53 一緒にスコーンを食べました!
そこも、前と変わっていなかった。
図書館の裏側を進んで、少し階段や坂道を登ったところにある丘の上。風が心地よくて眺めのいい場所だった。
古めかしい鐘塔は、今もそこだけ時間が止まったかのように、高い場所から黙って街を見守っている。
(私は、ここで……)
ところどころ朽ちている鐘塔を見上げる。
あの日――スコットの放った悪夢のような一言に頭が真っ白になって、なにも考えず衝動的に無我夢中で駆け出した。
ただ、屋敷から離れたかった。雨風も気にせずにひたすら走った。
そして辿り着いた場所がここだったのだ。
それからのことは、ほとんど覚えていない。
ただ、悲しくて、悲しくて。辛くて、惨めで……もう、全てを終わらせたかったのだ。
(そう言えば、あのとき……)
あのとき、鐘塔の上からユリウスを見た気がした。全身がびしょ濡れで、必死でなにかを叫んでいたような……。
「ユリウス」クロエは揺れる瞳でユリウスを見る。「あなたは、あのとき――」
――ぐうぅぅぅぅ…………。
にわかにクロエが顔を真っ赤に染める。
小高い丘に、彼女の空腹の叫びが響いたのだ。
(嫌だわ、私ったら……恥ずかしい!)
羞恥心で思わず俯く。全身がかっと熱くなった。
図書館へ行こうと決めて、今朝は緊張でなにも喉を通らなかったのだ。
心配したマリアンが、お砂糖たっぷりのミルクティーを用意してくれて、口にしたのはそれだけだ。
ユリウスに相まみえて安堵感で緊張がほぐれたのか、彼女のお腹は突如としてベルを鳴らしながら、空腹を訴えてくるのだった。
「まずは腹ごしらえだな」ユリウスはくすりと笑う。「一緒に食べようか? スコーン」
「美味しい……」
ユリウスから貰ったスコーンは、ほんのり甘くて、練り込んであるチョコチップがぷちぷちして。優しい味が心に染み込んだ。
あのときと変わらない味。
クロエはそれ以来、このスコーンが大好きになった。彼女の一番好きなお菓子だ。
逆行して、もう一度食べたいとずっと思っていたのだが、大切な思い出の味なので彼と一緒に食べるまでは我慢していた。
今、この瞬間……彼の隣でスコーンを食べることができて、じんと温まるように全身が幸福感で満たされていった。
「………………」
ユリウスは無言でスコーンを頬張る。流れ作業のように喉に通すが、食道はなかなか門を開けてくれなくて、苦心した。
実のところ、あまり食欲が湧かなかったのだ。
彼はこの国へ来て以来、一日たりとも休むことなく図書館へ通っていた。いつクロエが来るか分からなかったからだ。
だから、毎日毎日やって来ては、既に読んだ本に再び目を通し、ひたすら彼女を待った。
そして、このチョコレートのスコーン。
彼は、彼女と再会したときは絶対に思い出のスコーンを二人で食べようと、いつも買って持って来ていた。なので昼食はいつもスコーンだ。
たしかに、このスコーンは格別で、彼も大好物なのだが……毎日食べていたので、さすがに飽き飽きしてたのだ。
クロエに再会できた喜びは計り知れない。
一緒に思い出のスコーンを食べることができて、とても嬉しい。
だが、スコーン自体は……ちょっと食傷気味だった。
彼はもそもそと、ゆっくりと口へ運ぶ。隣にいた彼女は、その様子を見て少し不安な気持ちになった。
「あの……」おずおずと彼に訊く。「もしかして……美味しくない? スコーン、本当は嫌いだったのかしら……?」
少しだけ悲しい気分になった。彼は、あまり食が進んでいないように見える。
もしかして、無理に食べている? 自分との再会が嬉しくないのだろうか……。
そうだったら、ちょっと……残念。
「ちっ……」矢庭にユリウスの顔が青ざめる。「違うんだ、クロエっ!!」
彼は恥を忍んで、本当のことを打ち明けた。
毎日図書館に通って、毎日スコーンを用意して、ずっとクロエを待っていたこと。
彼女には嘘をつきたくなかったし、些細なことから誤解が生じて、二人の間に溝ができるような事態になるのは避けたかった。
もし、そんなことになって仲違いするくらいなら、己の恥ずかしい部分なんていくらでも曝け出そう……と、彼は思っていた。
「っ……!」
クロエは、彼の話を聞いてたちまち頬を赤く染めた。
(そんな……私のために毎日スコーンを……!)
彼の純真な優しさが嬉しかったのだ。彼は逆行前も自分のことを気にかけてくれていて、ゴーストだって揶揄される容姿にも決して馬鹿にしてこなくて。
そして、今の時間でも、ずっと自分のことを待っていてくれた。
なんて尊いことだろう。
「ば、馬鹿みたいだろう……? 愚か者を遠慮せずに笑ってくれ!」
ユリウスは肩をすくめながら自嘲気味に言って、頭を掻いた。
彼は半ば自棄になっていた。こんなの、自分がクロエのことを好きだって告白しているのも同然じゃないか。
「ねぇ、ユリウス」
クロエはまっすぐに彼を見て、嬉しそうに微笑んだ。
刹那、彼の心臓がトクリと跳ねる。
「ありがとう、私のために待っていてくれて……凄く、嬉しいわ」
「そっ……」彼の顔が熱くなった。「そうか……。それは、良かった」
「えぇ!」
彼女の目が更に細まる。
彼も吊られてふっと微笑んだ。本当に彼女と再会できたのだと実感すると、感激して胸がいっぱいになった。
「――それで、ユリウスは前の記憶があるの?」
美味しいスコーンを食べ終わって、クロエは一番聞きたかったことを尋ねた。
ユリウスは深く頷いて、
「あぁ。君が時間を巻き戻したようだな」
「えっ? 私が!?」
クロエは目を丸くする。過去に逆行したのは、なんらかの超常的な力……それこそ、神様のような……が発動して、自分はその流れに上手く乗っただけだと考えていた。
(でも、私自身が巻き戻したの……?)
考えても分からない。たしかに自分は時間を操る魔法を使えるようになったが、まさか自ら過去に遡っただなんて。
己の魔法を研究している最中は、いくら試してもそんなことできなかったのに。本当に?
「その様子だと母君からなにも聞かされていないみたいだな」ユリウスはじっとクロエの瞳を見つめる。「これから、俺が知っていることを話すよ。……君の、その瞳のことも」
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