23 ついに限界を超えてしまいました

※虐待による不快なシーンあり※







 

 クロエへの嫌がらせはどんどんエスカレートしていく。


 最初は遠巻きに見ていた使用人たちも、クリスとコートニーに感化されてか、クロエに対してのささやかな嫌がらせが始まった。

 パリステラ家の長女に、どんななにをやっても一切のお咎めはなく、彼らの行為は少しずつ過激になっていった。


 パリステラ家の当主も、もちろん使用人たちの行いを承知していたが、不義の子が報いを受けているのだろうと敢えて放置していた。

 むしろ、ロバート自身も、元妻とその娘からこれまで騙されていたと、憤りを感じていたのだ。





◆◆◆





「不味いわ。もう一度」


「はい……」


「ちゃんと自分で飲んで、どこが悪かったか味を確認しなさいって言っているでしょう? さぁ、全て飲み干しなさい」


「分かりました……」


 クロエは、上手に淹れるのを失敗した渋いお茶を、ぐいと呷った。

 熱湯が舌に絡んで吐き出しそうになるが、ぐっと堪える。口内がひりひりして、剥けた皮が痛くて、味なんてもう分からなかった。



 今日はコートニー主催のお茶会だった。

 彼女が特に仲の良い、数人の令嬢だけを招待した、小さな身内の会である。


 お茶会では、コートニーがクロエのことをメイドのように扱って、給仕をやらせていた。

 しかし、召使いとしての仕事を始めてまだ日の浅い彼女は段取りが悪く、更には高位貴族令嬢に出すには未熟で不味すぎるお茶を出してしまった。

 そのことに激怒したコートニーとクリスが「再教育」と称して、夕方からずっと美味しいお茶を淹れさせる訓練をさせていたのだった。


「本当に使えないわね。やっぱり、下男の娘だから能力がないのかしら」と、クリスが眉尻を下げる。


「お母様ったら~。仕方のないことなのよ。お異母姉の真の能力は、殿方の上に跨ってらっしゃるときこそ発揮されるのじゃなくて?」


「あら、そう言えばそうだったわねぇ。でも、せめて下女並に使えるようになってもらわないと困るわ。これじゃあ、パリステラ家の栄光だけを吸い取る穀潰しよ」


「あたしたちで頑張って教育しないといけないわぁ!」


 出し抜けにコートニーが立ち上がって、おもむろにティーポットを持った。

 そして取っ手の持つ腕を振り上げて、


「きゃっ!」


 まだ高温の残る中の湯をクロエの胸元にかけた。

 着古して薄くなったドレスの布を伝って、彼女の肌が熱くなった。痛みが走って、思わずしゃがみ込む。


「いいこと? お茶は熱くないと美味しくないの。だから、その汚らしい身体で適温を覚えなさいな」と、コートニーは冷ややかな瞳でクロエを見下しながらくすくすと笑った。


「たしかにそうね」クリスはぷっと吹き出す。「あなたの言う通りだわ。お茶は温度調節が重要だものね」


 今度は、継母がクロエの頭から別のポットの湯をかけた。げらげらと貴族らしからぬ品のない笑い声を上げる。背後に控えているメイドたちも嘲笑していた。

 二人は交互にクロエに湯をかけて、彼女はずぶ濡れでその場にうずくまっていた。



「まぁ! なんて品のない! びしょ濡れじゃないの!」と、コートニーは今度は仰々しく肩を竦めた。


「これじゃ風邪をひいてしまうわ。クロエ、早く脱ぎなさい? すぐに温めないと」


 クリスがニヤニヤと含み笑いをしながら継子を急かした。

 しかし、クロエは身体を震わせるだけで、返事もせずに丸まったままだった。


 クリスは「おや」と一瞬眉を上げて、メイドに目配せをしてクロエの古めかしい粗末なドレスを脱がせた。

 彼女は抵抗する気力もなく、人形のように操られて、あっという間に下着姿にされたのだった。


「あぁ、良かった」クリスは笑顔で胸元で両手を叩く。「あのままだと冷えて風邪をひきそうだったもの。これで大事な娘の身体を温められるわ」


 そしてクリスは、ポットの湯をまたもやクロエの頭上からゆっくりと流した。


「冷えないように、あたくしが温めてあげるわね」


「っつ……!」


 熱湯がクロエの白い肌を直接襲いかかった。

 刺すような痛みが肌を伝って、染められたみたいに真っ赤になった。

 彼女は耐えられずに、反射的に仰け反る。それが継母の怒りを買って、湯の量が更に増えた。


 クロエは歯を食いしばって我慢する。少しだけ……少しの間だけの辛抱なのだ。

 二人が飽きたらまた平穏に戻る。じっと耐えて、嵐が過ぎるのを待つだけだ。




「あら……?」


 そのとき、コートニーが目ざとくクロエの胸元に光るものを見つけた。それは細い銀色の鎖だった。


「なぁに、これ?」


 はっとしたクロエが慌てて胸元を隠そうとしても、遅かった。

 異母妹は彼女の手を押しのけて、鎖を引っ張った。


「これは……ペンデュラム?」


 それは、先端が尖った八角錐の小さな青黒い石のペンダントだった。

 あんなに虹色に輝いていたクリスタルは、不思議にもどんどん黒く変色していって、今では路端の石ころのような濁った色になっていたのだ。


「返して! それはお母様の形見なのっ!」


 クロエは奪い返そうと必死で手を伸ばすが、クリスが手に湯をかけて阻止をした。


「形見ぃ~?」と、母娘はその石をためつすがめつ眺める。

 その粗末な石は、侯爵夫人が持つような代物ではないように思えた。


「おっかしい~! これが形見だって? こんな石ころが!」とコートニー。


「あら、もしかしたら不貞相手の下男から貰ったものじゃなくて? だから後生大事にして娘にまで……ぷっ」クリスは吹き出す。「あっ、そうか! 娘と父親を繋げる唯一の物だから? ふふふっ」


