デジタルとアナログ

絵の価値は本来、原画に帰属する。

でなければ、モナリザを見るために、フランスへ行く人もいないはずだ。


デジタルだけで絵を残した場合、その原画は一体どこに存在するのだろう。絵というものが「物質的な画材で具現化したもの」ならば、デジタルの世界で絵は存在できない。


デジタルアートは、テクノロジーが生み出したシステムに、人間の想像力や画力が作り置き換えた「膨大な電子データの配合や配列の記録」とも言える。


なぜなら、PCモニターや手元のスマホやタブレットの画面に映し出された”ソレ"は、絵であるかどうかの前に「ピクセルの集合体」であるからだ。


液晶越しに見ているその作品は、一度コンピュータによって濃縮させて、同じ量の解像度でモニターに還元させた、いわば濃縮還元ジュースのようで、ストレートジュースである原画には代われない。


しかし、この濃縮還元ジュースがストレートより美味しいとなる場合があるから面白い。

そのようなデジタル作品は、もはや物質的な画材では表現できないような、精密で複雑なストラクチャーを可能にする。


一方でアナログ作品の魅力は、この世界で唯一無二の原画が存在することだ。

コントラスト、質感など細部に至るまで、全く同じコピーとして再現させることはできない。


もし仮に、未来のテクノロジーが次世代型プリンターを生み出し、それを可能にしたとしても、原画の価値は下がらないと推察できる。


例えば「版画」


版画は現代でもアナログであるが、複製が可能な作品でもある。


有名な版画家が100枚の作品を刷ったとして、そこに1/100〜100/100までのシリアルNo.を付番したとすると、1/100に唯一無二の希少価値が生まれていたりする。


芸術的価値はさておき、オンリーワンに価値を見出したいという願望なのか、人間が先天的に生まれ持った価値観なのか分からないが、これが消えることはない。


デジタルとアナログを良し悪しで語りたいわけではないし、そもそも こういった価値観のことは、創作者側には案外どうでもいいことであったりする。


それは結局、どんなアウトプットの手段をとろうとも、創作者の価値とは「一連の創作活動で得た自分自身の感性そのものにある」という答えに帰結するからだ。

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