ダマスクローズ
女の子は無敵なの。だから背筋をしゃんと伸ばして、薔薇のように気高くね。
私が小さい頃亡くなったママがそう言ってたの。ママは綺麗でお洒落で優しくていつも良い匂いがした。
会えなくなるその前の日も、病室のベッドでしゃんと背筋を伸ばして、細くなってしまった腕を伸ばして私を優しく抱き締めてくれた。本当は座っているのも辛かったと思うの。でもママはいつものように笑っていたから、きっと明日も会えると思ってた。
そのあとすぐにママはお空に旅立ってしまったけど、私は無敵のママの娘だから大丈夫。
「今日も無敵!」
私は鏡の前で自分の顔を見つめて気合を入れた。ママに似た白い顔と大きな目と長い睫毛、小さい鼻に赤い唇。真っ直ぐな黒い髪を高く結んでママがくれた濃い薔薇色のリボンをつける。この前パパが買ってくれたスカートと色がお揃いでいい感じ。
綺麗なものはみんな女の子を強くする
仕上げにママが好きだった薔薇の香水を小指で少し耳の後ろにつける。ママの匂いを忘れないようにって毎年パパが買ってくる。本当は学校に香水つけて行ったら駄目だけど、ママが守ってくれてるみたいで心強い。だからみんなには分からないようにほんの少しだけ。
「いってきまーす」
「いばら、今日ちょっと遅くなるから先に夕飯食べてて。一人で大丈夫?」
「大丈夫、私もう12歳だよ?ご飯だって作れるもん」
バタバタと廊下を走りながらパパに挨拶をしたら、心配そうに呼び止められた。ママが亡くなったあと、再婚もせず一人で私を育ててくれている、少し心配性だけど優しくて頼もしいパパ。
「そうか。忘れ物ない?」
「ないよ。行ってきます」
「はい、行ってらっしゃい。気をつけてな」
「はーい」
カバンをしょって玄関で靴を履いていざ出陣。出陣なのよ、出陣。いくら私が無敵でも、外には敵がいっぱいだから。おしゃべりの長い隣のおばさん、通学路の途中にいるよく吠える大きな犬、すぐ変なことを言ってからかってくる商店街のおじさん、そして……。
「いばら、おはよ」
後ろから髪を引っ張ってきたのは同じクラスの太一。家が近いから朝一緒になることが多いけど、意地悪だから嫌い。すぐ髪を引っ張るし、嫌なことばっかり言う。
「痛い、引っ張んないで。リボンほどける」
「しっぽみたいで掴みやすい」
太一は笑うと片方だけエクボが浮かぶ。クラスの女子はそこが可愛いって言ってたけど、どこが?ちょっとつってる大きな目、気が強そうな太い眉。声も身体も大きくてちょっと怖い。でも負けない。
むきになって言い返したらますます意地悪するから、つん、と顎をそらして静かに言うの。
「ポニーテールって言うのよ。可愛いでしょ?」
「知ってるよ!馬の尻尾だろ、やっぱしっぽじゃん」
「……そうね」
私は太一にむかってにっこり笑った。女の子は無敵だから。しゃんと背筋を伸ばして、乱暴者の男の子とは違う方法で戦うの。
こうするとなぜか太一は真っ赤になって黙ってしまうから。弛んだ手から髪を引き抜いて、さっさと先に歩き出す。
よし!今日も勝利!
………と、思ったけど。放課後なぜか太一にめちゃくちゃ追いかけられて、家の玄関の前で追い詰められている。
さっさと鍵開けて入っちゃえばいいと思うでしょ?なんと、鍵を忘れたのよ。パパには忘れ物ないって言っといて一番大事なもの忘れてた!
目の前には手を伸ばしてくるいじめっ子。鍵がないことにパニくって、いつもの余裕が全然ない。ううん、いつもだってほんとは怖い。もう泣きそう。
「やだやだやだ来ないで!」
「なんもしねえって。ほら、これ。落ちてた」
太一は涙目になってる私と目を合わせないようにしながら手に持ったものを突き出した。開いた手の平の上には、薔薇色のリボン。
慌てて髪の結び目を触って確認したら、ヘアゴムの感触しかしない。もう、なんて紛らわしいことすんの。また髪を引っ張られるのかと思って焦った。
「あ、ありがとう……」
「ん」
受け取ろうと手を伸ばしたら、なぜか太一はリボンを握り直して腕を高く上げてしまった。太一は体が大きいからそういうことされると届かない。
「返して」
「結んでやるから後ろ向け」
「できるの?」
「簡単だろ。ほら、早く」
急かされて、後ろを向かされる。「お前小さいな」とかなんとか失礼なことを言いながら、頭の上にそおっと太一の手が乗せられる。ちょっと怖がってるみたいに髪を撫でられる。
「頭も耳も小さい」
「太一が大きいだけでしょ」
「なんかいい匂いする……花みたいな」
「薔薇だよ。ママの香水なの」
いつもなら「先生に言ってやろー」とか言いそうなのに、太一は黙ってくんくん匂いを嗅いでいる。なんだか犬みたい。そのままぐりぐり鼻を押し付けてくるからくすぐったくて背中がゾワゾワした。
「くすぐったい」
「うん」
「もう!やめて!」
怒ってぐりん、て振り向いたら鼻と鼻がぶつかって、少しとろんとした顔の太一と目が合った。あれ?これ、どうしよう。ママのくれた
泣きそうになってたら、太一の顔がもっと近づいて、唇に柔らかいものがくっついた。唇と唇がくっついてる。どうしよう、どうしよう。それしか頭に浮かばない。
「いばら、いい匂い。かわいい」
唇が離れても鼻をくっつけたまま、聞こえないくらいの小さい声で太一が言う。いつもはうるさいのに、なんでそんなに優しい声なの。
喉の奥がきゅうって詰まって心臓がどきどきした。顔に血が集まってくる。何か言い返したいけど何も言葉が出てこない。薔薇の香りと太一の声が私の頭の中を掻き回す。
無敵の私はどこ行ったの。背骨がぐにゃぐにゃなったみたいでどうしていいか分からない。
分かるのは、多分、いまの太一は敵じゃない、ということ。
◇◇◇◇◇
イラスト
https://kakuyomu.jp/users/toriokan/news/16818023211721623858
【後】
小さな恋のメロディ的なものを目指したら何故かウラジミール・ナボコフ(ロリータ)的に。
同い年ですけど。
ある意味敵ですけど。
子供は本能で突き進む。
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