「たしかに卑しい男じゃあ宝石なんて買えないわよね」


「で、石ころ!」


 母娘はケラケラと腹を抱えた。

 にわかにクロエの胸に怒りの炎が宿る。大切な母親の形見を奪われて、あまつさえ侮辱までされて……許せなかった。


「返してっ!!」


 猛然とクロエはコートニーに飛び掛かった。

 そしてペンダントを奪い返そうと躍起になって腕を掴む。抵抗されて、揉み合いが始まった。


 不意の攻撃に虚を衝かれて異母妹は一瞬だけ不利になるが、クリスの命令でメイドたちが一斉に加勢をして、みるみる間に姉が床にねじ伏せられた。


 コートニーは数拍肩で息をしてから、


「なんなのよ、あんたっ! あたしはこの国を代表する魔導士なのよっ! 売女の娘のくせに、生意気なっ!!」


 握ってあったペンダントを思い切り床に叩きつけた。

 カン――と高い音がして、先端が欠けた。


「あぁっ! お母様っ!」


 クロエは、叫びながらメイドたちの腕の中でもがくが、身動ぎ一つできない。


 コートニーは顔を真っ赤にさせて落ちたペンダントのもとへ向かい、憎々しそうにぐしゃりと踏み付けた。それから、ぐりぐりと力を込めて床に押し付ける。


「止めてっ!」


 彼女が足をどけると、ペンダントは真っ二つに割れていた。


「そんなっ……」


 クロエはよろよろと跪く。全身が脱力したように、うなだれた。


 母の形見が壊れてしまった。それは、ぎりぎりで保っていた細い糸が切れたみたいに、儚く呆気ないものだった。

 同時に、クロエの心も暗く濁っていく。



「もう……いい加減にして…………っ!」


 ついに、限界が来た。

 ずっと心の底に押し込んでいた苦しみが、堰を切ったように溢れ出して、彼女の喉から唸るような声を絞り出す。


 にわかに指先が氷のように冷たくなって、ガタガタと小刻みに震える。

 呼吸が荒ぶる。刹那、背中に悪寒が走って、ざらざらした肌が波立って、でも体内は燃えるように熱くて。


 もう、うんざり。もう、嫌。もう、限界。

 父も、継母も、異母妹も、全部、全部、全部――……。


「私が……なにをしたというの!? いつもっ……いつもいつもいつもっ……私を……なんでっ…………!?」


「はぁ?」と、コートニーは眉を顰める。


「もう、放っておいてよっ!! 私のことなんて構わないでっ!!」


 クロエの訴えかけるような金切り声が辺りに響く。

 途端に水を打ったように静まり返って、彼女の周囲からぐるりとねちっこい視線が注がれた。


「………………」


「………………」


「………………」



 しばらくして、コートニーの嘲りの混じった調子の良い声音が、沈黙を破った。


「ねぇ、聞いたぁ~? 放っておいて、だってぇ~!」


「えぇ、しっかり聞こえたわ。クロエは自分のことなんて放置して欲しいのね?」と、クリスも強く同意するように頷く。


「…………」


 クロエは目を見張る。急激に後悔の波が襲って来た。

 衝動的に胸に抱えている泥を吐き出したものの、この母娘には情なんて殊勝なものを持ち合わせていないことに、今更気付いたのだ。


 嫌な予感が脳裏に迫る。

 すると継母がにっこりと妖艶な笑みを浮かべた。


「いいわ、分かったわ。そんなに構わないで欲しいならそうしましょう! ――皆、聞いてちょうだい? これからはクロエには二度とかかずらうことのないように」


「っ……!」


「なぁに? その不満げな顔は。だって、クロエ自身がそう言っているのだから、母として許可してあげるだけよ? 可愛い娘の願いは叶えてあげたいもの」


「そうね、お母様。お異母姉様が希望しているんですもの! 仕方ないわぁ!」


「じゃ、決定ね。屋敷の者は金輪際クロエに関わることのないように。干渉は厳禁よ。好きなことをやらせなさい。夜遊びも、男遊びも、どうぞご自由に」


「そんなことっ――」


 母娘の口撃は、クロエが反論する前に怒涛の如く続いていく。


「良かったわね、お異母姉様。これからは好きに過ごしていいんですって!」コートニーはにやりと口元を歪ませる。「あたしたち家族からも、使用人たちからも束縛されずに、幾人もの男の上を渡り歩くといいわ。身体が武器のお異母姉様なら、親切にしてくださる殿方もたくさんいらっしゃるでしょう?」


「なにを――」


「旦那様にはあたくしから伝えておくわ。じゃ、今この瞬間からお望み通り放っておくわね。この無様な粗相も自分で片付けなさい」


「皆、分かってるわね? 掃除道具もお異母姉様に自分で取りに行かせるのよ。くれぐれも、邪魔をしないように。だって、構わないでって言っているんですものね」


 クリスとコートニーは、愉快そうに高笑いをしながら去って行った。

 彼女らの腰巾着のメイドたちも後に続く。


 残された使用人たちは、はじめはおろおろと二人とクロエを交互に見ていたが、やがて何事もなかったかのようにそれぞれの仕事に戻り始めた。


 クロエはしばらく茫然自失と立ち尽くしていたが、濡れた身体が酷く凍えるので、仕方なく使用人の利用している掃除道具置き場へと向かったのだった。



 それからしばらくたたないうちに、彼女はゴースト――幽霊令嬢だと揶揄されるようになったのだ。


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