14 良からぬ噂が広まっているようです

 スコット・ジェンナー公爵令息は、雑然とした不安がどんどん募っていっていた。

 

 婚約者のクロエ・パリステラ侯爵令嬢と、全く会えない。

 

 あのお茶会の日……衝動的に怒りを滲ませた自分と、必死でなにかを訴えかけるかのようなクロエ。

 まるで縋り付く子犬を振り払うかのように、一方的に切り捨てて帰宅してしまった。

 

 きちんと彼女の話を聞くべきだった。実際に彼女の口から話を聞いて判断すべきだった。

 時間がたつほど後悔は増していって、じくじくと突き刺すような罪悪感に苛まれた。

 

 縮こまる勇気を振り絞って、彼女に直接会いたい旨を手紙にしたためたが、ついに音沙汰はなかった。

 ならば、よく二人で行っていたカフェで待っていると送ってみたが……閉店まで彼女は現れなかった。

 これは完全に拒絶されてしまったのだと落胆して、ふらふらと家路に就いた。

 

 彼女はそんなにも怒っているのだろうか。自身の言動でそれほど傷付いたのだろうか。自分はなぜあのような態度をとってしまったのだろうか。

 会いたいのに会えないもどかしさは、徐々に見えない苛立ちとなって彼を蝕んでいった。


(いや……しかし……このままでは駄目だ…………)




 そんな折、彼はクロエに関する良からぬ噂を耳にした。それは仲の良い高位貴族の令息たちの集まりの場だった。


「クロエが……夜な夜な男と遊び歩いているだって…………?」


 スコットは目を剥いて、時が止まったように動けなくなる。一拍して、びりびりと指先が痺れた。


 楽しい交流の場は一瞬で凍り付いて、重苦しい雰囲気に包まれた。

 彼の友人は心配したように眉尻を下げて、


「クロエ嬢に限ってまさかとは思ったのだが、実際にパリステラ家の門の前で彼女と継母が揉めているのを見た人間がいるらしいぜ」


「……っ!」


 スコットの肩がびくりと揺れた。


「その話、オレも聞いた」今度は別の友人が困惑気味に言う。「なんでも、クロエ嬢が男と夜遊びへ出掛けようとしているのを新しい侯爵夫人が止めていた、って」


「それで、とある茶会で夫人にその件を尋ねてみたら、ただ苦笑いを浮かべるだけだったらしい」


「………………」


 スコットは絶句した。にわかに、ねばねばした嫌な汗が背中から吹き出て、かっと身体が熱くなる。


(まさか……クロエに限って……そんな…………)


 彼の知っている婚約者は清廉潔白で真面目で優しくて、マーガレットみたいに控え目に咲いているような子で。それに、軽く指先が触れただけで赤面するような、純情な子だ。

 そんな彼女が男と夜遊びだなんて……。


「なぁ、スコット。彼女と一度話し合ったほうが良いんじゃないか?」


「オレもそう思う。ちゃんと連絡しているのか?」


 蒼白のスコットの顔を、友人二人は心配そうに覗き込んだ。

 彼はまるで母親に叱られている子供のように、びくびくと友人たちを盗み見てから、口をぱくぱくさせていた。


「そ……」一拍して掠れた声を絞り出す。「それが……手紙の返事が来ないんだ……。もう、ずっと……」


「…………」


「…………」


 友人たちは困惑顔で顔を見合わせた。またぞろ冷たい空気が流れ込む。

 とうとうスコットは堪えきれずに、よろよろと近くの椅子にへたり込んだ。


(僕は、どこで……間違ったんだ……?)


 頭の中を過るのは果てしない後悔だけだった。


 あのとき、不意の異母妹と継母の言葉に動揺して、クロエを突き放すような真似をしたのが悪かったのだろうか。

 いや、そもそも、実の母親が鬼籍に入って悲嘆に暮れている彼女を、婚約者としてしっかり支えきれなかったのがいけなかったのかもしれない。

 彼女が強引に胸の奥底に押し込めていた寂しさが、自分と仲違いしたことによって爆発して……。



 スコットは不穏な考えを振り払うかのように、ぶんぶんと頭を振った。


(このまま悶々と思考を巡らせても仕方がない……)


 そうだ、このままでは駄目なのだ。クロエときちんと言葉を交さなければ。

 互いに胸の内に溜め込んでもなんの進展もないままだ。いつまでも怯えていてはいけないのだ。


「今からパリステラ家へ行ってくる……!」



 スコットは固い決意を抱えて、クロエのもとへ向かったのだった。






◆◆◆






「えぇ~? お異母姉様ですかぁ~?」


 だが、スコットを待っていたのは婚約者ではなく、コートニー・パリステラ――彼の義妹になる予定の令嬢だった。


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