54 時の魔法の秘密です!

 丘の上の爽やかな空気が、一瞬でキンと冷えた気がした。緊張感を孕んだ沈黙が二人を包む。


 ――ユリウスは、自分の知らない「なにか」を知っている。


 クロエは全身が痺れたように強張った。にわかに興奮してきて、喉の奥がひりついた。



「それは」数拍して彼女が低い声音で問う。「あなたの……その瞳にも関すること? 過去に戻る前と、逆位置の瞳が輝いていることと」


 彼は少し目を見張ってから、


「よく気付いたな。驚いた」


「馬鹿にしないでよ。あなたのこと、絶対に忘れるわけがないわ」と、彼女は口を尖す。そして、すぐにはっと我に返った。


(こ、これじゃあ私がユリウスのことを、好きみたいじゃない……!)


 彼女はかぶりを振った。いや、今はそんな色恋沙汰を呑気に話している場合ではない。

 だって、自分と彼は、絶対に結ばれない運命なのだから――……。


 


「覚えていてくれて嬉しいよ」ユリウスはふっと微笑んだ。「君の言う通り、俺は逆行する前は左側の瞳の色が若干異なっていた」


「夜空みたいに輝いていたわ」


 彼は頷く。


「俺の母は古の一族――アストラ家の末裔だ。……そして、君の母君も」


「お母様が……?」


 クロエは目をぱちくりさせる。そんな話、初耳だ。

 たしかに母は極めて魔力の強い家系だとは言っていたが……アストラ家? 全く知らない。分からない。


「アストラ家の伝説を知っている者は、今ではほとんどいない。古来より彼らは自らの存在を秘匿とし、その魔法は一族間だけで伝えられていた。彼らは力を失わない為に近親婚を繰り返し……皮肉にもそれが元凶で、やがて滅んだ。――と、言われているが、実は生き残りがいて、俺も君もその血を受け継いだんだ」


「…………」


 クロエは黙り込む。話が大き過ぎて、正直ついていけない。


 ユリウスは、そんな彼女に考える時間を与えるように少しのあいだ沈黙を保っていた。

 ややあって、彼女が続きを促すように彼を見ると、再び口を開く。


「アストラ家の特徴として、この目だ。一族は生まれたら必ず左側の瞳が光を帯びる」


「えっ……!」彼女は思わず声を上げる。「で、でも、お母様は……。それに、今の、あなたも……?」


 母は、左ではなく右目が輝いていた。その記憶は確かだ、決して忘れるはずがない。逆行前に図書館で彼とその話をしたのも記憶に新しい。

 それに、今の彼も右目が煌めいている。特徴的なそれを間違えるはずがない。


「ああ、この目は時間を測る指標みたいなものなんだよ」ユリウスはこともなげに答える。「一族の血を受け継いだ者は、産まれたての頃は必ず左目が光に覆われる。しかし、時を遡って再び同じ時間を繰り返す際に、それが右目に変わるんだ。コンパスと同じだな。己がどの時間軸に存在しているか分かるように、時の迷路の中で迷わないように」


「そっ……そんなことって……」


 急に寒気が襲ってきて、クロエはぶるりと身震いした。

 さっきから非現実的な話ばかりで、目が回りそうだ。


「時間の流れは複雑だ。一族の言い伝えでは、俺たちの生きている世界とは別の世界なんてものも存在するらしい。そういう場に行き着いたときは、左目が赤く染まるらしいが……まぁ、古い文献に書かれているだけなので、本当のことはどうかは分からない。確かに言えることは、俺たちアストラの末裔は時間を司る魔力を持っていて、更に時間を移動できること。そして瞳の状態で、己が今どの時間軸にいるかが判断できるってことかな」


「でも……」クロエは震える唇を動かす。「私は逆行前は瞳が光っていなかった。時を遡って、初めて左に輝きが灯ったわ」


 ユリウスは顎に手を当てて少し考える素振りを見せてから、


「君は逆行前は魔力を持っていなかったし、あの時間軸だと絶対に発動できなかった。逆行して初めて魔力に目覚めた――それは産まれたての状態と変わらないから、きっと左なんだろう」


「そう、なの……」


 クロエはうんうんと頭をひねる。これまでの常識がひっくり返されたみたいに混乱していた。まさか自分が、そんな大層な一族の末裔だなんて……。


「じゃ、じゃあ……お母様は一度は時を巻き戻した、ということなのね……?」


 震える声で、おそるおそる尋ねる。彼の話だと、右目が輝くということは、そういうことなのだろう。

 一体、母はなにが目的で過去に戻ったのだろうか。


 ――あの愛のない結婚をやり直したかった?


 やはり、自分の存在が、母の足枷になっていたのだろうか。自分が生まれて来なければ、母の人生はもっと幸福に溢れていたのだろうか……。


「そうだな。おそらく君や俺が生まれる前に、母君は一度時を遡ったのだろう。実際に俺の母は、俺が物心つく頃には右目が輝いていた。母自身は逆行の魔法を使っていないので『きっと誰かの一巡した世界を生きているのね』って言っていたよ」


「他の誰かが発動させたら分かるってこと?」


 ユリウスは頷く。


「あぁ。瞳の変化と……記憶も受け継がれる。母は人生を変えるつもりはなかったから、逆行前と同じことを完璧になぞるのは大変だったって笑っていた」


「……だから、あなたは私のことを覚えていたのね」


「もちろんだ。君も、前の記憶が残っているだろう?」


 にわかにクロエの顔が曇る。

 逆行前の記憶……思い出したくもない記憶が、今も彼女を苦しめていた。


 こんなおぞましい記憶なんて、本当は忘れてしまいたい。忘却の彼方へ放り投げて、普通に暮らしたい。

 でも、仮にそうなったら、自分はまた「ゴースト」になっていたのかもしれない。


 そう考えると、記憶を持って過去へと舞い戻ったのは幸運なのだ。

 だから、今の自分にできることは全部やらなければ……。



「それで」クロエは力のこもった鋭い視線をユリウスに送る。「その逆行の魔法はどうやるの? 発動の条件は?」


 また、静かになった。

 ユリウスは黙ってクロエを見つめ返している。その瞳は揺らいでいるような、憂いを帯びているような不安定な色だった。


「それが……分からないんだ」


 数拍して、彼は残念そうに首を横に振った。


「分からない?」


「そう。文献には逆行の魔法の方法まで書いていない。母も知らないし、受け継いでいないと言っていた」


「そうなの……」


 クロエはがっくりと肩を落とす。

 どうしても知りたかった。自身もずっと研究しているが、分からないままだ。どうあがいても、過去に戻る魔法は二度と使えないのだ。


「ただ、とてつもない魔力が必要だとは聞いている。それは膨大な量で、いくらアストラ家の血を引いていても、誰もが逆行の魔法を使えるわけじゃない、って」


「発動にはなにか条件があるということね?」


「あぁ。一つは、魔力。あとは、想いの強さではないかと……母は言っていた」


「想いの強さ……」


「そうだ」彼は深く頷く。「……クロエは、どうしても過去へ戻りたい理由があったんじゃないか? 君は、これからなにをするつもりなんだ?」


 彼の問いかけに、彼女の顔から一瞬で感情が消えた。


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