 背は平均的な日本人女性より高い170cm、顔立ちもきつい。一応メイクはしてるけど髪はショートボブでよく男性に間違えられるし名前負けしてて泣ける。


 11月の学祭の出し物を決める時、展示でいいんじゃない?と思っていた私をよそに、誰が言い出したのか「映画コンセプトの喫茶店」に決まり、衣装班や制作班、買い出し班などが数人の部員に振り分けられた。喫茶店と言っても本格的な物が出せる訳じゃないから、お菓子なんかはそれらしいのを適当に選べばいいかと……男子はB級ホラー映画を知育菓子で再現したがっていたが、それは却下した。


 まあ、そこまでは良かった。萌絵は確か買い出し班だったはずだけど、何故か今になってごねている。副部長である私が勝手に判断するのを躊躇して隣の部長の金田君をちらりと見ると、彼は眼鏡の奥の目を優しく細めて穏やかに尋ねた。


「何がダメなの?」

「だって、私、あの人怖い」

「あの人?」

「……北川くん」

北川平きたがわたいら?」


 部長がその名を出した途端、私はドキリとした。急に部室の引き戸が開いて、当の本人がぬっと現れたからだ。ドアの上の枠に頭をぶつけないように身を屈めて入ってきた彼は、私達を見て黙って会釈した。

 普段から必要以上に喋らないし、切れ長の目は妙に眼光鋭く、短く刈ったツーブロックの髪はツンツンしてて、背は180㎝以上ありそう。どこを取っても硬そうな印象で、つまりは萌絵と正反対。女子高出身の彼女が怖がりそうな男子No.1かもしれない。

 だからと言って本人の目の前でする相談ではないし、私達は気まずく黙り込んで顔を見合わせた。


「………分かった。私が行く」

「え、いいの?鹿枝しかえさん」

「ありがとうございます。日和先輩!」


 あ、言っちゃった。この沈黙とプレッシャーに耐えられない性格どうにかならないかな。そのせいで貧乏くじばかり………うそ、実はそうではない。


 萌絵はああ言ったけど、私は密かに北川君のことを好ましく思っていた。彼は私の推しの悪役映画俳優の若い頃にそっくりなのだ。無口ではあるけどさりげなく気遣ってくれるし、愚痴を言ったり誰かの悪口を言っているところを見た事がない。他の部員に対しても親切で女性にも紳士的だ。

 でも初めから「いいよ!!」って食いつくのもなんだか恥ずかしい。ちょっと躊躇してみせたのは私の変な意地だったりする。彼が入部してきた時に「推しが来た!」って大騒ぎしてた裏事情を知ってる金田君にはニヤニヤされたけど、萌絵には多大な感謝をされた。



 そして、今。


 私の左隣に立って空を睨んでいる北川君をこっそり見上げてちょっとうっとりしています。買い出しの途中で雨に降られてお店の軒先で雨宿りしてるだけなんだけど。

 はああ、尊い。ぎゅっと結んだ厚めの唇も目つきの悪い切れ長の三白眼もカッコイイ。空を見上げる時に出る喉仏の形もヤバい。


 あくまで買い出しだけど、今日の私は少しは可愛く見えるようにフェミニンなブラウスと細身のジーンズ、踵低めのパンプスに、香水を少し。スパイスショップを経営してる伯父さんがくれたジンジャーの香水は、甘い物が苦手な私のお気に入りで、つけるとピリッと気持ちが引き締まる。でも、今日はあんまり役に立ってないかも。気を抜けばすぐに頬が緩んでしまう。


 いつもは意識しすぎて必要以上に近づけない推しが肩が触れそうなくらい近くにいて同じ空気を吸っている。いつも同じ空気吸ってるけど、なんか彼の周りの空気だけ違う気がする。あんまりスーハーしてヤバい奴と思われても困るので、誤魔化すように深呼吸すると、北川君がこっちを見た。


「雨……やみませんね」

「そ、そうだね……っくしゅん!」


 ああ、折角貴重な声を聞かせてくれたのに!ゆっくり喋るその声も低くて心地良い!じゃなくて!

 私は今日の買い出しに浮かれすぎて上着を部室に忘れ、急に足元から上ってきた寒気にくしゃみが出てしまった。まだ秋の始まりとは言え雨に濡れた体が冷たい。うう……不細工な顔見られたかな。

 俯いて赤い顔を隠していると、不意に体に温かい物がパサリと掛けられた。なんだろう。見れば肩に今日北川君が着てた黒いパーカーが掛かっている。

 え、ええ、えええ、ここここれは!?北川様のパーカー!動揺しすぎて様付けになっちゃったが!?


