40 戦いの始まりです!
「クロエ、こちらがお前の新しい母上のクリス。そしてこの子が妹のコートニーだ。さ、ご挨拶をしなさい」
「ご機嫌よう、クロエと申しますわ」
パリステラ侯爵家に新しい家族がやって来た。
かつてはロバート・パリステラ侯爵の愛人だった、元平民のクリスとその娘コートニーである。
二人の姿を目の前にして、クロエは思わず息を止めた。緊張で指先が微かに震える。
ついに……この日がやって来たのだ。
逆行前、自分のことをさんざん虐遇してきた、継母と異母妹との運命の再会が。
高鳴る鼓動を抑えて、にこりと微笑んでみせる。昨晩は興奮してほとんど眠れなかった。
張り詰めた空気が、玄関ホールを真冬のように冷やした。
二人とも、逆行前と変わらずに無駄に華美で下品な衣装だった。
母親は娼婦丸出し、娘のほうは露悪的な少女趣味だ。品定めをする舐め回すような視線は、ひたすら不快感を煽った。
「まぁっ、あなたがクロエ? とっても綺麗なお嬢さんだこと。あたくしはクリス。今日からあなたの新しい母親よ。こちらは娘のコートニー。仲良くしてあげてね?」
クリスはわざとらしくしなを作る。父親は前と変わらずに嬉しそうにでれでれと鼻の下を伸ばしていて、馬鹿馬鹿しくて思わず吹き出しそうになった。
「ご機嫌よう、お継母様。そして――」と、クロエはちらりと異母妹を見る。
「ほら、コートニー。あなたもお異母姉様にご挨拶なさい?」
クリスが声を掛けると、コートニーは母親の陰からぴょこんと出てきて、ペコリとあどけないお辞儀をした。
「あたしはコートニーです。今日からよろしくお願いします、クロエお異母姉様」
「クロエよ。よろしくね、コートニー」と、彼女が微笑むと異母妹はふいと視線を逸らしてまたぞろ母親の後ろへ引っ込んだ。
(このやり取りも同じね……)
クロエはふっと軽く息を吐いた。本当に過去に戻って来たのだと、改めて実感をした。
でも……これからは違う。
「お父様……」
クロエは大仰にため息をつく。そして、バンと音を立てて黒いレースの扇を広げ、口元を隠した。
「いくら平民出の元・愛妾だからって、これはあんまりですわ。酷すぎます」
にわかに母娘の顔色が変わる。怒気を宿して、みるみる紅く染まった。
「どっ……どういうことだ、クロエ!?」と、ロバートは気色ばむ。
「どうもこうも……」クロエは眉根を寄せて「これが、パリステラ侯爵が本妻より愛する女性に対しての正当な扱いかと申しているのです!」
「はっ……?」
侯爵たちは今度は目を丸くした。
彼女は構わず長広舌をふるう。
「まずは、お継母様のこちらのドレス。なんて安っぽいのでしょう。これでは平民用の貸衣装ですわ。薄っぺらい生地だし、流行遅れの野暮ったいデザイン。もっと良いデザイナーを付けて差し上げてくださいませ。異母妹も同じです。こんな切れ端みたいな粗末なリボンをべたべたと貼り付けたら、他の家の令嬢に継ぎ接ぎだらけの乞食のようだと笑われてしまいます」
「…………」
「…………」
侯爵令嬢の演説に、観客は絶句して、氷像のように固まっていた。
クロエは畳みかけるように演じ続ける。
「そして、お継母様の香水。なんですの、このお手洗いのような強烈な匂いは。こんなの、殿方たちから公衆洗面所だと間違われてしまいますわ。侯爵夫人が、そのようなことはあってはなりません。お化粧も、どこの舞台芸術でしょうか。これでは男を貪り食う女郎蜘蛛ですわ。今のままでは、高価な宝石も、ただのガラス玉に見えてしまいます。――もっと、継母様たちに予算を掛けてくださいまし。これではパリステラ家の沽券に関わります」
しんと水を打ったように静まり返った。
父は真っ青になって、母娘は真っ赤な顔して。
気まずい雰囲気の中、しばらくしてロバートが口火を切る。
「そ……それは済まなかった。十分な予算は充てていると思っていたのだが……」と、彼は口ごもった。
二人にはたしかにたっぷりと贅沢させていたつもりだった。それは前妻やクロエ以上に。
しかし、それだけでは足りなかったのだろうか。
言われてみれば、二人ともクロエのドレスに比べて貧相で品がなく見える。別邸にいるときは気にならなかったが、生地の差やドレスの見せ方、そして佇まいなど……一目瞭然だ。
クロエは、さすが生まれながらの侯爵令嬢といったところだろうか。
別邸の管理はクリスに任せていたが、やはり平民出身の彼女には荷が重すぎたか……。
だが、身なりに金をかけていないとなると、予算配分はどうなっているのだ……。
(よし、種はまいたわね……)
クロエは、ほくそ笑んだ。不安を蓄積させて、疑心暗鬼になるといい。
そして最後は、互いに信頼できなくなった夫婦二人で共食いをするのだ。仲良く地獄へ落ちればいい。
「侯爵家の者としての品位を保つには不十分でしたわね、お父様。でも安心してくださいませ。お屋敷での予算配分は私が再度編成いたしますので、お二人には侯爵家にもっと相応しい身なりをしていただきます。そして、マナーや教養も。私が責任を持って、再教育をいたしますわね」
くすり、と貴族特有の皮肉まじりの冷笑を浮かべて、あからさまな挑発をする。
顔を真っ赤にして怒りを滲ませている二人を見るのが愉快だった。ずっとこの顔をさせたいものだ。
屋敷においての主導権は、これからも自分が握り続ける。
絶対に継母には渡さない。
絶対に負けてはならない。
そのためにも、情や優しさなんて、かなぐり捨てる。
(なんなの……この生意気な小娘は…………!)
クリスの全身は怒りでたぎったように熱くなっていた。
ふるふると震えながら握りしめた右手に、整えられた長い爪が食い込む。
生まれたときから蝶よ花よと育てられた貴族のお嬢ちゃんなんて、赤子の手をひねるように簡単に潰せるかと思っていた。酒場の女からから侯爵夫人にまで上り詰めた自分の敵ではない、と。
しかし、この状況はなんだ。この小娘は、明らかに自分たちを沈めにかかって、しかも先手を取られてしまった。
こんな屈辱……初めてだ。
(許さない……)
ただでさえ長年の間、自分と娘の本来の場所に居座っていた図々しい娘。
これから、死ぬより辛い地獄を味あわせてやる……。
(この女、殺す……!)
一方、コートニーも、母と同じく異母姉への激しい憎悪を胸にみなぎらせていた。
こうして、クロエ対クリス、コートニーの戦いが幕を開けたのだった。
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