38 聖なる力ではないのです!

 パリステラ侯爵家の長女が、聖女の力に目覚めたという噂は、瞬く間に社交界に広まった。


 貴族は強力な魔法を使えるが、人の傷を癒すという聖なる力を持つ存在は稀だった。

 しかも、高位貴族なのに魔力ゼロだとずっと陰で笑われてきた令嬢だ。その衝撃は凄まじかった。


 

 クロエの新たな仕事に、聖女としての役目が加わった。


 彼女は屋敷の執務の合間に、精力的に治療院や孤児院へ赴いて、貧しい平民たちに無償で怪我の治療を施していった。

 この人の上に立つ者としての、模範的行為は評判を呼んで、パリステラ家――そして彼女自身の名声はどんどん高まっていったのだった。


 人の役に立ちたい。困っている人を助けたい。

 そんな想いを抱いて始めた治療行為だが、他にも彼女の心を満たす役割があった。


 見られている。必要とされている。


 逆行前には誰からも相手にされないゴーストだった彼女にとって、人々から聖女だとちやほやと崇められるのは……正直、快感だった。


 こんな邪な気持ちで力を使うだなんて、自分はなんて心の汚い人間なのだろうと、自己嫌悪の波に襲われることもあった。

 しかし、クロエ・パリステラという存在を、多くの人々から求められる喜びには敵わなかったのだ。


 いつの間にか、王都の貴族はもとより、平民の間でも彼女の名前を知らぬ者はいないほどに、有名になっていった。




 

 そんな中で、だんだんと彼女の中にある違和感が生まれていった。


(私の力は、本当に、聖女の力なの……?)


 たしかにクロエの魔法は、人々の傷を癒す効果があった。

 実際に、怪我や病気が治って、多くの人間から感謝された。


 しかし、それは聖なる力などではない。

 自らが魔法を発動させている最中に、彼女はひしひしと感じていた。


 魔力の高い彼女は、魔力感知能力も他人より強かった。

 自身の魔法は、教会や神官の神聖な力とは別の種類のものだと感じたのだ。なにか、違う流れのようなものを感じるのだ。


 でも、それが何なのか説明できない。

 毎日のように原因を考えていたが、なかなか答えまで辿り着けなかった。





 深まる疑問を解決させたきっかけは、ひょんな出来事からだった。


 父ロバートが、大切な物を無くしたと連日大騒ぎをしていた。

 それは、彼の最愛であるクリスとコートニー母娘から誕生日に贈られたペンだった。彼は、毎日そのペンを上着のポケットに入れて持ち歩き、愛用していたのだった。


 ある日、クロエが考え事をすると一人で屋敷の裏庭を散策しているときに、その大切な大切なペンを見つけたのだ。


(先日、庭で打ち合わせをしていたときに落としたのかしら?)


 クロエがそれを拾ったとき、首にかけたペンデュラムが微かに光った気がした。


「…………」


 そのとき不意に、身体中にびりびりと電撃が走るような、ある閃きが起こったのだ。


 彼女はその場でしばし思案をしたあと、


 ――バキッ!


 彼女は、父親が大切にしているペンを力任せに真っ二つに折った。

 芯から折れたそれは、もう二度ともとに戻ることのない悲惨な状態になってしまった。


「…………」


 彼女は、両手で折れたペンを包み込む。

 そして体内の魔力を勢いよく流し込んだ。治癒と同じ魔力を。

 すると、両手の中の空洞が淡く光を発した。


 ぼんわりとした明かりが収まると、上に置いていた右手をそっと離した。


「やっぱり……!」


 そこには、さっきまでの真っ二つに折れた無惨な姿は跡形もなく消え去って、もとの通りの、紺色の艶めくペンが鎮座していたのだ。


「っ…………!!」


 クロエは目を見張る。でも口元は綻んでいた。

 ふつふつと高揚感が浮かんできて、胸に早鐘が鳴った。


 聖なる魔法の正体は、これだったのだ。


 それは癒しの力なんかじゃない。ただ、対象の時間軸を魔法で動かしているだけだ。

 そう、たしかに「動かして」いるのだ……。


(まさか……!?)


 しばらくの間、呆然と突っ立っていた彼女は、はっと我に返る。


 そして慌てた様子で、もう一度両手でペンを握って、魔力を注いだ。

 手の平はまたもや淡く光って、やがて消える。


 おそるおそる、緊張で息を止めながら、両手を開いた。


「っっ……!!」


 息を呑んだ。

 どっと全身から汗が湧き出て、身体が熱くなる。


 新品の如く綺麗にもとの形に戻ったペンは、今度はさっきクロエがボキリと真っ二つに折った状態に再び変貌していたのだ。


 ごくり、と喉が鳴った。



 自分は、時間を操れる……!



 これで、ずっと心に引っかかっていたものが、やっと剥がれ落ちた。

 称賛されている癒しの力は、対象の傷をもとの傷付いていない状態に「時間を巻き戻していた」だけだったのだ。

 それを聖女の力だと勘違いして、持て囃されているだけ。


「ふっ、ふふっ……」


 思わず笑いが込み上げた。

 自分も周囲も、偽りの力に騙されて、皆して舞い上がって。なんて滑稽なのだろう。


 同時に、罪悪感も芽生えた。自分に感謝の言葉を投げかけてくれた人々、きらきらと尊敬の眼差しを向けてくれた子供たち、貴族たちの羨望。

 どれも、これも……私に騙されていたのね。



 彼女は、弧を描いて不気味に笑う。


 この力は使える。

 時間を操る魔法を上手く利用すれば、コートニーに魔法で打ち勝つのはもちろん、狡猾な継母の奸計にも対抗できるかもしれない。逆行前の記憶と併用すれば、十分に勝算はある。


 そのためにも、この魔法は周囲に秘匿にしておいたほうが良いだろう。とっておきの手札は、最後まで隠しておいたほうが絶対にいい。


 だから、良心は痛むが……このまま「聖女のクロエ」として功績を上げて、今は少しでも異母妹との差を付けておこうと、彼女は決意した。



 クロエは踵を返す。胸が高鳴った。

 早速、「時間」の魔法について詳しく調査をするのだ。なにか他にも良い使い道があるのかもしれない。


「…………」


 彼女は池の前で、ふと立ち止まる。

 そして、父の壊れたペンをぼしゃりと池の中に静かに投げ捨てた。


 ペンは深く、沈んで行く……。



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