「ああ、あの、いいよ。私、丈夫だし。北川君も寒いでしょ?」

「オレは体温高いから。女の人は体冷やしちゃ駄目だって…おばあちゃんが」

「おばあちゃんが!?」

「?」


 おばあちゃん、おばあちゃん……と反芻する私に、北川君が不審そうに眉根を寄せる。あ、その悪そうな顔も素敵。じゃなくて!いや、おばあちゃんは悪くない、いかつい見た目と言葉のギャップに私が勝手に萌えてしまっただけだ。

 あと、なんかこの上着甘い匂いがする。バニラみたいな、チョコみたいな、シナモンみたいな。


「……なんかお菓子みたいな匂いする」

「すみません。くさいですか?実家ケーキ屋なんで」

「え!?そうなの!?」

「はい。時々奥とカフェスペース手伝ってるから、匂い沁みてるのかも」

「すごい」


 ロングのカフェエプロンを着けて大きな手でケーキや紅茶をサーブしたりコーヒーを淹れている姿を勝手に想像して鼻血が出そうになった。見たい。ものすごく見たい。あ、出し物喫茶店だから大学で見られる!?考えたやつグッジョブ!!副部長権限で接客してもらおう。

 正直面倒だと思っていた事はこの際手の平返して捨て去って、その可能性についてほくそ笑んでいると、北川君は心配そうに私を見下ろした。


「まだ寒いですか?震えてる」

「いえ!大丈夫です!」

「なんで敬語……」


 これは武者震いです!なんて言える訳もないので、私は誤魔化すように一歩下がったけど、北川君に止められてしまった。


「鹿枝先輩、濡れるからもう少し、こっち寄って」

「あ、ひゃい」

「……ぶっ」


 ぎゃー!噛んじゃった。笑われた!貴重な笑顔!だってゼロ距離ですよ?もう腕もくっついて、体温まで感じられる。北川君の体温!確かに私よりも高いそれは、布越しでも伝わってくるくらい近い。もうこっちの体温まで上がっちゃう!


「なんか、意外」

「何が?」

「鹿枝先輩ってもっとクールな感じだと思ってました。面倒見よくてしっかり者ってイメージです」

「そ、そういう北川君だって、今日はよくしゃべるよね」

「ええと、そうですね……ちょっと浮かれてて……」


 目を逸らしてゆっくり喋りながら親指と人差し指で顎を摩る仕草が色っぽくてヤバい。ああ、私の語彙力死んでる。もっと推しを讃える言葉はないのか。さっきから尊いとカッコイイとヤバいしか出てこない。


「なんで?買い出し面倒じゃない?天気も悪いし」

「……………今日、一緒に行くの鹿枝先輩だったから」

「へ?」


 私?私と一緒だから浮かれたってこと?北川君はまた空を睨んで唇を結んでいる。言われた言葉の意味がじわじわと染み込んできて、心臓がバクバクする。くっついた腕が火傷しそうな気がして離れたいのに体が動かない。

 落ち着け落ち着け、そんなに深い意味はない。怯える後輩よりお人好しな先輩の方が気が楽ってだけ。こんな時こそ深呼吸。

 そう思ったのに、吸い込んだ空気は甘い彼の服の香りと私のジンジャーが混じり合って、ますます思考が甘くなる。苦手な甘いお菓子を食べているような気分だけど、もっと食べていたい。ああ、ヤバい。


「あー……ヤバい」


 私の思考を読んだように、彼が低い声でボソッと呟いた。甘い空気に酔ったまま見上げれば、耳の端を赤くした彼と目が合った。もしかして照れてる?


「なんか先輩の香水と混じってジンジャークッキーみたいな匂いする」

「……そうなんだ。お菓子あんまり食べないから分かんないな」

「そうですね。すごく…いや、なんでもないです。ちょっとオレきもい」

「え、何、言ってよ、気になる」


 私は思わず彼のTシャツの裾を掴んでしまった。このまま有耶無耶にされたら気になって夜眠れない。

 勢いに押されたのか、北川君は諦めたように目を伏せて体を少し傾けた。背が高い私でもまだ高い位置にある顔が耳元に近づいて、溜息のような声が囁く。


「すごく………食べたくなる」


 はうぁっ!!いい声頂きました!召される!!いや、もう召された?ここは天国か?食べたい?食べたいってなんだ?何言われたか理解できないぞ!

 魂が抜けたように黙ってしまった私に、北川君は耳を赤くして困ったように笑った。はい、召されました。


チーン。


 後で聞いたことだけど、いつまでももたもたしている私達に痺れを切らした部長と萌絵が一芝居打って2人きりにさせた事は、その時はまだ知らない。




◇◇◇◇◇



【後】

香水の重ね付けをレイヤード、フレグランスペアリング、などと言います。

今回の話は重ね付けではないけど、混じり合う香りが艶っぽいイメージ。


もだもだいちゃいちゃする両片思い男女、と思ったけど主人公が煩いのでなんかコメディタッチ。

北川君、狙った?感情に訴えたい時は相手の左側から。


余談ですが、日和の伯父さんは「短夜一葉」の「おしゃべりなスパイス」に出てくるダンディなおじ様。

英語の「Ginger」はサンスクリット語の「Singa(角)」+「Vera(形)」の合成語「Singavera」が語源。

生姜の根茎は鹿の枝角に似ていることに由来。

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