第7話 I was BORN
〜〜〜〜〜
思い出す。
“生まれた”ばかりのリオが自分の名の次に教え込まれたのは、「人間の急所について」だった。
『脳は堅牢な頭蓋骨に守られているが、弱点と呼べる箇所がいくつかある』
プロフェサは頭蓋骨の写真を映した。
『眼窩だ』
『ガンカ』
『目の部分。ここには骨がない。だから、目を深く貫けば、角度によっては脳に届く』
『脳は、急所なのですか』
『そうだよ。だから頭蓋骨に守られている』
リオは疑問を口にした。
『なぜ、あなたは、人間の急所のはなしを、するの?それを知って、RIOは、どうすればいいの?』
プロフェサは途端に悲しい顔になった。
『自分の体の、脆い部分を知っておいてほしいのだよ。……RIO。私の娘はそうして、亡くなったんだ。だから君にも、忘れないでいてほしい。人の急所は、──』
「──プロフェサ」
「来るなリオ!逃げろ!逃げ──」
カタギリが肩を撃たれる。リオは、足元で倒れ伏している優しいプロフェサの姿を見ていた。
「プロフェサ。起きて」
「r10!ほらなぁ!隠してたんじゃないか!」
誰かが高らかに叫んだ。けれどリオは、プロフェサのそばにひざまずいた。膝を血が濡らした。
「プロフェサ、起きて、プロフェサ」
「おいおい、カタギリ・ジュニア!君たちの検体は死の概念すらも理解していないのか!アハハハハハ!」
死んだ。
プロフェサが、死んでいる。
血を流して死んでいる。
ざわ、とリオの中で何かが起き上がった。それは、人のかたちをしていた。それはもう一人のリオで、さめざめと泣き続けていた。
SAD。I'm SAD。
プロフェサ。
そしてリオは、無意識にプロフェサの握っていた銃に手を伸ばした。
そしてつぶやいた。
「人の急所は眼窩」
「は?」
バン!
カタギリを拘束していた男の一人が、眼窩を撃ち抜かれて吹っ飛ぶ。一人目。リオは数えた。何かが切れてしまったのに、リオは冷静だった。冷静だったけれど、ひどく「困惑」していた。
この感情が何なのか、わからなくて。
「なっ!」
続けてリオは、声の大きな「不快」な男に銃を向けた。
「この、人間もどきの分際でっ!!」
「リオ!リオッ!」
カタギリが走ってきてリオを抱きしめた直後、リオとカタギリに向かって、残りの2人が発砲した。何度も、何度も銃声が轟き、リオの鼓膜はやがて機能しなくなった。
硬直したままのリオは、自分を抱きしめるカタギリから命が失われていくのがわかった。カタギリの背には、脚には、身体には……たくさんの穴が空いた。彼の体を銃弾が穿つたび、彼の体は震えて、動いて、わなないた。
──SAD。I'm SAD。
けれど、それを上回る何かが、リオの顔をこわばらせていた。硬く抱きしめられるその腕が、ゆっくりゆっくり、緩んでいく。
『リオ、愛してるよ』
聞こえぬ耳に、カタギリが愛を囁いたのがわかった。その吐息だけで、十分わかった。彼が愛してると告げているのがわかった。いつも彼がそうしてくれるから。そうしていてくれたから──だからわかった。リオは無表情のまま、彼の最後の息を聞き届けた。
──わたしも。カタギリ。
弾切れなのか、2人の不快な男たちは懐を漁っていた。リオは静かにカタギリの体を横たえると、銃を取り出して、繰り返した。
──人の急所は眼窩。
やめろ、と唇が動いた。けれどもリオは許さなかった。彼の肩の柔らかいところを撃ち抜いてから、顔に銃を向けた。
──人の急所は眼窩。
やめろやめてくれ家に嫁と娘がいるんだ頼むやめてくれ頼むお願いだやめてくれ。
口の形がそう言った。けれどリオは許さなかった。
引き金を引く。目を撃ち抜かれた男が倒れる。二人目。リオはもう1人に向き直って、彼の両肩を正確に打ち抜いた。
プロフェサを殺した男は、怯え切った眼差しをむけて何事か口走っていた。口にキャンディの棒を咥えたまま、間抜けな格好でリオに乞うた。
許してください許して助けて許して許してお願いだから命だけは。
けれどもリオは許さなかった。
リオは引き金を引いたが、残弾がないことに気づいて、仕方なく銃を放り捨てた。そして、培養室のそこらじゅうに落ちているかけらに目をつけ、それを握りしめて「そいつ」に歩み寄った。
足を振り上げ、「そいつ」を蹴り倒す。仰向けにもんどりうった男を組み敷き、彼の目に向かってガラスの破片を振り上げた──。
──人の急所は眼窩。でもこのガラスじゃ届かない。
断末魔は、聞けなかった。
全てが終わった後、血まみれの手を見下ろし、リオはカタギリを見た。プロフェサを見た。そして、ようやく、ようやく自分の中の感情の正体に気づいた。
『怒りという感情はね、リオ。二番めに出てくる感情なんだ』
『二番め?』
SAD。その次の──ANGRY。
目が熱くほてった。両方の目から水が滴り落ちた。次々と、次々と、落ちていった。
──これは何、カタギリ。
『リオ!それはね』
応えてくれるはずの声はない。あったかいカタギリは、冷たくなってしまった。リオのせいで。
──これはどういう感情なの、プロフェサ。
『それはきっと……』
プロフェサはもう、微笑んではくれない。優しいプロフェサ。リオの父親……。
「ああ。あ、あ……」
リオは吠えた。
「うああああああああああん!うわああああああああああああ!」
「エモーション」の中にこんなイラストはなかった。こんな、激しいイラストはなかった。この感情はなに。この激情はなに。
──これが「怒り」なの?プロフェサ……。
リオは声が枯れるまで泣いた。泣き続けた。
誰も涙を拭ってくれなかった。誰も頭を撫でてくれなかった、リオの愛する人たちは、みんな手の届かないところに行ってしまった。
──怒りとは、こんなに苦しいものなの、カタギリ。
喉が潰れるまで泣いて、泣いて、それからリオはカタギリとプロフェサの亡骸の隣で丸くなった。夢であればいい。夢であればいい。夢であれば……。夢でさえあれば。プロフェサは、カタギリが記録したリオの笑顔を見て、喜んでくれるはずなのだ。
「SAD」
リオは呟いて、深く、深く眠りに落ちた。
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