25 私という存在はもう何処にもありませんでした

※虐待による不快なシーンあり※








 まずは食事の問題を解決しなければいけない。

 そこでクロエは、庭師にどの雑草を取っても良いか、聞くことにした。


「作業中にごめんなさい。庭の草花について訊きたいことがあるの」と、いつもの調子で仕事の邪魔にならないように控えめに尋ねる。


「…………」


 だが、料理人と同様に庭師からの返事はなかった。彼らは黙々と土をいじり、枝を切る。

 クロエは戸惑い、少しのあいだ固まっていたが、仕事に集中するあまり聞こえなかったのかしらと、もう一度声をかけた。

 しかし、またぞろ返事はない。


「あ、あのっ……」


 今度は彼らの顔を見ながら話しかけたが、誰一人としてうんともすんとも言わなかった。

 やがて、庭師たちはそれぞれ目的の場所へと散って行く。


「…………」


 柔らかい日向が影に隠れ、クロエだけがその場にぽつねんと残された。




(きっと、仕事中なのに私が邪魔をするような真似をしたから、彼らを怒らせてしまったんだわ)


 クロエは反省をして、自分で調べることにした。

 たしか、侯爵家の図書室に薬草についての本があったはずだ。それを参考に、薬草として植えてあるものと、雑草を区別しようと考えたのである。


 図書室は父親の書斎の近くにあった。

 そこには魔導書を中心に、貴族名鑑や政治や法律などの多岐に渡る種類の本が並べられてある。クロエがいつも勉強に参考していた魔導書も、ここから借りていた。


 屋敷の中でひときわ大きい重厚な扉を開けると、高い天井の広々とした空間が広がっている――はずだった。


「あら……?」


 クロエは眉をひそめる。いつもは鍵をかけずに開放してあるはずの扉が、今日に限って閉ざされていたのだ。

 もしかしたら執事が鍵を開けるのを忘れたのかもしれない……と、彼女は彼らの執務室へと向かった。



「図書室の鍵を開けてくれないかしら?」


 彼女は部屋全体に聞こえるように、努めて大きくはっきりと言った。

 庭師たちに声がけをしたときは、外の空気に掻き消されて聞こえなかったのかもしれない。

 だから、室内なら反響して聞こえるはず。それに敢えて大声も出したのだし、これなら答えてくれるはず。


「…………」


「…………」


 室内には、さらさらと紙にペンを走らせる音だけが鳴っている。時折、打ち合わせと思われる話し声。

 クロエだけ見えない壁に隔絶されたみたいに、入口に突っ立ていた。


「ねぇ、聞こえてる? 図書室に入りたいの。お願い!」


 もう一度、声を上げる。今度はさっきよりも一段と大きな音量だ。

 しかし……彼らから返事は来なかった。

 主人であるはずの彼女の顔を見もせずに、まるで端からここにいないかのように、いつもの仕事だけを進めている。


 少し待っても返事は来なかったので、今度こそはと近くの執事の席まで行って、ドンと両手で叩いてから声を発した。


「図書室の鍵を開けてくれない?」


「…………」


 眼前の執事は、クロエの顔も見ずに出し抜けに立ち上がって「そろそろ日用品の扱う商人が来るので迎えに行って参ります」と、部屋を出る。それだけだった。


 にわかに、クロエは恐ろしくなった。

 足がすくんで背中にぶるりと悪寒が走る。


(なんで……皆、答えてくれないの……?)


 メイドも、料理人も、庭師も、執事も……誰も彼女の訴えに振り向かない。見ない。答えない。

 まるで、世界中の果てに置いていかれたような、酷く心細い孤独感を覚えた。



 それからもクロエの呼びかけに応える者は現れず、彼女は毎日一人きりで、なにもかもを請け負っていた。

 朝の洗顔も、着替えも、湯浴みも。掃除や洗濯……道具の持ち運びでさえ。


 作業中に屋敷の人間たちとすれ違っても、彼らの視線は常にまっすぐで、クロエのことなんて気にしていない様子だった。彼らとのあいだには、挨拶も会話もない。



 屋敷の者たちは、クリスから「クロエと絶対に関わらないように。もし一言でも口を聞いたら、問答無用で屋敷から叩き出す。紹介状も書かない」と、きっぱりと宣言されていた。


 中には、クロエのことを不憫に思う者もいくらかはいたが、彼らも悪魔のように恐ろしい侯爵夫人には逆らえず、彼女のことを徹底的に無視していたのだった。




 クロエはまたたく間に痩せてしまって、病人のような青白い顔に、ぼさぼさの髪の毛が痛々しかった。


 夜な夜な食べ物を求めてゴミ箱を漁る姿は、やがて屋敷の者に見つかって、コートニーを中心に嘲笑混じりに「幽霊令嬢」「ゴーストが出た」……などと、面白おかしく語られるようになったのだった。


 骨のようにがりがりに痩せ細って、そろそろと闇夜を徘徊する姿は……まさに、幽霊そのものだった。


 誰も自分と会話をしてくれない。相手にさえしてくれない。

 その締め付けられるような孤独は、徐々にクロエの精神を蝕んでいっていた。

 確かにここに存在しているのに、ここに居ない。自分のか細い声は、乾いた空気に無慈悲にも掻き消される。


(私は……何者なの? 今、本当に生きているの? 彼らの言う通りに、幽霊になって彷徨っているの?)


 暗い思考が全てを支配していく。

 だんだんと、頭がおかしくなっていく気がして……自分が自分ではなくなっていく気がして、底冷えするような恐怖を覚えた。


 私を見て欲しい。自分の声に答えて欲しい。

 見て。せめて、顔を向けて。目を合わせて。


 見て、見て――……。




 それもこれも、自分が魔法が使えないせいだろうか。魔法が使えない自分が悪いのだろうか。自分が無能だから、お母様まで侮辱されるのだろうか。


(だから……だから、早く、魔法を…………!)


 クロエが縋るものは、もう魔法しかなかった。

 取り憑かれたように、毎日ひねもす魔法の特訓をした。


 だが、彼女の願いが叶う日は、いつまで待っても、やって来ない。




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