第4話 WHY?
「……カタギリ?」
リオは「エモーション」を抱えたまま、廊下で立ち止まった。
プロフェサの部屋から出てきたカタギリは異様な雰囲気を放っていた。柔和な顔は強張り、赤く充血し、何より常ならばなでおろすような優しい肩が、ぐっと隆起していた。
「カタギリ、どうしたの、カタギリ」
リオの声を聞き届けたカタギリは、ゆっくり振り向いた。彼は泣いていた。ごしごしと顔を擦ったカタギリは、彼にしては不自然な笑顔でリオを見下ろした。
「どうした、リオ。暇なんだろう。プロフェサなら今……」
「カタギリ?なぜ?なぜ泣いているの」
カタギリは黙ってしまった。リオは、「哀」のページを開いて、カタギリに見せた。涙を流す女性の絵を指差す。
「カタギリ、
「……違うよ」
カタギリはゆっくり首を横に振った。それから腕を伸ばして、リオの身体をきつく抱き寄せた。
「おれは怒ってる。アングリー」
「どうして?」
涙を流すのは、サッド。「エモーション」にもそう書いてある。
「リオ。……リオ。おれはね、リオのことが好きだ。愛している」
アングリー。カタギリはそう言っているのに、リオの肩には彼の涙が落ちていた。リオは混乱した。
「カタギリ。どうしたの。サッドじゃないなら、どうして泣いているの……」
「リオのことを愛している。だから怒りたくなった」
「全然、わからないよ、カタギリ。全然ロジカルじゃないように思う。言ってることが、めちゃくちゃ」
「そういうものなんだ。……プロフェサに、聞いてご覧」
「プロフェサに?」
「うん、プロフェサに……」
カタギリはしばらくリオを抱きしめて離さなかった。鼻をすする音が聞こえて、ようやくカタギリが顔を上げる頃には、リオの部屋着の肩はびしょびしょになってしまっていた。
「仕事に戻る。いい子にするんだよ、リオ」
「うん……」
リオは冷たくなった肩に触れて、プロフェサの部屋のドアを見た。
「プロフェサ。入っても、いい、ですか」
「おはいり」
プロフェサの声は沈んでいるように思えた。2人とも、今朝の授業の時とは全く違う顔をしている──リオは、わからないながらも、2人の異変を感じ取っていた。
「プロフェサ。あのね。カタギリ、泣いていたの」
「ああ。……そうだろうね」
「プロフェサ。でもね、カタギリは、悲しいんじゃなくて、怒っているんだと言ったの……」
プロフェサはリオを見た。「続けて」と彼は言った。リオは頷いた。
「なぜと聞いたら、私のことを、愛しているから、怒っていると言ったの。でも、カタギリ、泣いているの。私、全然、わからない」
リオは濡れた肩に触れた。泣いているカタギリの吐息を思い出した。
「プロフェサ。
プロフェサは長い息を吐いた。
「きわめて難しい宿題を残して行ったね、カタギリは」
「わからなかった。プロフェサには、カタギリの気持ちがわかるの」
「わかるよ」
プロフェサは腕を組み、天井を見上げた。リオは俯いた。
「私が、アングリーを理解できないのは……私が出来損ないだから……?」
「違う」
プロフェサは断言した。
「怒りという感情はね、リオ。二番めに出てくる感情なんだ」
「二番め?」
「ああ。チョコレートアイスの話を思い出してご覧。アイスを食べられて、君は驚くと言った」
リオは今朝の授業のことを思い出して、「エモーション」をめくった。
「うん。驚く」
「そうした感情の次にやってくるのが、怒りだ」
「……どういうことか、わからない」
リオは自分が落胆しているのを感じ取っていた。でも、「エモーション」の中にふさわしいイラストがなかった。どうすればいいかわからなくて、プロフェサを見上げる。
プロフェサはそんなリオの頬を撫でた。見えない涙を拭ってやるようにして。
「落胆、恥、予想外の出来事に対する不快感、──例えば、期待していたアイスが奪われた悲しみ。そうした感情がひとつ、ある。あったとする。……その次に、二番めに出てくるのがアングリー……怒りの感情だと言われている。でも普通は、みな、怒りに先立つ一つめの感情の正体に気づかない」
「……むずかしい」
「怒りは、何かに対する応答だ」
プロフェサは言った。
「何もなしに、怒りだけが湧いてくることはないのだよ」
「じゃあ、カタギリは……何があったの、かなぁ」
リオは思い出してみる。さっきのことを。
──リオのことを愛している。だから怒りたくなった。
「……リオ。わたしも君を愛している」
プロフェサは言った。そうして、椅子から立ち上がり、リオの前に跪くと、その両手を握った。
「私もカタギリも、君を大事に思っている。……だから、君をないがしろにする連中には、怒りを持って対応する。私たちは、負けない」
「ないが、しろ?」
リオは知らぬ単語に戸惑った。けれどもなんとなく、前後の関係からその意味を読み取れたような、気がした。
「君は私たちが護る」
「じゃあ、プロフェサとカタギリのことは、RIOが守るね」
「……」
プロフェサも泣いていた。カタギリと同じように泣いていた。リオは、尋ねた。
「アングリー?それともサッド?どっち?」
「……ハッピーだ」
プロフェサの髭を涙が濡らしていく。リオは立ち上がって、プロフェサの頭を抱きしめた。
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