どうやらこの世界のほとんどは、あなたの熱で溶かすことができるらしい

リア

何でもない日



 部屋中に一人寂しく響き渡るCDの音楽。淀んだ空気、閉じきった部屋、挙句の果てには曇り空。そしてこんな空気には似合わない、どこか嬉しそうな顔で笑う一人の男性と……その隣で、辛気臭い顔をしながら寝転んで天井を見ている私の姿。


 微かに香る檸檬の香りは、背丈の低い机の上に置かれたレモネードから香るものだ。この姿勢でも、手を伸ばせばすぐに手に取ることが出来る。


 私と彼の、お気に入り。いつもなら水滴がついているうちに美味しく頂くのだけど、生憎と今日はそんな気にはなれなかった。


「ねぇ恭介きょうすけ、何にもない日のはずなのになんか寂しい日ってない?」


 天井の模様を数えながら、相変わらずやる気のない声で私が尋ねる。すると、恭介はいつもの甘ったるく優しい声で答える。


「急に詩的なこと言っちゃってどうしたの? りん。なんかやなことでもあった?」


「……別に、何でもない。ちょっと聞いてみただけ」


 なんとなくブルーな気分で、なんとなく何もやる気が起きなくて……私には、よくそんな日がある。しかし、恭介がそんな状態になったところを私は一度も見たことがない。


 それは、恭介自体が私にそういう所を見せていないのか……もしくは、彼自身にはそういう日がないのかもしれない。


「それにしてもなんとなく寂しい日、かぁ……僕にもたまにそんな日があるね」


「ふぅん、意外。私はそんな状態になった恭介の姿、見たことないけど」


「うん、鈴と一緒にいるときにはあんまりそういう気持ちにならないからかなぁ……」


 さらっと恥ずかしい台詞を吐き捨て、私の顔を覗き込んで微笑む恭介。そして、一瞬崩れそうになった表情を隠すために恭介とは反対方向の窓側に転がる私。


「何? 恥ずかしくなっちゃった?」


「別に……この天然女たらしが」


 ぼそっと一言文句を言ってから、ぺしりと自分の頬を叩いたあと、軽く深呼吸をして目を瞑る。表情をもとに戻すためのルーティンだ。


「女たらしじゃなくて、思ったことを言っているだけなんだけどなぁ……まあいいや、それよりもなんかブルーな気分になっちゃったの?」


 私にこっちを向いてほしいのか、横を向いている私の体を転がそうとした恭介。そして、彼の手は綺麗に私の脇腹に触れて……。


「ふっ……え、あ……ちょ」


「ん〜?」


 くすぐったい所を正確に触ってくる恭介の手。


「ちょ、ちょっとねぇ……そこはくすぐらないでっ、ねぇ!!」


 息がうまく吸えなくなって、声が喉から漏れてくる。その声は意図していないのに普段の笑い声に近いもので……自ずと表情も笑顔に近しいものになる。


「ようやく、笑ってくれた」


「……っえ?」


 急に手を止める恭介。ぱたんと体を横にして、後ろから私を抱きしめる。男性にしては少し高いけれど、やっぱり“男性の声”である恭介の声が私の背中を伝って耳に流れ込んできた。


「ねぇ、今日の何が嫌か言ってみてよ。全部否定してあげるからさ」


 冷たかった体に温かさが移る。急に抱きしめられていたことで強張っていた体も、まるで初夏の氷のように少しずつ溶けていった。


「今日の空気……あんま好きじゃない、なんか停まっている感じがして嫌」


「そうかなぁ、僕はこの空気柔らかくて好きだけどな。すっごい落ち着くし」


「今日の天気も好きじゃない、ずっと曇ってて頭痛いし」


「でもほら見てよ、太陽の光が雲に当たって綺麗な色になってるじゃん」


 そう言われてようやく、少し視線を動かして空を見る。雲は、綺麗なピンク色に染まっていた。それは、その景色は……あまりにも新鮮で、美しく思えた。


 いつも見ているものと同じのはずなのに、優しい声に身を任せているだけでこんなにも違うものにみえるなんて。


 なんとなく感じていた暗さが、今となっては感じれないくらいに消えていった。ただ温かさと、ぼんやりとした多幸感だけが私の感覚をゆっくりと蝕んでいく。


「……同じ景色でも、見方によって全然違う……か」


「そうだね、全然違ってくる」


 少しだけ、体を起こして机の上のレモネードに手を伸ばす。恭介の手は離れてしまったけれど、温かさはまだ残っている。


 ぬるくなったレモネードを、口にゆっくりと含んだ。それは幸せの味をしている……ような気がした。

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どうやらこの世界のほとんどは、あなたの熱で溶かすことができるらしい リア @Lialice_

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