13 婚約者には会えませんでした

 パリステラ侯爵家は完全にクリスとコートニーが支配していた。


 他の従者に対しては、これまでは前侯爵夫人から信頼の厚かったマリアンが、度を越した振る舞いをさせないように瀬戸際で食い止めていたのだが、その箍が外れると屋敷は混沌と乱れはじめた。


 使用人たちはクリスとコートニーに阿って、逆にクロエをあからさまに蔑ろにすることが多くなった。


「まだ魔法が使えないなんて、おかしいとおもっていたのよ」


「やっぱり、不義の子だって本当かしら?」


「コートニー様はもうあんなに魔法を使いこなしているのに、それに比べて……」


 メイドたちの悪口が聞こえる。

 最近はクロエが近くにいてもお構いなしだ。嘲笑と軽蔑の混じった声音に彼女は深い悲しみを抱いた。

 その中でも一番彼女を傷付けたのは、大好きな母親を謗るような言動だった。


(お母様が不貞を働くなんてありえないわ……!)


 自分のことはどうでもいい。魔法が使えないのは事実なのだから。

 でも、尊敬している母が、まるで罪人のように悪し様に言われるのはとても辛かった。


 ――母の名誉を回復させたい。


 クロエはその一心で、これまで以上に魔法の特訓に励んだ。

 来る日も、来る日も、朝から晩まで。

 日が高いうちは庭で実践を、日が落ちたら自室で魔術書で理論を。毎日、毎日……。



 それでも……彼女が魔法を使える日は、終ぞ訪れることはなかったのだった。





◆◆◆





 あれからスコットとは一度たりとも会えなかった。


「会って直接話をしたい」と手紙を送ったものの、彼からの返事は梨の礫……。


 悲しみをぐっと堪えてジェンナー公爵家へ直接向かおうとしたら、馬車を使うことを許可されなかった。

 理由を聞いたら御者からは「旦那様から、お嬢様には私的に馬車を利用することを禁ずる、と仰せ付かっております」と、不可解な返事のみ。


 困惑して父親に理由を尋ねると「貴族なのに魔法も使えない娘なぞ恥ずかしくて外になど出せぬ」と、一蹴された。何度も懇願したが、取り付く島もなかった。






 

 まだマリアンが側仕えをしていた頃、彼女が機転を利かせて、貸馬車を手配してくれたことがあった。 


 クロエが軽い足取りで乗り込もうとすると、


「なにをしているのです!?」


 クリスが眉を吊り上げながら彼女のもとへつかつかと近寄って、首根っこを掴んで勢いよく馬車から引きずり下ろした。


「いっつっ…………! なにをなさるのですか、お継母様!?」


 クロエが抗議をすると、


 ――バシッ!


 継母の平手打ちが彼女の左頬に炸裂した。

 思い掛けない突然の暴力に目を白黒させながら見上げると、継母は鬼の形相で言い放った。


「それはこちらの台詞です! 未婚の令嬢が男と二人きりで密会するなんて、なんてふしだらなっ!」


 クリスの大音声の金切り声は、パリステラ家の門から波紋のように周囲へと広がっていく。


「ちっ、違います!」クロエは矢庭に気色ばむ。「スコット公爵令息様は私の婚約者です! それに、彼にお会いするときは、常に彼の執事やメイドが側におりました。疚しいことなど一つもありません」


 険しい沈黙を伴い、二つの視線がぶつかる。


 クロエは今回ばかりは一歩も引かなかった。

 あのお茶会の日から、もう何週間もスコットに会っていない。婚約者たちの間には未だわだかまりが残ったままだ。

 このままでは、本当に取り返しのつかない事態になりかねない。だから、一刻も早く彼に会って誤解を解かなければ。



 しばらくしてクリスがふっと息を軽く吸ったあと、


「またお前は! どうしてそんな嘘ばかりつくの!」


 またぞろ大声で継子を罵った。あまりの剣幕に、クロエはびくりと肩を震わす。


「たしかに母親が死んだのは悲しいことよ。あたくしも、あなたには心から同情しています。でも、その寂しさを癒やすために殿方を渡り歩くのは良くないわ。侯爵令嬢として恥じない行動をしなさい!」


「はぁっ……?」


 クロエは思わず素っ頓狂な声を上げる。

 意味が分からなかった。

 なにを訳が分からないことを言っているのだ、この継母は。婚約者と会うことになんの問題があるのだろうのか。

 どの令嬢も婚約者と親睦のために定期的に面会をしている。それは常識的なことでおかしいことでは決してない。


 それ以前に、彼女の言い方だと――、


(これではまるで私が男遊びをしているみたいじゃない……!)



 クロエはおののく。二の句が継げなかった。

 まるで異邦人と会話をしているみたいだ。いや、言語が通じれば彼らのほうが分かり合えるのだと思う。


 継母も異母妹も、彼女の常識が通じなくて、あたかも自分たちの常識のほうが正しいみたいに装って。

 それに父親も加勢するので、やっぱりクロエのほうが傍から見たら間違っているように錯覚する。

 彼女自身、突然不安が押し寄せて来て、思考が停止してしまうこともままあった。



「さ、屋敷へ戻りますよ」


 出し抜けにクリスがクロエの腕を掴んだ。


「お継母様、私はっ――」


「一旦、自室へ戻って頭を冷やしなさい。侯爵令嬢としての矜持を思い出して? きっと亡くなったお母様もあなたに淑女として立派に育って欲しいはずよ」と、クリスの甘い声が毒のようにクロエの顔にかかる。


(この方たちには、なにを言っても無駄なんだわ……)


 クロエはやっと掴めたスコットに会えるチャンスをふいにされて、茫然自失とクリスに引きずられるように屋敷に戻った。



 パリステラ家の屋敷の前は昼間はそれなりの人通りがあって、貴族の馬車やいくつかの人が侯爵家の前を通り過ぎていた。

 

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