22 過酷な毎日です

※虐待による不快なシーンあり※







 パリステラ家においてのクロエの立場は、もう地に落ちていた。

 その上、知らない間に社交界での評判もボロボロで、彼女と懇意で手紙のやり取りをしていた令嬢たちからの便りも、完全になくなってしまった。


 スコットとは、会っていない。


 彼が屋敷を訪ねることはあるようだが、コートニーとしか面会せず、クロエのことはもう名前すらも出さなくなっていた。

 クロエは、彼に今度こそ話を聞いてもらおうと何度か試みてみたが、頑なに拒まれてもう会うことすら叶わなかったのだった。


 コートニーの名声は、国の貴族中に広まっていた。

 美貌と才能を持ち合わせた高貴な令嬢と是非とも誼を通じたいと、彼女の周りには常に多くの貴族たちが集まって、今では社交界の華になっていた。


 彼女は魔法で功績を上げて、そのお陰でパリステラ家は魔導院でも大きな発言力を持つようになって、もともと求心力の高かったパリステラ侯爵家の派閥は確固たるものになっていった。

 クリスとコートニーはもう「愛人とその娘」ではなく、歴としたパリステラ家の「夫人と令嬢」だった。


 一方、クロエはいくら努力をしても、一向に成果があらわれず、未だに魔法を使えることが叶わなかった。





◆◆◆





「……お掃除終わりました」


「あら、そう。随分遅かったわね。本当に愚図なんだから」と、クリスがクロエを睨み付ける。


「も、申し訳ありません……」


 魔法の使えないクロエは家族から「穀潰し」「役立たず」などと罵られ、雑用をやらされるようになった。彼女の仕事は、主に継母と異母妹の身の回りの世話である。


 クリスはこれまでずっと侯爵令嬢として生きてきた継子に、メイドの真似事をさせて、屈辱を与えようと考えたのだ。



「全く。お前のような不義の娘を、旦那様の恩情でここに置いてやっているんだから、少しはしっかり働きなさい」


「はい……」


 クロエは頭を下げる。

 間接的に母親のことを侮辱されても、もはや抗う気力も残っていなかった。


(ここで反抗してもまた叩かれるだけだわ……)


 実の娘の立場が安定して以来、継母はクロエに対して、しょっちゅう手を上げるようになった。

 口答えをしたら、暴力はもっと激しくなる。

 だから、彼女はもう諦めていた。何事も起こらないように、ただ黙って嵐が去るのを静かに待つだけだ。


「失礼しま――」


 ガシャン――と、奥の鏡台からけたたましい音が響く。驚いて振り返ると、鏡台には白粉が撒き散らかされて、周辺を真っ白に染めていた。


「まぁっ! なんてことっ!?」


 クリスが大仰に声を荒げた。そして、クロエを呼び付ける。


「な、なんでしょう。お継母様……」


「お前はこれが見えないの!? 汚れているじゃないの! ちゃんと掃除をしなさいと言っているでしょうがっ!」


「そ、それは――」


「口答えをするんじゃありませんっ!」


 クリスの平手打ちがクロエの頬に当たって、よろめいた。


「お前はっ! 掃除が終わっていないのに、嘘をついて! なんて嫌らしい娘なのかしら!」


 またもや平手打ちの音が鳴る。

 クロエの白磁のような頬は真っ赤に腫れ上がった。もともと美しかった彼女の身体は今では傷だらけだ。


 しかし、耐えるしかない。

 継母の溜飲が下がるまで、待つしかなかった。


「いいこと? あたくしが戻るまでに綺麗にしなさい? あまりに態度が悪いと旦那様に言い付けますからね」


 一瞬の激しい雷雨が去っていく。

 残されたクロエは、無心でひたすら鏡台を磨くだけだった。





◆◆◆





「ほら、今日の餌よ」



 やっと継母の部屋の掃除が終わったと思ったら、今度は異母妹だ。


 一通りの仕事が終わって、クロエが一息ついているところにコートニーはメイドたちを引き連れて、ノックもなしに異母姉の部屋に突撃し、例の如く無造作に残飯の入った木製の器を床に置いた。


 今ではクロエの食事は夜に出されるそれだけだった。

 コートニーは飽きもせずに、毎晩異母姉のもとへ行き「餌」を置いて行くのだ。


「ありがたく思いなさい? このあたしが直々に恵んであげてるんだから。あんたなんか、本当はすぐにでも屋敷から放り出されても仕方のない立場なのよ?」


「……ありがとうございます」


 異母妹とのお決まりのやり取り。彼女が満足する答えを言わないと、継母と同様に身体を打たれる。

 それに、彼女の機嫌を損ねると食べ物が貰えない。

 だからクロエには、選択の余地なんてなかった。



 コートニーは上機嫌に口角を上げて、


「どうぞ、召し上がれ?」


 まるで異母姉を犬のごとく指を鳴らして合図をする。

 するとクロエはおもむろに床に跪いて、腕に口を付けた。


 無言で、食べる。食べる。一心不乱に口の中に注ぐ。


 理不尽で過酷な労働と魔法の修行で彼女は疲弊して、激しい空腹状態だった。だから、むせ返るような腐敗した匂いなんて……もう感じない。


「あっはっ! 見てよ、これ! 乞食? いえ、獣みたぁ~い! お異母姉様ったらみすぼらし過ぎ~」


 ゲラゲラとコートニーの下品な笑い声が部屋中に響いた。手を叩いて喜んでいる。それにメイドたちの嘲笑も重なって、さざなみのように悪意が広がった。


 クロエの感覚はもう麻痺していた。

 どんなに彼女たちから蔑まれても、生きるためには仕方がない。

 生きて、魔法を使えるようになるためには。そして……母親の名誉を回復させるためには。



「ちょっと、残っているわよ! 最後まで綺麗に食べなさいよ」


 もうすぐ終了の合図だ。最後まで綺麗に……こう言われると、クロエは舌を出して食器を舐める。残った水滴や滓まで全てを舐め尽くすのだ。


「よしよし。今日も綺麗に食べ尽くしたわね。――で、お礼は?」


「毎晩美味しいご馳走をありがとうございます……」


 コートニーたちはどっと吹き出す。


「あんな残飯がご馳走だってぇ~」


「見た? あの豚みたいな食べ姿。人としての誇りなんてないのかしら?」


「こんな下等な生き物に慈悲を与えるなんて、コートニー様ったらお優しいわ~」


 異口同音に、クロエの悪口。いつものことだ。


 ここでコートニーの機嫌を損ねて餓死するよりかはましだと、クロエはひたすら耐えた。少しの時間だけプライドなんてかなぐり捨てて、ただ我慢をすれば良いだけなのだから……。



 しかし、クロエが我慢をすればするほど、継母と異母妹からの攻撃は、激しくなる一方だった。


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