第3話 SMILE,LOVE and LIKE
授業を終えると、カタギリは併設されている心療内科の医師として仕事を始める。
「行きたくないな」
カタギリはいつも、「リオの相手をしてる方がずっといい」と愚痴を言いながら出かけていく。10時に開く診療所には、ドクターが来るのを待っている患者たちが沢山いる。
リオは渋るカタギリに「行ってらっしゃい」と言った。
プロフェサは、授業の間にとったデータを見直したり、書物を繰り広げてみたり、情報の海に潜ったりする。プロフェサが何も言わないときは、リオは自由にしていていいことになっていた。
プロフェサは黙って、モニタを見つめている。リオはプロフェサをじっと見た。自由時間だ、とリオは判断した。
でも、リオには「すること」がない。
仕方がないのでリオは、「エモーション」の絵本を持って、未だ産まれぬ姉妹たちの元へ向かう。ペタペタとスリッパの鳴る音が、研究室の廊下にこだまする。
培養室の鉄扉は固く閉ざされ、鍵をかけられている。リオはツルツルした鉄扉にぴたりと背中をつけて腰を下ろし、絵本を1ページずつめくっていく。
笑顔の男性と女性。喜。
険しい表情の女性と、地団駄を踏む男性。怒。
涙を流す女性。悲しい顔をする男性。哀。
腹を抱えて笑う男性。楽。
それから、それから……。
「
リオは項目を読み上げた。
「
背後の姉妹たちに言い聞かせるように、自分の中に染み込ませるように、リオは口を大きく開いて発声した。
「
そして最後のページには、クエスチョンマークが書かれている。
「
リオはクエスチョンを指でなぞりながら呟いた。
それから、くるりと姿勢を変えて、鏡のようにツルツルの鉄扉に顔を映し、両手の指で口角を吊り上げる。不恰好な笑顔。そして、今度は口角を下げる。変な顔……。
プロフェサやカタギリの顔が表す「記号」は、リオに新鮮な驚きをもたらす。けれど、自分で「それ」をやってみようとすると、どうしても、「わからない」し、「できない」のだった。
どうしたらあんな風に笑えるのだろう。どうしたらこの顔は、あの2人のように機能するのだろう。
「スマイル」
リオは再び口角を上げた──やっぱり、何かが違っているのだった。
「……変なスマイル」
リオは「エモーション」の絵本を放り出して膝を抱えた。簡素な部屋着ごしに、鉄扉の冷たさが沁みてくる。
「
リオは目を閉じた。心に浮かぶ言葉は、次々独り言になって廊下に響く。
「……あったかいカタギリ。優しいプロフェサ、それから……できそこないの、RIO」
姉妹たちにも聴こえているだろうか。聴こえていてほしい、とリオは思った。
「カタギリの手はいつもあったかい。プロフェサの声はいつもやさしい。わたしは彼らを愛している。ラブ。ライク。……ラブ」
リオは窓の外を見た。雪が降っていた。道理で冷えるわけだ。
リオは「エモーション」を引き寄せて、立ち上がった。ここは1人で過ごすには寒すぎた。
〜〜〜〜〜
一方その頃、カタギリは怒りに震えていた。
「どういうことだよ」
プロフェサは険しい顔をしながら、遠い目をした。モニタに表示された「研究費用打ち切り」そして「研究中止の命令」、「研究対象の廃棄」の文字を見透かすように。
「どうもこうも、ない。国から研究を中止せよとの通達が入った。それにともなって、研究費用は今月分で打ち切られる。……問い合わせの連絡も届かん。そしてリオは……」
プロフェサはその先を言えなかった。けれどもカタギリにはそれで十分だった。彼はよろめき、膝をついて、頭を抱えた。
「なんでいきなり」
カタギリはうめいた。
「おれの診療所の稼ぎだけじゃ、培養室の維持どころかリオを養えない……」
プロフェサとカタギリの研究は、急速な人口減少に伴う働き手の不足を補うべく、国から認められている研究の一つだった。
おおやけにリオの存在は知られていないものの、「人造人間」製造の研究が行われていること、そしてその「人造人間」を限りなく人間に近づける研究が行われていることだけは、世の中に知れ渡っている。それも「国の援助と後押しあってこそ」の話だ。
──その上で、神や自然生殖を信じる人々に石を投げられてきたわけだが。
しかし今になって国にまで裏切られてしまっては。カタギリもプロフェサも、首をいきなり締められたような危機感の中にいた。
「今までさんざ人造人間の研究を推し進めてきたくせに、なんで今頃掌返しなんか!」
「落ち着け、カタギリ」
「リオをどうするんだ!培養室の子たちは……最悪諦められても。リオは、RIOはおれたちの娘だ! 廃棄だなんてそんなこと……!」
プロフェサはぐっと歯を食いしばった。そんなことは、プロフェサとてわかっていた。しかし、彼は燃える怒りを表現する言葉を持てなかった。
「ちくしょう。処分なんかさせるものかよ!くそ!くそッ!」
カタギリは唇を噛み、乱暴にプロフェサの部屋を出て行った。
彼の診療所にはまだ山ほど患者がいて、ドクター・カタギリに話を聞いてもらえるのを待っていた。
プロフェサはそんな、哀れな息子の姿を見送った。今すぐ誰かに話を聞いてもらいたいのは彼の方だろうに、と思いながら。
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